勇者と魔王は人生を謳歌する

みけねこ

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10.追憶 ①

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 それはただの気まぐれだった。人間の命なんぞ息を一つ吐くだけで簡単に蹴散らすことができる。奴らはよりマナを持っている人間を鍛えこちらに送り込んでこようとしてはいたが、それもただ小虫が無駄に足掻いているようにしか見えなかった
 だから、気まぐれだ。その人間の街に紛れ込もうとしたのは。
「随分とすんなり入れるものだな」
 街をぐるりと囲っている大して役に立たなさそうな塀。門番はただ欠伸して棒立ちしているだけ。取り締まる雰囲気をまったくなくただのお飾りに鼻で笑いながらも目の前を堂々と通ってやった。
 魔王討伐に随分と躍起になっているのか、街の中は随分と貧相だった。子はボロボロの布切れで行き交う人間に物乞いをする。すれ違う人間の目に生気はなくどこか虚ろで身体は痩せ細っていた。街の人間はそういう様子だというのに、ガシャガシャと耳障りの音で我が物顔で跋扈している兵士たちは随分と肌艶がよく中には膨れている者だっていた。
「……ハッ、人間は愚かだな」
 この国の王はただの見栄っ張りか。それともこうなった元凶は魔王とでも言いたいのか。その魔王を無事討伐すればこの痩せ細った人間たちはあっという間に肉付きがよくなるのだろうか。廃れた街はみるみる間に潤いのだろうか。ぬるま湯に浸かることにすっかり慣れてしまった兵士たちがそれを改善するだろうか。
 王へ反乱する意欲さえも削がせているこの国政に、この国の未来までもが見えたような気がした。ただでさえ寿命が短いというのにそれを更に縮めようとしているのだ、愚かだと笑ってしまうのも仕方がない。
 これならばいっそ一思いに蹴散らしてやったほうが人間たちのためにもなるだろう。滅ぼすのも簡単だが奴らはなぜかどこからともなく蘇ってくるしつこいさもある。例えここで焼き払ったところで奴らはまた現れる。勇者などという無謀な人間が魔王城に足を踏み入れようとしてくる。
「……面倒だ、今ここで殺るか――」
「あら、初めて見る顔ね」
 指先に魔力を集中させようとした矢先、間近で聞こえた声に思わず勢いよく振り返る。気配に気付かなかった。この俺が。
「観光かしら?」
「……ああ、そうだな。この地に来るのが初めてでな」
「随分とタイミングが悪いときに来たのね。まだほんの一、二年前だったらましだったのに」
 声をかけてきた女にサッと頭から足の爪先まで視線を走らせる。一見ただの娘だ、歳もまだ二十かそこらだろう。俺たちからしたら赤子同然だが……それでも「ただの娘」と一蹴するわけにもいかなかった。
 この女、他の街の人間とは違い明らかに内にあるマナの量がおかしい。その量を持っているのは俺がわかっている範囲ではある称号を与えられた者だけだ。
「私の顔に何かついている?」
「……いいや」
「突然話しかけられて驚いたわよね。私は――」
「勇者様! 来ていたんですね!」
 女に気付いた周りの人間がその声で一斉に取り囲んできた。やはり、目の前にいたのは今の『勇者』か。そうでなければあのマナの量はおかしい。
「勇者様、これ食べてください。力が出ますよ!」
「勇者様どうぞこれも」
「おい勇者、早くなんとかしてくれ」
「勇者」
「勇者様」
 一気に話しかけられて女はそれをすべて聞き分けることができるのか、と思って傍観していたが女は笑みを浮かべて一人ずつ相手をしているようだった。ただ若干困っている雰囲気を出していたが。だがそれを周りが気付くことはない。周りの人間はただただ、一方的に女に対して言いたいことを言っているだけだったからだ。
「ごめんなさい、私休息に戻ってきただけだから……またすぐに出発しなければならないの」
「早く倒してくれよな勇者!」
「勇者様、頑張って!」
「……ええ、ありがとう」
 影を落とした表情に結局最後まで周りの人間は気付かなかった。そいつらの視線が最初に女と喋っていた俺に移る。その目には興味津々という色もあれば疑心暗鬼という色もあった。実に居心地が悪く癪に障る。
 舌打ちに、その中の一人に手を伸ばしたときだった。
「ごめんなさい、彼は客人なの。失礼するわね」
 女に腕を引っ張られ、俺の断りもなく勝手にその場から連れ出した。
「騒ぎに巻き込んでしまってごめんなさいね」
「なぜお前が謝る。一方的に騒いでいたのは奴らだろう」
「……そうね。でも、仕方がないのよ」
 俺の手首から女の細い手が離される。細い指に薄い手のひらだったが、無駄にゴツゴツとしていて決して肌触りのいいものではなかった。女は一度立ち止まり、顔を俯向けている状態でひっそりと笑う。
「私が勇者だから。だから、みんな期待しているの」
 暗い顔をしておきながら、次にパッと顔を上げた女はわざとらしく明るい表情をしてみせた。
「観光で来たんでしょ? 私でよければ案内するわ」
「……いいや」
 別にいい、と続けようとしたが言葉を止める。勇者が自分が拠点にしている街を自ら案内すると言うのだ、これ以上笑える話があるか。街の弱点さえも案内してくれそうだとほくそ笑み、「やはり頼む」と告げれば作られたものではないその表情が僅かに明るくなる。
「とは言っても私も久々に戻ってきたの。私と一緒に新しいものを発見してくれると嬉しいわ」
「案内の意味がないな」
「あははっ、まったくそのとおりね!」
 それから女は本当に、隅々まで街の中を案内した。とはいっても潤いのない街だ、たかが知れている。城の位置に店の位置、そして兵営。人間同士の争いでも決して相手に見せてはいけない場所ですら女は案内する。
 その道中でさえ周りの人間は女に気付くと口々に「勇者」と言葉にする。大きすぎる期待や切望の眼差しは度を超えると気持ち悪さを覚える。だというのに女はどれに対しても常に笑みで返していた。
「ここはね、私のお気に入りの場所」
 そう言ってたどり着いたのが、街の中心部から少し離れたとある樹の麓だった。街全体を見渡すことができ、僅かに淀んでいた空気もここまでは届かない。
「この樹ってマナが少し濃いみたいで、普通の人だよ酔っちゃうらしいのよ。私はとても心地がいいけれどね」
 それは女自身が膨大なマナを持っているからだろう。だから他の人間がマナ酔いする中、女にはなんの影響もない。
 そしてそれは、俺にも影響はない。マナの量が女よりもずっと少ないが、ようは慣れというものだった。
 そういえば、とふと気付く。女と歩いている中ずっと同じ言葉を聞いていたが。
「お前の名はなんと言うんだ」
 女の名を一度も耳にはしなかった。だが普通に戻ってくるであろうと思っていた問いかけに、女は答えを返してくることなく遠くの街の景色を眺め口角を上げるだけ。
 この街の人間にも思ったが、この女にも妙な気持ち悪さがあった。
 しばらく待ってみてはいたものの女が何も言わず、俺も返事が来ることを諦めた。視線を街に向け、どこからどうやって焼き払ってやろうかと思っていたときだった。
「面白いわよね。この街では私の名前は『勇者』なの」
「は……」
「誰も、私の名前を知ろうとはしないのよ。私は『勇者』、そこに私の意思は必要なくて、だから名前すら呼んでもらえない――私自身を、必要としてくれているわけじゃない」
 小さく隣に視線を向けてみれば、その横顔の目には薄っすらと薄い膜が張られている。先程まで見ていたのは女の虚勢であり、今の姿が本来の女の姿なのだろう。
「……『勇者』が嫌か」
「望んでなったわけじゃないわ。でも浮かんでしまったの、勇者の印が。私だって剣の鍛錬をするんじゃなくて普通に友達と遊んで街の中を一緒に見て回って、普通に恋愛して、そして……そして」
 グッと喉の音を鳴らした女は、涙を流すまいと唇を噛みしめる。
 これが勇者だというのか。魔物を戦慄させなぎ倒し、魔王の首を斬り落とそうとするその者が、この女だというのか――俺の目からは、ただの女にしか見えなかった。
「私の名を呼んでほしかったっ……!」
 胸の内を吐露し、苦しそうに胸を押さえ蹲る女に。この街のすべての人間が無責任に期待をし責任を押し付ける。
「――俺の名は、シュバルトだ」
「え……?」
 なぜこのとき自分の名を口にしたのか、俺だってわからない。ただ自身の心を守るように身を丸めている女に一言告げれば、地面ばかり見つめていた視線が俺に向かった。
「俺は名乗った。ならばお前の名乗れ。それが礼儀というものだろう」
「……あははっ! ええ、そうね、そうよね」
 胸を張りこちらに身体ごと振り向いた女は、しっかりとした眼差しを俺に向けてきた。
「私はリヒト。ただのリヒトよ。今日は一緒に歩いてくれてありがとう、シュバルト」
「……ただの気まぐれだ」
「私があなたを誘ったのも気まぐれだったわ。でもそれで十分。楽しかったわ」
「……そうか、リヒト」
 名を呼んだだけで、女は今まで見たこともない笑顔を浮かべた。なんだ、ちゃんとそれらしく笑えるんじゃないかと思ってしまった俺はこのときに毒されてしまったのかもしれない。
 なんといってもこの女は勇者だ、もうしばらくすればきっと剣を仲間を携えて魔王城へ攻め入ってくる。

 そして俺は、その勇者を蹴散らす魔王だった。
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