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第3章
秘薬と希望
しおりを挟む結婚式まであと二日となった日の午後。
ヴォルフは式の休暇を確保するために仕事を詰め込んでおり、今日も朝から不在だった。
そんな静かな昼下がりの屋敷が、突如として騒然となった。
正門前に一台の馬車が到着したのだが、それがただの貴族の馬車ではなかったからだ。
王宮の馬車――それも、国王のものとは紋章が異なる、第一王子の紋章を掲げた馬車だったのだ。
エリアスが部屋で休んでいると、血相を変えたアンナが飛び込んできた。
「え、エリアス様!大変です!」
「アンナ? どうしたの、そんなに慌てて」
「第一王子殿下が……アルシード殿下がいらっしゃいました! しかも、エリアス様は休んでいるだろうからと、応接間ではなく直接こちらへ来られるそうです!」
「ええっ!?」
エリアスは驚愕した。
ラフな部屋着姿でくつろいでいたエリアスに、アンナは「失礼があってはいけません!」と急いで上着を着せ、髪を整え、最低限の身嗜みを整えた。
その直後だった。
コンコン、とノックの音がして、返事をする間もなく扉が開かれた。
「やあ。急ですまないな」
そこには、いつもの気さくな雰囲気を纏ったアルシードが立っていた。
「で、殿下……!」
エリアスが慌ててベッドから降り、身を起こそうとすると、アルシードは片手でそれを制した。
「そのままでいい。病み上がりなんだ、楽にしていてくれ」
「申し訳ありません……。あの、ヴォルフは不在なのですが、この度はどうされたのですか?」
ヴォルフがいないのに、王族がわざわざ足を運ぶなど異例のことだ。
しかし、アルシードは「ああ、分かっている」と涼しい顔で頷いた。
「ヴォルフがいないからこそ来たんだ」
アルシードはそう言うと、手に持っていた小ぶりな手提げ袋をエリアスに差し出した。
ただの紙袋ではあるが、厚みのある紙質と箔押しのロゴは、一目で最高級品だと分かる。
「これは……?」
「もう一度結婚式を挙げる友人への、個人的なお祝いの品だ」
「えっ、それならヴォルフに渡さないと……」
「いや。これは、エリアスのためのものだ」
アルシードはにっこりと笑い、エリアスの膝の上に袋を置いた。
「開けてみるといい」
促されて袋の中を見ると、ずしりと重たい丸い硝子の瓶が入っていた。
蓋を開けてみると、中には透き通るような美しい色のジェルがたっぷりと入っており、ふわりと上品な花の香りが漂った。
「これは……」
「それは、俺のツテで手に入れた特別な薬だ」
アルシードは少し声を潜め、悪戯っぽく微笑んだ。
「ただの薬じゃない。微力だが、『魔力』が込められているものなんだ」
「魔力、ですか……?」
エリアスは目を見開いた。
この世界に、童話に出てくるような何でも叶える魔法は存在しない。
だが、薬学の最先端の研究において、稀に発現する人の持つ微力な魔力を、薬草などに定着させて効果を高める研究がされていると聞いたことがある。
それは幻のように希少なもので、上位貴族であっても金を出せば手に入るという代物ではない。
「これをしばらく患部に塗っていれば、どんな傷跡も……そう、本来なら残ってしまうはずの傷跡も、綺麗に治るはずだ」
エリアスは息を呑んだ。
塗るだけで、治らないはずの傷跡が消えるなんて。そんな夢のような薬が実在するとは。
「こ、こんな希少なものを……本当によろしいのですか?」
震える手で瓶を握りしめ、エリアスが尋ねると、アルシードは真剣な眼差しで答えた。
「元はと言えば、俺が計画し準備した叙任式で、刺客による襲撃を許してしまったことが原因だ。……あの時、君が庇わなければ、ヴォルフは無防備なまま矢に撃たれて死んでいただろう」
アルシードは痛ましげに眉を下げ、そして深く頭を下げたような声色で続けた。
「俺の友人は数少ないんだ。それを守ってくれたお礼と、警備不備へのお詫び。そして……遅れた結婚祝いだと思って受け取ってほしい」
エリアスの胸が熱くなった。
結婚式を目前にして、鏡の前で一人、消えない傷跡に暗い影を落としていたばかりだった。
喉の奥がツンと痛くなり、涙が溢れそうになる。
けれど、アルシードの前で、しかも二人きりの状況で泣きじゃくるわけにはいかない。
エリアスは必死に涙を堪え、深く頭を下げた。
「……ありがとうございます。本当に、殿下には言葉では足りないくらい、感謝しています」
「はは、よせよ」
アルシードは照れたように笑い、居住まいを正した。
「俺も早く、エリアスのような美しい伴侶と出会いたいものだ。あの堅物のヴォルフに先を越されて、内心焦っているんだよ」
冗談めかして笑うと、彼は「改めておめでとう」と告げた。
「身内だけの式だと言っていたから参列出来ないのは残念だが……使用人たちと楽しんでくれ」
そう言い残し、アルシードは風のように爽やかに去っていった。
部屋に静寂が戻る。
エリアスは一人になり、膝の上の瓶を改めて見つめた。
蓋を開け、その透き通るジェルを見る。
(……治るかもしれない)
ヴォルフを守った証だからと自分に言い聞かせながらも、心のどこかで諦めきれずにいた、あの頃の肌。
ヴォルフにまた、「美しい」と愛でてもらい、何の憂いもなく触れてもらえる肌に戻ることができるかもしれない。
その希望が見えただけで、張り詰めていた心が解け、ポロポロと涙が溢れ出した。
「エリアス様? 殿下はお帰りになられ……あら、どうなさったんですか!?」
戻ってきたアンナが、泣いているエリアスを見て仰天して駆け寄ってくる。
「ううん、違うの、アンナ……嬉しくて……」
エリアスは薬の瓶を宝物のように抱きしめ、しばらくの間、希望の涙を流し続けた。
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