銀色の商人と贋作の妻

真大(mahiro)

文字の大きさ
187 / 251
第4章

違和感

しおりを挟む

夢のような結婚式が終わり、ハルトマン家には日常が戻ってきた。
それは同時に、ヴォルフが極多忙な日々に舞い戻ることを意味していた。

エリアスが生死の境を彷徨っていた一ヶ月以上の入院期間、そしてその後の結婚式の準備のために先送りにしていた業務のツケが、一気に回ってきたのだ。

それでもヴォルフは、どれだけ忙しかろうとも、エリアスとの時間を蔑ろにすることは決してなかった。
夜遅く、エリアスがすでに湯浴みを終えてベッドに入っている時間に帰宅しても、自室ではなく真っ直ぐにエリアスの元へ来る。

「ただいま、エリアス。顔色はいいね」

そう言って体調を確認し、愛おしそうにキスをする。
そして、疲れを見せることなく、エリアスが安心して眠りにつくまでそばにいて、手を握り、髪を撫でてくれるのだ。

そんな穏やかで満たされた日々が繰り返されていた。
そんな中、数日間だけヴォルフが商談のために遠方へ出向くことになった。
ただの貴族の当主としてではなく、一大事業主でもあるヴォルフ自らが足を運ばなければならない、非常に重要な商談だという。

旅立つ前日の夜も、ヴォルフは山積みの準備に追われながら、いつも通り深夜に寝室を訪れた。

「……エリアス」

ヴォルフはベッドサイドに座り、心配そうに眉を下げた。

「まだ万全じゃない君を置いて行くのは、とても心配だ……。アンナたちにはよく言い含めてあるが、何かあったらすぐに医師を呼ぶんだよ」

過保護なまでの心配ぶりに、エリアスは苦笑しながら首を横に振った。

「大丈夫ですよ、ヴォルフ」

アルシードにもらった魔法のような薬のおかげで、胸と背中の傷跡はほとんど分からないほど綺麗になり、歩行にも全く支障はなくなっていた。
あとは落ちてしまった体力を戻すだけだと、エリアス自身も回復を実感している。

ヴォルフには言えていない「ある懸念」を除けば、順調そのものだった。

「私は、ヴォルフの方こそ心配です。ここのところずっと忙しかったのに、休む間もなく遠方へ行くなんて……。絶対に、無理はしないでくださいね」

エリアスは身を起こし、自分からヴォルフの頬にキスをした。
するとヴォルフは表情を緩め、エリアスの手を握りしめた。

「ああ、もちろんだ。君の夫として、君を悲しませるような……身体を壊すなんてことはしない。無理はしないと約束するよ」
「はい、約束です」
「さあ、もう遅い。おやすみ」

ヴォルフはエリアスを横たわらせ、いつものように優しい手つきで髪を撫で続けた。
安心させるようなそのリズムに、エリアスは瞼を閉じ、寝息を立て始めた。
エリアスが眠ったのを確認すると、ヴォルフは名残惜しそうに一度額に口づけ、明日の準備の続きをするために静かに寝室を出て行った。

パタン、と扉が閉まる音がする。
その直後。

エリアスは、閉じていた目をうっすらと開けた。
天井を見上げる瞳は、冴え渡っていた。
本当は、ここ最近よく眠れていなかったのだ。
ヴォルフに心配をかけたくなくて、順調なふりをしていたが、エリアスの胸中には黒い不安が渦巻いていた。

――ヒートが、来ない。
予兆すら、全くないのだ。
本来なら、オメガのヒートは三ヶ月に一度の周期で訪れるはずだ。

もちろん、体調によって多少のズレはあるし、きっちりと予定日に来ない時もある。
だが、予定の時期を過ぎても、身体の火照りや甘い匂いの変化といった予兆すらないことは、エリアスの人生で初めてのことだった。

ヴォルフはまだ一度しかエリアスとのヒート期間を経験していないため、周期の違和感に気づいていないのかもしれない。
アンナやシュミットも「病み上がりだから」程度にしか思っていないようだった。

だが、エリアスだけは違った。
この違和感が、とてつもなく大きな不安となってのしかかっていた。

(……あの怪我のせい?……)

大量の出血、生死を彷徨うほどのショック状態。
ヒートが来ないということ。それが何を意味するのか、エリアスには分かってしまっていた。

もし、自分の身体が、オメガとしての機能を失ってしまっていたら――。

「……っ、ぐ」

エリアスは込み上げてくる恐怖と絶望に、喉の奥で嗚咽を殺した。
泣いてはいけない。
ヴォルフは準備を終えたら、またこの寝室に戻ってくるはずだ。その時、目が腫れていたり、泣いていることを知られたりしてはいけない。
明日から大事な仕事へ向かう彼に、余計な心配をかけさせるわけにはいかないのだ。

エリアスはシーツの中で、無理やり自分の身体を抱きしめるようにして丸くなった。

(大丈夫、大丈夫……ただ遅れているだけだ……)

そう自分に言い聞かせ、恐怖から逃げるように、エリアスは強く目を閉じて眠りを求めた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

僕の、しあわせ辺境暮らし

  *  ゆるゆ
BL
雪のなか僕を、ひろってくれたのは、やさしい男の子でした。 ふたりの、しあわせな辺境暮らし、はじまります! ふたりの動画をつくりました! インスタ @yuruyu0 絵もあがります YouTube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら!

人族は一人で生きられないらしい――獣人公爵に拾われ、溺愛されて家族になりました

よっちゃん
BL
人族がほとんど存在しない世界に、 前世の記憶を持ったまま転生した少年・レオン。 獣人が支配する貴族社会。 魔力こそが価値とされ、 「弱い人族」は守られるべき存在として扱われる世界で、 レオンは常識の違いに戸惑いながらも必死に生きようとする。 そんな彼を拾ったのは、 辺境を治める獣人公爵アルト。 寡黙で冷静、しかし一度守ると決めたものは決して手放さない男だった。 溺愛され、守られ、育てられる日々。 だが、レオンはただ守られるだけの存在で終わることを選ばない。 学院での出会い。 貴族社会に潜む差別と陰謀。 そして「番」という、深く重い絆。 レオンは学び、考え、 自分にしかできない魔法理論を武器に、 少しずつ“並び立つ覚悟”を身につけていく。 獣人と人族。 価値観も、立場も、すべてが違う二人が、 それでも選び合い、家族になるまでの物語。 溺愛×成長×異世界BL。 読後に残るのは、 「ここに居場所があっていい」と思える、あたたかな幸福。

抑制剤の効かない薬師オメガは森に隠れる。最強騎士団長に見つかり、聖なるフェロモンで理性を溶かされ、国を捨てた逃避行の果てに番となる

水凪しおん
BL
「この香りを嗅いだ瞬間、俺の本能は二つに引き裂かれた」 人里離れた森で暮らす薬師のエリアルは、抑制剤が効かない特異体質のオメガ。彼から放たれるフェロモンは万病を癒やす聖なる力を持つが、同時に理性を失わせる劇薬でもあった。 ある日、流行り病の特効薬を求めて森を訪れた最強の騎士団長・ジークフリートに見つかってしまう。エリアルの香りに強烈に反応しながらも、鋼の理性で耐え抜くジークフリート。 「俺が、貴方の剣となり盾となる」 国を救うための道具として狙われるエリアルを守るため、最強の騎士は地位も名誉も投げ捨て、国を敵に回す逃避行へと旅立つ。 シリアスから始まり、最後は辺境での幸せなスローライフへ。一途な騎士と健気な薬師の、運命のBLファンタジー。

【完結】重ねた手

ivy
BL
とても短いお話です。

番に見つからない街で、子供を育てている

はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。 異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。 現世の記憶は失われているが、 この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。 街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、 ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。 だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。 再会は望まない。 今はただ、この子との生活を守りたい。 これは、番から逃げたオメガが、 選び直すまでの物語。 *不定期連載です。

そばにいられるだけで十分だから僕の気持ちに気付かないでいて

千環
BL
大学生の先輩×後輩。両片想い。 本編完結済みで、番外編をのんびり更新します。

今からレンタルアルファシステムを利用します

夜鳥すぱり
BL
大学2年の鳴水《なるみ》は、ずっと自分がオメガであることを隠して生きてきた。でも、年々つらくなる発情期にもう一人は耐えられない。恋愛対象は男性だし、男のアルファに会ってみたい。誰でも良いから、定期的に安全に話し相手をしてくれる人が欲しい。でもそんな都合のいい人いなくて、考えあぐねた結果たどり着いた、アプリ、レンタルアルファシステム。安全……だと思う、評価も星5で良いし。うん、じゃ、お問い合わせをしてみるか。なるみは、恐る恐るボタンを押すが───。 ◆完結済みです。ありがとうございました。 ◆表紙絵を花々緒さんが描いてくださりました。カッコいい雪夜君と、おどおど鳴水くんです。可愛すぎますね!

僕の事を嫌いな騎士の一途すぎる最愛は…

BL
記憶喪失の中目覚めると、知らない騎士の家で寝ていた。だけど騎士は受けを酷く嫌っているらしい。 騎士×???

処理中です...