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雲の行き先 38 チャントール翁 中
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「酒というのは良いものでもあるが、悪いこともあるな」
チャントールは杯を前に出す。リュゼーは急いで酒瓶を手に取り、お酌する。
「これほどにも楽しいものを飲んでいるのに、怒りやすくなるやつもいる」
チャントールは、男に酒を注ぐ。
「いつもは楽しい酒なのに、突然怒りっぽくなったりしたりと、不思議なものでもあるな」
そう続けると、チャントールは男から酌を受ける。チャントールが杯をそのままの位置にしていることに気が付いた男は、「お恥ずかしいところをお見せしまいた」と、杯を合わせる。
「気を悪くさせたかの?」
「いえ、無知な私が相手の立場になって考えずに、自分の都合を押し付けてしまった結果です」
冷静になって考えればそうだ。そもそもが、物事の基準を自分においてしまったのが悪い。利点ばかりに目が行ってしまい、悪い流れは考えなかった。見通しが甘すぎた。悔しい。
リュゼーの頭の中には、話を聞いていた時に僅かに歪んだ、ドロフの口元が映し出される。
「普段は楽しい酒を飲む男なのだがな、何故だか今日は、腹にいる蟲が居所を悪くしているらしい」
チャントールは小馬鹿に笑う。それを見た顔を赤らめた男が、「まさかとは思うが、この度の婚儀が不服などとは言わないよな」と、真っ赤な鼻に皺を寄せて笑う。
言うわけないだろうが。と、リュゼーの隣の男が話に乗る。
「御息女自ら、そちらの当主殿に惚れたと聞いている。思惑無く、国と国が近くなるほど喜ばしいことはない」隣の男は顎をしゃくる。「こやつは最近、愛娘を嫁に取られてな、酒を飲むたびに頬を涙で濡らしておるのだ。許してやってくれ」
「娘を取られた父親の気持ちが、お前らなんかに分かってたまるか」
男は憎しみを込めて、軽口をたたく。顔の赤い男は下をぺろっと出し、おー、怖い怖い。と顔で物語る。
「娘の娘といったら、それこそ堪らんな。考えただけで恐ろしい」
目尻が下がり切ったチャントールは小さく呟き、水面に誰かしらの顔を浮かべ、ひとり、旨そうに酒を呑む。
リュゼーは息を吸いながら、話し始める機会を探る。
「ゲーランド様にとっては大いなる損失。さぞお辛いことでしょう」
他を気にすることなく男はそう言い、鼻息荒く杯を呷る。
「お前なんかとゲーランド様を、一緒にするんじゃない」
そう笑うと、顔の赤い男は肩を組みながら男に酒を注ぐ。男は「同じ父親だ」と、それを受ける。二人の掛け合いを見て、周りは笑い始める。
吸った息を静かに吐き、リュゼーは唇を噛み締める。すると、腰の辺りに何かがぶつかる。そちらに目を遣るとドロフが、口元で笑いながら目だけ他所を向いている。
先ほどから笑われてばかりで、あまりにも恥ずかしい。しかし気が焦るばかりで、言葉が出てこない。
「リチレーヌでは、女の子は家の宝だと言いますからね」
ドロフが会話に加わる。
「エルメウス家のドロフと申します。よろしくお願いします」
その場にいる粗方の人に挨拶をすると、チャントールと握手をする。
「私も酒が好きなのですが、荷を運んでいる途中のためにお相手できず、申し訳ありません」
「いえいえ、お構いなく」チャントールは気さくに笑い返す。「それよりも、お酒が好きなのに飲めぬとはさぞかし大変でしょう」
「荷を運び終えた時に飲む酒も、また格別。と思い、我慢しています」
「それは、それは」
二人は手を離す。
「その様に申すのですね」
すかさずリュゼーは会話に加わる。
そのまま興味を示した顔をしつつ二人に向けると、チャントールは「心の持ちようを述べたものだがな」と少しだけ困りながら答える。もう一方のドロフは、苦笑いを微かに浮かべ、今の位置より少しだけその場から身を引く。
出来た間を埋める様に赤ら顔の男が身を動かし、横にいる男の肩越しにリュゼーに顔を向ける。
「女も男も、子は宝だ。だがな、娘を持つ男親としては、可愛い娘がどうせ誰かと結婚するならばいつまでも身近にいてほしいということでな、己の元に優秀な者を集めたとして、そのうちの誰かに娘が惚れてくれたとしたらどうなる? 運良く娘が継いでくれれば生業も安泰、となるだろ。馬鹿らしいと思わんか? 娘を愛し過ぎる男親に対する皮肉が込められた、何処にでもある笑い話だ」
「男しか子がおらんやつには到底分からん気持ちだがな。常にむさ苦しさと暑苦しさに包まれていそうで、住む気になれん」
男が威嚇する様に顎をしゃくると、赤ら顔の男は「見当違いが甚だしいな」と鼻で笑い、「あいにく、妻の品が全てを洗い流してくれるから、清らかに過ごさせてもらっている。女に囲まれて肩身が狭い思いをしているやつよりかは、幾分かも良いと思うがの」と、挑発的な顔をして肩を抱え、男の体を揺する。男はその手を払うと、無言で赤ら顔の男に酒を注ぐ。
皆が笑い、場が和む。
リュゼーはドロフが近付いて来るのを感じ、再び唇を噛む。
「——一手遅い」
「——すみません」
「——娘の子だと知っていただろ、何故それを使わない。『もしかして、お孫は娘さまのお子ですか?』と、最悪のところでもこれだけで済むのに、何故遠回りをする」
「——言葉の意味を知らずに、……。すみません」
「——知識というものは、こんな時に役に立つのだな。お前といると、改めて思い知る出来事が多々ある。どうするんだ? まだやるのか?」
リュゼーは頷く。それを見たドロフは、丸テーブルを見た後に奥のテーブルへと視線を移す。目的地は示された。
リュゼーは肯く。
チャントールは杯を前に出す。リュゼーは急いで酒瓶を手に取り、お酌する。
「これほどにも楽しいものを飲んでいるのに、怒りやすくなるやつもいる」
チャントールは、男に酒を注ぐ。
「いつもは楽しい酒なのに、突然怒りっぽくなったりしたりと、不思議なものでもあるな」
そう続けると、チャントールは男から酌を受ける。チャントールが杯をそのままの位置にしていることに気が付いた男は、「お恥ずかしいところをお見せしまいた」と、杯を合わせる。
「気を悪くさせたかの?」
「いえ、無知な私が相手の立場になって考えずに、自分の都合を押し付けてしまった結果です」
冷静になって考えればそうだ。そもそもが、物事の基準を自分においてしまったのが悪い。利点ばかりに目が行ってしまい、悪い流れは考えなかった。見通しが甘すぎた。悔しい。
リュゼーの頭の中には、話を聞いていた時に僅かに歪んだ、ドロフの口元が映し出される。
「普段は楽しい酒を飲む男なのだがな、何故だか今日は、腹にいる蟲が居所を悪くしているらしい」
チャントールは小馬鹿に笑う。それを見た顔を赤らめた男が、「まさかとは思うが、この度の婚儀が不服などとは言わないよな」と、真っ赤な鼻に皺を寄せて笑う。
言うわけないだろうが。と、リュゼーの隣の男が話に乗る。
「御息女自ら、そちらの当主殿に惚れたと聞いている。思惑無く、国と国が近くなるほど喜ばしいことはない」隣の男は顎をしゃくる。「こやつは最近、愛娘を嫁に取られてな、酒を飲むたびに頬を涙で濡らしておるのだ。許してやってくれ」
「娘を取られた父親の気持ちが、お前らなんかに分かってたまるか」
男は憎しみを込めて、軽口をたたく。顔の赤い男は下をぺろっと出し、おー、怖い怖い。と顔で物語る。
「娘の娘といったら、それこそ堪らんな。考えただけで恐ろしい」
目尻が下がり切ったチャントールは小さく呟き、水面に誰かしらの顔を浮かべ、ひとり、旨そうに酒を呑む。
リュゼーは息を吸いながら、話し始める機会を探る。
「ゲーランド様にとっては大いなる損失。さぞお辛いことでしょう」
他を気にすることなく男はそう言い、鼻息荒く杯を呷る。
「お前なんかとゲーランド様を、一緒にするんじゃない」
そう笑うと、顔の赤い男は肩を組みながら男に酒を注ぐ。男は「同じ父親だ」と、それを受ける。二人の掛け合いを見て、周りは笑い始める。
吸った息を静かに吐き、リュゼーは唇を噛み締める。すると、腰の辺りに何かがぶつかる。そちらに目を遣るとドロフが、口元で笑いながら目だけ他所を向いている。
先ほどから笑われてばかりで、あまりにも恥ずかしい。しかし気が焦るばかりで、言葉が出てこない。
「リチレーヌでは、女の子は家の宝だと言いますからね」
ドロフが会話に加わる。
「エルメウス家のドロフと申します。よろしくお願いします」
その場にいる粗方の人に挨拶をすると、チャントールと握手をする。
「私も酒が好きなのですが、荷を運んでいる途中のためにお相手できず、申し訳ありません」
「いえいえ、お構いなく」チャントールは気さくに笑い返す。「それよりも、お酒が好きなのに飲めぬとはさぞかし大変でしょう」
「荷を運び終えた時に飲む酒も、また格別。と思い、我慢しています」
「それは、それは」
二人は手を離す。
「その様に申すのですね」
すかさずリュゼーは会話に加わる。
そのまま興味を示した顔をしつつ二人に向けると、チャントールは「心の持ちようを述べたものだがな」と少しだけ困りながら答える。もう一方のドロフは、苦笑いを微かに浮かべ、今の位置より少しだけその場から身を引く。
出来た間を埋める様に赤ら顔の男が身を動かし、横にいる男の肩越しにリュゼーに顔を向ける。
「女も男も、子は宝だ。だがな、娘を持つ男親としては、可愛い娘がどうせ誰かと結婚するならばいつまでも身近にいてほしいということでな、己の元に優秀な者を集めたとして、そのうちの誰かに娘が惚れてくれたとしたらどうなる? 運良く娘が継いでくれれば生業も安泰、となるだろ。馬鹿らしいと思わんか? 娘を愛し過ぎる男親に対する皮肉が込められた、何処にでもある笑い話だ」
「男しか子がおらんやつには到底分からん気持ちだがな。常にむさ苦しさと暑苦しさに包まれていそうで、住む気になれん」
男が威嚇する様に顎をしゃくると、赤ら顔の男は「見当違いが甚だしいな」と鼻で笑い、「あいにく、妻の品が全てを洗い流してくれるから、清らかに過ごさせてもらっている。女に囲まれて肩身が狭い思いをしているやつよりかは、幾分かも良いと思うがの」と、挑発的な顔をして肩を抱え、男の体を揺する。男はその手を払うと、無言で赤ら顔の男に酒を注ぐ。
皆が笑い、場が和む。
リュゼーはドロフが近付いて来るのを感じ、再び唇を噛む。
「——一手遅い」
「——すみません」
「——娘の子だと知っていただろ、何故それを使わない。『もしかして、お孫は娘さまのお子ですか?』と、最悪のところでもこれだけで済むのに、何故遠回りをする」
「——言葉の意味を知らずに、……。すみません」
「——知識というものは、こんな時に役に立つのだな。お前といると、改めて思い知る出来事が多々ある。どうするんだ? まだやるのか?」
リュゼーは頷く。それを見たドロフは、丸テーブルを見た後に奥のテーブルへと視線を移す。目的地は示された。
リュゼーは肯く。
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