古代ローマの英雄スキピオの物語〜歴史上最高の戦術家カルタゴの名将ハンニバル対ローマ史上最強の男〜本物の歴史ロマンを実感して下さい

秀策

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砂漠の勇者

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 ラエリウスは目の前の男を、砂漠の勇者と内心で形容した。男は長身の偉丈夫で、歳は自分よりも少し上か。精悍な顔には知的さも備えているように感じた。そして何よりも印象的だったのが、全てを見透かすような鋭い目だった。
「ローマ軍指揮官スキピオの代理でやってまいりました、ラエリウスと申します。この状況下で我々の申し出を受けて頂き、感謝しております」
 ラエリウスは慇懃に挨拶した。部屋には六人の男がいるが、ローマ人は自分一人しかいない。二人は自分のすぐ後ろに立ち、何かあればいつでも自分を羽交い絞めにできる体制だった。正面には表情からは何も読み取れない砂漠の勇者が佇み、その脇を二人の屈強そうな男が固めている。ラエリウスは丸腰だったが、男たちは皆剣を帯同していた。
 とても交渉できそうな雰囲気ではないな。ラエリウスは心の中でため息をついた。スキピオからこの話を受けたときは、可能性はあるかもしれないと思ったが、この場に立ってみると、やはり雲をつかむような話だったと考えを改めた。ただ、ラエリウスはスキピオを信じている。だからこそ命をかけて、この危険な任務を遂行したのだ。殺されるかもしれない。そう思一方で、この交渉を成功させて、スキピオの役に立ちたいという気持ちが強かった。
 砂漠の勇者はラエリウスからの挨拶に十分な間を置き、ようやく言葉を発した。
「マッシュリ王ガイアの息子マシニッサだ」
 和やかとは程遠い雰囲気だった。ラエリウスは硬い表情を崩すことなく、彼の次の言葉を待った。
「戦時に何故お越しか。我々は先日負けたかもしれぬが、未来においてどうなるかはわからぬこと。勝者スキピオ殿がよもや降伏の使者を遣わすことはあるまい。では、我らに降伏を勧めに来たのか」
 マシニッサの物言いは相手を突き放すように冷めていた。ローマ軍との戦いで多くの同胞を失っているのだから、その感情も理解できる。ラエリウスは全身から汗が噴き出すのを感じたが、表情は変えなかった。彼は主から任務を受けたときのことを思い出していた。

「ヌミディアの王子マシニッサがカディスにいるが、彼は準備ができ次第、部下を連れてアフリカに帰国するだろう。彼が帰国する前に話ができないだろうか」
 スキピオの話は唐突で、ラエリウスには主の真意がわからなかった。
「どういうことでしょうか」
「つまり、彼らを味方にできないかということだ」
 これにはラエリウスが思わず立ち上がった。
「ヌミディア騎兵を仲間に、ですか。彼らは旦那様の仇。彼らにいったいどれだけの仲間が殺されているのか、お忘れでしょうか。いえ、彼らが味方になるなど、考えられません」
 思わず大きな声を出すラエリウスを、スキピオは手で制し、
「ヌミディア騎兵はお金でカルタゴに雇われている。カルタゴのために戦っているわけではないはずだ。彼らは生活の糧を得るためにこの戦争に参加している。もちろん、これまでのカルタゴとの関係から、お金だけで動くことはないと思うが、場合によってはこちらに寝返ることも十分にあるのではないだろうか。ヒスパニアで彼らはカルタゴ軍として参戦して惨敗した。彼らにとって大切なのは勝つ方に味方するということではないだろうか。ローマ軍がヒスパニアで勝利を重ねた今なら、少なくとも彼らは交渉の場には立つのではないかと考えたんだ。どうだろうか」
 ラエリウスは腕組みをしてしばらく考えた後、
「マシニッサも大勢の部下を我々に殺されているんですよ。とても交渉になるとは思えません。そもそもなぜ、彼らを味方にしたいのでしょうか。彼らに親や兄弟を殺された者がローマ軍にはたくさんいます。もちろん、プブリウス様もその一人です。ローマ人なら誰だって彼らを殺したいほど憎んでいるんですよ。申しわけありませんが、理解できません」
 スキピオはゆっくりと手を動かし、ラエリウスに座るように促した。落ち着きなさいと言うことだ。
「私はこの長いローマとカルタゴとの戦争を終わらせるには、私がカルタゴ本国に行って戦い、勝つしかないと考えたんだ。ローマ領やヒスパニアでの戦いに勝っても、カルタゴは戦争を止めないだろう。それこそ、ローマが降伏しない限りはこの戦争は終わらない。カルタゴに戦争を止めさせるには、ローマ軍がカルタゴ本国を攻撃し、完全な敗北を認めさせなければならないのではいかと、私は考えたんだ。
 カルタゴに勝つには、ヌミディア騎兵をこちらに寝返らせることが必要だ。それしかないとさえ思っている。ハンニバルが示したように、戦いは騎兵戦力の有利不利で大きく傾く。もし、ヌミディア騎兵を我々が得たならば、味方の騎兵戦力が大幅に上がるだけでなく、敵の騎兵戦力が大幅に下がることになる。これこそが必勝ではないだろうか。
 調べによると、マシニッサは野蛮な男ではなく、知性に溢れているとも聞く。彼の本拠地であるヌミディアは統治争いで混迷としおり、彼が理に従ってくれればローマに味方する可能性があると思うんだ」
 父の仇でさえも、戦争が早く終わるのであれば受け入れると言うのか。ラエリウスは感銘を受けずにはいられない。主の考えは人智を超えており、本当に神の使いなのではないかと、ラエリウスは思った。
「ラエリウス、カディスにいるマシニッサと会い、私の意向を伝えて欲しい。敵の中に君を送り込むのは私だって嫌だが、この大事を頼めるのは君しかいないんだ。どうだろうか。行ってはくれないか。私はマシニッサの甥っ子を彼の元に帰している。そのことに彼が少しでも恩を感じてくれているなら、こちらからの使者を捕らえるようなことはしないと思う。彼は東ヌミディアの王子としての威厳を備えているようだから」
 元よりラエリウスはスキピオの頼みを断るようなことはしない。スキピオからこの場で死んでくれと命令されれば、彼は喜んで死ぬだろう。今の彼があるのは、スキピオ家のおかげなのだから。彼は主人に力強く頷き、
「お任せください」
 と、白い歯を見せた。
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