王国戦国物語

遠野 時松

文字の大きさ
99 / 148
本編前のエピソード

雲の行き先 37 チャントール翁 上

しおりを挟む
 口の中を酸味の強い果実水で洗い流す。
「市場ではあり得ない大盤振る舞いの、見たことのない驚きの安さなんだぞ。これを成立させられなければ、一生、笑ってやるからな」
 ドロフは笑う。
 あれほどの品にこの値を言われて、首を縦に振らぬ人はいない。そんな失敗をすれば末代まで笑われる。これは、『緊張するな』と、いつもの歪んだ優しさで言ってくれているのだと思うようにする。
「はい」リュゼーは身を整える。「理解しています」
 これは外交、大切なのはその次だ。昔は同じ国で同盟国、ということに惑わされていたのは自分だ。いくら可愛い我が子であっても、いつまでも手が付けられなければ、親からも愛想を尽かされてしまう。エルメウス家と付き合うと利があるんだなと、相手に思わせなければいけない。
 会話の中で確実に、値段以上の価値を家に付けなければいけない。それが出来てこそ、師からも認められる。
「どうやって近付くつもりだ?」
「お孫さんの話でいこうと思っています」
 ドロフは少しだけ仰反る。
「小細工なしだから笑ってしまいそうになったぞ、大丈夫なのか?」
「はい。先ほどから見ていますと、チャントールを攻略するためには酒が必要です。酒を飲み交わす人は長く居座り、飲めぬ人は直ぐに移動します。そのためなのか、エルメウス家の人たちは誰一人として長くいません。私は歳的にも酒が飲めません。そのために、長く居続けられるのではないでしょうか」
 ドロフは笑う。
「当たり前だと言いたいが、時間がない。次を聞こう」
「話の流れで、そのまま品を勧めます。短期決戦で行こうかと思います」
 ヘヒュニのこともある。なるべくなら、こちらは早く済ませたい。
「随分とした自信だが、大丈夫なのか?」
「はい」
 リュゼーは力強く頷く。
「探っているうちに気が付いたと、自ら願い出たのだ。大丈夫なのだろう。それならば、向かうとするか」
「お願いします」
 二人は歩き出す。



 挨拶を交わす人の流れに乗って、どうにかチャントールの近くまでは辿り着いた。自然、不自然ではなく、テーブルのこちら側なら、誰でも話をできる雰囲気になっている。
「チャントール様、エルメウス家のリュゼーです」
「わざわざ私の名前まで、チャントールです」
 チャントールは顔を赤らめて、リュゼーの杯に果実水を注ぐ。
「確か貴方は、先ほどロシリオ様と話をしておられたな」
「こちらこそ、覚えていただきありがとうございます」
「お若そうなのにしっかりとしている」
 リュゼーは、「ありがとうございます」と、酒瓶を手に取る。
「おうおう、これはこれは、ありがたい」
 チャントールは嬉しそうに、リュゼーからの酌を受ける
「私は酒を飲む時、注ぎつ注がれるというのが好きでしてな。エルメウス家の人は、酒は駄目と言う人が多くて、寂しい思いをしていたところだ」
「祝い事には、酒が欠かせないですからね」
「若いのにそう思うか?」
「はい。私は飲みませんが、楽しそうな顔で話をする姿を見るのは好きです。大好きな爺さまの周りに集まる人は皆、皆さまみたいな顔をしておりました」
 チャントールは、幼な子の話を聞くように笑顔を浮かべながら、小さく何度か頷く。
「爺さまがいるのか?」
「はい。酒を飲む爺さまの膝に座って、若い頃の話を聞くのが好きでした」
「ほお、若い頃の話とな?」
「何の変哲もない、爺さまが若い頃に経験した出来事の話です。ですが、その日に遊びに行ったような、不思議な感覚を覚えています」
「私も、小さい頃はそうだったなあ」
 チャントールは、感慨深く杯に口を付ける。
「可愛いお孫さんに、昔話を聞かせるのも良いのでは?」
 隣の男がチャントールに酒を注ぐ。
「お孫さんがいるのですか?」
「生まれたばかりで、まだ話をしなんだがな」
 リュゼーの言葉にチャントールは、嬉しそうに酒を飲む。
 よし、この言葉が出た。これで十中八九、成功だ。
 リュゼーはちらりとドロフの顔を見る。ドロフは口元で僅かに笑い、小さく肯く。
「それは、喜ばしく存じます」
 リュゼーは話を続ける。
 しかし、チャントールの笑顔を見ると、本当に喜ばしく思う。
 先ずは成功といったところか。ここからどうやって品に結び付けるかが難しい、悩みどころだ。しかし助けは無い。先ほどの態度は、自分で考えろとのことからだろう。
「そちらとゲーランド様とで、縁談が結ばれたとお聞きしましたが」
 リュゼーの隣にいる男が話しかけてくる。
「その通りです」
 リュゼーは隣の男に酒を注ぐ。
 その男は、酒を飲むか? と仕草で聞いてきてが、リュゼーは杯の上に手を添える。男は気にするなと、手を振る。リュゼーは頭を下げて、謝意を伝える。
 話題は逸れてしまったが、婚約の話ならば挽回できる範囲ではある。
「素晴らしいお人が、リチレーヌを離れてしまうな」
 顔を赤らめた別の男が言葉を漏らす。
「そうだな。リチレーヌにとって大きな損害だ」
 先ほどから、リュゼーが酒を飲まないのを不服に思っている節がある男が、酒を注ぎながらそれに賛同する。その男は、リュゼーの顔と手に持つ杯に目をやると、ぶっきらぼうに、酒瓶をテーブルに置く。
「申し訳ありません、私はエルドレでも酒が飲める歳では無いのです。お許し下さい」
 リュゼーが酒瓶を差し出すと、「酒を飲まない者に注がれてもなあ」と、杯を差し出すのを渋る。
「これ、これ」
 チャントールが間へ入る。
 男はふんと鼻を鳴らし、渋々ながら杯を差し出す。
「ありがとうございます」
 リュゼーは、酒を注いだ後もその場に居据わる杯に、果実水が入った自分の杯を合わせる。男はその後、つまらなそうに口を付ける。
 リュゼーは再びドロフを見るが、ドロフからの返事は何もない。
「お酒とはそういうものなのですか?」
「何がだ?」
 男は答える。
「笑ったり、泣いたり、怒ったりと、不思議なものだなと思いまして」
「飲めば分かる」
 男はそう言うと、杯を呷る。リュゼーが酒瓶を差し出すと、今度は素直に受けてくれた。
 見る限り人は良さそうだ。そうなると益々、酒というのは不思議なものだと思う。それと酒に関してもう一つ言えば、エルメウス家の人たちは、気付いたうえで酒を注がなかったのだ。担当する者以外のところで、この様に不必要に嫌われる必要はないと、分かっていたのだ。浅はかな自分の考えに、我ながら呆れてしまう。しかし、この場に居続けることは可能になったのではないか。
 一度離れてしまった話題を元に戻すにはどうすれば良いか、リュゼーはその糸口を探す。
 ドロフに目を向けると、挑発する様な顔を浮かべて、一回だけ小さく首を振っただけだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

ハズレ職業の料理人で始まった俺のVR冒険記、気づけば最強アタッカーに!ついでに、女の子とVチューバー始めました

グミ食べたい
ファンタジー
現実に疲れた俺が辿り着いたのは、自由度抜群のVRMMORPG『アナザーワールド・オンライン』。 選んだ職業は“料理人”。 だがそれは、戦闘とは無縁の完全な負け組職業だった。 地味な日々の中、レベル上げ中にネームドモンスター「猛き猪」が出現。 勝てないと判断したアタッカーはログアウトし、残されたのは三人だけ。 熊型獣人のタンク、ヒーラー、そして非戦闘職の俺。 絶体絶命の状況で包丁を構えた瞬間――料理スキルが覚醒し、常識外のダメージを叩き出す! そこから始まる、料理人の大逆転。 ギルド設立、仲間との出会い、意外な秘密、そしてVチューバーとしての活動。 リアルでは無職、ゲームでは負け組。 そんな男が奇跡を起こしていくVRMMO物語。

勇者パーティのサポートをする代わりに姉の様なアラサーの粗雑な女闘士を貰いました。

石のやっさん
ファンタジー
年上の女性が好きな俺には勇者パーティの中に好みのタイプの女性は居ません 俺の名前はリヒト、ジムナ村に生まれ、15歳になった時にスキルを貰う儀式で上級剣士のジョブを貰った。 本来なら素晴らしいジョブなのだが、今年はジョブが豊作だったらしく、幼馴染はもっと凄いジョブばかりだった。 幼馴染のカイトは勇者、マリアは聖女、リタは剣聖、そしてリアは賢者だった。 そんな訳で充分に上位職の上級剣士だが、四職が出た事で影が薄れた。 彼等は色々と問題があるので、俺にサポーターとしてついて行って欲しいと頼まれたのだが…ハーレムパーティに俺は要らないし面倒くさいから断ったのだが…しつこく頼むので、条件を飲んでくれればと条件をつけた。 それは『27歳の女闘志レイラを借金の権利ごと無償で貰う事』 今度もまた年上ヒロインです。 セルフレイティングは、話しの中でそう言った描写を書いたら追加します。 カクヨムにも投稿中です

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

処理中です...