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第2章
裏切り者の幸福
しおりを挟むレオナルドが「部下を寄越す」と告げたあの日から、さらに時は過ぎた。
だが、その約束の日はいまだ訪れていなかった。
ルシエルが片時も離さず、常に手中に置いているのだから、接触の機会がないのは当然だという考えと。
あの日、闇の中で交わした言葉は幻で、いつかと言ったその日は永遠に来ないのではないかという諦めとが、交互にユリウスの心を支配し、さらに砕いていった。
そんな中でも、毎夜のルシエルによる支配は続く。
今夜は、身体を貪られるのではなく、ソファに座るルシエルの膝の上に跨るように対面で座らされ、ただひたすらに彼が望む言葉を言わされる日だった。
「……ルシエル様……愛しています。誰よりも……」
「ああ、俺もだ。可愛いユリウス……」
ルシエルはユリウスの背中に腕を回し、すがるように抱きしめてきた。その声は震えている。
「あの男が帰ってきてから、お前が取られるんじゃないかと思って気が気じゃないんだ。
王位も、ユリウスも決して渡さない……早く父上が死ねば良い。
そうすれば……俺が名実ともに王になることが出来れば、お前に手を出す者もいない」
相当焦っているようだ、とユリウスは冷めた頭で思った。
実の父である現国王の死を願う言葉を、臣下の前で口にするなど正気の沙汰ではない。
だが、ルシエルはユリウスの前では何でも吐露するため、ユリウスはこの呪詛のような言葉を何度も聞かされていた。
「可愛いユリウスをあいつに取られる可能性を、一つ残らず摘んでおかないと、眠れない……考えないと……」
「…………そんな可能性は、ありませんよ。ルシエル様」
ユリウスは静かに、子供を諭すように告げた。
「ブラント卿は、私になんて興味はありません」
これは、紛れもないユリウスの本心だった。
レオナルドにユリウスが取られる、奪われるなんて。
そんな絵空事は、天地がひっくり返っても起き得ない。
そんな危険を冒すメリットが、今のレオナルドにはひとつもないからだ。
「部下を寄越す」と言ったのも、話がしたいからだと言っていた。ユリウスの中では、その目的は確定していた。
こうしてルシエルが異常に依存し、懐に入れているユリウスから、王宮内の内部情報を引き出すためだ。
それ以外の理由はあり得ない。
だから、ルシエルが懸念しているようなことなど起こるはずがないのだ。
そう、理屈では完全に理解している。
だというのに、「部下を寄越す」と言ったあの日を、心のどこかで待ちわびている自分がいることに、ユリウスはずっと吐き気を覚えていた。
自分が気持ち悪くて、浅ましくて、仕方がない。
(何を今更、期待する要素があるというんだ)
自分を殴り飛ばしたい衝動に駆られる。
囚われの姫にでもなったつもりなのだろうか、自分は。
レオナルドにとって、ユリウスは「不当に囚われている被害者」ではない。
ただ保身のために国の安寧やカイエンを裏切り、敵であるルシエルの寵愛を受けて媚びを売る、汚れた愛玩具なのだ。
裏切り者が、何をお姫様ぶって救出を待っているのか。
ユリウスは心の中で、自分自身を鼻で笑い、嘲笑った。
レオナルドは助けになど来ない。
そもそもユリウスは、第一王子派と高らかに宣言したレオナルドにとって、排除すべき政敵の情婦に過ぎないのだから。
それでも、ユリウスから情報を引き出せると思っているということは――レオナルドはやはり、気づいているのだろう。
ユリウスが在学中、彼に好意を寄せていたこと。そして十年経った今も、その想いを捨てきれずに抱いていること。
それに気づいているからこそ、その未練を利用して情報を抜こうとしているのだ。
(……それでいい)
ユリウスは目を伏せた。
もしそれで、レオナルドが有利になり、本当に第一王子派としてカイエンを助け出してくれるなら。
ユリウスの想いを利用し、踏み台にして彼らが勝利するなら、それほど望む結末はない。
その先に訪れる、彼らが統治する明るい未来に、裏切り者であるユリウスの居場所はないけれど。
処刑されるか、あるいは用済みとして捨てられるか。どちらにせよ、彼らの役に立って消えることができるなら本望だ。
それが一番望ましい未来だと。
ユリウスはルシエルに嘘の愛を囁きながら、心の底からそう思っていた。
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