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追い詰められた悪役令嬢、
誰か助けてビーイング・トラップ!(上)
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私はうなだれた。
さっきまでさんざん暴れまわってみたけれど、疲れてへとへとになってしまったので、ぺしゃりと潰れたように床に寝そべる。
もちろん、猫の姿のまま。
そしてここは、私の天敵の部屋にある動物用の檻の中。
ご丁寧に、魔力無効の魔法がとっても丁寧にかけられている。
……シグルド、心配してくれているかしら。
儀式の間で、セレーナが捕縛され、皇太子が儀式の続行を命じられた後。
やっぱり隠蔽していても、皇帝陛下に魔法で状況を送るっていうのはやりすぎたのか、私の魔力に敏感に反応したらしい筆頭魔術師が出しゃばってきた。
そしてあろうことか、石盤の影にいたプリティーな黒猫を、私だと断定したのよ。
当然、私は脱兎のごとく逃げようとしました。
だけどね、残念ながらね、猫の足と人間の足の歩幅はちがってね……しかも、向こうは容赦なく魔法使うし。
あっけなく捕まった私は、こうやって筆頭魔術師の執務室に押し込められたわけです。
なーんーでーこーなったのー!
なんで筆頭魔術師は私をお持ち帰りしたのかしら!? 私とは犬猿の仲だったじゃないの!!
ごろんごろんと床で寝返りをうっていれば、ガチャリと部屋の扉が開く。
私をこの檻の中に放り入れた筆頭魔術師は、一度どこかへ出かけていった。そのすきに暴れまわっていたのだけれど、戻ってきちゃったのね……。
戻ってきた筆頭魔術師は何かを抱えていた。
「ここから出しにゃさい、グイード」
「嫌ですよ。こんな滑稽なもの、私が逃すわけないでしょう」
滑稽!! 滑稽って言ったわこの人!!
にににに、と威嚇していれば、彼はいつもの胡散臭い笑顔を浮かべる。
「その姿は魔法ではないですね? 魔法で幻覚を作っているにしては魔力の濃度が低すぎます。では変形かと思えば、体積そのものも変わっています。基本魔法は質量保存の法則が適用されますから、どこかに減った分の質量が逃げていくはず……まさか身体を二分割などはしていませんよね?」
「…………」
「となると、可能性としては魔法薬でしょうね。魔力を含んだ薬草を使用すれば、私達の使用する魔法の枠組みから外れることも可能です。今回の場合はあらゆるものを縮小させる効果を持つ、ミニマームのハーブを使用したのでしょうか? 体組織を縮小させるように調整し……ふふ、ああ、相変わらず貴女という人は腹立たしい」
それまで楽しそうに話していた筆頭魔術師の瞳に、憎悪が浮かぶ。
私が檻の中で毛を逆立てていれば、彼は私の檻へと近づいてくる。来るな~来るな~と念を飛ばしても、残念ながら通じてはくれなかった。
私の前にまでやってきた筆頭魔術師。
彼は私の入っている檻の隣に腕に持っていた箱を置くと、私の檻を持ち上げた。
「にゃっ!?」
「せっかく愉快な姿になっていることですし……貴女は殺しても死なないのですから、こちらのほうがよろしいことでしょう」
檻の中でごろんと転がった私を無視して、何か話しだした筆頭魔術師。
なによ! 何するつもりよ!
「魔力を封じても、魔法薬で解除されてはたまりませんからね。遠い異邦の術式を会得したのですよ。貴女への嫌がらせのために」
「あにゃた、暇人にゃのかしら!?」
「暇ではありませんが、貴女のために一度くらいは労力を割いてあげようかと思ったのですよ。私の視界に二度と現れなくなるのなら、まぁ、価値はあるでしょうと」
その労力を別のところに割きましょうよ!!
「私に触らにゃいで頂戴!」
「触りませんよ。触りたくもない」
笑顔で言うような台詞じゃないわ!
筆頭魔術師が檻を置き、私の頭上ともう一つの箱の上に手をかざす。
これは、まずい、わ。
「その姿によくお似合いの、猫の魂と入れ替えて差し上げますよ。そしてどこかで野垂れ死ぬといい」
「や、やめにゃ……!」
最後までは言えなかった。
身体から力が抜けていく。
儀式のときに魔力が減るような感覚よりもひどく、肉体から意識がずるりと抜かれるような、気持ち悪さがあった。
視界が歪み、思わず目をつむる。
「さようなら、アニエス・ミュレーズ。天才は二人もいらないのですよ」
「にゃ……っ!」
せめて一矢報いてやろうと、魔法を展開したかったけれど。
「無駄です。魔力を封じたのですから」
おっしゃるとおり、私は為すすべもなく、意識が閉じた。
◇
ぽつり、と何かが顔にかかる。
ハッとして目を開ければ、私は木の板のようなものでできた壁が見えた。
ん? 木の板でできた壁?
床も木の板でできているわ。
それなのに屋根がなく、周囲はかなり暗く、見上げればポツリと顔にかかる滴。
『雨だわ!』
にゃにゃあ、と聞こえた。
…………にゃにゃあ?
『猫の鳴き声?』
にゃにゃにゃ、にゃーにゃ?
……………………。
手元を見てみる。
さっきまで黒かったはずの私の手足は、すっかりと白色っぽい毛並みになっていた。私の毛並みが白いから、少し明かりが明るく見えるような気もする。よくよく見たら、白だけじゃなくて、茶と黒の斑があるわ?
『三毛猫じゃないの……』
にゃにゃにゃご、にゃーご……。
……………………。
そういう、ことですか。
よくよく見たら、この木の板は私の檻の隣に置かれた箱と同じ素材だわ。
つまりあの筆頭魔術師は、この木箱に入っていた三毛猫ちゃんと私の魂を、本当に入れ替えたってこと?
それは魔法では侵してはいけない領域の術。異邦で成立した術式であっても、きっと禁術指定されるような代物だわ。
はぁ、とため息をつく。
とりあえずは、都合よく外に捨てられたようだから、シグルドの所へと戻りましょう。雨も降り始めているようだし、本降りになる前に戻らないと。一刻で戻るといったのに、シグルドがしびれを切らしているかもしれないわ!
そうと決まれば、木箱からぴょいんっと跳ねて出る。最近はよく猫の体で動いていたからか、動くのに不便はないわ。
『さぁーて、ここは、と……』
魔法を使って位置を探ろうと、魔力を練る。
その瞬間の違和感に、あ、と気がついた。
『この身体、魔力がない……!』
これじゃあ魔法が使えないじゃない!!
肉体に宿っている魔力が生命維持程度分ぐらいしかないじゃない!! さすが本物の猫!! 魔力なんて必要としないものね……!!
ここにきてようやく、私も焦りだす。
どうしましょう、これじゃあ私、自分がどこにいるかもわからないわ!!
あわあわとあたりをうろうろする。
雨がぽつぽつする。
どうしましょう。とりあえず雨宿りかしら。
でもでも、そうしている間にもシグルドが濡れ鼠に……。
『……歩きましょう。どこか知っている場所に出るまで』
この一ヶ月半くらいは、シグルドと国内一周の勢いであちこちに行ったんだもの! 私ならやれるわ!
私は雲行きの怪しい中、森のような場所を駆け抜けていく。
木々が深いわ。多い茂る草をよく見れば、踏まれた跡もある。もしかしたら筆頭魔術師が私を捨てに来たときの跡かもしれないわ。これを辿りましょう!
私は、てってってっと歩いていく。
もちろん、辺りの景色を観察することも忘れないわ。
雨が本格的に降り出す。
それでも私は歩いた。いいえ、走ったわ。
『この植生、私が落ちた崖の近くのものだわ!』
生えている植物に珍しいものを見つけた。魔法薬の材料にもなるハーブで、私が落ちた崖のある森でしか採れない植物。
それがあるということは、あの崖のある森だということ!
私は背が高そうな木を見つけると、するすると登ってみた。猫の体は木登りが得意らしい。あっという間に天辺にまで登りつめた。
そしてそこから辺りを見渡して。
『猫の姿だと、遠く見えるわね……』
妙に遠くに見える皇城にため息をつきたくなる。
それでも私は口元を引き結んで、木から飛び降りた。
方角は分かったわ。ならもう走るだけ。
大丈夫。私にはシグルドがいるもの。こんな姿になっても、シグルドならきっと、呆れながら解決方法を一緒に考えてくれるわ。
そう信じて、雨の森を駆け抜けたけれど。
待ち合わせ場所に、シグルドはいなかった。
どうして、と思っていれば、泥でぬかるんだ地面についた靴跡を見つける。猫の視線だからこそ気づいたそれは、どこから来ることもなく、ただ唐突に一歩を踏み出したように、ある一点から生まれていて。
たぶんこれは、待ちぼうけしていたシグルドの靴跡だわ。うろうろしたあと、まっすぐどこかへ向かっている。それもこれは、街の方へ、だわ。
私はその足跡を辿った。
そろそろ足が棒のように感じ始めてきているけれど、それでも歩く。歩かないといけないという衝動が、私の身体を突き動かす。
そうして私は、シグルドが取っていた宿屋にまで来ると、彼と取っていた部屋の窓のところまで、猫の体を操って飛び乗った。それぞれの部屋の窓にはひさしが着いているから、階下のひさしに乗って、シグルドのいるはずの部屋を覗く。
シグルドが裸の女に襲われていた。
『待ちなさぁぁあああい!!』
にゃにゃにゃにゃぁぁああん!!
私の絶叫が木霊する。
破廉恥!! 破廉恥だわ!! 私がこんな大変なことになっているのに!! シグルドは!! シグルドは!!!
じわ、と目元が濡れた気がした。いいえ、これは雨だわ。ずっと雨にうたれているんだもの。雨が目に入ったんだわ。
それでも頬にかかる滴は熱かった。
どうして。
シグルドも。
シグルドも、私を裏切るの……?
好きだって。
一緒にいるって。
私をお嫁さんにしてくれるって言ったのに……!
「……お嬢様?」
窓の外で、雨なのか、別のものなのか、全身をずぶ濡れにして立ち尽くしていると、きぃ、と窓が開く。
服装は少しよれているし、髪も少しぐしゃぐしゃになっているけれど、窓を開けたシグルドが私を見ていた。
『シグルド……』
にゃぁご……。
シグルドの名前を呼んで、ショックを受ける。
そうだわ、今の私は人語を忘れてしまった猫。
シグルドの名前を呼んだところで、彼が私だと気づくはずなんて。
「なるほど、こちらがお嬢様でしたか。人間をたまに忘れるお嬢様ですが、とうとう猫に魂を売ったのですか? 鶏と魚と違ってちゃんと哺乳類を選んだあたり、俺との子作りギリギリ視野に入れていると考えてもいいです?」
『貴方の性癖どうなっているの!?』
センチメンタルな気持ちなんて吹っ飛んだ。
猫とにゃんにゃんする気なのかしら!! にゃんにゃんは私ですけど!! にゃんにゃん!
「俺の性癖はお嬢様です」
『意味がわからないわ!!』
思わず突っ込み返して、はた、と止まる。
あら……? もしかして、今。
『私の言葉、分かるの……?』
「なんとなく、ニュアンスで。お嬢様のことなら何でもわかります。朝の目覚めのハーブティーのブレンドの気分から、お嬢様の気づいていない体重の増減まで、すべて俺が把握しておりますよ」
『把握してほしくないところまで把握しないでくれるかしら!!』
でも体重が増えたのなら教えてほしいわ!! ダイエットするから!!
思わずくぅっとうめいていると、シグルドが自分の服が濡れるのにも構わずに、私を抱き上げた。濡れそぼった私は、シグルドの服だけじゃなくて、宿屋の床まで水を滴らせてしまう。
「すっかり冷えてしまっていますね。お湯を沸かしましょう」
『あ、あの、シグルド……』
「もう明け方が近いです。徹夜は美容の敵ですからね。人間やめたくないならちゃんと寝ましょうよ。人間やめてますけど」
『あの、シグルド』
「食事はどうされますか? 体が猫だと、猫用のものがよろしいのでしょうか。そうなると味付けを薄くしたものをご用意しないとですね。わがままなお嬢様です」
『聞いて頂戴、シグルド!!』
シグルドの謎の翻訳機が壊れたのかしらっ!?
私が大声でシグルドを呼べば、シグルドはやれやれと私の身体を抱え直す。
「さっきからうるさいですよ、お嬢様」
『お願いだから待って頂戴!! あれ! あれどうするの!! お願いだから、放置しないで頂戴!!』
私は猫の前足で必死にてしてしとシグルドの腕を叩く。シグルドは私の前足を手に取ると、ふにふにと肉球を触ってきた。だめよ! 勝手にお触りはだめよ!
私の肉球を対価に、シグルドは私の指しているものの方を向いてくれた。そこにいるのは。
「にゃあーん」
にゃんにゃんいいながら、ベッドの上に座り、全裸で顔を洗っている(お手々で顔を撫でている?)私がいた。
お願いだから服を着せて!!!
さっきまでさんざん暴れまわってみたけれど、疲れてへとへとになってしまったので、ぺしゃりと潰れたように床に寝そべる。
もちろん、猫の姿のまま。
そしてここは、私の天敵の部屋にある動物用の檻の中。
ご丁寧に、魔力無効の魔法がとっても丁寧にかけられている。
……シグルド、心配してくれているかしら。
儀式の間で、セレーナが捕縛され、皇太子が儀式の続行を命じられた後。
やっぱり隠蔽していても、皇帝陛下に魔法で状況を送るっていうのはやりすぎたのか、私の魔力に敏感に反応したらしい筆頭魔術師が出しゃばってきた。
そしてあろうことか、石盤の影にいたプリティーな黒猫を、私だと断定したのよ。
当然、私は脱兎のごとく逃げようとしました。
だけどね、残念ながらね、猫の足と人間の足の歩幅はちがってね……しかも、向こうは容赦なく魔法使うし。
あっけなく捕まった私は、こうやって筆頭魔術師の執務室に押し込められたわけです。
なーんーでーこーなったのー!
なんで筆頭魔術師は私をお持ち帰りしたのかしら!? 私とは犬猿の仲だったじゃないの!!
ごろんごろんと床で寝返りをうっていれば、ガチャリと部屋の扉が開く。
私をこの檻の中に放り入れた筆頭魔術師は、一度どこかへ出かけていった。そのすきに暴れまわっていたのだけれど、戻ってきちゃったのね……。
戻ってきた筆頭魔術師は何かを抱えていた。
「ここから出しにゃさい、グイード」
「嫌ですよ。こんな滑稽なもの、私が逃すわけないでしょう」
滑稽!! 滑稽って言ったわこの人!!
にににに、と威嚇していれば、彼はいつもの胡散臭い笑顔を浮かべる。
「その姿は魔法ではないですね? 魔法で幻覚を作っているにしては魔力の濃度が低すぎます。では変形かと思えば、体積そのものも変わっています。基本魔法は質量保存の法則が適用されますから、どこかに減った分の質量が逃げていくはず……まさか身体を二分割などはしていませんよね?」
「…………」
「となると、可能性としては魔法薬でしょうね。魔力を含んだ薬草を使用すれば、私達の使用する魔法の枠組みから外れることも可能です。今回の場合はあらゆるものを縮小させる効果を持つ、ミニマームのハーブを使用したのでしょうか? 体組織を縮小させるように調整し……ふふ、ああ、相変わらず貴女という人は腹立たしい」
それまで楽しそうに話していた筆頭魔術師の瞳に、憎悪が浮かぶ。
私が檻の中で毛を逆立てていれば、彼は私の檻へと近づいてくる。来るな~来るな~と念を飛ばしても、残念ながら通じてはくれなかった。
私の前にまでやってきた筆頭魔術師。
彼は私の入っている檻の隣に腕に持っていた箱を置くと、私の檻を持ち上げた。
「にゃっ!?」
「せっかく愉快な姿になっていることですし……貴女は殺しても死なないのですから、こちらのほうがよろしいことでしょう」
檻の中でごろんと転がった私を無視して、何か話しだした筆頭魔術師。
なによ! 何するつもりよ!
「魔力を封じても、魔法薬で解除されてはたまりませんからね。遠い異邦の術式を会得したのですよ。貴女への嫌がらせのために」
「あにゃた、暇人にゃのかしら!?」
「暇ではありませんが、貴女のために一度くらいは労力を割いてあげようかと思ったのですよ。私の視界に二度と現れなくなるのなら、まぁ、価値はあるでしょうと」
その労力を別のところに割きましょうよ!!
「私に触らにゃいで頂戴!」
「触りませんよ。触りたくもない」
笑顔で言うような台詞じゃないわ!
筆頭魔術師が檻を置き、私の頭上ともう一つの箱の上に手をかざす。
これは、まずい、わ。
「その姿によくお似合いの、猫の魂と入れ替えて差し上げますよ。そしてどこかで野垂れ死ぬといい」
「や、やめにゃ……!」
最後までは言えなかった。
身体から力が抜けていく。
儀式のときに魔力が減るような感覚よりもひどく、肉体から意識がずるりと抜かれるような、気持ち悪さがあった。
視界が歪み、思わず目をつむる。
「さようなら、アニエス・ミュレーズ。天才は二人もいらないのですよ」
「にゃ……っ!」
せめて一矢報いてやろうと、魔法を展開したかったけれど。
「無駄です。魔力を封じたのですから」
おっしゃるとおり、私は為すすべもなく、意識が閉じた。
◇
ぽつり、と何かが顔にかかる。
ハッとして目を開ければ、私は木の板のようなものでできた壁が見えた。
ん? 木の板でできた壁?
床も木の板でできているわ。
それなのに屋根がなく、周囲はかなり暗く、見上げればポツリと顔にかかる滴。
『雨だわ!』
にゃにゃあ、と聞こえた。
…………にゃにゃあ?
『猫の鳴き声?』
にゃにゃにゃ、にゃーにゃ?
……………………。
手元を見てみる。
さっきまで黒かったはずの私の手足は、すっかりと白色っぽい毛並みになっていた。私の毛並みが白いから、少し明かりが明るく見えるような気もする。よくよく見たら、白だけじゃなくて、茶と黒の斑があるわ?
『三毛猫じゃないの……』
にゃにゃにゃご、にゃーご……。
……………………。
そういう、ことですか。
よくよく見たら、この木の板は私の檻の隣に置かれた箱と同じ素材だわ。
つまりあの筆頭魔術師は、この木箱に入っていた三毛猫ちゃんと私の魂を、本当に入れ替えたってこと?
それは魔法では侵してはいけない領域の術。異邦で成立した術式であっても、きっと禁術指定されるような代物だわ。
はぁ、とため息をつく。
とりあえずは、都合よく外に捨てられたようだから、シグルドの所へと戻りましょう。雨も降り始めているようだし、本降りになる前に戻らないと。一刻で戻るといったのに、シグルドがしびれを切らしているかもしれないわ!
そうと決まれば、木箱からぴょいんっと跳ねて出る。最近はよく猫の体で動いていたからか、動くのに不便はないわ。
『さぁーて、ここは、と……』
魔法を使って位置を探ろうと、魔力を練る。
その瞬間の違和感に、あ、と気がついた。
『この身体、魔力がない……!』
これじゃあ魔法が使えないじゃない!!
肉体に宿っている魔力が生命維持程度分ぐらいしかないじゃない!! さすが本物の猫!! 魔力なんて必要としないものね……!!
ここにきてようやく、私も焦りだす。
どうしましょう、これじゃあ私、自分がどこにいるかもわからないわ!!
あわあわとあたりをうろうろする。
雨がぽつぽつする。
どうしましょう。とりあえず雨宿りかしら。
でもでも、そうしている間にもシグルドが濡れ鼠に……。
『……歩きましょう。どこか知っている場所に出るまで』
この一ヶ月半くらいは、シグルドと国内一周の勢いであちこちに行ったんだもの! 私ならやれるわ!
私は雲行きの怪しい中、森のような場所を駆け抜けていく。
木々が深いわ。多い茂る草をよく見れば、踏まれた跡もある。もしかしたら筆頭魔術師が私を捨てに来たときの跡かもしれないわ。これを辿りましょう!
私は、てってってっと歩いていく。
もちろん、辺りの景色を観察することも忘れないわ。
雨が本格的に降り出す。
それでも私は歩いた。いいえ、走ったわ。
『この植生、私が落ちた崖の近くのものだわ!』
生えている植物に珍しいものを見つけた。魔法薬の材料にもなるハーブで、私が落ちた崖のある森でしか採れない植物。
それがあるということは、あの崖のある森だということ!
私は背が高そうな木を見つけると、するすると登ってみた。猫の体は木登りが得意らしい。あっという間に天辺にまで登りつめた。
そしてそこから辺りを見渡して。
『猫の姿だと、遠く見えるわね……』
妙に遠くに見える皇城にため息をつきたくなる。
それでも私は口元を引き結んで、木から飛び降りた。
方角は分かったわ。ならもう走るだけ。
大丈夫。私にはシグルドがいるもの。こんな姿になっても、シグルドならきっと、呆れながら解決方法を一緒に考えてくれるわ。
そう信じて、雨の森を駆け抜けたけれど。
待ち合わせ場所に、シグルドはいなかった。
どうして、と思っていれば、泥でぬかるんだ地面についた靴跡を見つける。猫の視線だからこそ気づいたそれは、どこから来ることもなく、ただ唐突に一歩を踏み出したように、ある一点から生まれていて。
たぶんこれは、待ちぼうけしていたシグルドの靴跡だわ。うろうろしたあと、まっすぐどこかへ向かっている。それもこれは、街の方へ、だわ。
私はその足跡を辿った。
そろそろ足が棒のように感じ始めてきているけれど、それでも歩く。歩かないといけないという衝動が、私の身体を突き動かす。
そうして私は、シグルドが取っていた宿屋にまで来ると、彼と取っていた部屋の窓のところまで、猫の体を操って飛び乗った。それぞれの部屋の窓にはひさしが着いているから、階下のひさしに乗って、シグルドのいるはずの部屋を覗く。
シグルドが裸の女に襲われていた。
『待ちなさぁぁあああい!!』
にゃにゃにゃにゃぁぁああん!!
私の絶叫が木霊する。
破廉恥!! 破廉恥だわ!! 私がこんな大変なことになっているのに!! シグルドは!! シグルドは!!!
じわ、と目元が濡れた気がした。いいえ、これは雨だわ。ずっと雨にうたれているんだもの。雨が目に入ったんだわ。
それでも頬にかかる滴は熱かった。
どうして。
シグルドも。
シグルドも、私を裏切るの……?
好きだって。
一緒にいるって。
私をお嫁さんにしてくれるって言ったのに……!
「……お嬢様?」
窓の外で、雨なのか、別のものなのか、全身をずぶ濡れにして立ち尽くしていると、きぃ、と窓が開く。
服装は少しよれているし、髪も少しぐしゃぐしゃになっているけれど、窓を開けたシグルドが私を見ていた。
『シグルド……』
にゃぁご……。
シグルドの名前を呼んで、ショックを受ける。
そうだわ、今の私は人語を忘れてしまった猫。
シグルドの名前を呼んだところで、彼が私だと気づくはずなんて。
「なるほど、こちらがお嬢様でしたか。人間をたまに忘れるお嬢様ですが、とうとう猫に魂を売ったのですか? 鶏と魚と違ってちゃんと哺乳類を選んだあたり、俺との子作りギリギリ視野に入れていると考えてもいいです?」
『貴方の性癖どうなっているの!?』
センチメンタルな気持ちなんて吹っ飛んだ。
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「俺の性癖はお嬢様です」
『意味がわからないわ!!』
思わず突っ込み返して、はた、と止まる。
あら……? もしかして、今。
『私の言葉、分かるの……?』
「なんとなく、ニュアンスで。お嬢様のことなら何でもわかります。朝の目覚めのハーブティーのブレンドの気分から、お嬢様の気づいていない体重の増減まで、すべて俺が把握しておりますよ」
『把握してほしくないところまで把握しないでくれるかしら!!』
でも体重が増えたのなら教えてほしいわ!! ダイエットするから!!
思わずくぅっとうめいていると、シグルドが自分の服が濡れるのにも構わずに、私を抱き上げた。濡れそぼった私は、シグルドの服だけじゃなくて、宿屋の床まで水を滴らせてしまう。
「すっかり冷えてしまっていますね。お湯を沸かしましょう」
『あ、あの、シグルド……』
「もう明け方が近いです。徹夜は美容の敵ですからね。人間やめたくないならちゃんと寝ましょうよ。人間やめてますけど」
『あの、シグルド』
「食事はどうされますか? 体が猫だと、猫用のものがよろしいのでしょうか。そうなると味付けを薄くしたものをご用意しないとですね。わがままなお嬢様です」
『聞いて頂戴、シグルド!!』
シグルドの謎の翻訳機が壊れたのかしらっ!?
私が大声でシグルドを呼べば、シグルドはやれやれと私の身体を抱え直す。
「さっきからうるさいですよ、お嬢様」
『お願いだから待って頂戴!! あれ! あれどうするの!! お願いだから、放置しないで頂戴!!』
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「にゃあーん」
にゃんにゃんいいながら、ベッドの上に座り、全裸で顔を洗っている(お手々で顔を撫でている?)私がいた。
お願いだから服を着せて!!!
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