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終戦
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ウティカに帰還するローマ軍の元に、カルタゴから講和の使者が訪れた。講和に同意するかどうかは元老院や市民集会での承認が必要不可欠だが、戦線に立つ司令官には講和のための交渉権が認められている。カルタゴにはもう兵が残っておらず、ローマ軍が攻めれば陥落は容易である。ザマで敗れた時点で、カルタゴの命運はスキピオの手に握られていたと言える。
ここで講和の使者を追い返し、カルタゴを滅ぼすこともできた。しかし、スキピオはカルタゴの使者に、講和に向けた交渉を再開する旨を伝えた。
再びローマとカルタゴは休戦し、両者の間に講和会議が設けられらことになった。
講和会議当日、ローマ側の首席代表にはスキピオ、カルタゴ側の首席代表にはハンニバルが座った。ザマで戦った両雄は時を置かず、顔を突き合わすことになったのだ。ハンニバルは悪びれた様子もなく、かと言ってへつらうような態度もせず、感情を殺した事務的な対応に終始した。彼がどのような思いで交渉の場に出てきたのか、それを知る術をスキピオは持たなかった。以前に感じた畏怖はもう感じられなかった。むしろ、ハンニバルはカルタゴ使節団の中で最も講和に前向きな姿勢を見せた。傲慢なところがなく、敗戦の事実を受け止め、ローマ側の寛大な措置に感謝を述べる場面もあった。
スキピオの提示した講和の条件は、ザマの戦いの前に提示したものを基本とし、賠償金の増額とカルタゴの有力者らの子弟をローマに人質として送ること、ローマの許可なく戦争をしないという条項などが追加されたものであった。人質と言っても、これは言い方を変えれば留学のことであり、ローマで高い教育を受けた彼らは親ローマ派になって将来カルタゴで要職に就く。そうやってカルタゴとの関係を強固にするのである。戦争にローマの許可がいると言うのは、特にスキピオがこだわった部分であった。植民地政策によって発展してきたカルタゴに、政策の転換を強要したものだが、何よりも平和を願う彼らしい条項であった。
ローマの若い世代の中には、この講和条件に不満を抱く者も少なからずいた。彼らはカルタゴの滅亡とハンニバルの処刑を求めた。戦争の原因はカルタゴにあり、ハンニバルにあると主張し、その報いを受けさせると言うのである。しかし、スキピオは違った。彼はローマの同盟国となったカルタゴの復興には、ハンニバルの存在が必要だと考えていた。長きに渡ってローマと戦ってきたハンニバルだからこそ、もうローマとの戦争を始めはしないだろうと。そして、穏便に戦争を終結することで、恨みの連鎖を断ち切りたいという狙いもあった。
ハンニバルはローマ側が提示した条件を全面的に認めるとした。後は両国でこの条件が承認されれば、この戦争は終わりとなる。
ローマでは、元老院と市民集会でスキピオの講和条件があっさりと承認された。この時代のローマ人は誰よりも平和を願っていたと言える。多くの血を流し、多くの家族や友人を亡くしてきたローマやその同盟都市の人々にとって、戦争に終わりがくるとは想像もしなかったかもしれない。カルタゴをどうするかよりも、とにかく平和を享受したいという思いが強かったに違いない。そして、戦争を終わらせた英雄スキピオの策定に、従いたいと思う人も多かったのだろう。
一方、カルタゴはハンニバルを筆頭に一枚岩とはなかなかならなかった。ハンニバルは講和反対派に対して、講和条件の妥当性を根気よく説明しなければならなかった。勝者が敗者の全てを奪うことが権利とされてきたこの時代、スキピオの提示した講和条件は、ハンニバルからすればあり得ないぐらいの温情を感じたのではないだろうか。実際、ローマを裏切ったカプアやシュラクサイは自治権を奪われている。カルタゴがローマにしてきたことを考えれば、全てを奪われても不思議ではないだろう。
ハンニバルの説得もあり、カルタゴは最終的には提示された講和条件を全て承諾することになる。
ローマとカルタゴの講和成立を見届けたスキピオは、ローマに凱旋を果たした。イタリア中がスキピオに熱狂した。救国者スキピオはイタリアだけでなく、ヒスパニアやシキリアにも平和をもたらした。まさにスキピオは伝説の人となったのだ。
彼の帰途には多くの見物人が押し寄せた。皆が歓声を上げ、笑顔で手を振った。
スキピオはこのかつてない人々の歓迎と熱狂を見て、皆が望んでいるのはやはり平和だと確信する。この凱旋は、多くの死に触れて暗く沈んでいた彼の心を随分と和らげた。
「プブリウス様、感傷に浸るのは後にしてください。さあさあ手を振ってあげてください。あんなに子どもたちが手を振っていますよ」
ラエリウスの声は明るい。スキピオが手を挙げると、ひと際大きな歓声があがる。
「ラエリウス、私は間違っていなかったのだな」
ラエリウスは言葉が出ないようで、主人の目を見つめながら力強く頷く。
スキピオは前を見た。街道の両側で多くの人々が彼を待ち望んでいるのを。スキピオは隣で馬を並べるラエリウスの方を向き、照れ臭そうに微笑んだ。スキピオの瞳は、涙で潤んでいた。
ここで講和の使者を追い返し、カルタゴを滅ぼすこともできた。しかし、スキピオはカルタゴの使者に、講和に向けた交渉を再開する旨を伝えた。
再びローマとカルタゴは休戦し、両者の間に講和会議が設けられらことになった。
講和会議当日、ローマ側の首席代表にはスキピオ、カルタゴ側の首席代表にはハンニバルが座った。ザマで戦った両雄は時を置かず、顔を突き合わすことになったのだ。ハンニバルは悪びれた様子もなく、かと言ってへつらうような態度もせず、感情を殺した事務的な対応に終始した。彼がどのような思いで交渉の場に出てきたのか、それを知る術をスキピオは持たなかった。以前に感じた畏怖はもう感じられなかった。むしろ、ハンニバルはカルタゴ使節団の中で最も講和に前向きな姿勢を見せた。傲慢なところがなく、敗戦の事実を受け止め、ローマ側の寛大な措置に感謝を述べる場面もあった。
スキピオの提示した講和の条件は、ザマの戦いの前に提示したものを基本とし、賠償金の増額とカルタゴの有力者らの子弟をローマに人質として送ること、ローマの許可なく戦争をしないという条項などが追加されたものであった。人質と言っても、これは言い方を変えれば留学のことであり、ローマで高い教育を受けた彼らは親ローマ派になって将来カルタゴで要職に就く。そうやってカルタゴとの関係を強固にするのである。戦争にローマの許可がいると言うのは、特にスキピオがこだわった部分であった。植民地政策によって発展してきたカルタゴに、政策の転換を強要したものだが、何よりも平和を願う彼らしい条項であった。
ローマの若い世代の中には、この講和条件に不満を抱く者も少なからずいた。彼らはカルタゴの滅亡とハンニバルの処刑を求めた。戦争の原因はカルタゴにあり、ハンニバルにあると主張し、その報いを受けさせると言うのである。しかし、スキピオは違った。彼はローマの同盟国となったカルタゴの復興には、ハンニバルの存在が必要だと考えていた。長きに渡ってローマと戦ってきたハンニバルだからこそ、もうローマとの戦争を始めはしないだろうと。そして、穏便に戦争を終結することで、恨みの連鎖を断ち切りたいという狙いもあった。
ハンニバルはローマ側が提示した条件を全面的に認めるとした。後は両国でこの条件が承認されれば、この戦争は終わりとなる。
ローマでは、元老院と市民集会でスキピオの講和条件があっさりと承認された。この時代のローマ人は誰よりも平和を願っていたと言える。多くの血を流し、多くの家族や友人を亡くしてきたローマやその同盟都市の人々にとって、戦争に終わりがくるとは想像もしなかったかもしれない。カルタゴをどうするかよりも、とにかく平和を享受したいという思いが強かったに違いない。そして、戦争を終わらせた英雄スキピオの策定に、従いたいと思う人も多かったのだろう。
一方、カルタゴはハンニバルを筆頭に一枚岩とはなかなかならなかった。ハンニバルは講和反対派に対して、講和条件の妥当性を根気よく説明しなければならなかった。勝者が敗者の全てを奪うことが権利とされてきたこの時代、スキピオの提示した講和条件は、ハンニバルからすればあり得ないぐらいの温情を感じたのではないだろうか。実際、ローマを裏切ったカプアやシュラクサイは自治権を奪われている。カルタゴがローマにしてきたことを考えれば、全てを奪われても不思議ではないだろう。
ハンニバルの説得もあり、カルタゴは最終的には提示された講和条件を全て承諾することになる。
ローマとカルタゴの講和成立を見届けたスキピオは、ローマに凱旋を果たした。イタリア中がスキピオに熱狂した。救国者スキピオはイタリアだけでなく、ヒスパニアやシキリアにも平和をもたらした。まさにスキピオは伝説の人となったのだ。
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ラエリウスの声は明るい。スキピオが手を挙げると、ひと際大きな歓声があがる。
「ラエリウス、私は間違っていなかったのだな」
ラエリウスは言葉が出ないようで、主人の目を見つめながら力強く頷く。
スキピオは前を見た。街道の両側で多くの人々が彼を待ち望んでいるのを。スキピオは隣で馬を並べるラエリウスの方を向き、照れ臭そうに微笑んだ。スキピオの瞳は、涙で潤んでいた。
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