夏の思い出

遠野 時松

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ポカポカ

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「夕飯できたから、テーブルの上片付けて」
「はーい」

 日和は愛奈ちゃんのほっぺをぷにぷにしていたのに、台所から聞こえてきた声にいち早く反応して元気よく答える。デレデレの顔をしたおじちゃんがテーブルの上に乗っていた物を片付けると、台布巾を持ってきた日和がすぐさまテーブルを拭く。

 僕も夕飯の準備を手伝おうと台所に入って皿にかけられたラップを取っていると、「お兄ちゃん邪魔」と日和の声が聞こえる。お手伝いをしているのに邪魔なんて言われたくない。と、僕は口を尖らして声が聞こえた方を振り向く。でも、僕の表情はサッと変わる。
 肩を振ってブルドーザーみたいに向かって来る日和の顔に対して、これは動いちゃダメなやつだ。と、僕の本能が告げる。

 日和は僕の目の前にある少し不恰好に切られた野菜の乗った皿を手に持つと、大事そうに抱えて運んでいった。居間から「トマトがイチゴみたいでケーキみたい」なんて、なぜだか自慢気におかしな説明をする日和の声が聞こえてきた。

 迫力に気圧されて仰け反ったままの僕は、お母さんの方に顔を向ける。

「サラダ切ったの日和?」

 小さな声で確認する。
 お母さんは少しだけ両肩を上げて意味ありげに笑い、「煮物のお野菜もよ」と小さく返す。

 やっぱりなと、僕は納得する。
 ここでちょっとした悪戯心が湧いてきた。日和がテーブルにサラダを置くのを確認して、盛りつけられた煮物の皿を手にする。

「ちょっと」

 それに気がついた日和は、慌てて台所まで戻ってくる。
 僕はしめしめとほくそ笑む。

「だから邪魔だって言ってるでしょ」

 日和は僕を押し退けるようにして、半ば強引に皿を取り上げる。もう一つの皿を手に取り「立ってるだけならどいてよね」と、睨んできた。

「あ…、ごめん、ごめん」

 あれ?こんなはずじゃない。
 あまりの剣幕に謝ってしまったけれど、当初の予定だともっと楽しい雰囲気になるはずだった。
 僕が「これは俺が運ぶから」というと、日和が「いいの私が運ぶ」と返してきて「何でだよ?」とまた返して「何でも」と可愛く返してくる。そうして最後にワハハっていうのを思い描いていた。

 僕はふぅ、と小さく息を吐いて、寂し気に日和の背中を見つめる。
 そして、立ってるだけじゃなくてお兄ちゃんもお手伝いをしようとしているよ。と、心の中で呟く。

「ヒロ」

 お母さんに呼ばれる。

「その言い方、お父さんとそっくり」

 一瞬何を言っているのか分からなかったけれど、すぐにピンとくる。
 なぜなら休みの日にその場面を幾度となく見ているからだ。

「それなら日和もお母さんにそっくりだよ」

 僕は掃除機をかける振りをしながら、「寝てるだけだったらどいてよね」とお母さんの声色を使う。
 僕達が何について話しているのか分かった岩手んばぁとおばちゃんは、「あんれまぁ」と言ってクスクスと笑い合う。

「あら、言ってくれるじゃない」

 お母さんも満更でもない様子で笑っている。
 みんなにつられて僕も笑う。

 何より岩手んばぁが笑ってくれて嬉しかった。
 岩手んばぁはお月様みたいに笑うから、その笑顔を見るのが僕はすごく、すごく大好きだ。

 もっと笑って欲しくてもう少しおちゃらけようかと思ったら、日和が戻ってきた。

「なに、なに?」

 笑っている訳を知りたくてみんなの顔を見渡すけれど、誰も何も言わない。

「別に何でもないよ」

 僕が答える。
 勘の良い日和はみんなの笑顔が少し変というのと、僕のモノマネについて誰も何も言わないのはおかしいということで少しだけ頬を膨らます。

「俺がちょっとだけお母さんのモノマネしたら、みんなが笑ってくれたんだよ」
「どんな?」
「いやっ、それはさー」

 言葉が続かない僕をじーっと見つめる日和。そして、痺れを切らしたのかフンと顎を振る。
 その仕草が可愛らしく僕はクスリと笑ってしまう。
 それが気に入らなかったならしく、日和は眉間に皺を寄せてさらに頬を膨らます。

「だから違うんだって。ほら、お母さんが…。えーっと」
「違うって何が?」
「えっ?」
「もう、お兄ちゃんのバカ。知らない」

 咄嗟のことで上手く説明できない僕に、日和はとうとう怒り出してしまった。

「ごめん、ごめんって」
「いや」

 首を左右に振る日和。
 こうなってはどうしようもない。ひたすら謝ることしか僕に残された手はない。

「なぁ、ごめんって」
「いや!」
「本当にごめん」
「いや!!」

 何度も続くやりとりに、心配そうにお母さんを見るおばちゃん。
 僕達にとってはたわいも無い兄妹喧嘩に、いつものことよ。と、お母さんは笑い返す。
 岩手んばぁは二人のやりとりを微笑ましく見守ってくれている。

「立ってるだけだったら邪魔だから座ってて」

 みんなの視線に気がついたのか、日和は少し恥ずかしそうに、少しばつが悪そうに言った。

 僕は、だからごめんって。そう言おうと息を吸った。

「まんず似てっことぉ」

 岩手んばぁは驚いたように、でも、優しく声をあげる。
 その一言に場の緊張が緩んで、大人達が笑う。

 日和はみんなの顔を見渡す。
 自分の方を向いて笑っているのを確認しているようだった。

「やっぱり」

 日和は、ぼそっと呟く。
 僕がなぜお母さんのモノマネをしたかというのに、気が付いてしまったみたいだ。

 日和はゆっくり僕と視線を合わせる。
 その瞳の奥に燃え上がるものを感じた僕は、ごくりと生唾を飲む。

「いてててて。ちょっと、おい、やめろって。なぁ。おい、叩くなよ」
「お兄ちゃんが悪い」

 日和は耳を赤らめている。

「おい、おいって」
「うるさい。お兄ちゃんが悪い」

 ポカポカと僕に可愛らしい手をぶつけてくる日和。

 これは困った。みんなの前だから怒ることもやり返すこともできない。
 それに、ここで泣かしてしまったら、この家が日和の泣き声で宇宙まで吹き飛んでしまう。

「ごめん、ごめんって」

 もう何の返事も返ってこない。
 壊れたおもちゃみたいになってしまった日和に、僕の声は届いていないらしい。

「ほら、喧嘩になるからやめなさい」

 お母さんが見かねて声をかける。
 それでも恥ずかしさも相まって日和は手を止めない。

「ほらほら、お母さんもああ言ってるじゃん」
「うるさい。お兄ちゃんのバカ」

 これは困った。本当に困った。

 たまらず僕は日和の両手を掴んで攻撃を回避する。
 日和はフーフーと、鼻で息をしている。
 猪みたいに突っ込んできそうな勢いだ。

「ヒロ君は座ってた方がいいみたいね」

 暫く睨み合う僕達に、おばちゃんが笑いかける。

「そうします」

 僕はおばちゃんに激しく頷き返す。

 手を離すと日和の攻撃は収まった。

 その隙に僕は日和から距離をとる。
 そして、ゆっくりとその距離を広げていく。
 猛獣から目を逸らすとやられてしまう。僕の動きはそれと一緒だ。

「べーっだ」

 その場から逃げ出した僕に、日和は今まで見たことのないようなあっかんべーをしてきた。

 まあ、僕はお兄ちゃんだし、色々と面白かったし、ほんの少しだけ可愛いから許してやることにした。

 日和の変顔に吹き出しそうなのを必死に堪えて。
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