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三章
閑話 小公女の旅路 ①
しおりを挟む──その日。魔王ルミナス、もとい小公女ルーミアの心は、とても晴れやかだった。
最近はずっと、自分の天職を調べられたくなくて、仮病やら何やらで逃げ続けるという、精神を擦り減らせる生活を送っていたのだが、今日からしばらくの間は、安息の日々が約束されているのだ。
ルーミアは現在、豪奢な馬車に揺られてラーゼイン公国から離れていた。周囲には護衛の騎士が五十人も付いており、馬車の中には世話係のメイドが三人だけ相乗りしている。
快晴の青空の下を進む小公女御一行の目的地は、イデア王国の中心部に位置している王都だ。
何でも、あちらの国王が不治の病に侵されたらしく、ルーミアはラーゼイン公国の代表者として、お見舞いに行くことになっている。これは、本当は別の人物に宛がわれるはずの公務だったが、ルーミアは盛大に駄々を捏ねて、その役目を勝ち取ったのだ。
「姫様、お身体の調子は宜しいのでしょうか……? 最近は臥せっている日が続いていましたが……」
メイドの一人がルーミアを心配して、労わるように声を掛けた。最近のルーミアは仮病を何度も使っているので、すっかり病弱なお姫様扱いだ。
ちなみに、三人のメイドはそれぞれ、赤、青、黄色の髪と瞳を持つおかっぱ頭の少女たちで、メイド服の色も自分たちのイメージカラーに合わせていることから、ルーミアは彼女たちを纏めて『三色メイド』と呼んでいる。
「今日は頗る絶好調じゃ。わしのことは気にせず、外の風景でも楽しむのがよかろう」
ルーミアはメイドに言葉を返すと、窓の外を眺めながら口元を綻ばせた。護衛の騎士たちはルーミアに気を遣って、馬車の中から外の風景を楽しめるように移動している。
ルーミアの赤黒い前髪で隠された鉛色の瞳は、相も変わらず淀んでいるが、魔王だった頃は終ぞ浮かべることがなかった穏やかな微笑みは、ルーミアの心情を如実に表していた。
優しい秋の風が吹く草原。とても長閑な農村の畦道。柔らかい木漏れ日が照らす林道。
本当に何気ない旅路に、ルーミアは心地の良い微睡みを感じて、こんな時間が永遠に続けば良いと願う。
──だが、その願いが叶うことはなかった。
「敵襲ッ!! 敵襲だッ!! ツンドラバニーの群れだぞ!! 明らかに我々を捕捉している!!」
周辺の偵察を行っていた騎士の一人が、そう叫びながら雑木林の中から飛び出して来て、馬車の外が俄かに騒がしくなる。
「狼狽えるな!! 姫様を死守せよ!! 馬車には掠り傷一つ付けさせるなッ!!」
森を切り開いて作られた道を進んでいた一行は、即座に立ち止まって馬車を中心にした防御陣形を取る。
ツンドラバニーとは、ツンツンバニーが進化した魔物で、氷魔法を操る危険な存在だ。一匹だけでも一般人では勝ち目がないのに、こいつらは群れで動くという厄介な性質を持っている。当然、その群れの規模によって脅威度は大きく異なるが、偵察を行っていた騎士の表情から察するに……かなり、不味いらしい。
ただ、こちらも訓練された精鋭の騎士が五十人。各々が死力を尽くせば、打開出来ない問題など存在しないと、彼らはそう信じている。
騎士たちが剣を抜き、盾を構えながら雑木林を睨みつけていると、周辺の気温が急激に低下し始めた。
──そして、まず一匹。
雑木林から飛び出して来たのは、全く暖かくなさそうな青白い体毛に、冷気を放つ氷の結晶のような一本角を持ったウサギだった。体長は三十センチと魔物にしては小さめで、ツンツンバニーと同じようにツインテールの髪型のカツラを被っている。……これが、ツンドラバニーと言う魔物だ。
「ラーゼイン公国、赤薔薇騎士団が一番槍ッ! カマセーダ・イッヌが推して参るッ!! 姫様っ、我が雄姿を篤とご照覧あれ──ッ!!」
騎士の中で最も大柄な男、カマセーダが雄叫びを上げながらツンドラバニーに向かって突貫した。氷魔法による攻撃は強力だが、使われる前に仕留めてしまえば、どうということはない。
ツンドラバニーは闘志を剥き出しにして、角から溢れ出る冷気を増幅させ、自分の周囲に氷の槍を十本も生成して見せた。だが、それらが放たれる前にカマセーダが肉迫し、手に持った剣でツンドラバニーを斬り捨てる。
カマセーダは血振りを行い、男臭い笑みを浮かべながら馬車の方をチラリと見遣った。
あわよくば、この活躍でルーミアが自分に惚れて、騎士と小公女のロマンティックが止まらなくなってしまうことを期待して──……グサッ、とカマセーダの胸に、氷の槍が突き刺さる。
「……え? な、あ──」
カマセーダが最期の言葉を残す前に、雑木林の奥から数えるのも億劫になる程の氷の槍が飛来した。
それらはカマセーダだけではなく、他の騎士たちにも容赦なく降り注ぐが、ある者は盾で弾き、ある者は剣で振り払い、ある者は魔法で撃ち落としたので、カマセーダ以外の犠牲者は出ていない。
今回のルーミアの旅路に同行しているのは、ラーゼイン公爵家に仕えている公国最強と名高い『赤薔薇騎士団』の面々である。彼らの武勇は近隣諸国にまで轟いており、例え氷の槍が雨のように振ってきたとしても、余程油断していなければ問題なく対処出来るのだ。
馬車を守るべく気を張っていた者たちも居たが、何故か馬車にだけは氷の槍が飛んでこなかった。偶然として片付けるには、余りにも不自然な光景だったが、気にしている余裕は誰にもない。
周辺の森が凍り付いていく様子を見て、完全に包囲されてしまったことを全員が察している。更に、一部の歴戦の猛者は、森が凍り付いていく速度から、大まかなツンドラバニーの群れの規模を把握した。
「不味いぞ……。こりゃ最低でも、千匹規模の群れだ……」
「せっ、千匹ぃ!? ここはダンジョンの中じゃないんですよ!? そんな規模の群れが突然現れるなんてっ、有り得ない!!」
中年騎士の呟きに、青年騎士が思わず驚きの声を上げた。
今回の旅路は比較的安全な道を選んで進んでいる。つまり、ここは魔境でも何でもない土地なのだ。そんな場所に、凶悪な魔物が千匹もの群れを作っているというのは、尋常なことではない。
「聖国の連中が、『魔王が復活した!』って騒いでいたが……。まさか、あの話は本当だったのか……?」
魔王は存在するだけで、世界中の魔物を活性化させると言われている。その話が本当なら、魔王が復活したというのも頷ける状況だ。
「本当かもしれんが、今はどうでも良い! 総員傾注ッ!! 我々は何としてでも! 姫様を逃がさねばならん!! 半数は殿として、この場で己の命を使え!!」
ルーミアの護衛を一任されている赤薔薇騎士団の長は、声を張り上げて部下に『死ね』と命令した。異を唱える者は誰も居ない。死ぬならば年寄りからだと言わんばかりに、年長者たちが続々を前に出てくる。
「ひ、姫様……! いざとなれば、私たちが餌になってでも時間を稼ぎます……!! だから……っ、だから! 安心してくださいっ!!」
馬車の中では、三色メイドが身体を震わせながらも、ルーミアを守るために決死の覚悟を固めていた。
──ルーミアは、そんな彼女たちから目を逸らし、物憂げな表情で窓の外を眺めている。
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