恋愛小説の当て馬騎士にさせられた

山田ジギタリス

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「おっ……お茶を淹れてくるね」
 
 二人の間を流れた沈黙に、頬を紅く染めたアキが部屋から出ていった。きっとこの後のことを想像してしまったのだろう。残された俺も頬が熱い。
 
 ここは俺の恋人アキの部屋。8畳ほどの部屋の中には女の子らしい家具やカーテンと対照的な壁一面の武骨な本棚、そしてぎっしりと詰まった色とりどりの背表紙の本たち。ところどころに大学の専攻学科の資料もあるがほとんどが女性向けの恋愛小説だ。中にはR18もあるみたいだけど背表紙だけではわからない。
 
 机の上にも何冊か本が置いてあり、その一冊の帯がはずれて一部だけ煽り文句が読めた。
『……倫王子……ツンデレ令嬢……』
 タイトルを見ると彼女が好きだと言っているWEB作家さんの本みたいだ。たしか初めての書籍化と聞いた。R18とも聞いたので見なかったことにしよう。

 この本の山を見るとわかるようにアキは本が好きだ。高校時代はバスケ部の主将を勤めた彼女は本を読むより体を動かす方が好きなタイプ。それがこうなったのは遠くにお嫁に行った従姉が持っていけない本を全部アキに渡したせいだと聞いている。従姉からもらった本に夢中になってしまいにはアルバイト代を本につぎ込むようになったと言っていた。

 普段の様子から思い浮かばないこの本の山に、初めて彼女の部屋に入れてもらったときにはびっくりしたものだ。

 高校時代は単なるクラスメイトだった彼女との距離が縮まったのは大学に入ってから。たまたま同じ第二外国語の教室で再会した彼女は見違えるようにきれいになっていた。

 高校時代は女性としては背が高くスレンダーで男の子より女の子にもてるタイプだった彼女。髪は短く切りお化粧もほとんどしない。そんなアキが女性らしい可愛らしい服を着てちゃんとお化粧して髪ものばしてたまに編み込んだりしていた。びっくりした俺だが彼女に惹かれるようになったのはすぐだった。それから一年かけて口説きようやく恋人になれた。俺の言葉に彼女がうなずいたあの瞬間は神様に感謝したね。
 
 いつまでたっても帰ってこないアキが心配になってきた俺は部屋を出て台所に行ってみる。そこにアキの姿がない。家の中がやけに静かだ。時々冷蔵庫の音がするくらいだ。リビングやトイレも探したが見当たらない。さすがにほかの部屋は扉の前で聞き耳を立てるだけにしたがやっぱり静まり返っていた。玄関に行ってみたがアキが今日履いていた靴が残ってる。

 アキの家族はそれぞれ用事があり泊りがけで出かけている。知り合って4年、付き合い始めて1年、自分の部屋で恋人と初めての夜を迎えたいという彼女の希望と俺の希望がかなえられるはずだった。なのにアキがいない。外に出ていく様子もなかった。

 俺がアキの部屋に戻ると、ベッドの上に彼女の飼い猫のクロがいた。さっきまでいなかったよな。クロが立ち上がったかと思うと話しかけてきた。

「よぉ、ようやく帰って来たか」
 
 俺がきょろきょろと部屋の中を見回すがやっぱりクロしかいない。するともう一度声がかかる。
 
「わしだよ、わし! 黒猫のクロだ。おぬしの大事なアキのかわいい飼い猫だ」

 俺がクロを見つめると続けて話しかけてきた。
「おぬし、アキの行方を知りたくないか?」

「おっ、おまえ、アキがどこに行ったか知ってるのか!」

「ふっ、家に来た時から下心満々のおぬしの近くにアキを置いておけぬでな。アキを安全な場所に逃がしたのじゃ」
「そっ、そっ、そんなことは……」
 俺は思わず赤面して口ごもってしまう。下心は俺だけではないはずだ。お互いの同意のもとのはずだ。

 そこでようやく不自然さに気が付いた。猫が喋れるはずがない。
 それに俺がアキの部屋に帰ってきてからクロはずっと後ろ足で立ちあがったままだ。それもベッドのような不安定な場所でだ。最後によく見ると黑いしっぽが……二本ある。ということは、こいつはふつうの猫ではない。
 
「ネコマタ?」
「今更か」
 
 クロはアキが拾ってきた野良猫だった。弱って雨に濡れていたところをアキが助け動物病院に連れていった。元気にそのまま彼女の飼い猫になった。
 助けたときに獣医さんから、
「結構いい歳だとおもうので注意してね。可愛がってあげてくださいね」
 と言われたらしい。

 クロはアキにはよくなついているのに、俺には懐かない。いやほぼ敵扱いだ。いやそれはよくて、よくないが。

「そのとおりネコマタだが……お前アキのことが心配じゃないのか?」
「ちょっと待ってくれ、混乱して考えがまとまらないんだ。それにアキは台所に行ってるんじゃ……」
「台所に居たか?」
「いなかった」
「どこにいるか知りたいか?」
「知りたいにきまってるだろう! 心配だよ。危ないところにいるなら早く彼女を助け出さないと……」
「ふふん、では四つん這いになって三遍回ってにゃんと……」
「ふざけてないで教えてくれ……まさか、もう、アキに会えないのか……」
「そう焦るな、アキは無事じゃ。それにアキの希望どおりの登場人物にさせてやってる」
「ちょっと待て、登場人物ってなんだよ?アキはどこにいるんだ? 」
「この本の中だ。アキはこの本がよっぽど気に入ったようでな」
 そういって机の上に飛び乗ったクロはさっき見かけた本を引っ張り出して立てて見せる。

「アキはこれを何度も読みかえしておった。この本に入ってみたいと言っていたのでな」
 そういうと本をぱたんと倒した。

「願いをかなえてやった」
 
「おっ俺もこの中に入る、入ってアキを連れ戻す」
「ほう、しかしアキはこの本の誰になったかわかるのか」
「おまえ……」

「情けない。まぁお前にはアキが誰になったか教えんがな」
「まちやがれ!」
 俺はクロを捕まえようとするがクロはひらりと俺の手をかわしてひっかく。俺は手を引っ込めた。

「おぬしは主人公って柄じゃないからの、その他大勢の一人にしてもいいが……それではかわいそうだからな」
 クロは落した本を開きぱらぱらと本をめくって登場人物を見ている。
「とりあえず、この当て馬騎士とやらにしてやろう。ヒロインと王子様との恋愛のだしにされる役じゃな」
「おい、おまえ、アキはまさヒロインじゃ……」
 クロがにやりと笑ったように見えた。
「それは教えん。だがヒロインだったら婚約者の王子に……」
「ちょっちょっとまってくれ、それは……」
「アキがヒロインなら結婚式の後王子と結ばれる。そしておぬしの役目は王子とヒロインの初夜を警固だ」
「いやーーー、待ってくれ、それ、止められないのか、本の中と言え、アキが他の男と……」
「ふむ、では、頑張ってこの本に入ってアキの気持ちを変えてみよ。あぁ、心配しなくてもちゃんとアキを見つけたら連れ戻せるようにしてやる」
「……くそ、やるしかないのか。わかった!やってやるよ」
「うまくいかなかったら、アキの初めての思い出はおぬしではなくて小説の登場人物になるからな」
「えっ?」

「まぁ、がんばれよ、お前のこと嫌いじゃないからの」

 遠くなるクロの声を聞きながら『嫌いじゃないなら何でこんなことを』そう思う俺は意識が一瞬途切れるのを感じた。

× × × ×

「あの、大丈夫ですか?」
 突然女性から声を掛けられる。目の前には小柄でかわいらしい女性が座っている。

 着ている水色のドレスは派手さはないものの品が良い。長い髪は栗色で軽くウェーブしている。柔らかそうな髪に思わず手を伸ばして撫でたくなる。目は濃い茶色。かわいらしい唇が赤く染まっている。小柄で細身の体は少し幼げにみえる。所作もきれいで彼女が貴族令嬢であることがわかる。

もう小説は始まっているようだ。
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