古代ローマの英雄スキピオの物語〜歴史上最高の戦術家カルタゴの名将ハンニバル対ローマ史上最強の男〜本物の歴史ロマンを実感して下さい

秀策

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激闘の後

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 激戦だった。ティキヌス川に架けられた橋を破壊して、ここでカルタゴ軍の追撃をかわす狙いがローマ騎兵団の後陣とカルタゴ軍に伝わると、戦闘の激しさはいっそう増した。その戦闘をどのように戦い、どうやって生き延びたかのかを、プブリウスは思い出せない。意識が戻ると、彼はティキヌス川の東岸にたどり着いていた。ローマ軍によって橋は破壊され、東岸にカルタゴ兵の姿は見当たらなかった。
「立てるか」
 壮年のローマ兵士が声をかけてきた。プブリウスは立ち上がり、頷いて見せた。体が鉛のように重く、全身に悪寒がはしっているが大きな怪我はしていなかった。全身がびしょ濡れで体温が低下している。プブリウスは周囲の仲間と同じように甲冑を外し、濡れて重くなった衣類を脱ぎ捨てた。冷気が身体に絡みつき、身体の震えが止まらない。
「辛いだろうが歩くぞ。休むのはプラケンティアに着いてからだ。生き抜いて愛する者たちの元に帰ろう」
 プブリウスは男に励まされ、重い体を動かした。
 プラケンティアまでどのぐらいあるだろう。プブリウスは思考回路の低下した頭でただそれだけを考え、五十人ほどの仲間と共に歩き出した。その敗残兵の中には橋の破壊工作に従事した若者たちだけでなく、老齢なローマ騎兵や屈強なガリア騎兵の姿もあった。ただ、騎兵は馬を降りて川を渡ってきたため、今は軽装歩兵と同じ自分の足で歩いていた。
 俯きがちなその集団の歩みは遅い。負傷して自らの足で動けない者、疲れ果てその場に倒れる者が続出したからだ。体力と気力のある者が交代でそれら動けない者を担いだ。心が折れそうな者は励まされた。辛く惨めな道のりだったが、誰一人として見捨てられることはなかった。
 生への執着は伝染する。心が折れそうな者は励まされ、気力を取り戻せば今度は励ます側に回った。そのうち、諦める者はいなくなった。顔を上げる者が日増しに増えていった。
 若いプブリウスは負傷者を背負った。挫けそうな仲間を見つけては声をかけ、ときに笑顔を取り繕った。体中が痛い。致命傷はないが全身傷だらけだった。下履きもなく裸足で歩く。足の裏は爛れて感覚がない。痛みを感じる元気もなかったのかもしれない。限界を迎えようとする体。ただ、気力はまだ残っていた。
 こんなところで死んでなるものか。歯を食いしばり、生にしがみつく。プブリウスは活力に溢れた目を前方に向ける。必死に足を前に動かした。
 経験豊かな年配者たちの助けがなければ、プブリウスら新兵はとてもプラケンティアには辿り着けなかっただろう。プブリウスは神様に深く感謝すると共に、仲間の大切さを強く意識した。
 プラケンティアになんとか帰り着いたプブリウスを待っていたのは、重傷を負った父の悲痛な姿だった。コルネリウスは意識がしっかりしているもののとても動ける状態ではなく、戦場を生き延びた息子を目の前に、
「……よくぞ無事に戻った。この度の戦ではラエリウスに命を救われた。ローマに帰還したら彼を報奨してやらねばな」
 とだけ言い、病床から起き上がることもできなかった。従軍している医師によれば、命に別状はないものの、引き続き安静が必要とのことだった。
 父の天幕から出てきたプブリウスの表情は暗い。父は助かったものの、戦況が好転したわけではない。降りしきる冬の雨にあたりながら、プブリウスの心は黒く色塗られていた。
「プブリウス様、よくぞご無事で」
 全身に包帯を巻き、杖をついてこちらに向かってきたのは、従僕であり最愛の友でもあるラエリウスであった。痛々しく歩行もままならない彼の目から大粒の涙が流れていた。プブリウスはラエリウスの方に向かって駆け出し、彼の手を取った。その後、二人は抱き合い、お互いの無事を確認しあった。
「父の命を救ってくれてありがとう。君は私の、父の、ローマの恩人だ。どれだけ感謝しても感謝しきれない」
 と、プブリウスは頭を下げて感謝の意を示した。
「いえ、私たちの命を救ってくれたのはプブリウス様、あなたではありませんか。戻ってきた軽装歩兵らから話を聞きました。プブリウス様が指揮して下さったおかげでティキヌス川の橋を落とすことができたのだと。カルタゴ軍の追撃をかわすことができたのは、あなたのおかげなのです。感謝しなければならないのは私のほうであり、ここにいる者たちは皆、プブリウス様に感謝しなければなりません」
 と、ラエリウスの目にもう涙はなく、さわやかな笑顔で主人の功績を称えた。
 一日、死んだように眠ったプブリウスは若さも手伝ってか、すぐに体力が戻った。体力の回復は同時に精神の回復にもつながる。彼の全身にいつもの活力と生気が蘇った。ラエリウスも見た目ほど重症ではないらしく、安静にしておくよう主人に言いつけられても、
「もう大丈夫です」
 とだけ言い、プブリウスと共に負傷者の看護に終日あたった。
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