SCRAP

都槻郁稀

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本編 18.12 - 19.03

時計/925/随筆?

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 ──時計の針は何故、時計回りに動くのだろうか──

 ──実にどうでもいい。どうでもいいことを何故冒頭に示したのか。それは、今、唐突に思ったからであり、時折、どうでもいい疑問が浮かんでくるためである。
 現在手元には、案の定、時計回りに回る蓄光塗料の塗られた時針・分針と秒針と文字盤、その下半分にデジタルで月日と曜日が示された多機能の腕時計がある。机の上の目覚まし時計も、エアコン横のに少し曲がって掛けられた壁掛け時計も、手元にある携帯に表示されたアナログ時計も、秒針、分針、時針の全てが時計回りに回っている。さて、時計が時計回りである理由には、反時計回りが関係しているという。深く話す前に、『時計は北半球で開発された』ということを言っておく。
 時計の起源は、地球規模、厳密に言えば太陽系、それを取り巻くこの広大な宇宙の話だ。北極側からみた地球は、反時計回りに自転している。故に、地球から見た宇宙は、地球を固定すれば時計回りに動く。現在のように精密に時間を視覚化する以前、時間を図るためには自然を利用せざるを得なかった。水や蠟の減り具合で時を図る水時計や火時計、タイマーとして機能する砂時計。そして、もっとも初歩的で人類以外も利用するもの。それが日時計だ。北半球から見れば、太陽は東から南、西へと右回りに動く。盤上に立てた棒の影も西から北、東へと動く。それに合わせ、機械時計も右回りに作られた。 一般に、時計が時計回りである所以である。

 人は自然から時の単位を生み出し、自らの手でより精密に時を表した。同じ数字に戻るデジタル時計、同じ位置に戻るアナログ時計と違い、時は不可逆的に流れ続ける。決して竜頭のようなものは付いていない。一方向に流れ続ける時の速さは刻一刻と変化し続け、人の時は終わりを迎える。終わりを告げる装置も無ければ、知る方法も無い。いつか終わる事だけが確かだ。
 残りの時間をどう過ごすかが人生だ。これに関しては生み出した時の単位も意味を成さない。測ることは第6感に託し、これからの人生を設計していくしかない。

 流れゆく壮大な時の流れを中をただ何も考えずに流れるか、自ら櫂を取り流れを操り行く末を定めるかは、人それぞれの決断であり、それが人生である、と思う。
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