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本編前のエピソード
雲の行き先 19 夜道の馬車(中)
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「お聞きしたいことがあるのですが、よろしいですか?」
このままだと初めて経験する夜間での馬車の操縦と、ドロフとの問答でこちらの心が持たない。到着時に開かれた会での出来事で気になったことについて話を振り、問答だけでも回避することを試みた。
「なんだ?」
「ありがとうございます。なぜヘヒュニはあの様な態度をとったのでしょうか?」
「どういうことだ?」
「あのように他者を貶めるようなことをして何になるのでしょう。仮にもこちらは隣国からの特使という立場です。そのような者に対しての扱いではないように思えるのですが」
「知らん。お前はヘヒュニに気に入られているのだから、直接聞けば良いではないか」
未だ、晩餐会に参加しなければならなくなったのが不満で仕方ないのだろう。
にべもない態度に心が折れそうになるが、ここで引いてしまっては再びあの問答が始まってしまう。
「王族やエルメウス家の当主ではないにしても、ディレク様は親書を携えた歴とした方です。その様な人物に対して敬意を払っているとは思えません」
「あの態度を見れば、誰もがその様に考えるのが普通だろうな」
この話し振りから察するに、先ほどドロフの言った「知らん」は知っていることの裏返しだろう。
それにしてもあれは本当に不快だった。ディレク様でなければどうなっていたか、考えただけでも恐ろしい。
「こちらを試すなどと平然と言い退けたりして、何を考えているのかさっぱり分かりません」
「お前はどう思う?」
「こちらを下に見ているとしか思えません」
「分かっているではないか。その通りだ」
こちらからの問いかけに少なからず答えてもらえるようになったが、真面目に答える気がないらしい。
「冗談はやめてください。こちらは真剣に聞いているのです」
「冗談ではない。あいつはそのように考えているのだ」
冗談ではないとはどういうことだ。
「またまた、その様なことがあるわけないではありませんか」
「あるもないも言うのであれば、それ以外に何があるというのだ?」
しばらく考えてみたが、やはりそれ以外は思い付かない。
「ドロフさんの言ったことが冗談ではないとして、それをしたところでこちらの反感を買うだけではないですか。その様なことをする意味が分かりません」
「それはお前の意見だろ。反感を買ったところでそれを気にする必要のない相手だと、我らエルメウス家が思われていたとしたらどうだ?」
ヘヒュニはリチレーヌの要職を担う人物だ。そんなことはあるはずがない。百歩譲って、自国民や自分の配下にならその様な態度を取るのならば理解できる。しかしエルメウス家は他国の名家であり、この度の外交の主役だ。そんなことがあっては一大事になりかねない。
この会話は街の酒場での出来事を話しているわけではない。言わば国と国との話だ。
「それこそこちらを下に見ている証拠ではないですか」
「そうだ。さっきからそう言っているではないか」
言葉は丁寧だか口調が強い。未だに腹を立てているに違いない。しかし、真実なのか冗談を冗談じゃないとして不平不満の捌け口にしているのか、その真意が読めないためこのまま話を続けていく他はない。
「敵国相手ならいざ知らず、兄弟国と言われている国からの使者ですよ。信じられません。それに、憎しみの種を蒔き続けたらそれが膨らみ続けていずれ戦へと繋がってしまう、というのは考えたら分かりそうなものですが、その様な考えはないというのですか?」
「長年培われた慣習というのは恐ろしいものでな、不確かなものであってもそれが続くと当然のものとなっていく。相手を格下扱いしても、どれだけ酷いことをしても相手が殴ってこなければ、そういうものだと勘違いをしてしまう。人というのは愚かなものだな」
なんとも酷い話である。
「それだと、こちら側としたら殴られ損ではないですか」
「現状ではそうだろうな。ところが世の中とは面白いものでな、あいつは会で何を気にしていた?」
ディレクとヘヒュニのやり取りを思い出す。
「婚礼ですか?」
「そうだ。良く気が付いたな」
ドロフの口調が和らいだ。
「両国における名家同士の婚約ならば、益々絆が深まって喜ばしいことではないですか。それを気にするのは当たり前じゃないですか?」
「喜んでいる感じだったか?」
ヘヒュニは苦々しい顔をして、ゲーランド様のことを悪く言っていた。
「いえ、違います。その様な感情は一切感じられませんでした」
「だよな、都合が悪そうだったよな」
「はい。侵略の危険性がさらに低くなるため増長しそうですが、逆の態度でした。言われてみればおかしいですね」
「これは馬車でも話をしたな。奴らは何を以てその様に考えるのか不思議かもしれんが、侵略について微塵も気にしていないのだ」
再びドロフの口調が変わる。
「気にしていないのですか?」
「人間とは全く愚かなものだな」
前の言葉と同じ口調だ。
怒りというより、呆れているというのが合っている。
「だとすると何を気にしているのですか?ヘヒュニがもう一つ他に気にしていた、力関係が変わるということですか?」
「その通りだ」
「武力ではないとすると残された力というのは何があるのでしょうか?」
ドロフは、遠くに見える街の明かりに向かって顎をしゃくる。
夜だというのに煌々と光り輝いている。エルメウス家が拠点としている、貿易の街マルセールに引けを取らない街並み景観だ。
「富…、いや、穀物ですか?」
山の上から見た、黄金色に輝く景色を思い出した。
マルセールでは広大な海からもたらされる塩が富をもたらすが、デポネルでは肥沃な土地から生み出されるものが金にも銀にも変わり、あの街を光り輝かせている。
「おっ、調子が出てきたではないか。その通りだ。穀倉地帯からエルドレへ物資を運ぶ際に連山を迂回する必要があるが、海岸方面から迂回するより俺たちが通ってきた街道を使用した方が効率が良い。そのため今まではこの街にものが集まってきた。しかしエルメウス家との関係が深まれば海運が発達し、ローレイ・ローライ両港にものが集まる可能性が高くなる。そうなるとこの街は繁栄の拠り所を失うことになる。そうなるとどうなる?」
「富が集中しリチレーヌにおいて確固たる地位を確立していたものが揺らごうとしている、という訳ですね。それなら尚更友好的な態度を示す方が得策ではないですか?」
「人というのは呆れるほど愚かなものなのだ。今まで誰に対してもああいう態度しか取ってこなかった者は、すぐに変えることなどできない。下手に出ることなど、あいつらの自尊心が許さなぬからな」
「そういうものなのですね」
「エルメウス家内では考えられぬことだがな」
他者を尊重する傾向があるエルドレだが、特に船乗りは仲間を大切にし調和を重んじる。理由は簡単だ。殺意を抱くほどの恨みを買ってしまうと、そいつの人生は簡単に終わってしまう。誰も見ていないところでそいつを海に突き落としてしまえば、転落一名と書き記されるだけになってしまうからだ。
「初めてあの様な人物を目の当たりにしました」
「エルドレにもああいった者はちらほらといるが、あそこまでいくのは稀だな」
力あるものが驕り高ぶることはあるが、あそこまで肥大した自我を表に出す者を見たことがない。
「何が奴らをそうさせているんですか?」
「あいつらは俺たちのことを番犬程度にしか思っておらん」
「酷い言い草ですね」
リュゼーは苦笑いを浮かべる。
「ヘヒュニだけではない、貴族の関係者どもの態度を見たであろう。刃向かわせないために躾をしている、とでも思っているのではないか」
「それも何だか腹が立ちますね」
「そうだろう?普通はそう思うよな。誰だってそう思うよな」
「そうですね」
「やっぱりそうだよな」
「はい。それよりどうしたんですか、急にそんな悪い顔をして」
ドロフの不敵な笑顔を、馬車に取り付けられた灯りが照らす。
このままだと初めて経験する夜間での馬車の操縦と、ドロフとの問答でこちらの心が持たない。到着時に開かれた会での出来事で気になったことについて話を振り、問答だけでも回避することを試みた。
「なんだ?」
「ありがとうございます。なぜヘヒュニはあの様な態度をとったのでしょうか?」
「どういうことだ?」
「あのように他者を貶めるようなことをして何になるのでしょう。仮にもこちらは隣国からの特使という立場です。そのような者に対しての扱いではないように思えるのですが」
「知らん。お前はヘヒュニに気に入られているのだから、直接聞けば良いではないか」
未だ、晩餐会に参加しなければならなくなったのが不満で仕方ないのだろう。
にべもない態度に心が折れそうになるが、ここで引いてしまっては再びあの問答が始まってしまう。
「王族やエルメウス家の当主ではないにしても、ディレク様は親書を携えた歴とした方です。その様な人物に対して敬意を払っているとは思えません」
「あの態度を見れば、誰もがその様に考えるのが普通だろうな」
この話し振りから察するに、先ほどドロフの言った「知らん」は知っていることの裏返しだろう。
それにしてもあれは本当に不快だった。ディレク様でなければどうなっていたか、考えただけでも恐ろしい。
「こちらを試すなどと平然と言い退けたりして、何を考えているのかさっぱり分かりません」
「お前はどう思う?」
「こちらを下に見ているとしか思えません」
「分かっているではないか。その通りだ」
こちらからの問いかけに少なからず答えてもらえるようになったが、真面目に答える気がないらしい。
「冗談はやめてください。こちらは真剣に聞いているのです」
「冗談ではない。あいつはそのように考えているのだ」
冗談ではないとはどういうことだ。
「またまた、その様なことがあるわけないではありませんか」
「あるもないも言うのであれば、それ以外に何があるというのだ?」
しばらく考えてみたが、やはりそれ以外は思い付かない。
「ドロフさんの言ったことが冗談ではないとして、それをしたところでこちらの反感を買うだけではないですか。その様なことをする意味が分かりません」
「それはお前の意見だろ。反感を買ったところでそれを気にする必要のない相手だと、我らエルメウス家が思われていたとしたらどうだ?」
ヘヒュニはリチレーヌの要職を担う人物だ。そんなことはあるはずがない。百歩譲って、自国民や自分の配下にならその様な態度を取るのならば理解できる。しかしエルメウス家は他国の名家であり、この度の外交の主役だ。そんなことがあっては一大事になりかねない。
この会話は街の酒場での出来事を話しているわけではない。言わば国と国との話だ。
「それこそこちらを下に見ている証拠ではないですか」
「そうだ。さっきからそう言っているではないか」
言葉は丁寧だか口調が強い。未だに腹を立てているに違いない。しかし、真実なのか冗談を冗談じゃないとして不平不満の捌け口にしているのか、その真意が読めないためこのまま話を続けていく他はない。
「敵国相手ならいざ知らず、兄弟国と言われている国からの使者ですよ。信じられません。それに、憎しみの種を蒔き続けたらそれが膨らみ続けていずれ戦へと繋がってしまう、というのは考えたら分かりそうなものですが、その様な考えはないというのですか?」
「長年培われた慣習というのは恐ろしいものでな、不確かなものであってもそれが続くと当然のものとなっていく。相手を格下扱いしても、どれだけ酷いことをしても相手が殴ってこなければ、そういうものだと勘違いをしてしまう。人というのは愚かなものだな」
なんとも酷い話である。
「それだと、こちら側としたら殴られ損ではないですか」
「現状ではそうだろうな。ところが世の中とは面白いものでな、あいつは会で何を気にしていた?」
ディレクとヘヒュニのやり取りを思い出す。
「婚礼ですか?」
「そうだ。良く気が付いたな」
ドロフの口調が和らいだ。
「両国における名家同士の婚約ならば、益々絆が深まって喜ばしいことではないですか。それを気にするのは当たり前じゃないですか?」
「喜んでいる感じだったか?」
ヘヒュニは苦々しい顔をして、ゲーランド様のことを悪く言っていた。
「いえ、違います。その様な感情は一切感じられませんでした」
「だよな、都合が悪そうだったよな」
「はい。侵略の危険性がさらに低くなるため増長しそうですが、逆の態度でした。言われてみればおかしいですね」
「これは馬車でも話をしたな。奴らは何を以てその様に考えるのか不思議かもしれんが、侵略について微塵も気にしていないのだ」
再びドロフの口調が変わる。
「気にしていないのですか?」
「人間とは全く愚かなものだな」
前の言葉と同じ口調だ。
怒りというより、呆れているというのが合っている。
「だとすると何を気にしているのですか?ヘヒュニがもう一つ他に気にしていた、力関係が変わるということですか?」
「その通りだ」
「武力ではないとすると残された力というのは何があるのでしょうか?」
ドロフは、遠くに見える街の明かりに向かって顎をしゃくる。
夜だというのに煌々と光り輝いている。エルメウス家が拠点としている、貿易の街マルセールに引けを取らない街並み景観だ。
「富…、いや、穀物ですか?」
山の上から見た、黄金色に輝く景色を思い出した。
マルセールでは広大な海からもたらされる塩が富をもたらすが、デポネルでは肥沃な土地から生み出されるものが金にも銀にも変わり、あの街を光り輝かせている。
「おっ、調子が出てきたではないか。その通りだ。穀倉地帯からエルドレへ物資を運ぶ際に連山を迂回する必要があるが、海岸方面から迂回するより俺たちが通ってきた街道を使用した方が効率が良い。そのため今まではこの街にものが集まってきた。しかしエルメウス家との関係が深まれば海運が発達し、ローレイ・ローライ両港にものが集まる可能性が高くなる。そうなるとこの街は繁栄の拠り所を失うことになる。そうなるとどうなる?」
「富が集中しリチレーヌにおいて確固たる地位を確立していたものが揺らごうとしている、という訳ですね。それなら尚更友好的な態度を示す方が得策ではないですか?」
「人というのは呆れるほど愚かなものなのだ。今まで誰に対してもああいう態度しか取ってこなかった者は、すぐに変えることなどできない。下手に出ることなど、あいつらの自尊心が許さなぬからな」
「そういうものなのですね」
「エルメウス家内では考えられぬことだがな」
他者を尊重する傾向があるエルドレだが、特に船乗りは仲間を大切にし調和を重んじる。理由は簡単だ。殺意を抱くほどの恨みを買ってしまうと、そいつの人生は簡単に終わってしまう。誰も見ていないところでそいつを海に突き落としてしまえば、転落一名と書き記されるだけになってしまうからだ。
「初めてあの様な人物を目の当たりにしました」
「エルドレにもああいった者はちらほらといるが、あそこまでいくのは稀だな」
力あるものが驕り高ぶることはあるが、あそこまで肥大した自我を表に出す者を見たことがない。
「何が奴らをそうさせているんですか?」
「あいつらは俺たちのことを番犬程度にしか思っておらん」
「酷い言い草ですね」
リュゼーは苦笑いを浮かべる。
「ヘヒュニだけではない、貴族の関係者どもの態度を見たであろう。刃向かわせないために躾をしている、とでも思っているのではないか」
「それも何だか腹が立ちますね」
「そうだろう?普通はそう思うよな。誰だってそう思うよな」
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