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第4章
違和感
しおりを挟む夢のような結婚式が終わり、ハルトマン家には日常が戻ってきた。
それは同時に、ヴォルフが極多忙な日々に舞い戻ることを意味していた。
エリアスが生死の境を彷徨っていた一ヶ月以上の入院期間、そしてその後の結婚式の準備のために先送りにしていた業務のツケが、一気に回ってきたのだ。
それでもヴォルフは、どれだけ忙しかろうとも、エリアスとの時間を蔑ろにすることは決してなかった。
夜遅く、エリアスがすでに湯浴みを終えてベッドに入っている時間に帰宅しても、自室ではなく真っ直ぐにエリアスの元へ来る。
「ただいま、エリアス。顔色はいいね」
そう言って体調を確認し、愛おしそうにキスをする。
そして、疲れを見せることなく、エリアスが安心して眠りにつくまでそばにいて、手を握り、髪を撫でてくれるのだ。
そんな穏やかで満たされた日々が繰り返されていた。
そんな中、数日間だけヴォルフが商談のために遠方へ出向くことになった。
ただの貴族の当主としてではなく、一大事業主でもあるヴォルフ自らが足を運ばなければならない、非常に重要な商談だという。
旅立つ前日の夜も、ヴォルフは山積みの準備に追われながら、いつも通り深夜に寝室を訪れた。
「……エリアス」
ヴォルフはベッドサイドに座り、心配そうに眉を下げた。
「まだ万全じゃない君を置いて行くのは、とても心配だ……。アンナたちにはよく言い含めてあるが、何かあったらすぐに医師を呼ぶんだよ」
過保護なまでの心配ぶりに、エリアスは苦笑しながら首を横に振った。
「大丈夫ですよ、ヴォルフ」
アルシードにもらった魔法のような薬のおかげで、胸と背中の傷跡はほとんど分からないほど綺麗になり、歩行にも全く支障はなくなっていた。
あとは落ちてしまった体力を戻すだけだと、エリアス自身も回復を実感している。
ヴォルフには言えていない「ある懸念」を除けば、順調そのものだった。
「私は、ヴォルフの方こそ心配です。ここのところずっと忙しかったのに、休む間もなく遠方へ行くなんて……。絶対に、無理はしないでくださいね」
エリアスは身を起こし、自分からヴォルフの頬にキスをした。
するとヴォルフは表情を緩め、エリアスの手を握りしめた。
「ああ、もちろんだ。君の夫として、君を悲しませるような……身体を壊すなんてことはしない。無理はしないと約束するよ」
「はい、約束です」
「さあ、もう遅い。おやすみ」
ヴォルフはエリアスを横たわらせ、いつものように優しい手つきで髪を撫で続けた。
安心させるようなそのリズムに、エリアスは瞼を閉じ、寝息を立て始めた。
エリアスが眠ったのを確認すると、ヴォルフは名残惜しそうに一度額に口づけ、明日の準備の続きをするために静かに寝室を出て行った。
パタン、と扉が閉まる音がする。
その直後。
エリアスは、閉じていた目をうっすらと開けた。
天井を見上げる瞳は、冴え渡っていた。
本当は、ここ最近よく眠れていなかったのだ。
ヴォルフに心配をかけたくなくて、順調なふりをしていたが、エリアスの胸中には黒い不安が渦巻いていた。
――ヒートが、来ない。
予兆すら、全くないのだ。
本来なら、オメガのヒートは三ヶ月に一度の周期で訪れるはずだ。
もちろん、体調によって多少のズレはあるし、きっちりと予定日に来ない時もある。
だが、予定の時期を過ぎても、身体の火照りや甘い匂いの変化といった予兆すらないことは、エリアスの人生で初めてのことだった。
ヴォルフはまだ一度しかエリアスとのヒート期間を経験していないため、周期の違和感に気づいていないのかもしれない。
アンナやシュミットも「病み上がりだから」程度にしか思っていないようだった。
だが、エリアスだけは違った。
この違和感が、とてつもなく大きな不安となってのしかかっていた。
(……あの怪我のせい?……)
大量の出血、生死を彷徨うほどのショック状態。
ヒートが来ないということ。それが何を意味するのか、エリアスには分かってしまっていた。
もし、自分の身体が、オメガとしての機能を失ってしまっていたら――。
「……っ、ぐ」
エリアスは込み上げてくる恐怖と絶望に、喉の奥で嗚咽を殺した。
泣いてはいけない。
ヴォルフは準備を終えたら、またこの寝室に戻ってくるはずだ。その時、目が腫れていたり、泣いていることを知られたりしてはいけない。
明日から大事な仕事へ向かう彼に、余計な心配をかけさせるわけにはいかないのだ。
エリアスはシーツの中で、無理やり自分の身体を抱きしめるようにして丸くなった。
(大丈夫、大丈夫……ただ遅れているだけだ……)
そう自分に言い聞かせ、恐怖から逃げるように、エリアスは強く目を閉じて眠りを求めた。
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