残365日のこおり。

tonari0407

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第6章

苛立ち 8月2日

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 あいりがいなくなってから、水川はずっと苛立っていた。

 初日はあいりから連絡はなかった。翌日、【熱中症みたいになってこおりくんに助けられて、今度は生理になって動けなくなった。しばらくこおりくんの家にいる】といった内容のメッセージがきたときは、嘘だろと思った。
 焦りも不安も苛立ちも隠して、身体を気遣う内容のメッセージを送ったが、彼女の返事はいつも【大丈夫】といった内容の簡素なものだった。むしろ、毎日送られてくるこおりさんのメッセージの方が内容があるのが、気を遣われているようで嫌だった。
 すぐにでも、あいつの家に行って連れ戻したかったが、2人分のシフトで時間がなく、また来ないようにこおりに言われていたので行けなかった。

 出水が『たちばなさんと喧嘩でもしたんすか?八つ当たりはやめてくださいよー』と言うので余計むかついた。だが、八つ当たりは本当のことなので、言い返せずに仕方なく甘いものを奢ると出水はすぐ機嫌を直した。あいりも出水のように単純だったらよかったのに。

 睡眠の合間に仕事を探していたが、なかなかこれといったものは見つからなくて焦りが増した。

 あいり、なに考えてる?こおりさんの方がやっぱりいいのか。

 出ない答えになかなか寝つけなかった。

 あいりから【大丈夫】以外のメッセージがきたのは8月1日の21時過ぎだった。

 あいり:
 優くん、話したいことがあるの。優くんのよいとき電話できるかな?バイト本当にごめんね。

 水川は22時からの夜勤に行くために準備しているところだった。『話』が『別れ話』に見えて、胸が嫌な感じにどくどくと鼓動する。

 あいつは土日祝日以外は仕事のはず。

 たこパの日程調整の際にこおりは平日仕事だときいている。

 仕事終わりに家に行って、顔をみて直接話す。あいりから話があるって言ってるんだから、家に行ってもいいはずだ。それで連れ戻す。
 水川はメッセージには返信せずにバイトに出掛けた。


 夜勤明けの6時10分、流石に早すぎるし、あいつも家にいるはずなので、一旦家に帰ってシャワーを浴びた。

 念入りに髭を剃って、身なりを整える。
 こおりそうたの家に水川が着いたのは9時過ぎだった。

 インターフォンに出たのは、水川が一番会いたくない男で、水川はげんなりした。

「水川さん、来ないでって言ってあったはずですが?」
「あいりから話があるって言われたから来た」
 電話でと書いてあったのは伏せておいた。こおりは意外な程すんなりと中に入れてくれた。

 エレベーターを上がって、彼の部屋の前まで行くと、こおりが待っていた。

「水川さん、先に言っておきたいことがあります」
「何?人の彼女拉致してごめんて?俺、正直あんたにむかついてますよ」
 水川は睨み付けても顔色を変えないこおりが憎らしかった。

「それはすみません。ただ、俺にむかつくのはいいんですけど、あいりにはいらいらぶつけないでください。彼女、今心身ともにかなり不安定なんです。あと、まだ寝てるので起きるまで会うのは待ってくださいね。俺は今日家で仕事なのでお構いできませんが。
 あーあと、俺のベットであんまりいちゃいちゃも悲しくなるのでちょっと遠慮してください」

 こおりの声を聞いていたら、水川は夜勤明けなのもあってか、頭痛がしてきた。

「わかったし、待つから、会わせて?」

 こおりはゆっくりと音が出ないように玄関の扉を開けて、水川を中に導いた。

 家の中は空調が効いていたけれど、水川には少し暑く感じた。こおりが冷たいお茶を出してくれたので飲みながら、あいりの目覚めをまった。

 彼女は物音に気づいたのか、すぐに起きてきた。リビングの扉をあけて入ってきた彼女の姿を見て、水川はショックを受けた。

 明らかにこおりのものと思われる部屋着を着た彼女は「そうちゃん?」と言いながら、髪の毛ぼさぼさの状態で入ってきた。白いTシャツもグレイのハーフパンツも彼女の身体には大きい。だぼだぼのその服の中には、あいりがブラジャーを着けていないことは明白で、そんな無防備な姿で男の家にいるあいりのことが信じられなかった。

 テーブルでパソコンに向かっていたこおりは、彼女に気がつくと「あいり、おはよ。水川さん来てるよ」と声をかけた。

 そして、水川を見つけたあいりの目は罪悪感の色に一瞬で染まった。

「優くん」
 胸元を咄嗟に隠したあいりを見て、水川は彼女がこおりと身体を触れあわせたことを確信した。嫉妬で身体がねじ切れそうで、こおりを殴りたかった。怒りの感情が表に出ないようにするので精一杯で、笑顔はとても不自然に歪んだ。

「あいり、身体大丈夫?話聞きにきた」

 水川が立って、あいりの側にいこうとすると、彼女の身体が緊張で固まるのがわかる。

 先週まであんなに近くで笑っていた彼女の姿とは思えなかった。

「水川さん、あいりまだご飯食べてないんで、話は食べてからでいいんじゃないですか?」
 こおりの声が2人の間に割って入った。

「あいり、杏梨がスープ作って持ってきてくれたやつあるから、食べなよ。ごめんけど、俺ちょっと仕事してるから、手伝ってもらってお食べ?」

「う、うん、わかった。ありがと、こおりくん」
 あいりはぎこちなく微笑んで、冷蔵庫の中を探り始めた。

『そうちゃん』ってさっき、呼んでたよな。
 水川は急激に心が冷えていくのを感じた。

 あいりが用意してくれたトマトの野菜スープは美味しかった。色んな種類の野菜が入っていて、とても身体に良さそうだ。

 無言で食べ終わった後に、こおりが彼女に鎮痛剤を飲むように声をかけているのを水川は眺めていた。

 このカップルの方がお似合いじゃないか。

 ぼんやり眺めていると水川はこおりに、あいりは体調万全じゃないからベットで横にならせた方がいいと言われ、1脚の椅子とあいりと共に寝室に連れていかれて、ドアを閉められた。

 あいりがおろおろとドアを見つめるので、「寝てた方がいいだろ?横になりなよ」と言って、彼女を寝転ばせて、無防備な胸元にタオルケットを掛けた。

 椅子を彼女の前に持って行って座る。

「あいり、話って何?」

 水川はできるだけ優しい声を出して、あいりに問いかけた。
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