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ファウルダース侯爵家結婚編
可愛くて綺麗な婚約者
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普段は淡い色合いの服装ばかりで幼く見えがちだったユカ。
それが濃紺色の上品で美しいドレスを着た途端に、艷やかな大人の色気のようなものを醸し出すものだから、アンリは常にないくらいに心臓が早く鼓動した。
部屋に入った瞬間は思わずその姿に見惚れてしまったことを、ユカは気づいているだろうか。
視線が絡んですぐに笑いかけてきたユカはやっぱりユカだったけれど、アンリがその手を取るのすらためらうほどにユカは綺麗だった。
しかも茶化すようにかけた自分の言葉に合わせて、自分のことを王子様だなんて呼んでくるものだから、アンリの脳内ははちきれんはかりに「ユカが可愛い」の一言で覆い尽くされてしまって、参ってしまった。
この可愛くて綺麗なお姉さんを、本気でどうしてくれようかと恨みがましくすら思う。
王城へ行けば行ったで、やっぱりこの可愛くて綺麗なお姉さんは人の目をよく惹いた。本人はアンリが隣りにいるからだと思っている節があるけれど、間違いなく鼻の下を伸ばしている野郎どもの大半はユカを見ていた。
それが面白くなくて、ずっと手を握ってユカの隣に立っていたけれど、ちょっと側を離れたすきに男を引っ掛けてる。
相手はビュスコー子爵。長兄シリルの親友だった。
全くの他人ではないし、ユカ自身とも面識はあるようだったから、少し話すくらいはいいだろうと思っていた。あんまりユカを自分に縛りつけておくのもよくないと思っていたから。
だけどどうだろう。
ビュスコー子爵がユカをファーストダンスに誘ったと聞いて、居ても立っても居られなくなった。
ユカが運動が得意じゃないのは知っていたし、貴族の籍に入ってからも日が浅い。ダンスの練習なんてそんなにしてないだろうってことは頭からすっご抜けて、ついついユカにダンスを迫ってしまった。
結局は嫌がられて、次の夜会までお預けになったけれど。
でもその代わりに、ダンスの練習に付き合うという約束ができて、アンリは概ね満足だった。
その後は次兄夫妻との挨拶を皮切りに、久々の社交界ということであちこちから声がかけられた。これにはアンリも辟易して、ユカに向ける意識が少しだけそれてしまっていた。
それが良くなかったのかも。
気がついたらユカの黒目はとろんと潤み、肌は上気して、熱い吐息がその小さな唇からこぼれていた。
会話相手だった騎士学校時代の友人の視線がユカに釘付けだったものだから、ようやくアンリもそこでユカの方に意識が向いてぎょっとした。
手早く会話を切り上げると、すぐにユカが震えるようなため息をつく。
「あつい……」
「大丈夫かい?」
声をかければ風に当たりたいと言うので、アンリはユカを連れてバルコニーに出た。
正直、目を離すことに不安を覚えないでもないけれど、かなり酔っているようにみえたのが心配で、水をもらいにホールへと戻った。
でもこういう時に限って都合が悪いことばかりで、ボーイは見当たらないし、まだ挨拶をしていない友人にまで捕まってしまう。
「よ、アンリ元気だったか!」
「テランス。久しぶり」
またもや騎士学校時代の友人に声をかけられて、アンリはちょっとだけめんどくさそうに眉をしかめた。
その表情を見咎めたテランスもつられて眉をしかめる。
「何だその顔。全然嬉しそうじゃねぇな」
「間が悪いんだよ。ちょっと今、取り込み中」
ため息をつきながらも答えてやれば、テランスは不思議そうに首をひねった。
「取り込み中って、一人で歩いてりゃ声かけてくれって言ってるようなもんだろ」
「そうだけど、察してくれよ。連れがちょっと休んでるから、水もらおうとボーイを探してるんだ」
「あぁ、なる……あっ、連れってもしかして黒髪の美少女?」
どうやらずっと隣に居座っていた甲斐はあったようで、テランスもどうやらユカの存在を認識していたらしい。
アンリはこっくりとうなずいた。
「そう。ユカって言うんだ」
「へぇ。ユカ嬢な。お前の婚約者だって聞いたんだけど、お前も流石だな。その顔で幼女趣味だったとは!」
とんでもない不名誉な称号に、アンリはムッとする。
「人聞きの悪い事言うな」
「だって見るからにそうだろ。着飾って、雰囲気こそ大人びてるけど、あの成長具合じゃまだまだ子供なんだろ? 幾つだ? 十二? 十三? それとも十切ってる?」
もしここにユカがいたら顔が引きつっていたのは間違いないと思う。本人としては子供に見られがちなのを不満がっていたので、テランスの言葉はトドメになりかねなかった。
アンリはぽんっといたわるように、同い年のテランスの肩を叩いた。
「ユカはああ見えて僕らより年上のお姉さんだ。子供に見られるのを嫌がってるから、本人の前では言ってくれるなよ」
「は? マジで?」
マジもマジ、大真面目だ。
アンリが首肯すると、テランスは信じられないように目を見開いて、天上のシャンデリアを見仰いだ。
「詐欺だろ……え、それにお前の女顔一家の要素が加わるのか? うわ、生まれてくる子は男女どっちになるんだ……? 混ざるのか? 混ざるのか?? 永遠の美少女??」
テランスがよく分からない戯言を言い出したので、アンリはスルーするとその場を去ろうとする。
「あ、おい、待てって」
「待たないって。というかなんだよ。こっちは急いでるんだっては」
「ボーイは俺も探してやるから、もう少し話そうぜ」
そう言われてなんだかんだとうだうだ話しながらボーイを探せば、ようやく一人見つけることができた。
けれども水を頼めば生憎切らしていると言われ、水が運ばれてくるまでの間、壁際に寄って待つ。
すぐにでもユカのところに戻りたい一心のアンリは、憮然とした態度で壁に背を預けた。
「余裕ねぇなぁ」
「すぐ戻りたいんだって」
「余裕ねぇなぁ」
「うっさい」
からかうテランスをにらみつければ、テランスはまだニヤニヤしてる。
「んで? どこで見つけてきたんだ、お前の婚約者殿。やっぱシュロルムか?」
「……そうだけど」
「出会いは? やっぱりこう、一目あった瞬間、ズキュンと心臓持ってかれたのか?」
「それはなかったなぁ」
「じゃあどんな出会いだったんだ。物語みたいな運命的な出会い方したのか? こう、暴漢に襲われそうになってるところを救った、とか」
「まぁ……似たようなものかな」
状況はそれ以上に悪かったけれど。
それに、アンリがユカを好きになったのは、一目惚れとかそんなものじゃなかった。
最初はただ助けただけ。そうすることが騎士としてのアンリの当然だったから。
それからお見舞いとして毎日のように診療所に通った。他から見れば一目惚れとか言われそうだけれど、少なくとも最初のうちは自分の中にそんな気持ちはなかった。
だけど気になった。
他の男を拒絶する中、自分だけが許される距離というものが嬉しかったから。
それがそのうちに、もっと大きなものへと芽吹いていって、いつの間にか好きだっていう形を作ってしまった。
守りたい。
笑顔を見たい。
自分だけを見てほしい。
アンリだって一端の男だから、体と心が一つの同じ方向に向かうのはすぐだった。
これが恋なんだって自覚する頃には、今まで付き合ってた女の子には申し訳ないくらいの熱量があって、もうユカ以外じゃ駄目なんだって思うようになった。
それがアンリの恋だった。
食い下がるテランスにぽつぽつとそんなことを伝えれば、テランスは大げさなくらいに脱力した。
「甘酸っべ~~~!!」
「人のことより自分はどうなんだよ。お前もそろそろだろ」
「俺か? 俺はまぁ、もう少し遊びたいんだがなぁ……ま、親がしびれ切らす前に良いところのお嬢さんをもらうさ」
「そうしな」
アンリはこっくり頷くと、ボーイが水の入ったグラスを持って戻ってくる。
それを受け取ると、アンリはテランスに顔を向けた。
「それじゃ、行くよ」
「おぅ。時間があれば、お前の大事な婚約者殿にも挨拶させてくれ」
「考えとく」
「義理くらい果たせよー」
テランスの主張に笑いながら手を振って、アンリはバルコニーへと戻った。
バルコニーでは随分と頬の赤みが抜けたユカが、ぼんやりと空を見ている。
「ユカ、お待たせ。ちょっと手間取った」
「アンリ。おかえり」
「はい、これ飲んで」
水を渡せば、ユカはそれをあおぐ。
ほっと一息ついた。
「ありがとう。すっきりした」
「良かった。風が出てきたみたいだけど、寒くはないかい?」
「まだ大丈夫」
そう淡く微笑んだユカが、水の入ったグラスに視線を落とす。
何か考え事をしている様子のユカ。アンリはベンチに腰掛けるユカの隣りに座ると、その思考の終わりを待った。
「あのさ、アンリ」
「なんだい」
「シュロルムに戻ったらさ、旅行に行きたい、かも」
「旅行?」
突然そんなことを言い出したユカに、アンリは目を丸くする。
今回の王都行きだってかなり葛藤があったはずなのに、旅行という言葉がユカの口から出たのに驚いた。
これは王都に出たからこそ、ユカの世界が広まった証拠なのだろうか。喜ぶべきだという気持ちと、あさましくも自分のそばに留まってほしい気持ちとがせめぎ合ってしまって、微妙な顔になってしまう。
でもユカはそれに気づかないで、話を続けた。
「オルレットにね、行ってみたいの」
「オルレットへ?」
「そう。香の大家ってところ。そこには天降りの遺物が沢山あるんだって。少しだけ、見てみたいなって思って」
たぶんユカとしては何気ない言葉だったのかもしれない。
だけどアンリにとっては、あまり素直に喜んでやれない言葉だった。
「……天降りが気になる?」
「まあ、ね。やっぱり自分と同じ境遇だった人がどう過ごしたのか、この世界にとって天降りがもたらす物がどう見られてるのかが、気になるから」
淡々と話すユカの横顔が随分と大人びていて、アンリの胸が切なくなる。
素直に行かせてあげられるとは言えなかった。
一年前から続く、伯爵家を襲った襲撃事件と、ユカ本人が襲われた事件。
ユカも知っているはずだけれど、覚えていないのか気づいていないのか、あれの実行犯のうちの一人が香の大家にゆかりのある者だった。本人は一門を破門されたと主張しているし、実際に香の大家へ問い合わせたところ、向こうも無関係を主張している。
それでも、本当に繋がりがまっさらだったのかは疑問なところで、彼らが無関係だってことを鵜呑みにはできなかった。
「そうだな……落ち着いたら行ってみるのも悪くはないかもしれない」
「ほんと?」
「期待はしないでくれよ? 国外に出るとなると、手続きが色々面倒だからさ」
「そっか」
アンリは見えない予防線を張る。ユカはなんとなく納得したようにうなずいていた。
でも、そんなことより。
「どうして急にそんなことを思ったんだ?」
「さっき、エンゾ様って方がお話してくれたの。私の黒髪を見て、仲間意識持たれちゃったみたい」
「エンゾ様?」
「香の大家の人だって」
またこのお姉さんは、自分の知らないうちに男を引っ掛けていたらしい。
途端に面白くなくなったアンリは、人に見られてないことをいい事にユカの方へと体を傾けた。
肩と肩が触れ合って、そのままぐいっと体重をかけてやる。
「ちょっと、アンリ、重い」
「僕がいながら、すぐ別の男に目移りする婚約者殿への仕返し」
「目移りって。私から話しかけてるわけじゃないのに」
「それでも心の狭い僕は許容できないようです」
「え~。アンリって結構嫉妬深い?」
「かもね」
自分でも気づかなかったことだけど。
でもこんなにも可愛くて綺麗な婚約者を見てしまえば、他の男に取られてしまわないか不安になってしまうのは仕方ないと思う。しかもユカは、自分が思っている以上にすきがあるようで、気が抜けないから。
「こんな嫉妬深い男は嫌かい?」
「ううん、嬉しい。ずっと私を捕まえていてよ」
普通だったら嫌がられると思うのに、ユカは嬉しそうに笑った。
それすらもどうしようもないほど愛しくて、アンリは高ぶる思いのまま、ユカの頬へとそっと手を添える。
甘えるようにその手に頬を寄せたユカがすごく可愛い。
その目がそうっと閉じられたから、アンリはそっとその顔を上向かせる。
そうしてユカの小さな唇へと、そっと吐息を重ねたのだった。
それが濃紺色の上品で美しいドレスを着た途端に、艷やかな大人の色気のようなものを醸し出すものだから、アンリは常にないくらいに心臓が早く鼓動した。
部屋に入った瞬間は思わずその姿に見惚れてしまったことを、ユカは気づいているだろうか。
視線が絡んですぐに笑いかけてきたユカはやっぱりユカだったけれど、アンリがその手を取るのすらためらうほどにユカは綺麗だった。
しかも茶化すようにかけた自分の言葉に合わせて、自分のことを王子様だなんて呼んでくるものだから、アンリの脳内ははちきれんはかりに「ユカが可愛い」の一言で覆い尽くされてしまって、参ってしまった。
この可愛くて綺麗なお姉さんを、本気でどうしてくれようかと恨みがましくすら思う。
王城へ行けば行ったで、やっぱりこの可愛くて綺麗なお姉さんは人の目をよく惹いた。本人はアンリが隣りにいるからだと思っている節があるけれど、間違いなく鼻の下を伸ばしている野郎どもの大半はユカを見ていた。
それが面白くなくて、ずっと手を握ってユカの隣に立っていたけれど、ちょっと側を離れたすきに男を引っ掛けてる。
相手はビュスコー子爵。長兄シリルの親友だった。
全くの他人ではないし、ユカ自身とも面識はあるようだったから、少し話すくらいはいいだろうと思っていた。あんまりユカを自分に縛りつけておくのもよくないと思っていたから。
だけどどうだろう。
ビュスコー子爵がユカをファーストダンスに誘ったと聞いて、居ても立っても居られなくなった。
ユカが運動が得意じゃないのは知っていたし、貴族の籍に入ってからも日が浅い。ダンスの練習なんてそんなにしてないだろうってことは頭からすっご抜けて、ついついユカにダンスを迫ってしまった。
結局は嫌がられて、次の夜会までお預けになったけれど。
でもその代わりに、ダンスの練習に付き合うという約束ができて、アンリは概ね満足だった。
その後は次兄夫妻との挨拶を皮切りに、久々の社交界ということであちこちから声がかけられた。これにはアンリも辟易して、ユカに向ける意識が少しだけそれてしまっていた。
それが良くなかったのかも。
気がついたらユカの黒目はとろんと潤み、肌は上気して、熱い吐息がその小さな唇からこぼれていた。
会話相手だった騎士学校時代の友人の視線がユカに釘付けだったものだから、ようやくアンリもそこでユカの方に意識が向いてぎょっとした。
手早く会話を切り上げると、すぐにユカが震えるようなため息をつく。
「あつい……」
「大丈夫かい?」
声をかければ風に当たりたいと言うので、アンリはユカを連れてバルコニーに出た。
正直、目を離すことに不安を覚えないでもないけれど、かなり酔っているようにみえたのが心配で、水をもらいにホールへと戻った。
でもこういう時に限って都合が悪いことばかりで、ボーイは見当たらないし、まだ挨拶をしていない友人にまで捕まってしまう。
「よ、アンリ元気だったか!」
「テランス。久しぶり」
またもや騎士学校時代の友人に声をかけられて、アンリはちょっとだけめんどくさそうに眉をしかめた。
その表情を見咎めたテランスもつられて眉をしかめる。
「何だその顔。全然嬉しそうじゃねぇな」
「間が悪いんだよ。ちょっと今、取り込み中」
ため息をつきながらも答えてやれば、テランスは不思議そうに首をひねった。
「取り込み中って、一人で歩いてりゃ声かけてくれって言ってるようなもんだろ」
「そうだけど、察してくれよ。連れがちょっと休んでるから、水もらおうとボーイを探してるんだ」
「あぁ、なる……あっ、連れってもしかして黒髪の美少女?」
どうやらずっと隣に居座っていた甲斐はあったようで、テランスもどうやらユカの存在を認識していたらしい。
アンリはこっくりとうなずいた。
「そう。ユカって言うんだ」
「へぇ。ユカ嬢な。お前の婚約者だって聞いたんだけど、お前も流石だな。その顔で幼女趣味だったとは!」
とんでもない不名誉な称号に、アンリはムッとする。
「人聞きの悪い事言うな」
「だって見るからにそうだろ。着飾って、雰囲気こそ大人びてるけど、あの成長具合じゃまだまだ子供なんだろ? 幾つだ? 十二? 十三? それとも十切ってる?」
もしここにユカがいたら顔が引きつっていたのは間違いないと思う。本人としては子供に見られがちなのを不満がっていたので、テランスの言葉はトドメになりかねなかった。
アンリはぽんっといたわるように、同い年のテランスの肩を叩いた。
「ユカはああ見えて僕らより年上のお姉さんだ。子供に見られるのを嫌がってるから、本人の前では言ってくれるなよ」
「は? マジで?」
マジもマジ、大真面目だ。
アンリが首肯すると、テランスは信じられないように目を見開いて、天上のシャンデリアを見仰いだ。
「詐欺だろ……え、それにお前の女顔一家の要素が加わるのか? うわ、生まれてくる子は男女どっちになるんだ……? 混ざるのか? 混ざるのか?? 永遠の美少女??」
テランスがよく分からない戯言を言い出したので、アンリはスルーするとその場を去ろうとする。
「あ、おい、待てって」
「待たないって。というかなんだよ。こっちは急いでるんだっては」
「ボーイは俺も探してやるから、もう少し話そうぜ」
そう言われてなんだかんだとうだうだ話しながらボーイを探せば、ようやく一人見つけることができた。
けれども水を頼めば生憎切らしていると言われ、水が運ばれてくるまでの間、壁際に寄って待つ。
すぐにでもユカのところに戻りたい一心のアンリは、憮然とした態度で壁に背を預けた。
「余裕ねぇなぁ」
「すぐ戻りたいんだって」
「余裕ねぇなぁ」
「うっさい」
からかうテランスをにらみつければ、テランスはまだニヤニヤしてる。
「んで? どこで見つけてきたんだ、お前の婚約者殿。やっぱシュロルムか?」
「……そうだけど」
「出会いは? やっぱりこう、一目あった瞬間、ズキュンと心臓持ってかれたのか?」
「それはなかったなぁ」
「じゃあどんな出会いだったんだ。物語みたいな運命的な出会い方したのか? こう、暴漢に襲われそうになってるところを救った、とか」
「まぁ……似たようなものかな」
状況はそれ以上に悪かったけれど。
それに、アンリがユカを好きになったのは、一目惚れとかそんなものじゃなかった。
最初はただ助けただけ。そうすることが騎士としてのアンリの当然だったから。
それからお見舞いとして毎日のように診療所に通った。他から見れば一目惚れとか言われそうだけれど、少なくとも最初のうちは自分の中にそんな気持ちはなかった。
だけど気になった。
他の男を拒絶する中、自分だけが許される距離というものが嬉しかったから。
それがそのうちに、もっと大きなものへと芽吹いていって、いつの間にか好きだっていう形を作ってしまった。
守りたい。
笑顔を見たい。
自分だけを見てほしい。
アンリだって一端の男だから、体と心が一つの同じ方向に向かうのはすぐだった。
これが恋なんだって自覚する頃には、今まで付き合ってた女の子には申し訳ないくらいの熱量があって、もうユカ以外じゃ駄目なんだって思うようになった。
それがアンリの恋だった。
食い下がるテランスにぽつぽつとそんなことを伝えれば、テランスは大げさなくらいに脱力した。
「甘酸っべ~~~!!」
「人のことより自分はどうなんだよ。お前もそろそろだろ」
「俺か? 俺はまぁ、もう少し遊びたいんだがなぁ……ま、親がしびれ切らす前に良いところのお嬢さんをもらうさ」
「そうしな」
アンリはこっくり頷くと、ボーイが水の入ったグラスを持って戻ってくる。
それを受け取ると、アンリはテランスに顔を向けた。
「それじゃ、行くよ」
「おぅ。時間があれば、お前の大事な婚約者殿にも挨拶させてくれ」
「考えとく」
「義理くらい果たせよー」
テランスの主張に笑いながら手を振って、アンリはバルコニーへと戻った。
バルコニーでは随分と頬の赤みが抜けたユカが、ぼんやりと空を見ている。
「ユカ、お待たせ。ちょっと手間取った」
「アンリ。おかえり」
「はい、これ飲んで」
水を渡せば、ユカはそれをあおぐ。
ほっと一息ついた。
「ありがとう。すっきりした」
「良かった。風が出てきたみたいだけど、寒くはないかい?」
「まだ大丈夫」
そう淡く微笑んだユカが、水の入ったグラスに視線を落とす。
何か考え事をしている様子のユカ。アンリはベンチに腰掛けるユカの隣りに座ると、その思考の終わりを待った。
「あのさ、アンリ」
「なんだい」
「シュロルムに戻ったらさ、旅行に行きたい、かも」
「旅行?」
突然そんなことを言い出したユカに、アンリは目を丸くする。
今回の王都行きだってかなり葛藤があったはずなのに、旅行という言葉がユカの口から出たのに驚いた。
これは王都に出たからこそ、ユカの世界が広まった証拠なのだろうか。喜ぶべきだという気持ちと、あさましくも自分のそばに留まってほしい気持ちとがせめぎ合ってしまって、微妙な顔になってしまう。
でもユカはそれに気づかないで、話を続けた。
「オルレットにね、行ってみたいの」
「オルレットへ?」
「そう。香の大家ってところ。そこには天降りの遺物が沢山あるんだって。少しだけ、見てみたいなって思って」
たぶんユカとしては何気ない言葉だったのかもしれない。
だけどアンリにとっては、あまり素直に喜んでやれない言葉だった。
「……天降りが気になる?」
「まあ、ね。やっぱり自分と同じ境遇だった人がどう過ごしたのか、この世界にとって天降りがもたらす物がどう見られてるのかが、気になるから」
淡々と話すユカの横顔が随分と大人びていて、アンリの胸が切なくなる。
素直に行かせてあげられるとは言えなかった。
一年前から続く、伯爵家を襲った襲撃事件と、ユカ本人が襲われた事件。
ユカも知っているはずだけれど、覚えていないのか気づいていないのか、あれの実行犯のうちの一人が香の大家にゆかりのある者だった。本人は一門を破門されたと主張しているし、実際に香の大家へ問い合わせたところ、向こうも無関係を主張している。
それでも、本当に繋がりがまっさらだったのかは疑問なところで、彼らが無関係だってことを鵜呑みにはできなかった。
「そうだな……落ち着いたら行ってみるのも悪くはないかもしれない」
「ほんと?」
「期待はしないでくれよ? 国外に出るとなると、手続きが色々面倒だからさ」
「そっか」
アンリは見えない予防線を張る。ユカはなんとなく納得したようにうなずいていた。
でも、そんなことより。
「どうして急にそんなことを思ったんだ?」
「さっき、エンゾ様って方がお話してくれたの。私の黒髪を見て、仲間意識持たれちゃったみたい」
「エンゾ様?」
「香の大家の人だって」
またこのお姉さんは、自分の知らないうちに男を引っ掛けていたらしい。
途端に面白くなくなったアンリは、人に見られてないことをいい事にユカの方へと体を傾けた。
肩と肩が触れ合って、そのままぐいっと体重をかけてやる。
「ちょっと、アンリ、重い」
「僕がいながら、すぐ別の男に目移りする婚約者殿への仕返し」
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「それでも心の狭い僕は許容できないようです」
「え~。アンリって結構嫉妬深い?」
「かもね」
自分でも気づかなかったことだけど。
でもこんなにも可愛くて綺麗な婚約者を見てしまえば、他の男に取られてしまわないか不安になってしまうのは仕方ないと思う。しかもユカは、自分が思っている以上にすきがあるようで、気が抜けないから。
「こんな嫉妬深い男は嫌かい?」
「ううん、嬉しい。ずっと私を捕まえていてよ」
普通だったら嫌がられると思うのに、ユカは嬉しそうに笑った。
それすらもどうしようもないほど愛しくて、アンリは高ぶる思いのまま、ユカの頬へとそっと手を添える。
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