ぐ~たら第三王子、牧場でスローライフ始めるってよ

雑木林

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三章

29話 悪夢 ⑥

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 ──田舎での暮らしは、思った以上に順調だった。

 役所に用意して貰った住居は古い木造の一軒家で、多少の雨漏りはあったが、軽く修繕すれば十分に住み心地の良い我が家になった。

 俺が斡旋して貰った仕事は、牧場を営む老夫婦の手伝いで、鶏が生んだ卵を磨いたり、牛に食べさせる干し草を運んだりと、誰にでも出来るようなことをしている。給料はお世辞にも良いとは言えないが、老夫婦から畜産物を貰ったり、近くの無人販売所で格安の野菜を買ったりしているので、食うに困るようなことはない。

 週休二日で残業も休日出勤もなく、日没前には帰れるので、働き心地も非常に良い。

 老夫婦曰く、『自分が世話をしていた家畜が屠殺される光景を見ると、心を病んでしまう人が少なくない』とのことだったが、俺は『美味しいから仕方ない』の一言で割り切れてしまうので、牧場で働く適正があるらしい。

 度々、黒い羊が近所の畑を荒らそうとしたり、牧場の家畜を襲おうとしているが、ルゥとピーナが撃退してくれるので、大事には至っていない。

 ちなみに、ピーナの怪我は既に治っているが、こいつは野生に帰らないまま俺の家に住み着いていた。……住み着くと言えば、アルティとメイドさんも、何食わぬ顔で俺の家に住み着いている。

「──質問。マスター、当機体の名前を憶えていますか?」

 何気ない日常の一コマ。いつもの皆が集まって、居間で夕食をとっていると、唐突にメイドさんがそんな質問をしてきた。

「忘れる訳ないだろ。メイドさんの名前は、『クルミ』だ」

 ゲームセンターで出会ってから、今日に至るまで、俺とクルミはお互いに名乗ったことがない。それでも俺は、クルミの名前を知っていた。

 最近は、頭の中に霞が掛かっているような感じもしない。……俺はもう、この世界が夢の中であることを認識している。

「重ねて質問致します。マスターにとって、これは悪夢でしょうか?」

「いいや、まさか。俺としては、ずっとこの夢が続いてくれても良い。それくらい、幸せな夢だな」

 最初は酷いものだったが、こうして仲間たちが集まった後は、基本的に穏やかで、時には賑やかな、悪くない日々が続いていた。

 多分、俺は一人だと、幸せになれない生物だったのだろう。草臥れたサラリーマン時代の、俺が、そのことに気が付いていれば、こういう未来もあったのかもしれない。

 ……まあでも、気が付くのが遅かったということは無いはずだ。前世では孤独な過労死という、とても残念な結末を迎えたが、今世の俺は仲間たちに囲まれて、十二分に幸せな日々を送っている。

「では、最後に──。マスター、ご自分の名前を憶えていますか?」

「ああ、憶えているとも。俺の名前は『アルス』だ」

 これで、俺は自分自身を含め、悪夢に囚われた全員の名前を思い出したことになる。



 ──世界そのものに、亀裂が走る音がした。



 いつの間にか、俺の隣に牛獣人のモモコが座っている。

「ちょっとアルスっ! あたしだけぬいぐるみだったの、納得いかないんだけど!? 動けないし喋れないし、もう最悪よ!! あっちに戻ったら、あたしといっぱい! いーっぱい!! お喋りしないと駄目なんだからねっ!!」

 見慣れた姿のモモコが苛立ちをぶつけるように、手に持っている小さいナイトメアシープを床に叩きつけた。すると、ナイトメアシープは汚い悲鳴を上げて、霞のように消えてしまう。

 それと同時に、モモコの姿が薄らいで、無事に夢の中から旅立った。

 今度はいつの間にか、俺の隣に狼獣人のルゥが座っている。

「……アルス。もう、起きる時間?」

「ああ、そうだな。俺もすぐに起きるから、先に起きててくれ」

 ルゥの手にも小さいナイトメアシープが握られており、ルゥは数秒ほど俺と見つめ合ってから、こくりと頷き、ナイトメアシープにガブッと噛み付いた。

 ナイトメアシープは汚い悲鳴を上げて、霞のように消え、それと同時にルゥの姿が薄らいでいく。

「アルス、ボクももう起きるッピ! ほらっ、アルティも一緒に起きるッピよ!」

「嫌なのだっ! 我は断固として! 起きたくない!! この夢の中であればっ、我は毎日が夏休みなのだぞ!?」

 いつの間にか、鳥獣人のピーナと省エネモードのアルティが、俺の隣に座っていた。……そういえば、この夢の中だとアルティは子供だったので、仕事らしい仕事をしていない。夢の中で怠けていた分、起きたらきちんと働かせよう。

 ピーナとアルティの目の前には、小さいナイトメアシープが一匹ずつ転がっており、夢の中に居座ろうとするアルティに代わって、ピーナが二匹とも踏み付ける。

 ナイトメアシープの汚い悲鳴に、アルティの哀愁を誘う悲鳴が混じったが、ピーナとアルティも無事に夢の中から旅立つことが出来た。

 こうして、残ったのは俺とクルミの二人だけになる。

「それじゃ、次はクルミの番だな。俺は最後に起きるよ」

 最後まで何が起こるか分からないので、俺は全員を見送ってから起床しようと思っていた。

 ……しかし、俺に起きるよう促されたクルミは、何故か小さく頭を振る。

「否定。次に起きるのは、マスターです。当機体の悪夢は、まだ終わっていませんので」

「は……? なにを言って──」

 次の瞬間、突然窓の外が赤く照らされる。激しく揺らめいている赤色は、明らかに炎の色だった。

 そして、クルミは淡々とした足取りで、心なしか寂しげな表情をしながら、俺を置いて歩き去ってしまう。



 ──この世界は、俺たちの悪夢が折り重なって出来たものだ。

 俺の悪夢とは、何処までも心が沈み、黒ずんでいくような、前世の日常そのもの。

 モモコ、ルゥ、ピーナ、アルティ。この四人の悪夢は、恐らくだが似通っていて、俺とすれ違うこと、俺に見捨てられること、俺と離れ離れになること、だと思う。

 では、クルミの悪夢とは一体何なのか……。俺たちはまだ、付き合いが短いから、その答えを察することが出来ない。夢の中での出来事を反芻しても、クルミは最初からお助けキャラのような立ち位置で、悪夢を見ている感じではなかった。

「……うだうだ考えても分からないなら、本人に聞くしかないよな」

 クルミを夢の中に置いて行くという選択肢は、あり得ない。あいつだって、もう立派な仲間なんだから。

 クルミとの思い出はまだまだ少ないが、それらは確かに、俺の幸せを形成する一部となっている。そんな思い出を振り返りながら、俺が家の外に出ると、畑が、森が、山が、全て燃えていた。

 これは明らかに、俺の悪夢じゃない。耳を澄ませると、遥か遠くから悲鳴が聞こえてくる。クルミの悲鳴ではなく、俺が知らない誰かの悲鳴だ。

 ここは夢の中だと自分に言い聞かせれば、炎の熱は感じなくなった。距離だって、あってないようなものだ。

 悲鳴が聞こえる方へ、俺は一心不乱になって走り続け──……いつの間にか、深い森の中にある集落へと辿り着く。

 そこでも、全てが燃えていた。草木も藁の家も、それに人も、何もかもが、燃えていた。

「助けてくれ!! 誰か助けてくれぇっ!!」

「死にだぐないッ!! 嫌だっ!! 死にだぐないぃぃっ!!」

「あああぁあぁ……娘が……っ、娘がまだ、家の中にいるの……!!」

 俺には見覚えのない人々が、燃え盛る集落の中で慟哭している。

 耳が長い人、角が生えている人、尻尾が生えている人、翼が生えている人──。人種は多種多様に見えるが、誰も彼もが一様に、肌が真っ黒だった。

 魔物化した人類種は、元になった種族の姿形を残して、肌だけが真っ黒になると、王城で暮らしていた頃に教わったことがある。つまり、彼らは十中八九、魔族なのだろう。

 俺は何とかして彼らを助けようと駆け寄ったが、俺の姿は彼らに見えていないようで、この手も、この声も、彼らには届かなかった。

 ──ふと、誰かが夜空を見上げて、発狂する。

 それを皮切りに、生き残っている者たちも夜空を見上げて、喉が張り裂けんばかりの勢いで叫び始めた。

 それは悲鳴であったり、怒声であったり、怨嗟であったり、命乞いであったり──。この場の魔族たちに共通しているのは、誰もが負の感情に支配されていることだ。

 俺は嫌な予感がして、心臓が絞られているような感覚に囚われながらも、なんとか顔を上げる。

 炎に照らし出された夜空からは星々が消えており、そんな寂しい空模様を背景にして、破壊と殺戮を撒き散らす人形の姿が、俺の目に映った。

 ──それは、酷く虚ろな目をしているクルミだった。

 様々な機械部品を寄せ集めて造られたような、巨大かつ禍々しい翼を背中から生やしているクルミは、見るからに兵器と思しき機械的な道具で全身を武装しており、高密度の粒子によって形成されている大剣や、青白い光が漏れている大砲、空中浮揚している無数の槍など、幾つもの兵器を眼下の魔族たちに向けている。

「──ッ!!」

 俺は咄嗟に、最も近くに居た魔族の前に身体を割り込ませて、クルミの攻撃を止めようとした。

 しかし、クルミは俺の存在を一顧だにせず、無慈悲な総攻撃を開始する。

 地平線の彼方まで焼き尽くすような一閃も、惑星を上から下まで貫きそうな青白い光線も、豪雨のように降り注ぐ死の槍も、全てが俺の身体だけを擦り抜けて、魔族たちを蹂躙していく。



 ──これは夢の中で、俺はただの、無力な傍観者だった。 


 
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