【R18】会社追い出されたから趣味みたいな仕事始めて住込みメイド雇ってみた

スイ

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11.二人の昔について(Side B)

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「聞いてないけど」



 と彼は言った。両手を組み、つま先を打ち鳴らして不規則なリズムを刻んでいる。口調こそ笑っているが、だれが見ても苛ついていた。ここがいつもの職場で、彼と二人っきりだったらきっと恐れを抱いていただろう。だけどここはだだっ広いイベントホールの真ん中で、彼が怒りを向けているのは私ではない。だからどこか他人事のように、そんな彼の様子を見ていた。

 

「仕方ないじゃない、経費節約よ。せ、つ、や、く。大体、言う必要ある?」



 伊崎さんは悪びれもなくそう言った。溌溂とした笑顔はこの間見たのと同じだが、それ以外はまるで違う。先端が丸みを帯びた黒のローファー、脚を包む白いタイツ、肩が露出したハイウェストのメイド服、目と髪の色は桜色。

 私が今日コスプレするメイドの双子の姉がそこにいた。

 

「普通言うだろ。昨日だって搬入しに来たじゃないか」



 私が今日立つことになるブースは、私が思っていた以上に大掛かりなものだった。番宣のポスターやキャラクターグッズでポップな雰囲気に仕上がっている他のブースと違って、原作をとことん追求しました、という感じのアンティークな部屋がそこにある。天蓋のついたベッドに三面鏡の化粧台、テーブルの上には三階建のケーキスタンドとティーポッド、カップまで置かれている。



 伊崎さんは原作同様、主人公を小馬鹿にするような口調で「ありがとね、代理店も出版社も褒めてたわよ」と言いながら、椅子に腰掛け、足を組む。肘をテーブルについて拳に頬を乗せる。彼は「仕事のことはちゃんと言えっつってんだろ、子供じゃないんだから」とテーブルに手をついて問い詰めている。私は、伊崎さんの組んだ足の細さと、短いスカートがずり上がって顕になる太ももの白さにばかり目が行ってしまう。



「大体、言わなかったからって何か問題がある? ね、如月ちゃん?」



 がらりと口調を変えた甘い声で、伊崎さんは私に問いかける。咄嗟のことでついていけてなかった私はたどたどしい声で、



「いえ、特に問題ない、です」



 反射的に口にした途端、彼の反応が気になった。だけど彼の目は相変わらず伊崎さんに向けられたままで、表情が見れなくて良かったと思う反面、こっちを向いてくれなかったことに対する嫉妬心みたいなものも心の隅っこで芽生える。



「ほら、良いってさ。だいたい一人より二人のほうが心強いに決まってるでしょ」

「だから、そういう事を言ってるんじゃなくて、仕事としての連絡を」

「ほら行った行った。あんたはあんたの仕事してこいや」



 彼は今日、都内のショップと商談があるらしい。イベントが終わる頃には仕事も終えて、私をピックアップして帰る予定だ。つまるところ、私はこれから約十時間ほど、伊崎さんと二人っきりで仕事をするらしい。

 事前に教えてくれなかったのは私にとっては良かったかも知れない。心の準備が出来ていない分、変な緊張もせずにすんだ。一ヶ月前からその事実を教えられていたら、きっと私はへんなシミュレーションを何度も繰り返して今頃ヘトヘトになっていただろう。

 それを見越した上で彼に伝えなかった、というのは流石に私の考え過ぎだろうか。

 彼はちらりと腕時計に視線を落とす。そして私に申し訳なさそうな顔を向けて、



「ごめん、ちょっと、俺も行かなくちゃいけなくて。こんなのとでゴメンだけど、よろしく頼む」



 こんなのとはなんだこら、と伊崎さんが言う横で、



「私は本当に大丈夫なので、どうかお気遣いなく」

「すまん、ありがとう」

 

 そしてまた伊崎さんに向き直り、



「くれぐれも、よろしくお願いします」

 

 皮肉たっぷりに、力強くそういった。



「えぇ、ご安心ください」



 と返す伊崎さんは随分と楽しそうだった。



 :::



 関係者用の扉を開け、更衣室への廊下を進む。扉を閉じ、ホールの喧騒が遠のくと、先導する伊崎さんは私を振り返って、



「あいつ、だいぶ焦ってたわね」



 まるでいたずらに成功した子供みたいな顔でそういった。



「焦ってた、のでしょうか」

「心配してるのよ。私が如月ちゃんに変な事言わないか」

「変な事」



 伊崎さんが発した言葉を舌先で転がすように口にする。伊崎さんはそんな私を見て笑みを浮かべた。



「さ、ここで着替えてね」

 

『出演者 女性更衣室』とコピー用紙がはられた扉を開ける。真っ先に目に入ったのは、壁一面には鏡が貼られ椅子が置かれた化粧スペース。入り口からの死角になる部屋の奥にはロッカーがいくつも並んでいて、何人かの女性が何かしらのキャラのコスプレに着替えている。



「ーーきれいな人ばかりですね」



 思わず呟く。衣装からちらりとーーあるいはあらわにーー見える体の線、腰の細さ、谷間の深さは一般人のそれとは明らかに違った。

 

「あなたはこの中でもダントツよ」

「いえ、そんな」

「またまた」



 伊崎さんは一番奥まった場所にあるロッカーに鍵をさして、「はいここ」と扉を開けた。そして中から、クリーニングのビニールに包まれたままのメイド服と、同じくビニールと黒いネットに覆われた青いウィッグを取り出す。

 

「コスプレは今までしたことある?」

「いえ……あ、このキャラについてはちゃんと見たんですけど」

「んじゃ、着替えるの手伝うからとりあえず脱いでね」



 開けた扉の内側にハンガーとウィッグをぶら下げる。まだ行動に移れない私を見て「ほらほら、脱いで脱いで」と言いながらパンパン手を叩く。私はバッグを肩から下ろしながら、

 

「えっと、一応一人でも……」

「着替えるなんて二人いればすぐよすぐ。それよりも化粧に時間かかるのよ。キャラに合わせたメイクだから、そっちに時間かけないと。それにこの後も打合せあるんだからね」



 一言も返せずにいると「お仕事だよ如月ちゃん、ほら恥ずかしがらずに」とさらにはっぱをかける。伊崎さんのまっすぐな声は部屋の中によく響き、ふと横を見るとロッカー数個先でとんがり帽子をかぶった赤色の魔女や、白いカーディガンのミニスカ女子高生がこちらをチラ見しながら笑っている。顔が熱くなるのを感じる。

 私はワイシャツのボタンを外す。インナーを脱ぐと「おー」と伊崎さんの小さな歓声。見ると胸の前で両手を丸め、

 

「やっぱいいものもってるね」

「いや、そんな、」

「じゃ、ブラも取って」



 驚きすぎて声も出ない。

 

「当たり前でしょ、肩の見える衣装なんだから紐のないやつにしないと」

「でも、そんな人前で」

「誰も気にしないって。みんなそうしてるのよ」

「あ、ちょっと」



 伊崎さんは素早く後ろに回ってフックを外す。背中の締め付けが無くなり、胸が重力に引っ張られる。思わず前を押さえた直後に伊崎さんの手で払われ、容赦なく剥ぎ取られる。直後に肩ひものない、寄せて上げるタイプのブラが取り付けられる。後ろで締め付ける寸前「ちょっと失礼」と言って背中の肉を押し付けるように前へ、そして何の前触れもなくブラと胸の間に手を差し込まれた。



「ひゃっ」



 と上げた声に頓着せず、伊崎さんは反対側も同じようにして胸を盛り、フックを付ける。視線を下に落とすと、いつもより一.五倍くらいに盛り上がった胸の谷間が目に入った。私の中でうごめく驚きと羞恥と焦りと畏怖なんて知る由もなく、ハンガーからワンピースのメイド服をはぎ取り、頭からかぶせてくる。このあたりから抵抗の気力もなくしただただ流れのまま、伊崎さんの手に身を任せていた。誰かに服を着せてもらったのはいつぶりだろうか。小学校? 幼稚園? 記憶をさかのぼっているうちに着替えが終わったみたいで、

 

「はい、次は化粧」



 伊崎さんの声ではっ、と我に返る。手で腰を押されて化粧スペースに導かれる。鏡の中にいつもとは違う自分がいた。サイズの微調整もしてくれたのか、ウエストが絞られている。

 

「ベースだけはしてくれたんだよね」



 昨日連絡した通りベースメイクだけしてくれたんですか、という意味だ。頷くと「OK」と言って私を鏡の前に座らせ、ポーチの中から化粧道具を取り出す。コンシーラーに青系のアイシャドウ、ピューラー、アイブロウにブラシ。「はいこれ」とネットをわたされたので、髪をまとめる。「目、つぶっといてね」という言葉に従う。闇の中で眉にコンシーラーが押し当てられる。

 

「今回は急なお願いだからスタイリスト付きだけど、次は自分で頑張ってね」

「次、があるのでしょうか」

「別にイベントじゃなくても、あいつの目の前で着てあげたらいいじゃない」

「ーー社長の前で、ですか?」

「そうよ。結構好きでしょ、こういうの」



 大画面に映し出されたアダルト動画を思い出す。今着ている服のままテーブルに押し付けられ、激しく腰を動かす社長とその度に喘ぎ声をあげる自分自身が目に浮かぶ。頭を振って払おうとすると「動かないで」と鋭くとがめられた。

 

「伊崎さんは、社長とはどういったご関係で」



 頭の妄想を払うためにとっさに口から出たのは、どう切り出そうかずっと考えてた問いだった。心をどぎまぎさせながら待つけれど、伊崎さんからは一向に答えは返ってこない。恐る恐る目を開けてみると、私の眉にブルーのアイシャドウを塗る伊崎さんと目があった。



「あ、ごめん目開けていいよ」



 パレットの上ですり減った青にチップをこすりつけ、私の眉で流していく。その目は真剣そのもので、もう一度質問することをためらってしまう。隣で化粧する人は、当たり前だけど皆一人で鏡に向かっており、私達みたいに向かい合って座る人は誰一人いない。伊崎さんのペースの中にいると、気恥ずかしさばかり感じてしまう。



「あいつからはどう聞いてるの?」



 唐突に、伊崎さんはそう訊ねた。顔色一つかえず、仕事の話でもするみたいに。



「小説サークルで知り合って、皆が就活の時期に仲良くなったと。」

「それだけ?」

「はい」



 そういうことね、と伊崎さんは小さく呟く。チップにまた青をつけ、今度は反対の眉を描きながら「どうしようかな」と呟き、



「ま、いいか」



 真剣な顔が微かな笑みで崩れた。いたずらを思いついたような顔で、私が初めて会ったときと同じ種類の笑み。この人の魅力はきっと、こうやって色んな顔を嫌味無く、違和感無く浮かべられるところなんだろうと私は思う。



「一応、元カレと元カノの関係よ」



 心臓がどくん、とはねた。だけど直後に「たった一日だけどね」とついでのように言う。



「いつだったかなぁ、確か二年の夏くらいに。なんかの飲み会で皆で集まって、解散した後にたまたま近くの本屋の同じ棚で会ったのよ。酒飲んだ後に岩波文庫かよ、って。それまでも確かによくしゃべる方だったんだけど、二人っきりでどこかに行くっていうのはなかったのよね。そのまま本屋の中のカフェで喋ってたら意外に楽しくてさ、閉店までいて。電車はまだあったんだけど、終電無くなっちゃった、って。今考えれば古くさい手よね。あいつもあいつで分かってたはずだけど、そうか、って。で、そのまま安いホテルに」



 一呼吸置いた後、伊崎さんは「また目つぶって」と言った。私は言われたままに瞑る。まぶたの上を撫でるチップの柔らかくも硬い感触が伝わる。皮膚を通して目の表面を、伊崎さんの思う色に塗り替えられているような気がした。

 

「自分から誘っておいてなんだけど、なんか違ったのよね。嫌だったわけでも、下手だったわけでも、乱暴だったわけでもない。だけど、こう、なんていうの? 心の高まりと言うか……あぁそう、キュンとこなかったわけよ。次の日は休みだったから、まる一日デートしてさ、服屋とか本屋とかファミレスとか、まぁそういうありふれた恋人らしいことしても、楽しいは楽しかったんだけど、やっぱりキュンはなかった。結局、私はアイツを恋人としては見れないんだなって、まる一日かけて再確認した日になっちゃった」



 私はその日の彼の気持ちを想像する。本屋での偶然の出会いから、楽しいカフェの一時。相手からのホテルのお誘いと一夜。それまで二人っきりで過ごすことのなかった気になる相手とのデート。きっとこの上なく楽しい時が流れていただろう。



「デートの終わりにコンビニ行って、駐車場でアイス食べてたの。それで私が『今日は楽しかったね』って。で、『でもなんか違うと思うんだ』って伝えた。」



 ーー違うって何が?

 ーーうーん、何ていうかなぁ。楽しいは楽しいんだけど、こう、私らっぽくないっていうか

 ーー私らっぽさ、って?

 ーーやっぱ、私とあんたって、彼氏と彼女っていうより、気の合う友達が良いと思うの

 ーーマジかい

 ーーだから、やっぱり別れよ。そしてお友達でお互い末永くやろうよ

 ーーてか、さぁ

 ーーん?

 ーー俺、まだ告白してないし

 ーーそっか。じゃ、別れるのはなし。付き合うのを止めとこ

 ーー今もしかして、告白しても無いのに振られた?

 ーーそうそう

 ーーへこむわぁ

 ーーアイス一本奢ったるから、許してよ

 ーーえー



 くすりと、伊崎さんは笑った。



「そういえば付き合ってとも言われてないから、元カノでもないわ。友達同士でちょっとやらしいことして、そしてそのまま。ーー目、開けていいよ」



 目を開ける。いたずらな笑顔を浮かべる伊崎さんが、ピューラーで私の眉毛を持ち上げる。マスカラが下から上へと何度も行き来し、それも終わったら目の下にアイブロウを塗られる。



「それが私とアイツの関係、かな。あ、卒業した後はお互いビジネスマンとしての関係もあるか。ほとんど私からだけど、こうやって仕事を持ち寄ったり、たまに居酒屋で情報交換したり。でも男女の関係には無い」



 なんと答えて良いのかわからない私に、伊崎さんは「安心した? それとも、軽蔑した?」と訊ねる。

 ずるい質問だと思う。



「ーーもし彼の口から聞いていたら、ひどい女性だなぁと思ったかも知れません。でも、今は逆に誠実さすら感じてしまいます。ーー伊崎さんは、ずるい人ですね」

「そうでしょ。よく言われる。人徳だ、って」

「その後、彼はどなたかと付き合ったりは?」

「私の知る限りはないかな。流石に卒業してからは向こうも色々あったみたいだし分からないけど、少なくても大学時代は無いって言えるよ。アイツももてないわけじゃなくて、何回か言い寄られたこともあるみたいだけど、結局付き合うとこまでは行ってないみたい。ーーこれでも結構、責任感じてるのよ? たぶん私がああいう振り方したから、ちょっとトラウマになってるんじゃないかな、って」

「そう、だと思います」

「お、言うようになってきたねぇ」



 如月さんは化粧道具を置いて、青のウィッグを私の頭にかぶせる。髪の位置や向きを調整した後、ポーチからコンタクトケースを取り出し「カラコンはつけたことある?」と訊ねた。カラコンどころかコンタクト自体初めてだと言うと、嬉しそうに「初体験だね」と言って、ケースを渡した。



「それで仕上げだよ。鏡見てみて」



 壁一面の鏡を見る。満面の笑みの伊崎さんの隣で、青髪のメイドさんになった私がいた。眉も髪と同じ青になり、目の周りは微かなラメで輝いている。私はしばし呆然として生まれ変わった自分を見つめる。



「素材もスタイリストもいいからね、なかなかの出来だよ」



 私はケースの蓋を開け、溶液に浸ったゼリーのようなカラコンを指先につける。髪より、もっと深い色に染まった深海の青。私はそれを恐る恐る目へと近づける。網膜の表面に張り付いたそれはひやりとして、だけど何度かまばたきを繰り返すとそれも馴染み、私の目は海の底に沈んだ。

 深い青の瞳に見とれていると、いつの間にか後ろにたった伊崎さんが私の肩に手を置いて、耳元に口を近付ける。



「ところで、アイツとはどこまでいったの?」



 私は正直に答える。



「どこにもまだ、いけてないです」



 そっか、と伊崎さんが答える。



「私が言うのもなんだけどさ、あいつ良いやつだし、気に入ったんならちょっと強めに押してあげて。私も、如月ちゃんみたいにきれいな人が付き合ってくれたらようやく肩の荷が下りるよ。これでも罪悪感はあるんだからね」



 私はクスリと笑い、



「条件が、一つだけ」

「なに?」

「アイス、一本奢ってください」



 伊崎さんはまたいたずらっぽい笑みを浮かべて「えー」と言った。
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