夏の思い出

遠野 時松

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玉のような子

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「あんら、大きくなってぇ」

 台所からまた一つ、懐かしい声が聞こえてくる。

「おばちゃん、こんばんは。お邪魔しています」
「はぁい、ゆっくりしていってねぇ」

 高く尖った鼻にかけられた、丸い眼鏡越しに見える切れ長の目を細めながら、岩手のおばちゃんは挨拶を返してくれる。亮兄ちゃんはどちらかというと、おばちゃん似だと思う。

「よろしくお願いします」

 僕は頭を下げると、再び岩手んばぁの方に顔を向ける。

「よくおでんしたなっす。良い子にしてたかぁ?」
「うん」

 謎が一つ解けた。お母さんとおじちゃんは岩手んばぁの子だ。

「○◇♯×△◎※¥&%×△だびゃあ」

 あれ?これは困った。おばあちゃんが何を言っているのか分からない。
 ゆっくりとした口調なのに、早口のようにも聞こえる。独特のイントネーションも重なって、僕の言語能力では理解できない。

 返答に困って曖昧な笑顔を浮かべる。

「ありがとうって言えば良いのよ」

 お母さんが助け舟を出してくれる。

「あ、ありがとう」

 ついつい、抑揚のない半信半疑ともとれる返事をしてしまう。

「ありゃ」

 岩手んばぁは驚いたような、すっとぼけたような顔をした。

「やぁねぇー」

 おばちゃんがそう言うと、「あはははは」とみんな一斉に笑い出した。

「ヒロ、もう直ぐご飯できるから、その前におじいちゃんに線香あげて来なさい」
「うん、分かった」

 僕は逃げるようにしてその場を立ち去った。
 台所からは、さっき起こったことについて話しているだろう三人の声が聞こえる。仏壇のある部屋の戸に手をかけた時に、楽しそうに笑うみんなの声が聞こえた。

 僕は仏壇の前に置かれているフカフカの座布団に正座した。両側には盆提灯も置かれていて、お盆用に飾り付けされているけれど、まだ料理などは置かれていない。
 線香に火をつけて、目の前に飾られているおじいちゃんの写真に向かって手を合わせる。病気で痩せてしまう前の、僕が覚えているおじいちゃんより少し若い時の写真が使われている。

「お葬式に出られなくてごめんなさい」

 僕もおじいちゃんのお葬式に出席したかったけれど、人数を少なくしなければならなかったのでお葬式にはお母さんだけ出席した。

 何度も何度も行きたいとお願いしたのだけれど、お母さんは「こればっかりはダメなのよ」と許してくれなかった。物凄く悲しそうな顔をしているお母さんを、困らせてしまったなとあの時は反省した。

 その代わりに僕と日和でお手紙を書いて、おじいちゃんに届けてもらうことにした。

「線香あげてきたよ」
「蝋燭の火は消してきた」
「うん」
「みんなのところにいるね」
「そうしておいて」

 お母さんはおたまを持ったまま答えてくれた。居る場所は違うけれど、見慣れた光景だ。

 小さく頷くと、下を向いたまま台所を通ってみんながいる居間に向かった。

 さっきの事があって恥ずかしかったからじゃない。あの時のお母さんを思い出してしまって、顔を見ることが出来なかった。

 あんなにも泣きじゃくっていたお母さんを見るのは初めてだった。


 お見舞いに行きたくても、病院から止められているから。と、もどかしい日々を過ごしていた。「一緒に住んでた家族もおいそれといけないんだからね」と自分に言い聞かせるように話をしていた。
 夜、変な時間に電話が鳴った。岩手のおじちゃんからだった。
 画面を見たお母さんの顔が変わった。ふうと息を吐き、一度だけ頷いて電話をとった。
 うん、うん。と頷きながら涙を浮かべ、電話が終わってから「覚悟はできていた」と父ちゃんに話した時に涙が流れた。岩手に行く支度をしている時に、時折、空を見上げながら動きを止めたりしていた。
 そんなお母さんの事が気になって眠れずにリビングに行ってみると、父ちゃんの腕の中で声をころしながら肩を大きく揺らして泣いていた。
 次の日に見た、僕たちに心配をかけないようにと、お母さんの力のない笑顔は今でも忘れられない。


 おじいちゃんを連れていった、小さな小さな目に見えない敵。僕はあいつのことを、絶対に、何があっても一生許さない。

 居間に入るとみんなが一箇所に集まっていた。

 中心にいるのは、可愛い可愛い玉のような赤ちゃん。
 日和が紗栄子おばちゃんに教わりながら哺乳瓶を手に持ち、慣れない手つきながらも一生懸命になってミルクをあげている。
 それを見ているおじちゃんは「めんこいなぁ、めんこいなぁ」と、目がなくなっちゃうんじゃないかと思うぐらいに笑っている。
 亮兄ちゃんは、興味ねぇよ。という顔をして腕を組んで見ているけれど、みんなと同じところをしっかりと見ている。

「僕も入れて」

 亮兄ちゃんの隣に座り、笑顔の輪の一員になる。
 んぐ、んぐ。と口を小さく動かしてミルクを飲んでいる。
 吸い口から唇を離すと、大きく口を開けて息を吸う。

「お腹いっぱいになった?」

 日和が言い終わる前に、再び哺乳瓶を口に咥えて飲み始める。

「お腹空いてたんだねぇ」

 我が子に問いかける母親みたいな口調になってる。

 おじちゃんは「日和ちゃんはすぐにでもお母さんになれるねぇ」なんて、くしゃくしゃの顔のまんまで言っている。日和はミルクをあげているのに集中している風を装って気が付かないフリをしているけれど、態度は一端のお母さんを気取っている。

 モニョモニョと動くほっぺが可愛くて、ツンと触れてみる。

 スベスベで、モチモチで、プニプニで驚いた。
 もう一度触ろうとしたら「ちょっと、邪魔しないでよね」と日和に怒られた。

「おー、こわ」

 僕は慌てて手を引っ込める。

「ヒロ君、そりゃダメだ。人間だって動物だって、母親が近くにいる時に赤ん坊に手を出すと手痛い目に遭うぞ」
「おじちゃん、日和はお母さんじゃないじゃん」
「年齢とかヒトの子とかは関係ない。乳を与えているときは、母性本能ってのが駆り立てられるもんなんだよ。おんちゃんだって、おんなじだ」
「おじちゃんもなの?」
「ほぉんだぁ」
「えーー」

 僕は笑ってしまった。

「亮兄ちゃんも?」
「おれぁやんね。おっかねぇ」

 腕を組んだまま、プルプルと横に首を振る。

「寛明君もやってみる?」

 ニコニコとみんなの話を聞いていた紗栄子おばちゃんが、おっとりとした口調で聞いてくる。

「僕もやってみたいけれど、日和に「そうじゃない。それは違う」って怒られそうだからやめときます」

 それを聞いた日和はプイッと横を向く。

 みんながワハハと笑った。

 それを聞いてか聞かずか、お腹いっぱいになった玉の子は、プハーっと大人顔負けのアレをやった。

 この歳でこれを知っているなんてすごい。この子は大物になる。
 僕はそう思った。
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