王国戦国物語

遠野 時松

文字の大きさ
73 / 148
本編前のエピソード

雲の行き先 11 リチレーヌ入国(上)

しおりを挟む
 初めて見る異国の地は、祖国と何ら変わり映えのしない、針葉樹に挟まれた馬車道だった。
 陸続きの元は同じ国なのだから変わり映えなどしない。と言われればそれまでだが、山の合間から遠くにちらりとだけ見えた、豆粒ほどの建物に自然と気持ちは昂った。
 この長い下り坂の先に、幼い頃から聞き及んだリチレーヌという国は確かにそこにある。
「これより長い下り坂だ。馬車に乗ってもいいぞ」
 その気持ちの昂りも、今は抑えなければならない。俺にはやらなければいけないことが山ほどある。
「お言葉はありがたいのですが、しばらく歩いて行っても良いですか?」
 下り坂は下り坂なりの操縦技術が求められる。場面場面での手綱捌きなどを、色々な角度から見てみたい。横に座ってしまうと同一方向からしか見ることしか出来なくなってしまう。
「お前がそれでいいのなら俺は構わんが、どうしたんだ?それは反省のつもりか?」
 もちろん自分への戒めも含まれているが、それについてはここでは言及しない。
「そうではなくて、皆の働く様子を間近で見て勉強しようと思いまして」
「それなら良いが、いつまでも尾を引く出来事ではないからな。なんなら忘れてしまえ」
「ありがとうございます。でも、本当に勉強のためですので」
 念を押したところで無駄であろう。ドロフが笑っているのが答えである。
 忘れようにも忘れられるはずがない。俺も、あの場所にチュウがいることを、アンセルニと同様に違和感を覚えた。しかし、それに対応する知識と経験の差があまりにも違いすぎた。アンセルニと同じ歳になった時に、同じ対応ができるか正直不安である。いや、今のままでは無理だろう。
 アンセルニに並びそして超えるために、今はひたすらに知識を深めていくしかない。
「そうか、それなら好きにすれば良い」
「わがままを言ってすみません」
 リュゼーと顔を向き合わせて話をしながらも、ドロフの手綱を捌く手は絶えず動いている。
 馬は坂を下るのが不得手と言われているが、ドロフの操る馬たちからはそれについては微塵も感じられない。馬には人並み以上に乗れるので、基本的な手綱捌きに関しては知識として持っている。それとドロフの手綱捌きとを照らし合わせるのだが、どうしても齟齬が生じてしまう。
 馬車の操作を体験できれば何かを掴むきっかけになるかもしれないが、現在運んでいる塩は庶民であれば一生口に出来ないほどの高級品である。おいそれと馬車の操縦をやらせてくれなど言えるはずない。
「勉強というなら他の馬車を見て回ったらどうだ?」
「それでは俺の務めが果たせなくなります」
「お前一人がいなくなったとして、困る事は何がある?話し相手がいなくなるぐらいが関の山だろ。そこまで俺は寂しがり屋じゃないぞ」
「えっ?そんなぁ…」
「冗談だ、冗談」
 さっさと見に行けと、ドロフは手を振る。
「何かあったら直ぐに戻ってきますので」
「おう、頼りにしてるぞー」
 軽さしかないドロフの言葉だが、優しさはしっかりと込められていた。
 先頭に向かうに連れて御者の技術や質が上がるのは理解しているが、素人目にもドロフは匠の域に達している。無理をしてまで先頭に行く必要はない。それに先頭付近には顔を合わせるのを躊躇ってしまう相手もいる。
「いつまでこの辺をふらついているんだ?さっさと先頭まで行ってこいよ」
「ドロフさんの腕前が先頭の方達と遜色ないのを知ってますので、あそこまで行く必要はないです」
「そんなこと言ったって話し相手には昇格させねえぞ。素直に言っちまえよ。本家なんてクソ食らえ!って思ってんだろ?」
「ドロフさん、やめて下さい。聞こえてしまいますよ」
 ドロフが次の言葉を発しようとしているので、リュゼーは慌ててその場を離れた。
 色々と見て回って分かったことがある。荷車に関しても、知らないことが多過ぎた。
 一例を挙げると、車軸に塗る油の量を調整して車輪を回り難くし、下り坂であっても荷車を馬に引かせるようにするのだが、その判断基準が全くもって分からない。急坂の際は、物理的に車輪を固定するのでやる事ははっきりとしているが、なだらかな坂でそれをやると馬に負担を強いるだけになり、下り坂なのに短い距離で馬の交換が必要になったり怪我の原因にもなる。
 重量や勾配のきつさである程度なら基準を学ぶことができるが、最終的な匙加減は経験がものを言うらしい。
 今も専門の従者が絶えず見回っている。
 大切なのはやはり知識と経験であり、残念ながら俺はそれを持ち合わせていない。
 ここでも知識と経験の差がリュゼーに重く伸し掛かる。
 可能ならば、昨夜のアンセルニが行ったであろう馬が動かなくなった時の対処方法を聞き出したいと願う。のほほんと、初めて訪れる国外を楽しみに心躍らせていた過去の愚かな自分が、憎くて憎くてしょうがない。
 今の実力では、馬車による単独での荷運びなど夢のまた夢でしかないだろう。
 気が付けば山の中腹を過ぎていた。
 山の傾斜も緩やかになり、断続的に続いていた葛折りの道も姿を消した。街道も川沿いの道となり、一団から緊張感が消え笑い声も聞こえ始めてきた。
「もういいのか?」
「はい、ありがとうございました」
「それなら横に乗るか?」
 試す様なドロフの視線に対し、笑顔で顔を振り返す。
「いえ、初めての異国の地は自分の足で歩いて行きたいです」
「ここは既にリチレーヌ領だがな」
「そうなのですね。それは知りませんでした」
 リュゼーは満遍の笑顔を浮かべる。
 ドロフから「人が変わったみたいだな」と笑われたが、リュゼー自身もその様に感じている。幕の中で一人、悶々と過ごした時間が影響しているのかもしれない。
 あの様な事は二度と経験するものか。これからは何物にも心を奪われない強い心を持ち、冷静沈着に物事を見極められる風になる。俺は生まれ変わるのだ。
 あの夜、一人で過ごした幕の中で誓いを立てた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

秘書と社長の秘密

廣瀬純七
大衆娯楽
社内の調査のため、社長・高橋健一はこっそり秘書・木村由紀と不思議なアプリで入れ替わることに。 突然“社長役”を任された由紀と、自由に動ける立場を手に入れた高橋。 ふたりの秘密の入れ替わり作戦は、どの様な結末になるのか?

処理中です...