その角はやわらかな

鹿ノ杜

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 私が部室を訪れると珍しく先輩三人が揃っていた。
「待ってたよ、さあ座って座って」と部長は言って、私をソファにもたれている茜先輩とゆき先輩の間に押し込んだ。見上げると部長は黒のマーカーでホワイトボードを指した。
 ホワイトボードの中心には大きく「ナガト」と書かれていた。その周りには「ゲームコーナー」「市立図書館」「スーパー銭湯」「ミニシアター」などという言葉が走り書きされていた。その様子を見ただけで何の話をしていたのか、だいたい予想がついた。
 学校に来たり来なかったりを繰り返していたナガトはゴールデンウィークが明けると学校にまったく来なくなった。
「もう一月くらい経つよね」とゆき先輩が言った。
 部長が大きくうなずいた。
「僕と茜で何度か会いに行ってるんだけど。会えたり、会えなかったり。だんだん隠れるのがうまくなってるんだよな、あいつ」
「家にはいなくて、でも、時間をつぶせそうな場所っていうのは限られてるんだけどね」と茜先輩が言った。「ナガトっておばあちゃんと暮らしていて、ナガトの家に行くたびに出迎えてくれるから」
「おばあちゃんとすっかり仲良くなっちゃったよ」と部長は嬉しそうに笑った。
「のんきだなあ」とゆき先輩もつられて笑い、ソファに少し沈み込んだ。「葉月先生はナガトくんのところに行ってないの?」
「まずは僕たちだけで行ってみるって言ったんだ。そうじゃなきゃ、僕たちが集まっている意味がないだろう?」
 部長はそう言って私を見た。
「というわけで、モリカ、一緒にナガトのところに行こう」
 ナガトのところに行って、それで何をするんですか? と聞きたかった。でも、私は何も言わずに部長についていった。
 仙台駅から常磐線に乗った。私が帰宅するルートと同じだったから驚いた。部長と降り立ったのは私の家がある駅の二つ先の駅だった。初めて降りる駅だったが、いつも降りる駅とつくりがよく似ていた。当たり前か。学生や会社員が帰宅する時間帯にはまだ早いからか、ひと気のないホーム。代わり映えしない自販機。最近建て替えたような真新しい内装の駅舎。タクシープールまで出ると空が広かった。
「まず、ナガトの家に行ってみよう」と言って部長は歩き出した。
 部長の先導で十分ほど歩くと同じような一軒家が並ぶ住宅地に入った。その中の一つ、二階建てで、すすけたベージュ色の外壁の家がナガトの家だった。
 インターホンを鳴らすときれいな白髪をショートカットにした女性がドアを開けた。部長の顔を見るなり、目尻に深くしわをつくって微笑んだかと思うと、すぐに悲しげな表情を浮かべた。
「あの子、またなの?」と女性が言った。
「そうなんです」と部長が答えた。「一応、聞きますけど、ナガトは家には」
「いないよ」と部長の言葉をさえぎって彼女が言った。「そうなんだね。私が聞いても何も言ってくれないし。せっかく通わせてもらえる学校があるのに」
 彼女は片開きの玄関ドアに力なくもたれかかった。この年代の女性にしては背が高かった。でも、話をしているうちにみるみる小さくなっていくように見えた。
「どうぞ、わざわざ来てくれたんだから、お茶でも飲んでいって」
 気を取り直したように言う彼女に部長は笑顔をつくった。
「ありがとうございます。嬉しいんだけど、でも、また今度、ナガトもいるときにおじゃましますよ」
「あのね」と彼女は言った。少し、すがるようでもあった。「昔はもっと明るくて、でも今だってとっても優しい子なんだよ」
 ほとんど泣きそうな表情。からだが揺れて、彼女の安っぽいつっかけサンダルが玄関先のコンクリートを擦った。
「あの子はもう、たった一人なんだよ」
「おばあちゃんがいるじゃない。僕だっているし、それにモリカだっている」
 部長は私に視線を向けた。おばあちゃんも私を見た。私はうなずきとも会釈とも取れるような中途半端な動きをした。
「部長さん、ありがとう。モリカさんもありがとうね」
 そう言って、おばあちゃんは私の手を取り、両手で包むようにして握った。とても乾いている、骨ばって、少しどきっとするくらい冷たい手だった。
 ナガトの家から離れて、ほっとした。彼女との会話はどうにも落ち着かなかった。
「実は、ナガトって家から遠くには行ってないんだよ」と部長が言った。「本人は帰るのが面倒になるからって言ってたけど、どうなんだろうな」
 駅の近くまで戻ってくると、部長は目の前にある建物を指さした。ガラス張りの四階建ての建物。側面には「市立図書館」とあった。
「今日は休館日だね。最近できたらしいんだけど、立派だよな」と両手を掲げ、大げさに見上げてみせた。
「あいつの秘密基地は何箇所かあってね。駅の近くだと東口のここと、西口にあるスーパーのゲームコーナーなんだけど、ちょっとそっちに行ってみようか」
 スーパーに入ると思いがけず広かった。一階がワンフロアーまるごとスーパーマーケットで、二階が百円ショップ、婦人服や子ども服のブティック、三階が書店になっていた。
「これだけ大きいのが家の近くにあると便利ですね」と私が言うと、「主婦みたいなことを言うね」と部長は明るく笑った。
 部長は、何か飲み物でも買おうか、と買い物客が疎らな売り場を慣れたように進んでいった。遠慮する私に、どうせナガトの分も買うんだからさ、と言って飲み物を選ばせた。
 二階のフロアーに向かうと百円ショップのさらに奥に、部長が言っていたゲームコーナーがあった。何世代も前のプリントシール機。リンゴを模したような赤いロボットや他にも見たことのないキャラクターの人形が入ったクレーンゲーム。百円を入れると上下に動くアンパンマンの乗り物。ドット絵が動いている見慣れないアーケードゲーム。
 天井が低いのか、筐体がフロアーの隅に押し込められているようにも見えた。ゲームコーナーを一周してみた。ゲームの効果音やBGMが繰り返し鳴っていた。もしかしてこれもレトロでかわいいものなのかもしれなかった。
 誰もいなかった。
「いないですね」とすぐにわかることを言葉にした。
「いないね」と部長は言った。「この前はここにいたんだけどな」
 私はゲームコーナーを出て、フロアーの端の方に向かって通路を進んだ。
「そっちにはトイレしかないよ」
 部長の言う通り、通路を曲がると突き当たりに男子トイレと女子トイレのアイコンが見えた。突き当たりまで進むとトイレの入り口の他に非常通路と書かれた扉があった。鍵はかかっていなかった。
 扉を開くと外階段があった。鉄骨の階段が上下に続いていた。
「すごいじゃない、モリカ。のぼってみようよ」
 部長が追いついてきて、声を弾ませた。私たちが階段を上がっていくと、踊り場に何枚か重ねられた段ボールが置かれていた。段ボールを避けて進もうとすると、私たちの足音の他に誰かが駆け上がるような音が響いた。部長が音の鳴った方を見上げ、「あ、いたよ、ナガト」とつぶやいた。
 さらに上がっていくと階段の途中の段にナガトが座り込んでいた。ラフな格好だった。だぼっとした七分袖のティーシャツ。黒のジャージズボン。泥の跳ねた白いスニーカー。左手に持った文庫本が似合っていなかった。
「なんで逃げるの?」
 部長は少し笑っていた。
「逃げてないですよ」とナガトが言った。
「久しぶりに会えたね」
 部長はナガトの隣に腰を下ろした。私はさびにまみれた段差に座る気になれなくて立ったままでいた。
「なんで学校に来ないんだ?」と部長が言った。
 ナガトは何も答えなかった。
「飲むかい?」
 部長はスクールバッグからさっき買った飲み物を取り出した。水滴のついた500ミリリットルのペットボトル。部長の鞄は私の鞄と比べて使い込まれたようなくすんだ色をしていた。
「ほら、モリカも」と言われて受け取った。少しぬるくなっていた。ナガトにはファンタのオレンジ味。私には午後の紅茶のミルクティー。自分には三ツ矢サイダー。礼を言いながら開けた。口に含むと甘いかおりが口内に広がり、鼻を通って抜けていった。
 西日が私たちに強く差し込んだ。ナガトはまぶしそうに目を細めた。持っていた文庫本を階段に置いて、観念したようにペットボトルのキャップを開けた。文庫本のタイトルは「モンテ・クリスト伯【三】」だった。前半三分の一くらいのところにしおりひもが挟まれ、背表紙には図書館のラベルがついていた。
「ばあちゃんのところに行くのはやめてください。何も知らないんだから」
 ナガトが言うと、そうだよな、と部長はうなずいた。
「でもさ、この前なんか、茜と晩ご飯を食べていけって言われて困ったよ。さみしそうだったよ、おばあちゃん。何も言ってくれないって」
「もう、わかりましたから」
 それから、彼らはしゃべらなくなった。私はミルクティーに口をつけながら二人を見比べた。ナガトは黙々とジュースを飲み続け、階段の手すり越しに眼下の景色をながめた。そんなナガトの様子を部長はじっと見つめていた。彼らの手の中で微炭酸の小さな泡が静かに鳴っていた。彼らの代わりに意思疎通をしているかのようだった。
 ナガトは本を手に取ると立ち上がり、階段をのぼっていった。階段を折り返し、ナガトの姿が見えなくなったところで大きく物音が聞こえた。羽ばたくような音だった。私が後を追うと、屋上に出るための扉があるだけでナガトの姿はなかった。ステンレスの格子扉は南京錠がつけられていて、かたく閉ざされていた。
「いいよ。明日は来るだろ。僕たちも帰ろう」
 部長は座ったまま、特に驚きもしないで言った。
「このためだけに来たんですか?」
「何でもいいから、ただ話をするだけでいいんだ。本当ならメールとか、電話でもいいのかもしれないけど、あいつ、スマートフォン持ってないし」
「飲み物まで買ったのに?」
「まあ、これは、僕なりの誠意だよ」
 ナガトが見ていたように部長は景色をながめた。目に焼きつけているようでもあった。
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