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第4章
弟からの提案
しおりを挟むしばらくの間、互いの無事を喜び、温かい空気に浸っていたが、ヨハンがふと思い出したように首を傾げた。
「あれ、でも……待って。兄さんこそ、どうしてここにいるの?」
ヨハンはエリアスの服を見下ろし、怪訝な顔をした。
「身なりも貴族らしくないし……さっき、この街の民宿に飾る花を買いに来たって言ってたよね?お金がないから安い宿に泊まってるってこと?旦那さんと、何かあったの?」
当然の疑問だ。ハルトマン伯爵夫人であるはずの兄が、平民街で質素な服を着て、安宿に泊まっているなど異常事態でしかない。
エリアスは少し迷ったが、ヨハンには事情を話すことにした。
ヨハンはエリアスが叙任式で重傷を負った頃にはすでに家を出て、この街で働いていたため、都心で起きていた騒動やエリアスの怪我については何も知らなかったようだ。
エリアスは、矢で射抜かれて生死を彷徨ったこと、そしてその影響で生殖機能を失った可能性があることを、静かに説明した。
「……だから、貴族の当主であるヴォルフのために、私は家を出てきたんだ」
ただし、ヴォルフに何も告げず、夜逃げ同然で出てきたことや、ヴォルフが必死に探しているだろうことは伏せた。
ヨハンを心配させたくなかったし、もしヴォルフに連絡を取られてしまっては元も子もないからだ。
「二人で話し合って……円満に、別れることにしたんだよ」
エリアスは精一杯の強がりで、そう嘘をついた。
「そう、だったんだ……」
ヨハンは目を潤ませ、痛ましげにエリアスを見つめた。
「兄さん……僕がこうして生活している間に、辛いことや大変なことが、たくさんあったんだね」
「いや、お前もそうだろう?お互いさまだ」
エリアスは首を横に振り、優しく微笑んだ。
「たくさん辛いことはあったけど……でも、その何倍も、ヴォルフが愛してくれたから」
嘘偽りない本心を口にする。
「だから、すごく幸せだったんだ。今も、その思い出があるから幸せだよ」
ヴォルフとの日々は、悲しい結末を迎えたとしても、エリアスにとっては何にも代えがたい宝物だ。
エリアスの笑顔を見て、ヨハンは何かを感じ取ったようだった。兄が無理をして笑っていることも、察してくれたのかもしれない。
ヨハンはテーブルの上のエリアスの手を、きゅっと握りしめた。
「……兄さん。もし良かったら、あの花屋で一緒に働かない?」
「え?」
エリアスは思わぬ提案に目を丸くした。
ヨハンは身を乗り出して続ける。
「この近くの民宿に泊まっているなら、お金もかかるだろうし……おばあちゃんが良いって言ったら、この家に住まわせてくれると思うんだ」
「この家に?」
「うん。ここは元々、おばあちゃんと二人の息子さんが暮らしていた家だから、空いている部屋があるんだよ。おばあちゃんには、僕から相談するよ」
エリアスにとって、それは願ってもない、とてもありがたい提案だった。
住む場所と仕事が同時に確保できれば、これほど心強いことはない。
けれど、やはり迷惑をかけるわけにはいかないという遠慮が頭をもたげる。
「……ありがとう、ヨハン。でも、店主さんがダメだって言ったら全然良いんだよ。私も、今なんとか仕事を見つけようとしているし……」
エリアスがそう言うと、ヨハンは少し呆れたような、でも愛おしむような顔で首を振った。
「兄さん。僕が言えることではないけど……」
ヨハンはエリアスをじっと見て、はっきりと言い放った。
「明らかに『高貴な貴族のオメガ』って感じの兄さんが、この街でまともな仕事を探せるとは思えないよ。どこに行っても断られるのがオチだ」
「うっ……」
あまりに正論すぎる指摘に、エリアスは図星を突かれて言葉に詰まり、肩を落とした。
実際に、何件も断られ続けていたのだから反論のしようがない。
(……まさか弟に、こんな現実的なことを言われる時が来るなんて)
かつては何も知らず、何もできなかった弟が、今ではエリアスよりもこの街の現実を理解し、兄を導こうとしてくれている。
その成長と頼もしさがなんだかおかしくて、そして嬉しくて。
エリアスは凹みながらも、ふふっと声を上げて笑ってしまった。
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