80 / 148
本編前のエピソード
雲の行き先 18 夜道の馬車(上)
しおりを挟む
「見事な負けっぷりだったな」
ドロフはリュゼーに話し掛ける。
「褒めていただき、感謝します」
そう答えたリュゼーの手には、馬車の手綱が握られている。
ボウエーンからデポネルへの道は馬車のすれ違いが容易にできるほど広いので、夜間の操縦訓練としてリュゼー自ら願い出た。荷はお近付きの品程度のもので、高級品については違う馬車に積まれている。
「離れ始めてるぞ」
「はい」
リュゼーは鞭を軽く打つ。
「あそこまで物事を知らぬ愚者を演じきれるとは、実に見事。礼儀作法の一つも知らずに粗相ばかりしているのに、それが良しとされることなど滅多にない」
「ありがとうございます」
ある程度リュゼーが夜間の操縦に慣れてくると、ドロフから「ヘヒュニと似た者とこの先出会った際に迷わず上手く対応するため、会話の訓練を始める」と言われた。
操縦技術と共に、ドロフにとっての『道中の暇つぶし』として、会話の指導も同時に受けている。
「あれは、本当にものを知らぬやつにしか出来ない行いであった。お前に演技の才があるとは知らず、誠に恐れ入った」
「私の才ではありません。師の教えの賜物です」
先ほどの会での出来事だが、ドロフから声が掛けられた後に、リュゼーにだけ届く程度の小声で「阿呆に対しては、己がアホになれ。愚者を演じて満足させてやれば良い」と近くの者から助言が為された。別の者から「ディレク様から再び無知を詫びる言葉が出てたら、少し反抗的な態度を取れ」と聞こえ、「それは良い。高い鼻をへし折った方が、初めから媚びへつらう者を小馬鹿にするより快感が増すだろう」と別の声が続いた。
「ほう、お前には師がいるのか?」
「はい。大変心お優しいお方で、わたくしが困っていると真っ先に声を掛けてくださり、他の方が助言しやすい雰囲気を作ってくださいました」
相手が見ず知らずの見習いならばどう声をかければ良いか躊躇ってしまうが、ドロフが面倒を見ていることが分かれば声を掛けやすくなる。
「良い師がいるものだな」
「はい、出会に感謝しております」
「あの演技も師からか?」
「その通りです。人をたらしめる術を師から教わりました。ところが、この私の物覚えが悪いせいか、弟子などいないと申していて困っています」
「そうなのだな、それは大変な思いをしている。その件については手助けできぬが、頑張れ」
「はい、ありがとうございます」
ドロフの素っ気無い態度には理由がある。
荷台がガタンと揺れる。
「馬ばかり見るな、先を見ないと突然の障害物に気が付かないぞ」
「はい」
道に不案内なエルメウス家のために所々道を照らす松明が設置されているが、間隔が広いため照らされていない箇所の方が多い。馬車にも灯りが取り付けられているが、光量が弱く自然と視線が近くなってしまう。
慎重な面持ちのリュゼーを他所に、ドロフは再び話を振る。
「あれほどの物知らずに色々と物事を教えられたのだ、よほど気持ちよかったのだろう。今こうしてここにいられるのも、お前のお陰だろうな」
不満を体全体で表して、ドロフはリュゼーの事を見つめる。当初はその視線が気になってしょうがなかったリュゼーだが、今では慣れたものとなり、上手く逸らしながら手綱を慎重に捌いている。
「お喜びいただいているようで、なによりです」
前を向いたまま、リュゼーはそっけなくお礼を述べる。
会が終わるとリュゼーの元に「お前も晩餐会に参加せよ」との知らせが届く。荷馬車の横に乗って向かうことになり、それならばと、道中を共にしてきたドロフが呼ばれる。その際、ドロフは晩餐会の参加を回避するため「急遽決まったことなので、馬車を運転する予定だった者に確認をとってほしい」と、願い出るのだが、その者はわざわざその場まで来て「高貴な方とお近付きになれる機会であったが、辞退させて頂く」と言い、「頼んだぞ」と力強くドロフの肩に手を置いた。それから人目を憚らず「ありがとうな」とリュゼーの手を握った。
「あの方とは仲が良いのですか?」
「まあな」
迷惑をかけて申し訳ないという気持ちから、厳しい言葉に対しても初めの方はきちんと対応をしていた。途中から訓練に託けて不平不満を言っているだけだと気が付いてからは、世間話を挟みながら続けている。
「会でお前に声をかけた者の一人だ」
「そうだったのですね。お礼を言い忘れてしまいました」
「知らなかったのか?失礼のない様に、乗せてもらう御者のことを事前に調べるぐらいは、教えてもらわずともやるだろ。周りの者は聞かれなければ知ってるものと判断するから、特に何も言わないぞ。見習いの身分で、何から何までやってもらおう、などと考えるなよ」
先ほどから自分の至らない箇所を、鋭利な言葉で切り裂かれる。切れ味が良すぎるため、毎回言葉を詰まらせてしまう。
「ヘヒュニさまの様な方が、この様なことを話されますでしょうか?」
これぐらいしか返せない。
「あの手の者が、こういった話などするわけないだろ。お前は本当にものを知らないやつだな」
「先ほどから同じ様な言葉しか出てこないことを考えますに、数ある表現方法を忘れるほど感動なされたのだと感じ、大変嬉しく思います」
「物事を知らぬやつに難しい言葉を使っても、しっかり伝わるかどうか不安だからな。簡単な言葉を使うのが当然の礼儀だろう」
「ありがとうございます」
これは訓練なのだろうか。
上手く返したつもりでも、簡単に返されてしまう。
ドロフはリュゼーに話し掛ける。
「褒めていただき、感謝します」
そう答えたリュゼーの手には、馬車の手綱が握られている。
ボウエーンからデポネルへの道は馬車のすれ違いが容易にできるほど広いので、夜間の操縦訓練としてリュゼー自ら願い出た。荷はお近付きの品程度のもので、高級品については違う馬車に積まれている。
「離れ始めてるぞ」
「はい」
リュゼーは鞭を軽く打つ。
「あそこまで物事を知らぬ愚者を演じきれるとは、実に見事。礼儀作法の一つも知らずに粗相ばかりしているのに、それが良しとされることなど滅多にない」
「ありがとうございます」
ある程度リュゼーが夜間の操縦に慣れてくると、ドロフから「ヘヒュニと似た者とこの先出会った際に迷わず上手く対応するため、会話の訓練を始める」と言われた。
操縦技術と共に、ドロフにとっての『道中の暇つぶし』として、会話の指導も同時に受けている。
「あれは、本当にものを知らぬやつにしか出来ない行いであった。お前に演技の才があるとは知らず、誠に恐れ入った」
「私の才ではありません。師の教えの賜物です」
先ほどの会での出来事だが、ドロフから声が掛けられた後に、リュゼーにだけ届く程度の小声で「阿呆に対しては、己がアホになれ。愚者を演じて満足させてやれば良い」と近くの者から助言が為された。別の者から「ディレク様から再び無知を詫びる言葉が出てたら、少し反抗的な態度を取れ」と聞こえ、「それは良い。高い鼻をへし折った方が、初めから媚びへつらう者を小馬鹿にするより快感が増すだろう」と別の声が続いた。
「ほう、お前には師がいるのか?」
「はい。大変心お優しいお方で、わたくしが困っていると真っ先に声を掛けてくださり、他の方が助言しやすい雰囲気を作ってくださいました」
相手が見ず知らずの見習いならばどう声をかければ良いか躊躇ってしまうが、ドロフが面倒を見ていることが分かれば声を掛けやすくなる。
「良い師がいるものだな」
「はい、出会に感謝しております」
「あの演技も師からか?」
「その通りです。人をたらしめる術を師から教わりました。ところが、この私の物覚えが悪いせいか、弟子などいないと申していて困っています」
「そうなのだな、それは大変な思いをしている。その件については手助けできぬが、頑張れ」
「はい、ありがとうございます」
ドロフの素っ気無い態度には理由がある。
荷台がガタンと揺れる。
「馬ばかり見るな、先を見ないと突然の障害物に気が付かないぞ」
「はい」
道に不案内なエルメウス家のために所々道を照らす松明が設置されているが、間隔が広いため照らされていない箇所の方が多い。馬車にも灯りが取り付けられているが、光量が弱く自然と視線が近くなってしまう。
慎重な面持ちのリュゼーを他所に、ドロフは再び話を振る。
「あれほどの物知らずに色々と物事を教えられたのだ、よほど気持ちよかったのだろう。今こうしてここにいられるのも、お前のお陰だろうな」
不満を体全体で表して、ドロフはリュゼーの事を見つめる。当初はその視線が気になってしょうがなかったリュゼーだが、今では慣れたものとなり、上手く逸らしながら手綱を慎重に捌いている。
「お喜びいただいているようで、なによりです」
前を向いたまま、リュゼーはそっけなくお礼を述べる。
会が終わるとリュゼーの元に「お前も晩餐会に参加せよ」との知らせが届く。荷馬車の横に乗って向かうことになり、それならばと、道中を共にしてきたドロフが呼ばれる。その際、ドロフは晩餐会の参加を回避するため「急遽決まったことなので、馬車を運転する予定だった者に確認をとってほしい」と、願い出るのだが、その者はわざわざその場まで来て「高貴な方とお近付きになれる機会であったが、辞退させて頂く」と言い、「頼んだぞ」と力強くドロフの肩に手を置いた。それから人目を憚らず「ありがとうな」とリュゼーの手を握った。
「あの方とは仲が良いのですか?」
「まあな」
迷惑をかけて申し訳ないという気持ちから、厳しい言葉に対しても初めの方はきちんと対応をしていた。途中から訓練に託けて不平不満を言っているだけだと気が付いてからは、世間話を挟みながら続けている。
「会でお前に声をかけた者の一人だ」
「そうだったのですね。お礼を言い忘れてしまいました」
「知らなかったのか?失礼のない様に、乗せてもらう御者のことを事前に調べるぐらいは、教えてもらわずともやるだろ。周りの者は聞かれなければ知ってるものと判断するから、特に何も言わないぞ。見習いの身分で、何から何までやってもらおう、などと考えるなよ」
先ほどから自分の至らない箇所を、鋭利な言葉で切り裂かれる。切れ味が良すぎるため、毎回言葉を詰まらせてしまう。
「ヘヒュニさまの様な方が、この様なことを話されますでしょうか?」
これぐらいしか返せない。
「あの手の者が、こういった話などするわけないだろ。お前は本当にものを知らないやつだな」
「先ほどから同じ様な言葉しか出てこないことを考えますに、数ある表現方法を忘れるほど感動なされたのだと感じ、大変嬉しく思います」
「物事を知らぬやつに難しい言葉を使っても、しっかり伝わるかどうか不安だからな。簡単な言葉を使うのが当然の礼儀だろう」
「ありがとうございます」
これは訓練なのだろうか。
上手く返したつもりでも、簡単に返されてしまう。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
秘書と社長の秘密
廣瀬純七
大衆娯楽
社内の調査のため、社長・高橋健一はこっそり秘書・木村由紀と不思議なアプリで入れ替わることに。
突然“社長役”を任された由紀と、自由に動ける立場を手に入れた高橋。
ふたりの秘密の入れ替わり作戦は、どの様な結末になるのか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる