宵闇の魔法使いと薄明の王女

ねこまりこ

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二章;OPENNESS

69話;徒花(7)

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 「そうか……、ウルファスとヒオから聞いてはいたが」
 近況を簡単に話し終えると、ハイネルはカップを机に置いて息を吐いた。

 「教室へ入るのがどうしても苦しくなってしまって。自分でもこのままではいけないと思うのですが」
 ハイネルの人柄がそうさせるのか、久しぶりに人と話をしたのもあったのか、随分と話し過ぎてしまった。
 マリスディアも喉を潤すためにカップに口をつけ、茶を流し込む。

 「だが、マリスディアは頑張っていると思うよ。教室に入れずともアカデミーまでは来ているのだから」
「そんなことは……」
 すぐさまかぶりを振る。

 これでもヒオと話をしてから実技の授業が始まるまでの数日間は、アカデミーへ行けなかったのだ。
 魔法が使えない現実を突きつけられ、それを受け入れられないというのもあった。
 正直に言うと次の魔法学の日が来て欲しくなかった。
 今後どう対策を取れば良いのかも分からなかったし、ウルファスやヒオとあれやこれと調べ試してみたがなにも解決はしなかった。
 アカデミーへ行けなくなってからすぐ、心配したジルファリアが王宮へ訪ねて来てくれた時も、面会を断ってしまうほど塞ぎ込んでしまったのである。
 寝室の布団から出られなくなってしまったのは母リアーナが亡くなった時以来だった。

 だがそんな日が続くことで現実からも逃げている気がして、意を決して魔法学実技の日に出席をしたのだが、結局分かったのはやはり自分には魔法が使えないらしいということだけだった。

 「この植物園はどうかな?」
 マリスディアの顔が曇っていることに気づかない振りでハイネルは二杯目のお茶を淹れた。

 マリスディアは空を仰ぎ見る。
 薄い硝子でできた透明の屋根の向こう側に明るい太陽が輝いている。
 陽の光が降り注ぎ、とても暖かく感じた。
 そしてここは室内だというのに鳥が木々に停まっており、耳を澄ますとその囀りが歌声のように聞こえてきて心を和ませてくれた。

 「とても居心地が良いです。植物に触れているととても落ち着きますし」
「君は小さな頃から土いじりが好きだったものな」
「はい」
 一度は焼き尽くされてしまったが、また中庭の園芸を始めてみたいとも思った。
「どうだろう、マリスディア。薬草を使って魔法薬を作ってみる気はないか?」
「え?」
 ハイネルの申し出にマリスディアは思わず目を見開く。
 突拍子もないことを言われたかのような表情だ。
「魔法薬……ですか?」
 確か魔法薬の授業はもう少し上級生になってからだったような気がする。
「マリスディアは他の生徒たちより植物のことも詳しいし、何より土いじりが好きだろう?向いていると思ってね」
 その提案にヒオの言葉を思い出した。

 (わたしにしか出来ないこと)

 「どうかな?私も僅かながら時間が取れる。少しずつでも挑戦してみないか?」
 ハイネルの優しい眼差しが先ほどよりも嬉しいと感じた。
「はい……はい!やってみたいです!」
 その勢いでガタリと音をたて椅子から立ち上がった。
 自分に出来ることが何なのかはまだ分からないが、マリスディアは出来ることとひとつずつ向き合ってみたいと思ったのだった。
 その前のめりな姿勢に苦笑しながらハイネルも頷く。
「よし、それならば話は早い方がいいな。ここにちょうど基本的な調合用の器具が揃っている。簡単な魔法薬なら問題なく作れるぞ」

 そう言うとハイネルは東屋の棚の奥から小さな籠を引っ張り出してきた。
 覗き込んでみると、硝子でできた瓶や温めるためのオイルランプが入っている。

 「早速傷薬を作ってみようか。パナシアと呼ばれる一般的によく使われる治療薬になる」
「パナシアでしたら、わたしもよくお世話になっています」
「うん。そういえば王女が私の屋敷に滞在していた時は、パナシアの消費量がいつもより増えたと報告があったよ」
 揶揄うような笑顔でハイネルが首を傾げた。
「止血の効果もあることから、王女が木登りで作った擦り傷なんかにもよく効くということだね」
 マリスディアはそこで少々伐の悪い顔をした。
 ハイネルは悪戯っぽく微笑むと、口の広い硝子瓶と袋の中から薬草を取り出した。
「パナシアは乾燥させたトゥール草から作ることができるんだ。すり潰したものを酒精に溶かし、溶液を蒸留させていく」
「何だか難しそうな工程ですね」
「実際にやってみるのが一番早いだろう。一緒にやってみよう」
 ハイネル自身も楽しいのだろう、キラキラと目を輝かせて瓶を振ってみせた。

 「さぁ、まずはこの乳鉢にトゥール草を入れて乳棒でよくすり潰すんだ」
 言われた通りマリスディアは乳白色の小さな容器に乾燥したトゥール草をぱらぱらと入れた。
 それを同じ素材でできた乳棒ですり潰す。
 独特の青臭い香りが鼻を掠め、粘液のようなものが滲み出てきた。
「この葉から出てきた液体のようなものが治療成分と言われている。これが酒精によく溶けるんだ」
 マリスディアは何かを思いつき、側にあった紙に何かを書き留めた。
「どうしたんだい?何か気になることでも?」
「いえ、手順だけでなくて香りや感触なんかも記録しておけば、後から読んだ時に分かりやすいんじゃないかと思って」
「それは良い。レポートだね」
「ハイネルさま、トゥール草がどろどろしてきました」
 いいぞ、と目を細めたハイネルが、次の手順だよと続ける。
「その中に酒精を入れる。……いいかいマリスディア、この酒精の中の水分は精製されたものを使うこと。
 井戸の水なんかだと鉱石の成分なんかが混ざっているので薬にするには不純物になってしまうんだ。気をつけるようにするんだよ」
 彼の言葉に頷くと、それも紙に書き留めた。
 そして瓶の中に泥状になった薬草を入れ、水差しの中に入っている酒精を注ぐ。
 そのむせかえる様な匂いにマリスディアは顔を顰めた。

 「よし、それをこのオイルランプの上に乗せて」
 五徳の設置されたオイルランプに瓶を乗せると、ハイネルが瓶の開口部に、なにやら複雑な形状をした硝子製の装置がついた蓋をした。
 装置は下方向へ向かって伸びた硝子の管の中に、もうひとつくるくると螺旋状になった硝子管が入っており、そこには水が通せるようになっていた。
 硝子の管は滑り台のように机に向けて伸びており、その先にもうひとつ瓶を置くと、ハイネルはランプに火打石で火を点けたのである。

 「ハイネルさま、この硝子の管のようなものは何ですか?」
「これは蒸留の冷却管だよ。酒精水に溶け出されたトゥール草の治癒成分だけを分離するために使うんだ」
「何だか難しそうですね」
「なに、慣れれば簡単だ。この装置の説明は今度詳しく教えてあげよう。今はこうして沸騰するのを待つだけだよ」
 そう言いながら懐中時計をマリスディアに手渡す。
「大体半刻くらいが目安だ。それ以上熱すると、貴重な成分が壊されてしまうんだ」
「はい」
「それじゃあ私は植物園をぐるりと一回りしてくるよ。その間もトゥール草がどんな感じで蒸留されていくのか観察しておいで」

 ひらひらと手を振ると、ハイネルは入り口の方へと歩いて行ってしまった。
 残されたマリスディアはそのまま手近にあった椅子へ腰掛ける。
 目の前の広口瓶の中ではこぽこぽと泡立つ軽い音が聞こえてきた。
 じっとその様子を眺めていると、トゥール草の緑色をした液体が水面を揺らしながら沸き立っていた。
 つんとした酒精の匂いもまた広がり、東屋は一気に研究室のようになってしまった。


 (あぁ、まただ)

 最近一人でじっとしていると必ずやって来る、じわりとした嫌な感情が胸のあたりを覆い出した。
 ぼんやりと湯の中の様子を見つめながら、マリスディアは次第に思考の海に沈んでいった。


 この国で、当たり前に使われている魔法の力。
 多少優劣の差はあれど、魔法の力を使ってセレインストラは自然と共存してきたのだ。
 力を借りる代わりに、自然を大切に守ってきていた。

 だが魔法が使えないからといって、実際には自然の手助けが借りられなくなるくらいの影響しかない。
 昔は不便もあったであろうが、今では便利な道具なんかもあって生活の一部になっている。
 つまり、そこまでの大きな支障はないのだ。


 __彼女が聖王の娘でさえなければ。


 彼女の使命とされること。

 (……黄昏星が作れない)

 いつも思考がそこまで行き着くと、途端に息苦しくなってくる。そしてここで考えることを止めてしまうのだ。
 首元をじわじわと締め付けられるような感覚が襲い、鳩尾のあたりがしくしくと痛むのだ。
 マリスディアははっと我に返り、乱れた息を整えた。
 そして机に両腕をつき、顔を埋める。

 こんな自分では王族の役割を果たせない。
 自分がずっとなりたかった父のように、

 「この国を護れない……」

 ぎゅっと閉じた瞼から熱を含んだ雫がじわりと浮かび、頬にこぼれ落ちた。


 その時、ごぼっと何かが吹き出す音がして、マリスディアは顔を勢いよく上げた。
「大変!」
 ガラス瓶がかたかたと揺れ、中の液体が沸騰しトゥール液もろとも蓋を押し上げ暴発しそうになっていた。
 マリスディアは慌てて立ち上がる。
「火の加減を弱くしたほうがいいかしら」
 オイルランプの螺子を回し少し火の勢いを弱めると、噴きこぼれそうになっていた溶液の勢いも弱まった。
 そうして気がつく。
 蒸留器と呼ばれていた装置の先に置かれた硝子瓶の中に、ぽたぽたと透明の液体が落ちていくのが見えたのだ。
「……不思議。緑色の液体から透明のものが出来てきたわ」
 透明の液体の入った瓶に顔を近づける。
「あ……」
 嗅ぎ覚えのあるすっきりとした爽やかな香りが鼻を掠めた。
 木登りなどで作っていた擦り傷に、よく父が塗ってくれていたのを思い出す。
「こうやってパナシアは作られているのね」
 ずっと世話になってきた馴染みの薬を自分の手で作られたこともあり、マリスディアは胸のあたりが温まる思いがした。
「わたしにも作ることができたんだわ」

 思えば、一人の力で何かを成し遂げられたのは初めてかもしれない。

 __向いていると思ってね。

 ハイネルに言われた言葉を思い出し、マリスディアは今の工程を夢中で紙に書き出していった。


 自分にも何か人の役に立つことがあるのかもしれない。
 そう思うだけで、ほんの少し勇気が湧いてきた。

 そしてその日、王宮に戻ったマリスディアは開口一番父にこう言ったのだった。

 「お父さま、わたしもう一度、庭づくりを始めたい。今度は薬草も育ててみたいの」


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