恋はあせらず

遠野 時松

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騒がしいお腹の虫

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「まだ飯食ってんのかよ」

 箒を片手にツカツカと近づいてきたその男は、消しゴムを拾いながら話しかけてくる。

「そんなに食うの遅かったら手伝ってやろうか?」

 その言葉にお腹の虫がさっきより慌ただしくなる。鈍感な私でも安易に気づく事ができる程に騒がしい虫の知らせだ。以前、大好物のピーマンの肉詰めを食べられてから、私の堪忍袋とお腹の虫はあいつの事が大嫌いになった。

「結構です」

 他人行儀にお断りをしたのに、彼は意に介せず肩越しから机の上を覗き込む。

「お、うまそうなアスパラベーコン!さすが草薙食堂の弁当」

 何よそれ。自分なら食べさせてもらえる、食べる事が当たり前みたいな言い方しているけれど、勘違いも甚だしい。

「これは私のお弁当です。貴方には関係のない事ですのでお引き取りください」
「何だよ、前の事まだ怒ってんのかよ?」

 少し不貞腐れる彼。
 何だよって何なの?私の大好物であるピーマンの肉詰めを勝手に貴方は食べたのよ。あのピーマンの肉詰めを、よ。最後のお楽しみとして、そして、口の中が幸せで満たされたまま昼食を終わらせるという事が出来なかった私の気持ちを考えた事ある?

「怒っていませんので」
「マジで?」
「ええ、過去のことですから」
「そっか、だったら大丈夫だな」

 彼はそう言い終わる前に事もあろうか右手をこちらに伸ばしてきた。
 びっくりした私は、急いでお弁当箱を両手で掴み、我が子を守る獅子の目つきで彼を睨む。
 私の顔を確認した彼はニヤリと笑う。

「やっぱり怒ってんじゃん」

 ふわりと白い消しゴムが宙を舞う。それを目で追わずに手首のスナップで器用にキャッチした。

「お前って本当単純だな」

 ポーン、ポーンと白い消しゴムが宙を舞う。その度にしなやかに振られる手首と、私から目を逸らさない彼の顔とのコントラストが、小馬鹿にしている感満載で無性に腹が立つ。

「おーい、とまるー。消しゴムー」

 ピッチャー役の北村がこちらに向かって手を挙げている。

「わりー、わりー」

 彼は消しゴムを上に掲げて横に振りそれに応える。
 私に向けていたものとは違い、いかにもという笑顔。周りの女子はチラチラとその顔に視線を送る。

 そうだった。記憶の片隅から消し去りそうになっていたが、彼には都丸という苗字がある。

 そのままみんなの所に戻るかと思ったけれど、都丸君は北村君に消しゴムを投げ渡す。受け取った北村君達男子はさっきの続きとばかりに順番極めを始めた。
 私を小馬鹿にするのが生き甲斐のこの悪魔みたいな男の真実の顔を見誤らせる、女子を惹きつける笑顔という仮面が張り付いた顔で振り返ったかと思ったら、一転して不思議なものを見つけた顔をした。

「あれ何?」
「えっ?」

 私は釣られて彼に差し示された箇所を見る。けれどもすぐにお弁当箱に覆い被さり都丸に視線を戻す。黒板の方を見ていたはずの彼とばっちり目が合った。そして、彼の手はゆっくりとこちらに近づいていた。
 私は彼の手を一瞥して視線を彼に戻す。これと同じ事を何度もされているので流石に騙されない。都丸君は私の事を単純、単純とバカにするけれど私にだって学習能力というものはある。
 敵は私の顔を見て口角を上げながら片眉を上げる。

「流石にこれはダメか」
「もうその手はもう通じません」

 勝気な笑みで見上げる私を、楽しそうに見つめ返す彼。

「最近手強くなってきたな。変な詐欺に引っ掛からなかったら俺に感謝だな」
「こんなくだらない事してないでみんなの所に戻ればいいのに?」
「んー、まだいいや。こっちの方が楽しそうだし」
「まだって…、それにこんな所よりあっちの方が楽しそうじゃん」
「俺の順番終わったし、次まで暇だし」
「飛んで行った消しゴム拾うとかあるでしょ?」
「そんな事は誰かやるだろ」
「そんな事って…」

 みんなで遊ぶってそういう事も含めてじゃないの?

「居ちゃダメ?」
「ダメじゃないけど、何で居るのかな?って」
「言っただろ、次の順番までここの方が面白そうだし」
 都丸君は一度視線を外し、再び私と目を合わせた。「戻れってこと?」
「そこまでは言わないけど、戻ったほうが良さそうかなって」
「何で?」
「何でって…」

 彼の狙いは分かっている。素直にお弁当を食べられたくないって言えばいいけれど、それだとまた食い意地が張ってるってバカにされそう。
 返答に困った私はアリちゃんの方をチラリと見る。助けを求められても困るという感じで、小さく仰反る様に顎を引いて首を振った。
 どう答えようか迷っていると先ほどの事を思い出した。

「食べてる横でバタバタやられると困るのよね。あーヤダヤダ。埃っぽくてやんなっちゃうわ」

 私は鼻の前で手を振る。

「ちょっと」

 ついさっき自分がした事をそのままなぞる私を見て、アリちゃんは思わず声を出してしまう。

「は?…いや、言われるほど動いてねぇけど…なあ?」

 都丸は亜里沙に視線を送る。亜里沙は苦笑いを浮かべながら頷く。
 言われてみたらそうである。言い返したいからと咄嗟に出た言葉は、あまりにもこの場の状況からかけ離れている。それが二人を困惑させたのが分かった。それと同時に耳がじんわりと熱くなっていく。

「俺は動くことすら禁止って事?意味わかんねーから詳しく説明してくれよ。頼む」

 私の耳が赤くなっていくのを確認した都丸君は、ここぞとばかりに攻め立ててくる。

「そうじゃ無いけど…」
「じゃあ何?」
「何って…、そのぉ…。もぉ!」

 今度は顔を赤らめる。
 何なの?この人は本当に腹が立つ。

「皮肉を言ったつもりかもしんねぇけど、人が良すぎて皮肉になりきれてねぇぞ」

 なんで彼の暇つぶしのためにこんな思いしなきゃならないの?

「バカ、アホ、アンポンタン」
「アンポンタンって何だよ」
 彼は鼻で笑う。「それだと皮肉じゃなくてただの悪口」

 何も言い返せない私は、ぐぬぬと眉根を寄せる。敵は余裕綽々な顔で私を見返す。
 そして、その道の達人にしか分からない睨み合う二人による攻防戦が始まる。誘いに対する牽制、仕掛けに対するいなし。
 お弁当の中身をかけたバチバチと火花散る戦いに、付き合ってらんないわ。と言いたげにプチトマトを頬張る亜里沙。

「そろそろ委員長の雷が落ちるわね」

 アリちゃんの呟きの後に咳払いが聞こえてくる。

「ちょっといいかしら」

 一人の少女が片手を上げている。
 亜里沙は、ほらね。と肩をすくめる。
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