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第6章
話 8月2日②
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あいりは物凄く緊張しているようだった。何か言おうと口を開いたまま動かすが、声にはならずに唇が震える。
「怒んないし、ゆっくりでいいから、あいりの言いたいこと言って?」
水川は震える彼女の手に自身の手を重ねた。
「あ、あのね、優くん。私、優くんの彼女じゃいられない」
おおよそ予想がついていたので、水川は落ち着いた声で聞き返した。
「俺が嫌になった?こおりさんの方がやっぱり好きだった?」
水川の声にあいりは小さく首を振る。
「優くんのことが嫌いになるなんてあり得ないよ」
「でも、こおりさんの方が好きなんだろ?」
水川の言葉にあいりの目が傷ついたのがわかる。
「どっちがとかじゃない。私、こおりくんにキスしたの。ごめんなさい」
キス?それ以上してるだろ?
水川の内心は冷たかった。
「キスどころかえっちしたんじゃないの?」
あいりは首を大きく横にふる。
「してないよ」
彼女の目から涙がこぼれたのが見えたが、水川はもう言葉を止められなかった。
「あんな男の服をきて、そんな無防備な格好して、あいつのベットで寝てるのに信じられるかよ」
あいりは目を瞑って、全身で震え始めた。
「ストップ」
ドアが開いて、こおりが中に入ってくる。
「水川さん、全然話きいてないじゃないですか。あいりを傷つけたら許さないって前言いましたよね?
俺達、別にセックスしてないです。彼女が俺にキスしたのは、俺に操られてるのが嫌で抵抗したかったから。
格好がこんななのは、俺ん家に置いてあった彼女の服は全部あんたの家にあるから。
ブラジャーつけてないのは、手元に1着しかないのと、具合悪いときにつけてると気持ち悪くなるから。
酷い生理痛で昨日病院行って、ピル飲み始めたところなんですけど、飲み始めは副作用でることあるみたいで、生理痛も相まって今ほんとに体調悪いんです。
嫉妬でイライラしてるのはわかるんですけど、感情的になるのはあいりの顔色見てからにしてください」
そう言うと、こおりはドアを静かに閉めて出ていった。
水川があいりの方を見ると、息を荒くして、ぐったりとしていた。唇は青白い。
「あいり、ごめん。俺、あいりと一緒にいるの幸せ過ぎたから、急にいなくなって、あいりは俺といるの嫌だったんだなって思ったら悲しくて。ごめんな」
そういえば、朝食べたトマトのスープも彼女は自分の分は少ししか取り分けずに食べるのもゆっくりだった。『トマト嫌い』と教えたはずなのに、自分の分には普通に取り分けられたので、そっちに気を取られて、あいりが食欲がないとか考えられなかった。別に生トマトが苦手なだけで、加熱や加工をしているトマトは普通に美味しく食べられるのに。
「ごめんね。私も、すごく幸せだったよ。でも、緊張しちゃって」
あいりはか細く答えながら、涙をぽろぽろと流した。そのまま口に手を当てて震えている。
「気づいてやれなくてごめんな」
辛そうなあいりの様子に、水川は彼女が本当に体調が悪く不安定なことを実感し、そんな彼女に感情をぶつけた自分を恥ずかしく思った。
寝室には、ねこの抱き枕がベットの上に寝ていて、サイドテーブルには袋を被せたボウルとティッシュ、タオルが置いてある。ベットの上にもティッシュがあるのに、テーブルにも置いてあるのはあいりの手に届きやすくするためだろう。嘔吐用のボウルがあるということは、吐き気もあるのだろうか。
「あいり、気持ち悪い?吐きそう?」
水川が聞くと、あいりは弱々しく首を振った。水川は彼女の震える頭に優しく手を当てて、そっと撫でた。
「辛いときに無理して話さなくてもいいよ。何か飲み物もらってくるな」
そう声をかけると、あいりは何か言いたげに顔を挙げた。
「大丈夫。喧嘩したりしないから」
「優くん、ごめん、なさい」
あいりの目には涙が溜まっていた。
よく見れば、彼女の目が赤く腫れているのに気づけたはずなのに、何故自分は彼女自身のことより、こおりとの関係性ばかりに目を向けてしまったのだろう。
「あいりは悪くない。辛い思いさせてごめんな。俺がいると辛いなら帰るから」
彼女の返事を聞く前に水川は部屋を出て、リビングで仕事をするこおりの元に向かった。
「こおりさん、あいりに何か飲み物持っていってもいいですか?」
そう声をかけると、こおりはわかっていたように顔をあげてキッチンを指差した。
「冷たいのと常温の飲み物、冷蔵庫とキッチンに用意してあるので、適当に持っていってください。もちろん、水川さんも飲んでくださいね。あと」
こおりは立ち上がって、収納から服を出して差し出す。
「これ、俺のだけど嫌じゃなかったら、着てください。そのままじゃ寝にくいでしょ?添い寝するのに」
反射的に受け取ると、それは夏用のパジャマだとわかった。
「いや、ちょ、なんで?俺帰るよ。あいり泣かせたし、具合悪そうだから。あいりのことよろしく頼む」
水川はパジャマを突き返そうとしたが、こおりは受け取らなかった。
「泣いてるのは水川さんが来る前からですよ。水川さん、次のシフトいつですか?」
「今日は夜勤明けで、また夜から夜勤だけど」
なかなかのハードスケジュールをこなしているので、水川自身も実は疲れている。
「んじゃ、あいりの看病しつつ添い寝して回復して、ご飯食べてからバイト行けばいいですね?俺、仕事あるし。毎回言ってますけど、あいりは水川さんのことが好きなんですよ。気持ちちゃんときいてあげてください。
俺は仕事なんで。あとよろしくです」
こおりは早く行けと言わんばかりに、水川に再度キッチンを指差して、パソコンの前に座り直して、なにやら作業を再開した。
仕事を邪魔するわけにもいかず、パジャマ片手に言われた通りキッチンに行くと、様々な飲料が置いてあった。とりあえず、冷たい水と常温のルイボスティーを取って寝室に戻る。
「あいり、飲みものもらってきたよ」
水川が部屋に入るとあいりがゆっくりと顔をあげた。
「優くん、ありがと」
彼女は起き上がって、少し迷ったあとルイボスティーを少し飲んだ。
水川がどう聞こうか迷っていると、水川がテーブルに置いたパジャマがあいりの目に入る。
「これ、パジャマ?優くん、もしかして一緒に寝てくれるの?」
水川は自分を見つめてくるあいりの目が嬉しそうに輝いた気がした。
「あいりがその方がいいなら」
水川がそう言うと、あいりは「嬉しい」と小さな声で呟いた。
ポロシャツとチノパン、靴下を脱いで、パジャマに着替えると柔軟剤の良い匂いがした。自分の家より大きくて寝心地の良さそうなベットに横になる。枕は大きめだったが1個しかなくて、使わずにあいりとは抱き枕を挟んで反対側に横になった。すると、ベットの左側に寝ていたあいりが近づいてきて、抱き枕を2人の間からどかして、枕を半分水川にくれた。
「寝にくくない?俺のことは気にしないでいいから」
「優くん、夜勤明けで今日も夜勤だよね?バイト押し付けちゃってごめんね」
向かい合って横になるあいりの顔色は少しましにはなったものの、まだ良いとは言えない。こんな身体で何を言ってるんだ。と思いながら、水川はあいりの頭を撫でた。
「俺は元気だから、全然大丈夫。気にしないであいりはゆっくりしてな」
「ごめんね、ありがとう」
水川の言葉にあいりの表情は少し柔らかくなる。あいりは自らにかかっていたタオルケットを水川にもかけようと手を伸ばした。
「あいり、俺は少し暑いくらいだから大丈夫だよ」
水川が声をかけるとあいりはエアコンの設定を変えようと今度はリモコンに手を伸ばす。
「あいり、そのまんまでいいよ。あいりが寒いだろ?」
そう声をかけると、困った顔の彼女は申し訳なさそうに、冷たい水のペットボトルを取って、水川の顔に当てた。ペットボトルは冷たくて気持ちが良かった。
「ごめんな、俺の家、あいりには寒かっただろ?」
水川は暑いのが苦手なので、家では狭い部屋を締め切ってエアコンを強めにかけていた。ここのエアコンの設定が彼女にとって適温ならば、水川の家はかなり身体が冷えたはずだ。
「ううん、優くんいつも側にいてくれたから、寒くなかったよ。大丈夫」
あいりは水川が気持ちよいように、おでこや首元にペットボトルをぺとぺと当てていく。
「ほら、俺はもういいから寝な?寝れないなら付き合うけど、無理しなくていいから」
水川はあいりの手からペットボトルを受け取って、自分の目に当てた。その冷たさが気持ちよくて、心が落ち着いてくる。
「あいり、目赤いな。ずっと泣いてたの?」
自分の目からペットボトルを外して、あいりの目を見ると、彼女の目はまだ潤んでいた。
「俺のせいだな。ごめんな」
水川はあいりを抱き締めたかったが、もうその役は自分のものではないと思い、じっと見つめるだけにした。
「違う。私が悪いの」
「俺と一緒にいて辛かったんだろ?」
水川は水をテーブルの上に戻して、あいりの方に身体を向けた。
「違う。優くんといると、幸せ過ぎて嫌われたくなくてこわくて。いつも気持ち良すぎて自分じゃなくなっちゃうみたいで。声も絶対ご近所迷惑なのにおさえきれなくて。優くんのお母さんにも会うのこわくて。全部、息継ぎできなくて苦しくて逃げたの」
言葉を吐き出すあいり自身も苦しそうに息をする。
「ちょっと息抜きに自分の家で過ごそうと思ったの。すぐ帰るつもりだったのに、行ったら、家の中殆んど何にもなくて、空気が重くて暑くて、『ああ、自分は何もない』って思い出しちゃって、脱力して動けなくなってたら、こおりくんが来てくれたの。
熱中症になりかけてたみたいで怒られて、とりあえず家で話聞くって言われてここに来て。
話してて『全部こおりくんの思い通り』って思ったら困らせてやりたくなって私からキスしたの。もしバレて優くんと別れてもいいとそのときは思ったし、そのあとこおりくんにキスされたけど私も受け入れた。
優くん、私最低だよ。こおりくん、ううん、『そうちゃん』のことも好きなの。手放したくないの。一番本音も何もかもさらけ出して言えて、一緒にいて落ち着くのはそうちゃんだから。
本当にごめんなさい」
水川は頭をハンマーで殴られたような感覚を覚えた。薄々わかっていたことでも、実際に彼女の口から聞くとこうも衝撃のあるものか。
しかし、あいりの目からは涙がこぼれていたし、水川以上に彼女も辛そうだった。
「あいり、正直に答えて?もう俺はいらない?いない方がいい?」
その質問に彼女は息を止めて、ごくりと唾を飲んだ。どう答えるか迷っているのがわかる。
「俺の気持ちとか、全部何にも考えずに本心で答えて?」
あいりの顔に手を伸ばして、流れてきた涙を指で優しく拭う。
「もう俺とキスしたくなくなった?」
あいりは首を小さく横に振った。
「抱き締められるの嫌になった?」
彼女は首を横に振り続ける。
「俺のこと好きじゃなくなった?」
首を振る彼女の顔を両手でそっと包んで、お互いに目を合わす。
「あいりがこおりさん好きなのはわかってたし、あの人にはある意味敵わないと思ってる。キスしたのはめっちゃ妬けるし、本当は独り占めしたい。
けど、俺はあいりが好きだし。ずっと隣にいたい。別にもう反対側にあいつがいても構わない。俺は変わらず傍にいたい。
あいり、これが俺の気持ち。あいりの気持ち教えて?」
彼女の茶色の瞳に今は自分しか映っていないのが見えて、水川はそれが嬉しかった。
「優くんもそうちゃんも優し過ぎるよ」
あいりが震えてそのまま泣くので水川は困ってしまった。
「あいりちゃん、返事は?
うーんと、じゃあ、俺が変わらず傍にいてもいいならあいりからちゅーしてね?決まってからでいいから」
そう伝えて、彼女の顔から手を離し、濡れた顔をティッシュでぽんぽんと撫でる。
拭き終わると水川はあいりの顔を見ずに仰向けに横になって、目を閉じた。
間もなくして、唇がそっと塞がれたので水川は目を開けた。
そこには王子様ならぬ、お姫様がいて、彼女はまた泣いていた。
「泣き虫だな。俺の大事な彼女は」
頭を撫でて抱き寄せると彼女は身を預けてくれて、水川はそれが嬉しかった。
「怒んないし、ゆっくりでいいから、あいりの言いたいこと言って?」
水川は震える彼女の手に自身の手を重ねた。
「あ、あのね、優くん。私、優くんの彼女じゃいられない」
おおよそ予想がついていたので、水川は落ち着いた声で聞き返した。
「俺が嫌になった?こおりさんの方がやっぱり好きだった?」
水川の声にあいりは小さく首を振る。
「優くんのことが嫌いになるなんてあり得ないよ」
「でも、こおりさんの方が好きなんだろ?」
水川の言葉にあいりの目が傷ついたのがわかる。
「どっちがとかじゃない。私、こおりくんにキスしたの。ごめんなさい」
キス?それ以上してるだろ?
水川の内心は冷たかった。
「キスどころかえっちしたんじゃないの?」
あいりは首を大きく横にふる。
「してないよ」
彼女の目から涙がこぼれたのが見えたが、水川はもう言葉を止められなかった。
「あんな男の服をきて、そんな無防備な格好して、あいつのベットで寝てるのに信じられるかよ」
あいりは目を瞑って、全身で震え始めた。
「ストップ」
ドアが開いて、こおりが中に入ってくる。
「水川さん、全然話きいてないじゃないですか。あいりを傷つけたら許さないって前言いましたよね?
俺達、別にセックスしてないです。彼女が俺にキスしたのは、俺に操られてるのが嫌で抵抗したかったから。
格好がこんななのは、俺ん家に置いてあった彼女の服は全部あんたの家にあるから。
ブラジャーつけてないのは、手元に1着しかないのと、具合悪いときにつけてると気持ち悪くなるから。
酷い生理痛で昨日病院行って、ピル飲み始めたところなんですけど、飲み始めは副作用でることあるみたいで、生理痛も相まって今ほんとに体調悪いんです。
嫉妬でイライラしてるのはわかるんですけど、感情的になるのはあいりの顔色見てからにしてください」
そう言うと、こおりはドアを静かに閉めて出ていった。
水川があいりの方を見ると、息を荒くして、ぐったりとしていた。唇は青白い。
「あいり、ごめん。俺、あいりと一緒にいるの幸せ過ぎたから、急にいなくなって、あいりは俺といるの嫌だったんだなって思ったら悲しくて。ごめんな」
そういえば、朝食べたトマトのスープも彼女は自分の分は少ししか取り分けずに食べるのもゆっくりだった。『トマト嫌い』と教えたはずなのに、自分の分には普通に取り分けられたので、そっちに気を取られて、あいりが食欲がないとか考えられなかった。別に生トマトが苦手なだけで、加熱や加工をしているトマトは普通に美味しく食べられるのに。
「ごめんね。私も、すごく幸せだったよ。でも、緊張しちゃって」
あいりはか細く答えながら、涙をぽろぽろと流した。そのまま口に手を当てて震えている。
「気づいてやれなくてごめんな」
辛そうなあいりの様子に、水川は彼女が本当に体調が悪く不安定なことを実感し、そんな彼女に感情をぶつけた自分を恥ずかしく思った。
寝室には、ねこの抱き枕がベットの上に寝ていて、サイドテーブルには袋を被せたボウルとティッシュ、タオルが置いてある。ベットの上にもティッシュがあるのに、テーブルにも置いてあるのはあいりの手に届きやすくするためだろう。嘔吐用のボウルがあるということは、吐き気もあるのだろうか。
「あいり、気持ち悪い?吐きそう?」
水川が聞くと、あいりは弱々しく首を振った。水川は彼女の震える頭に優しく手を当てて、そっと撫でた。
「辛いときに無理して話さなくてもいいよ。何か飲み物もらってくるな」
そう声をかけると、あいりは何か言いたげに顔を挙げた。
「大丈夫。喧嘩したりしないから」
「優くん、ごめん、なさい」
あいりの目には涙が溜まっていた。
よく見れば、彼女の目が赤く腫れているのに気づけたはずなのに、何故自分は彼女自身のことより、こおりとの関係性ばかりに目を向けてしまったのだろう。
「あいりは悪くない。辛い思いさせてごめんな。俺がいると辛いなら帰るから」
彼女の返事を聞く前に水川は部屋を出て、リビングで仕事をするこおりの元に向かった。
「こおりさん、あいりに何か飲み物持っていってもいいですか?」
そう声をかけると、こおりはわかっていたように顔をあげてキッチンを指差した。
「冷たいのと常温の飲み物、冷蔵庫とキッチンに用意してあるので、適当に持っていってください。もちろん、水川さんも飲んでくださいね。あと」
こおりは立ち上がって、収納から服を出して差し出す。
「これ、俺のだけど嫌じゃなかったら、着てください。そのままじゃ寝にくいでしょ?添い寝するのに」
反射的に受け取ると、それは夏用のパジャマだとわかった。
「いや、ちょ、なんで?俺帰るよ。あいり泣かせたし、具合悪そうだから。あいりのことよろしく頼む」
水川はパジャマを突き返そうとしたが、こおりは受け取らなかった。
「泣いてるのは水川さんが来る前からですよ。水川さん、次のシフトいつですか?」
「今日は夜勤明けで、また夜から夜勤だけど」
なかなかのハードスケジュールをこなしているので、水川自身も実は疲れている。
「んじゃ、あいりの看病しつつ添い寝して回復して、ご飯食べてからバイト行けばいいですね?俺、仕事あるし。毎回言ってますけど、あいりは水川さんのことが好きなんですよ。気持ちちゃんときいてあげてください。
俺は仕事なんで。あとよろしくです」
こおりは早く行けと言わんばかりに、水川に再度キッチンを指差して、パソコンの前に座り直して、なにやら作業を再開した。
仕事を邪魔するわけにもいかず、パジャマ片手に言われた通りキッチンに行くと、様々な飲料が置いてあった。とりあえず、冷たい水と常温のルイボスティーを取って寝室に戻る。
「あいり、飲みものもらってきたよ」
水川が部屋に入るとあいりがゆっくりと顔をあげた。
「優くん、ありがと」
彼女は起き上がって、少し迷ったあとルイボスティーを少し飲んだ。
水川がどう聞こうか迷っていると、水川がテーブルに置いたパジャマがあいりの目に入る。
「これ、パジャマ?優くん、もしかして一緒に寝てくれるの?」
水川は自分を見つめてくるあいりの目が嬉しそうに輝いた気がした。
「あいりがその方がいいなら」
水川がそう言うと、あいりは「嬉しい」と小さな声で呟いた。
ポロシャツとチノパン、靴下を脱いで、パジャマに着替えると柔軟剤の良い匂いがした。自分の家より大きくて寝心地の良さそうなベットに横になる。枕は大きめだったが1個しかなくて、使わずにあいりとは抱き枕を挟んで反対側に横になった。すると、ベットの左側に寝ていたあいりが近づいてきて、抱き枕を2人の間からどかして、枕を半分水川にくれた。
「寝にくくない?俺のことは気にしないでいいから」
「優くん、夜勤明けで今日も夜勤だよね?バイト押し付けちゃってごめんね」
向かい合って横になるあいりの顔色は少しましにはなったものの、まだ良いとは言えない。こんな身体で何を言ってるんだ。と思いながら、水川はあいりの頭を撫でた。
「俺は元気だから、全然大丈夫。気にしないであいりはゆっくりしてな」
「ごめんね、ありがとう」
水川の言葉にあいりの表情は少し柔らかくなる。あいりは自らにかかっていたタオルケットを水川にもかけようと手を伸ばした。
「あいり、俺は少し暑いくらいだから大丈夫だよ」
水川が声をかけるとあいりはエアコンの設定を変えようと今度はリモコンに手を伸ばす。
「あいり、そのまんまでいいよ。あいりが寒いだろ?」
そう声をかけると、困った顔の彼女は申し訳なさそうに、冷たい水のペットボトルを取って、水川の顔に当てた。ペットボトルは冷たくて気持ちが良かった。
「ごめんな、俺の家、あいりには寒かっただろ?」
水川は暑いのが苦手なので、家では狭い部屋を締め切ってエアコンを強めにかけていた。ここのエアコンの設定が彼女にとって適温ならば、水川の家はかなり身体が冷えたはずだ。
「ううん、優くんいつも側にいてくれたから、寒くなかったよ。大丈夫」
あいりは水川が気持ちよいように、おでこや首元にペットボトルをぺとぺと当てていく。
「ほら、俺はもういいから寝な?寝れないなら付き合うけど、無理しなくていいから」
水川はあいりの手からペットボトルを受け取って、自分の目に当てた。その冷たさが気持ちよくて、心が落ち着いてくる。
「あいり、目赤いな。ずっと泣いてたの?」
自分の目からペットボトルを外して、あいりの目を見ると、彼女の目はまだ潤んでいた。
「俺のせいだな。ごめんな」
水川はあいりを抱き締めたかったが、もうその役は自分のものではないと思い、じっと見つめるだけにした。
「違う。私が悪いの」
「俺と一緒にいて辛かったんだろ?」
水川は水をテーブルの上に戻して、あいりの方に身体を向けた。
「違う。優くんといると、幸せ過ぎて嫌われたくなくてこわくて。いつも気持ち良すぎて自分じゃなくなっちゃうみたいで。声も絶対ご近所迷惑なのにおさえきれなくて。優くんのお母さんにも会うのこわくて。全部、息継ぎできなくて苦しくて逃げたの」
言葉を吐き出すあいり自身も苦しそうに息をする。
「ちょっと息抜きに自分の家で過ごそうと思ったの。すぐ帰るつもりだったのに、行ったら、家の中殆んど何にもなくて、空気が重くて暑くて、『ああ、自分は何もない』って思い出しちゃって、脱力して動けなくなってたら、こおりくんが来てくれたの。
熱中症になりかけてたみたいで怒られて、とりあえず家で話聞くって言われてここに来て。
話してて『全部こおりくんの思い通り』って思ったら困らせてやりたくなって私からキスしたの。もしバレて優くんと別れてもいいとそのときは思ったし、そのあとこおりくんにキスされたけど私も受け入れた。
優くん、私最低だよ。こおりくん、ううん、『そうちゃん』のことも好きなの。手放したくないの。一番本音も何もかもさらけ出して言えて、一緒にいて落ち着くのはそうちゃんだから。
本当にごめんなさい」
水川は頭をハンマーで殴られたような感覚を覚えた。薄々わかっていたことでも、実際に彼女の口から聞くとこうも衝撃のあるものか。
しかし、あいりの目からは涙がこぼれていたし、水川以上に彼女も辛そうだった。
「あいり、正直に答えて?もう俺はいらない?いない方がいい?」
その質問に彼女は息を止めて、ごくりと唾を飲んだ。どう答えるか迷っているのがわかる。
「俺の気持ちとか、全部何にも考えずに本心で答えて?」
あいりの顔に手を伸ばして、流れてきた涙を指で優しく拭う。
「もう俺とキスしたくなくなった?」
あいりは首を小さく横に振った。
「抱き締められるの嫌になった?」
彼女は首を横に振り続ける。
「俺のこと好きじゃなくなった?」
首を振る彼女の顔を両手でそっと包んで、お互いに目を合わす。
「あいりがこおりさん好きなのはわかってたし、あの人にはある意味敵わないと思ってる。キスしたのはめっちゃ妬けるし、本当は独り占めしたい。
けど、俺はあいりが好きだし。ずっと隣にいたい。別にもう反対側にあいつがいても構わない。俺は変わらず傍にいたい。
あいり、これが俺の気持ち。あいりの気持ち教えて?」
彼女の茶色の瞳に今は自分しか映っていないのが見えて、水川はそれが嬉しかった。
「優くんもそうちゃんも優し過ぎるよ」
あいりが震えてそのまま泣くので水川は困ってしまった。
「あいりちゃん、返事は?
うーんと、じゃあ、俺が変わらず傍にいてもいいならあいりからちゅーしてね?決まってからでいいから」
そう伝えて、彼女の顔から手を離し、濡れた顔をティッシュでぽんぽんと撫でる。
拭き終わると水川はあいりの顔を見ずに仰向けに横になって、目を閉じた。
間もなくして、唇がそっと塞がれたので水川は目を開けた。
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