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番外編
悩める弟1
しおりを挟むこれは、エリアスが妊娠し、つわりも落ち着いて安定期に入った頃の話である。
エリアスは屋敷で安静に過ごしながら、ヨハンとは頻繁に手紙のやり取りを続けていた。
エリアスからは妊娠中の経過や体調のこと、ヨハンからはジョセヌの花屋のことや、そしてあの苗屋の青年との恋の進展についてが主な内容だった。
そんなある日、ヨハンから「どうしても話したいことがあるから、会いに行く」という旨の、切羽詰まった手紙が届いた。
エリアスが「いいよ、待っているね」と返事を送ろうとしたまさにその日、ヨハンは返事を待たずに自分で辻馬車を借りて、ハルトマン家の屋敷までやってきた。
エリアスのお腹はまだそれほど大きくなく、歩行には支障がない。酷いつわりも終わりを迎えていて、体調も良かったため、弟の突撃訪問を歓迎した。
「兄さん、いきなり来てごめんよ」
「いや、大丈夫だよ。元気そうで安心した。さあ、おいで」
エリアスはヨハンを、自分の部屋へと通した。
部屋の中には、ヨハンやジョセヌ、ナンキンス夫人、そしてアルシードから届いた妊娠祝いの品々が所狭しと置かれている。
広い部屋だが、積み上げられた愛の贈り物で、何もない時よりはずいぶんと手狭に見える。
だが、お祝いの品に埋められた部屋を見るのは、エリアスにとって何よりの癒しの光景だった。
その部屋のソファへとヨハンを誘うと、アンナがすぐに二人分の飲み物を用意してくれた。
「ヨハン様、ようこそいらっしゃいました」
ヨハンには香り高い紅茶を、そしてエリアスには、最近ヴォルフが調べて手に入れたという、妊娠中に飲むと良いとされる特製のホットドリンクを。
母体にも胎児にも栄養を与えてくれるらしく、ほんのりと甘く、身体が温まるものだ。
ヨハンはその様子を見て、ふふ、と笑った。
「相変わらず、兄さんがヴォルフさんに溺愛されているのが分かって安心したよ」
「もう、からかわないでくれ」
エリアスは照れくさそうにカップを手に取ったが、すぐに真剣な顔に戻り、切り出した。
「そんなことより、ヨハン。急に来たってことは……何か大事な話なんだろう?」
すると、ヨハンの顔がサァーッと暗く……いや、暗いのか?
なんだか悩ましいような、困り果てたような、それでいて茹で上がったように赤い顔になった。
ヨハンは俯き、膝の上で手を組みながら、ぼそぼそと口を開いた。
「……兄さんにこんなことを、面と向かって聞くのは恥ずかしいんだけど……。周りに相談できるオメガもいないし……兄さんにしか、聞けないんだ。手紙だと、どうしても書きづらくて」
「オメガにしか聞けないこと?」
エリアスは不思議そうに首を傾げた。
「…………あのね、彼と……付き合うことになったんだよ」
ヨハンは耳まで真っ赤にして、蚊の鳴くような声で報告した。
エリアスはぱぁっと顔を輝かせた。手紙ではずっと『ジョセヌに後押しされたけど勇気が出ない』『今日も挨拶しかできなかった』と何度も書かれていたからだ。
「本当?良かったじゃないか!ずっと悩んでたもんな」
「……うん。それで……それでさ……」
ヨハンはそこからさらにもごもごと言葉を濁し、意を決して顔を上げた。
「僕はオメガだけど、彼はベータだと思うから……第二性のことは関係ないと思って言ってなくて……。それで、……か、彼とキスしてると、僕……おかしいんだ」
ヨハンの大きな瞳が、うるうると潤んでくる。
「おかしい?」
「うん……。キスするところまでは、僕の方が年上だし、彼は奥手だから僕がリードしてるんだ。彼も優しくておとなしいから、僕に合わせてくれるし……。で、でもね、その先になると……僕はなんだか身体がおかしくて、訳が分からなくなっちゃうんだよ」
ヨハンは助けを求めるようにエリアスを見た。
「おかしいって、どういうふうに?」
「考えがまとまらないというか、頭がぐちゃぐちゃになっちゃうんだよ。あと……彼の口の中を舐めると、凄く甘いんだ。蜂蜜みたいに。……それだけで…………っ、こないだ、ついに……イッ…………」
「……イ?」
「………………そういう経験もないのに……彼とキスしただけで、イッ…………ちゃったんだ」
ヨハンは両手で顔を覆い、「うあぁぁ」と泣き出してしまった。
つまり、年上だからと余裕ぶって彼をリードしているのに、キスが進むとヨハンは思考を乱され、彼の唾液が甘いと感じただけで、ついに射精してしまったということらしい。
「に、兄さん……これってオメガなら普通なのかな……?それとも、僕が物凄い……え、えっちなのかな……?」
ヨハンはおずおずと、本気で悩んでいる様子で聞いてきた。
エリアスはふふ、と微笑んで、優しくヨハンの頬を撫でた。
エリアスと同じセピア色の瞳が、涙で潤んでいて可愛い。かつて「社交界の華」と呼ばれ、数多の浮名を流しそうに見えていたヨハンが、たかがキスのことでこんなに取り乱しているなんて。
可愛すぎて、エリアスの頬が自然と緩んでしまう。
「性行為のことを詳しく話すのは恥ずかしいけど……でも、大丈夫。私もヴォルフとキスしてると、身体がおかしくなるよ。オメガだからっていうのもあるし、好きな人となら尚更だよ」
そう言いながら、エリアスはヨハンの手を握った。
「あと……ヨハン。彼の唾液が甘く感じるなら、もしかしたら……彼はアルファなのかもしれないよ」
「えっ?」
ヨハンが顔を上げた。
「え、……でも彼は何も言わないし、匂いもしないよ?」
「平民だと、第二性の検査をする人としない人がいるからね。アルファ性が強くないと本人に自覚もないだろうし、普段はフェロモンも強くないと聞くよ」
エリアスは、最近自分が学んだ知識を弟に伝えた。
「唾液が甘いというのは、オメガが本能的に相性の良いアルファのフェロモンを感じている証拠なんだろう」
「そう、なの……?」
「ああ。私も、子どもを妊娠してから、第二性について本でたくさん学んだんだ。私自身、一時的に生殖機能を停止したりしただろう?……第二性のことは分からないことばかりだけど、もし産まれてくる子どもが将来悩んだ時に、一緒に悩める親でありたくてね」
ヨハンはそれを聞いて、ぽかんと口を開け、それからパァッと表情を明るくした。
「そ、そうなのか……!彼がアルファ……!」
ヨハンはガッツポーズをした。
「じゃあ、ベータとキスしてるのに僕がメロメロになっちゃって、キスだけでイッちゃったのは、僕が変態なんじゃないんだね!?」
「ふふ、違うよ。本能的な反応さ」
「良かったぁぁ~~~!!」
ヨハンは急に直接的な表現を大声で叫び、晴れ晴れとした顔になった。かなり深刻に悩んでいたのだろう、その瞳は清々しい。
「兄さん、本当にありがとう!こんな恥ずかしい悩みを聞いてくれて、救世主だよ!」
「いや、弟の話ならなんでも聞きたいよ。頼ってくれてありがとう」
二人は手を握り合って微笑んだ。
そうして、悩みが解決したヨハンは、来た時とは別人のようにニコニコで帰っていった。
「兄さん、身体を最優先にね!元気な赤ちゃん産んでね!」
「ああ。また手紙を書くよ。……彼と、仲良くね」
「うん!今度はもっとリードしてみせるよ!」
懲りていない弟の背中に苦笑しながら、エリアスは手を振った。
愛しい弟が、これからも幸せな未来を歩むことを祈って、エリアスは温かい気持ちでその馬車を見送った。
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