【完結】獅子は鳥籠を砕く

真大(mahiro)

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第2章

鳥籠の鍵

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 十年ぶりのレオナルドの声は、ユリウスのことを「ユーリ」とは呼ばなかった。
 ただ、硬く「ユリウス」と。

 その事実を突きつけられた瞬間、ひび割れ、かろうじて形を保っていたユリウスの心は、音を立てて悲鳴を上げた。

「…………ブラント卿。こんな夜に、どうされたのですか」

 ユリウスは、先ほど無意識に「レオ」と呼んでしまった過ちを、なかったことにするかのように他人行儀に問いかけた。
 こうすることを、レオナルドが望んでいると察したからだ。

(二度と、あの頃のような愛称では呼んでくれない。……そういうことだ)

 レオナルドに心から軽蔑されているのだと想像していたことが、ユリウスの中で確信に変わった。
 裏切り者で、ルシエルの愛玩具に成り下がった男になど、親しみを込めた呼び名を使う価値もないということだろう。

 レオナルドは、ユリウスを離さなかった。背後から抱きすくめるように確保したまま、闇の中で話を続けるつもりらしい。

 ここは扉の前、廊下の暗がりだ。
 幸いなことに、この区画には誰も寄り付かない。
 ルシエルが帰ってこない今夜、誰に見られることもないだろう。

 ユリウスは、レオナルドが何か用件があって――例えばルシエルへの伝言か、あるいは今の地位を利用した政治的な脅しか――を言いに来たのだと推測した。

 早く用事を済ませて、去ってほしい。
 どうせ、穢れた存在になど触れたくもないだろうから。

 そう身構えて、罵倒なり冷徹な言葉なりを待った。
 だが、レオナルドは何も言わなかった。
 そのまま、ユリウスの身体を軽々と横抱きに抱き上げた。

「……っ、ブラント卿、なにを……!」
「『レオ』と呼んでくれないのか」

 部屋の中へ足を踏み入れながら、彼がポツリと聞いてきた。
 ユリウスは耳を疑った。

 何を言っているのか。先に他人行儀に「ユリウス」と呼び、線を引いたのはそちらなのに。
 どの口がそれを言うのか。弄ばれているようで、胸が苦しい。

「……はい。ブラント卿。私は……貴方をお名前で呼ぶ立場にありませんので」

 ユリウスは感情を押し殺し、極めて落ち着いた声で、淡々と答えた。
 部屋の中に入ると、照明の明るさで顔が見られてしまう。

 ユリウスは抱き上げられたまま、レオナルドの胸に顔を伏せ、表情を見られないように努めた。
 今の自分の顔が、情けなく歪んでいるかもしれないと思ったからだ。
 レオナルドは、部屋の中央にあるソファまで歩くと、壊れ物を扱うように優しくユリウスを下ろした。

 ついに、明るい場所で向き合う形になる。
 その時にはもう、ユリウスは仮面を被り終えていた。
 何も感じていない、冷徹で美しい人形の仮面を。

「………今夜は時間がない。ユリウス」 

 レオナルドは立ったまま、ユリウスを見下ろして言った。

「秘密裏に、近いうちに俺の部下を寄越す。その時に、ついてきてくれないか」

 どういう意味なのか、全く分からなかった。
 尋問のための連行、ということか。

 だが、その言葉に対する拒否権はないと悟った。
 今の彼、国を揺るがす英雄だ。
 一介の愛妾ごときが逆らえる相手ではない。

「…………それは、命令ですか」

 問うと、レオナルドは沈黙した。
 それを肯定と勝手に捉えて、ユリウスは頷いた。

「分かりました。状況にもよりますが……ついていきます」

 「状況にもよる」という意味は、レオナルドにも分かるはずだ。
 ユリウスは一日の大半をルシエルの監視下に置かれている。
 そこから逃げられない時、あるいは物理的に拘束されている時は不可能だ、という意味だ。

 レオナルドはそれを理解したようで、短く頷いた。
 そして、用件は済んだとばかりにレオナルドは背を向けた。
 動いた拍子に、ふわ、と彼の匂いが風に乗って漂う。

 懐かしい、甘い香り。
 頭がおかしくなりそうだった。
 このままでは、抑え込んでいるオメガの本能が誘発され、無様にすがってしまう。

「早く、出て行ってください」

 絞り出すように告げた。
 それに従い、レオナルドは足音も立てずに部屋を出て行く。

 ガチャリ。

 扉が閉まり、そして、外から鍵をかける音がした。
 かつてルシエルがかけた鍵を、今度はレオナルドの手によってかけられたのだ。

 ルシエルの鳥籠の中に、想い人の手によって再び閉じ込められたような錯覚。
 あまりの皮肉さに、ユリウスは乾いた笑みを漏らした。

「はは……」

 その場に崩れ落ち、膝を抱える。

「レオ……何をさせたいか分からないが、……ゴミのように捨てた私のことは、もう放っておいてくれ……」

 誰もいない部屋で、本音が零れ落ちた。

 放っておいてくれ。もう関わらないでくれ。
 そう願うのに、レオナルドにまた会えば、ユリウスは拒めない。

 彼が「来い」と言えば這ってでも行くし、「抱かせろ」と言われれば喜んで股を開くだろう。

 それを確信しているからこそ、それに翻弄される自分が情けなくて、馬鹿みたいで。
 ユリウスは虚しさに押しつぶされそうになりながら、鍵のかかった扉を見つめ続けた。
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