古代ローマの英雄スキピオの物語〜歴史上最高の戦術家カルタゴの名将ハンニバル対ローマ史上最強の男〜本物の歴史ロマンを実感して下さい

秀策

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戦死

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 紀元前二一一年の秋、ヒスパニアでローマ軍が大敗。
 勢力を拡大していたヒスパニアからの悪報は、陽が照り始めたローマを再び暗闇に突き落とした。指揮官であるコルネリウスと副官のグナエウスが戦死し、ヒスパニアに派遣されていた二個軍団のうち三分の二が戦死または捕虜とされた。これには元老院議員の面々が肩を落とさざるを得なかった。元老院で議長を務めるファビウスは、議会の冒頭から言葉を失い、しばらく呆然としていた。
 長らくヒスパニアで戦ってきた両雄の死は、これまでのどの敗戦よりも痛手だった。コルネリウスとグナエウスはハンニバルとの戦いが始まってから、ずっと最前線に立ち続けている英雄であり、替えの利かない指揮官であった。兵の増強はできても、優秀な指揮官の補充は容易ではない。ヒスパニアはハンニバルの本拠地であり、ここを抑えることができなければ、ハンニバル打倒など夢のまた夢の話である。その地を任せられる人材がローマに見当たらないことは、ファビウスが一番わかっていたのだろう。両雄の死を悲しむというよりも、今後のローマに暗雲が立ち込めたことに大きな危機感を抱いたと言える。それを裏付けるような無言であった。
 やがてファビウスは静かに口を開いた。絞り出すような苦し気な口調だった。
「彼らは八年にも及ぶ間、ローマから遠く離れた地で戦っていた。兵は年単位で交代を繰り返しているが、彼らには休息はなかった。家族にも会えず、常にその身を戦場に置いていた。
 これは称賛以外の何ものでもない。彼らはヒスパニアからのハンニバルへの補給を完全に遮断し続けた。そんな彼らが敗れるどころか、戦死するとは想像もできないことだ」
 ファビウスは言葉に詰まった。その苦悩の大きさが誰からも見てとれた。
「彼らの死に哀悼の意を捧げる。しかし、我々は悲しんでばかりはいられない。ヒスパニア問題を解決しなければならないからだ。早急にこの問題に取り組むことが、彼らの死を悼むことにもなるやもしれん」
 結局、この日はコルネリウスとグナエウスの後塵を誰にするかには言及せず、明日までに元老院議員各人が熟考するようにとのことになった。ヒスパニアを担当する指揮官は、ローマから遠く離れた現地で単独行動を強いられる。距離的に元老院の指示を受けることが難しいからだ。そのため、指揮官には豊富な経験と的確な判断力を有することが必要条件であった。しかも、敗戦によって劣勢となった状況を覆すことが求められている。果たしてコルネリウスとグナエウスの兄弟に匹敵する者がローマにいるだろうか。いないに決まっていた。
 翌日、元老院は名門貴族クラウディウス一門のガイウス・クラウディウス・ネロに白羽の矢を立てた。ネロは決して無能ではなく、むしろ有能な男であった。彼は執政官マルケルスの下でハンニバルと戦った経験があり、カプアの包囲戦にも参加している。軍事経験が豊富とまではいかないが、若手の中では将来を期待される一人だった。しかし、執政官や軍を指揮した経験がなく、コルネリウス兄弟と比べると見劣りするのは致し方ないだろう。
 ネロは指揮権を有する法務官に急遽選出され、一個軍団を従えてローマを早々に発った。エブロ河の北にあるタラゴナでコルネリウスとグナエウスが率いていた敗残兵と合流を果たしたネロは、すぐさまヒスパニアのカルタゴ軍に襲い掛かる。
 ヒスパニアのカルタゴ軍を率いるのはハンニバルの弟、ハスドルバル・バルカである。ハスドルバルは兄に託されたバルカ一族の本拠地ヒスパニアで、長らくローマ軍と戦ってきた。兄ほどではないにしても、有能な指揮官であることに疑いはなかった。しかし、ハスドルバルはコルネリウス兄弟の巧みな用兵に苦戦を強いられ、兄への補給どころか、徐々にヒスパニアでの勢力圏を狭められていた。コルネリウス兄弟に率いられたローマ軍は、ヒスパニアの三分の一を征服するまでにもなっていた。
 カルタゴ本国はこの事態に、イタリアに兄と共に遠征し、カンナエでの戦いの戦勝報告に一時帰還していたバルカ兄弟の末弟マゴ・バルカに兵を持たせ、ヒスパニアへの派遣を決定する。これを機に、戦いの主導権は徐々にハスドルバルに傾いていく。
 カルタゴ本国からの増援に対抗するため、コルネリウスは元老院に兵力の増強を打診するが、各方面で戦いを強いられている本国ローマからよい返事が得られなかった。そこで、彼は止む無く苦肉の策にでる。
 コルネリウスは征服した土地の原住民と同盟を結び、彼らを兵として雇うことで兵力の増強を図ったのだ。しかし、これが誤算になった。ヒスパニアの地元部族はローマとの同盟関係を簡単に破棄し、事あるごとに裏切りを繰り返す有様だった。もっとも、これはハスドルバルの計略によるもので、彼はローマ軍に加担した地元部族であるイベリア兵の買収を密かに進めていたのだ。
 本国からの補給を受けたハスドルバルは金で兵力を増強し、軍を三つに分けてローマ軍に対抗する。カルタゴ一軍は自分が、二軍を末弟のマゴが、三軍を本国カルタゴから派遣されたギスコが指揮する。これにより、カルタゴはヒスパニアでの勢力を盛り返していった。そして、バエティス川の戦いで、コルネリウス軍から七千五百人のイベリア兵を寝返らせることに成功したのだった。
 ローマ軍を脱走したイベリア兵はカルタゴ軍の増援になってしまう。コルネリウスは直ちに追撃に出るが、イベリア兵が合流を果たしたのはヒスパニアのカルタゴ軍最強兵団であるヌミディア騎兵だった。この時、ヌミディア騎兵を率いていたのはヌミディアの王子マシニッサで、彼はイベリア兵を追ってくるローマ軍に対して不敵に笑い、味方に突撃命令を下した。
 王子マシニッサに率いられたヌミディア騎兵部隊の凄まじい突撃に、ローマ軍はまともに陣形を作ることができず、数の上では有利でも、乱戦になったことで個々の戦闘力が活かされる展開になる。個々が一騎当千のヌミディア騎兵が相手である。さらにローマ軍には強敵と戦う心構えがなかった。不意打ちとも言えるヌミディア騎兵の突撃に、ローマ軍はなすすべなく倒れていった。
 なんとか体制を整えたコルネリウスも、マゴ率いるカルタゴ軍が到着したことで、戦況はどうにもならないものになった。さらに、駆けつけたハスドルバル軍に退路を断たれては、ローマ軍の行く末は壊滅しかない。コルネリウスは懸命に剣を振るうが、もはや活路のない状況では生き残る術がなかった。
 この戦いでコルネリウスは戦死し、ローマ軍は木っ端みじんに粉砕された。正面から戦えば敗れることがなかったコルネリウスだっただけに、この出会い頭の戦いは彼にとってはまさに不運としか言いようがなかった。
 勝どきを挙げるカルタゴ軍は、その勢いのままに近くにいたグナエウス軍にも襲い掛かった。バルカ兄弟が率いる二軍に攻め立てられたグナエウス軍も善戦むなしく敗れ、兄も弟に遅れることこの世を去った。
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