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(25)奴隷商と元王子
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元王子が奴隷として売られるところを奴隷商が助ける話。
奴隷商:レディヴス=イラ
元王子:レグス
王子×奴隷商
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あるところに、一国の王子がいました。
王子の容姿は麗しく、一目その姿を見ようと、よその国から人がひっきりなしに訪れるくらいでした。
が、王子はそれを愁いでいました。物心ついたときからずっと見世物のようにじろじろと見られてきた彼にとって、城での暮らしは窮屈でしかありませんでした。
そんなある日、王子は城にやってきた一人の奴隷商を紹介されました。
いつも一人でいる王子に、気に入る奴隷がいたのなら買ってあげようと王が招いたのです。
鎖に繋がれ拘束された奴隷たちは、どれも淀んだ瞳でぐったりとして、人形のように不気味でした。
この中からどれか選べだって? こんなに恐ろしいもの、金を積まれたって引き取りたくない!
王子は、心の中でそう叫びました。でも、父親の好意を無下にするのもな、と奴隷商を一瞥。
奴隷商は、王と談笑していました。
耳を傾けてみると、どうやら奴隷商は話を盛り上げるために、旅をして体験した面白話を披露しているようでした。
その話は、滅多に外に出ない王子にとって、羨ましいものばかりで。
「さて、王子様。そろそろお決まりですか?」
王子が見ていることに気づき、話を切り上げた奴隷商が尋ねました。
そのおもねるような笑顔に、王子は何だか腹が立ち……。
「穢らわしい生業め。お前から買うものなどない!」
どんっ。
気づくと、奴隷商を突っ撥ねていました。
いきなりのことに、油断した奴隷商はよろめき、倒れ込んでしまいました。
「痛って……」
「こら、レグス何をするか! 君、大丈夫か?」
「お父様! 僕に奴隷など不要です。さっさとその商人を追い返してください!」
こうして、奴隷商は王子に奴隷を売りつけることも叶わず、その国を後にしました。
王子も奴隷商も、もう会うことはないだろうとお互いのことを忘れようとしました。
でも、やはり運命というものはあるのでしょう。
あの出来事から数か月。奴隷商、レディヴス=イラはいつものように新しい奴隷を仕入れるために、奴隷市へとやってきました。
「おや、イラの旦那。今日は早すぎる」
「ああ。今日はなんだか目が覚めちまってさ」
「仕事熱心なことで」
レディヴスは、まだ準備中の店主と他愛のない言葉を交わしながら、ふと、荷馬車の中を覗きました。
「えっ。なんで」
「あ、ちょっと旦那。勝手に見ないでくださいよ!」
その中身を見て驚きの声を上げるレディヴスに、店主が慌てて駆け寄り、視界を遮るように立ちはだかりました。が、それもすでに遅く。
レディヴスはすっかり見てしまったのです。そこに座る、美しい少年の姿を。
「おい、これは一体……」
「まったく勘のいい人だ」
諦めたように店主が呟き体をずらすと、そこにいる少年はレディヴスにとって知っている顔。
「お前、こいつはレグス王子じゃないか……」
そう。あのときレディヴスを追い出した王子その人だったのです。
「いやあ。さすが旦那。まさかご存じだったとは。いやね、私は存じ上げなかったんですがね、先日に一つの王国が戦争に負けて滅びたんです。そこで生き延びた王子が綺麗だったので、殺さずに売って貰えるよう頼み込んだんですわ」
「そんなことして大丈夫なのか? それにこいつ、繋がれてもいないじゃないか」
「はは。さすがに大っぴらには売れませんがね。鎖についてはご心配なく。何しろ、これは脚が利かないようでね」
「戦いで傷ついたのか……?」
レディヴスは、王子に向かって問いましたが、王子はそれを受けて、ふいと目を逸らしました。
「どうです? 旦那にだったら売っても構いませんよ?」
「いや、高すぎるし厄介でしかないだろう」
一旦考えてみたものの、やはり面倒なことはごめんだとレディヴスは他の商品に目を向けました。
「はあはあ、そうですかではまたの機会に」
まさか、あのときの王子がね。
レディヴスは自分の腕を撫でました。そこには、王子に押し倒されて出来た痣が未だ薄く残っていて。
ざまあみろとは言わないが……。何と言うか、哀れなものだな。
「オイ、店主。それは何だ!」
そうこうしていると、怒鳴るように荒々しく店主に訪ねる声が聞こえてきました。
「ええ。はい、旦那ァ。これは良い品ですよ。どうぞ見てってください」
レディヴスが新しく現れた客をちらと横目で伺うと、それは巨体の男でした。
品の悪い笑みを浮かべ、王子をじろじろ舐めまわすように見つめ始める男。それにレディヴスは思わず身震いをしました。
そしてこいつに買われるのは何か癪だな、と思った瞬間、レディヴスは行動に出ていました。
「やはりこいつは私が買うよ」
「え、ですが、」
「私に売ってくれるよね?」
「は、ははっ、当たり前じゃあないですか!」
レディヴスがにっこりと裏のある微笑みをくれてやると、店主は冷や汗を掻きながら、両手をこすり合わせました。
「オイ、店主それは」
「お客さん、悪いけどこいつは旦那が先に予約済みでねぇ!」
気味の悪い男が言葉を発する前に、店主が先手を打っての一言。
そうして、レディヴスはレグス王子を買うことになりました。
「僕など買っても何の役にも立たないぞ。お前も厄介だと言っていたじゃないか」
「はは。聞いてた? まあね」
拠点に連れ帰って開口一番。王子に言われた言葉に、レディヴスは笑うしかありませんでした。
本当に、役に立たないことはわかってたんだけどな。俺にも同情心なんてものがあったなんてね。
「同情で連れて来られるのは迷惑だ。そんなんなら殺された方がいい」
心を見透かされたようにタイミングばっちりな王子の言葉に、レディヴスは思わず目を丸くし、後半の言葉にムッとしました。
「相変わらず可愛くない王子様だなぁ。確かに俺も情で買ったのは後悔してる。でもお前、殺された方がいいってのは、もっと悲惨な体験してから言いな」
「僕の足を見ろ。これが悲惨じゃないってのか? こんな一人で歩けもしない体で生きているなんて、王国は滅びたってのに、王子である僕がこうして生き残っているなんて……。どう考えたって、死んだ方がマシだ」
「そりゃお前の苦しみはわかんねえよ。でも、お前はあのままあそこにいたら、もっと悲惨なことさせられてたぜ?」
「……恩を売ったつもりか?」
「だから、今のお前に恩売っても見返りなんてないだろ。完全に金の無駄遣いだよ」
「……。僕の記憶が正しければお前は先日城に来た奴隷商だよな?」
「ああ。そうそう。レグス王子に張っ倒された可哀想な奴隷商さ。覚えて頂けていたようで光栄だな」
「それじゃあやはり尚更だ。助ける理由がない。お前はマゾなのか?」
「まっ……。酷い言葉をご存じで。全く、善行なんて滅多にやるもんじゃない」
「ああ。お前は僕を殺すべきだ。それが最大の善行であり、双方の幸せだ」
「……それじゃあ王子様には生きてもらわないとな。俺はこれ以上徳を積むつもりはないし、お前を幸せにするつもりだってない。そうだな、対価が要るってんなら、この子たちに文字や言葉を教えてほしい」
「この子たち……?」
レディヴスが指し示した先、それを王子が目で追い、それらと目が合った瞬間。
「お兄ちゃん、だあれ?」「新入りさん?」「綺麗なお顔だね~!」
「な、いつの間に……」
いつの間にやら王子を取り囲んだ少年少女が、堪えていた言葉を口々に発し始めました。
「俺も教えてるんだけど、どうも手間がかかってね」
そんな子どもたちの頭に手を乗せ、撫でてやりながらレディヴスは嘆息しました。
「お前は人に教えられるほど勉強ができるのか……?」
「あはは。そんな大したことじゃない。独学で一般教養を齧った程度のものさ」
「子どもたちにそれを教えるというのは、何故だ? この子たちも奴隷なんだろう?」
「ええ。そうですとも。皆いずれは売られてゆく。でも、幼い彼らには最低限の教養を叩きこんでからってのが俺のポリシーなんです」
「君はロリコンなのか?」
「またそんなお言葉を……。一応訂正しますが、そういうんじゃないですからね」
「君は良い奴隷商なのか」
「子どもだけだよ。こうすると人の良い客に受けがいいんだ。それだけさ」
そう言って笑うレディヴスは、王子の目に少しだけ眩しく映るのでした。
それから少し経って、王子はすっかり子どもたちの良い先生となって皆に慕われていました。
「レグス様~! ほら見て! あたしの引き取り手が見つかったのよ!」
「それは、ええと。おめでとう」
女の子が一枚の契約書を王子に見せてやると、王子は曖昧に微笑みました。
王子にはわかりませんでした。引き取り手が見つかるということが良いことなのか、はたまた悪いことなのか。
だから王子はとりあえず、女の子を優しく撫でてやりました。
「ふふ。レグス様って、本当の王子様みたい……」
その行動はどうやら正解だったようで、女の子は嬉しそうに身をよじって王子を見上げました。
「あはは。僕が王子だなんて」
「でも、レディヴスはレグス様のこと王子って呼ぶわよ?」
「前も言ったけど、僕は王子じゃない。そんなもの、務まりっこないんだよ……。彼のは、そう、揶揄って呼ぶだけさ」
「それでも、あたしにとってレグス様は間違いなく王子様だもの!」
王子は、女の子が笑うのを眩しそうに見つめました。
「あたしにも王子が来てくれるかなぁ?」
「きっと……、」
目を輝かせる女の子に肯定しようとした瞬間、王子は視線を感じて言葉を止めました。
「……」
女の子の後ろにレディヴスが、希望を与えるなと言いたげな目をして立っているのです。
「ええと。じゃあせめて、今日だけはこの僕が君の王子さまでいよう」
「ほんと!?」
王子がそれらしく跪くと、女の子は胸の前で手を合わせ、嬉しそうな声を上げました。
それから、女の子が売られてゆくまでの一日、レグスは王子を演じ切りました。
「王子様、おつかれさん」
「わっ」
女の子を見送った後、黄昏れる王子にレディヴスがグラスを差し出しました。
「王子の舌に合うかはわかんないけど、良い茶葉を貰ったんでね」
受け取ったグラスを鼻に近づけると、ダージリンの強い香り。その香りはレグスがまだ王子だった頃によく嗜んでいたもので。
レグスは頭を振るうと、よく冷えたそれを思い出と共にごくりと飲み込みました。
「子どもの方がしっかりしてて、僕は自分が不甲斐ないよ」
レグスは女の子のことを思い出しました。女の子は、自分の運命を受け入れているようでした。これから奴隷としてどんな仕事が待っているのかもわからないのに、その不安を飲み込んで、笑っていたのです。
レグスにはそれが、立派に見えました。周りに流されて、勝手に自分の人生を諦めた弱い自分よりもずっと真っ当な気がしたのです。
「確かに今のアンタはまだ、しっかりしてると言い難いかもな。でも、アイツにいい思い出作ってくれたのは意味あることだと思う。こりゃあアンタにしかできないことさ、レグス王子」
「優しいね」
「別に。俺としては初対面で突っ撥ねられたことを根に持っちゃいないからね」
「それは、悪かったよ。僕は奴隷商と聞いて良い印象が持てなかったんだ」
「奴隷商なんて、王子の想像通り良いもんじゃないですよ」
「でも。それだけじゃなくて。僕は君の自由さに嫉妬してしまった。だからついあんなことを……」
レグスは自分の言動を思い出し、何とも幼い八つ当たりだったとグラスを持つ手に力を加え、羞恥をやり過ごしました。
「ああ。それは無神経でしたね。うっかり旅の話をしてしまって。窮屈なお城暮らしでは羨ましくもなるんですかね」
「なるさ。いや、今となってはそれも楽じゃないとわかるけども。少し前までは、外の世界は自由そのものだと思っていたんだよ、僕は」
「王子にとって、今の暮らしも窮屈なのでは?」
「まさか。君には感謝しているよ、レディヴス。こうして子どもたちと過ごせている時間は、僕の人生の中で一番充実しているように思う」
「殺せって言ってたくせに」
「ああ。あれで死んでいたら僕はきっと不幸な最後だった。つまらない人生さ。本当はあれが王子としての潔い死に方だったんだろうけど。僕は、“普通”という名の幸せを知ってしまったから」
「そうだな。飯が食えて、しっかり眠れて、勉強ができて。子どもたちが笑い合える。それが“普通”であるべきなんだ。人は普通と言えるときが一番の幸せだろうからな」
「ああ。ここはまるで、人生の最後に“普通”を味わえる楽園のようだ」
「そんな大したもんじゃねえよ。俺は俺の利益が出るようにやってるんだって」
「それでも、子どもたちの笑顔は本物だ。僕も、できることならばずっとここにいたいよ」
「はは。それは有り難いお言葉だ」
からんと音を立てて溶けてゆく氷。レグスはそれを、意味もなくゆらゆらと揺すってやりました。
本当は、ずっと居ていいと言ってほしかった。なんて。
ダージリンティーに映し出された自分の顔がゆらゆらと歪むのを見てレグスは、ああ自分も氷みたいに早く溶けて世界に馴染んでしまえばいいのに、と思うのでした。
「僕の買い手が見つかった?」
レグスがいつものように子どもたちを寝かしつけ、自分の寝る準備をしようとしたとき、丁度レディヴスが遠出から帰ってきて買い手が決まったのだと告げました。
「あぁ。品の良い老夫婦だよ」
「品の良い、老夫婦……?」
レグスは、てっきり自分は体目的で売られるのだろうと思っていたので、その言葉にぽかんとしました。
「孫と暮らしてて、勉強を教えてほしいんだって言ってたからさ。丁度良かったよ。アンタもここじゃあ、やりがいってもんがないだろう?」
「……」
一瞬の沈黙。それを不思議に思ったレディヴスがレグスを覗き込もうとすると、レグスはぱっと顔を上げ、クールに笑ってみせました。
「いや、ここは楽しかったけれどね。ありがとう。本当に君には気を使わせた」
「おう。普通ならこんな手の掛かることやんねえかんな。……まぁ、俺が勝手にお前を買って同情したのが悪いが」
「や、それは感謝してるってば」
「ん。ここまでお膳立てしてやったんだ。後はお前の人生さ。自分で幸せを築き上げていきな」
「ああ。今まで世話になった」
そう言って、二人はどちらからともなく握手を交わし、別れのときを過ごしました。
それからしばらく。レディヴスはいつものように奴隷市へと赴きました。
そこで交わされるのは汚い売買契約。人間を人間として見ていない者たちの集い。
ああ、俺が優しいだなんて本当に馬鹿なことを言うもんだ。俺はここの連中となんら変わりない。人間を奴隷たらしめる悪そのものなのだから。
そんな押し問答を幾度となく繰り返した後レディヴスは、ふと贔屓にしている店主が声を潜めて誰かと話しているのを聞きました。
気になって近づいてみると、それに気づいた話し相手の男は、さっといなくなってしまいました。
「よぅ。お客さん?」
「はあ、いえね、少しまぁ」
目を泳がせる店主に、レディヴスは、確信しました。
「お前、何か隠しているな?」
「勘弁してください、報酬も貰ってるんです」
「誰から貰ったんだ?」
「すみません、すみません、でも、バレたら殺されてまうんです」
レディヴスの鋭い眼光に、店主は怯えながらも命乞いするように手をすり合わせました。
「あのさ。いいからさっさと喋りなよ」
「ひっ……! じ、実は、この前の男が来てですね! あの少年がどこに売られたか聞いてきてですね……!」
祈っていた店主も、殺人鬼のような形相で迫られては、依頼も神も裏切って口を割りました。
「喋ったんだな?」
「す、すみません!!!」
「許さないけど、今は特別。でも、次はないと思ってね?」
「ひっ。は、はいっ……!」
冷たい笑顔を前に、すっかり青ざめた店主を置いて、レディヴスは走り出しました。
一方、老夫婦の家では。
「何をするんだ!」
「うるせえ、ジジイはすっこんでろ!」
「うっ!」「貴方!」
いきなり家に押し入った男が、おじいさんを蹴り飛ばし、レグスの目の前へやってきました。
「お前は、奴隷市の……」
「なんだ。覚えておいてくれたのか。いい心掛けだなあ!」
「気持ち悪いほどに欲が顔に出た醜悪な男、誰でも一目見たら忘れたくても印象に残る」
「は……? 顔がいいからって調子に乗るな。お前はこれからオレの玩具になるんだ。その言葉を訂正した方が今後のためだぞ?」
「僕は正直な感想を言ったまでだ。僕はお前なんかの物にはならない」
「はっ。強がってるが、どうせ足が利かないんだろう? ほんと勝手がいい。いっそ腕まで切り落としてやろうか?」
残忍な笑みを張り付けた男は、レグスの細腕を取り、撫で上げます。
「や、やめろ……! その子に手を出したらワシは許さん……!」
「あ? ジジイは黙っとけって言っただろうがっ!」
助けに入ろうとしたおじいさんでしたが、やはりさっきのように男に蹴り飛ばされてしまいました。
「や、やめろっ!」
「だったら選べ。ここで老いぼれたちが殺されるのを見てるか、オレに従うか」
レグスは、倒れてしまったおじいさんを見つめました。その傍でおばあさんがおじいさんを支えながら恐怖に耐えていました。
「……おじいさんたちは傷つけないでくれ」
「いい子だ。じゃあ誓え。そうだな、まずは手始めに、老いぼれたちの前でキスでもしてもらおうか?」
「……」
本当はそんなことこれっぽっちもしたくありませんでしたが、レグスは静かに頷きました。
やっぱり、僕には無理だったよレディヴス。僕は自分一人じゃどうも幸せになれない。君がせっかく用意してくれたこの場所。それも、僕が壊してしまう。いや、壊させない。壊れるのは僕だけでいい。
レグスは目を閉じて、男に顔を近づけました。
そして、その唇が重なろうとしたとき――。
「そんなこと、させねえよ」
どっ。
「う、うぐあああ!!!!!」
一発の銃声。それが聞こえたと同時に、目の前の男が悲鳴を上げて倒れました。
「おい、無事か?」
その声の主を見上げた瞬間、レグスはどんなに泣きそうになったことでしょう。
「れ、レディヴス……?!」
そこには確かに今、思い浮かべたばかりの彼が立っているのです。
「貴様、追ってきたのか……。くそ、店主め、口を割りやがったな!」
レグスは、すぐにでもレディヴスのもとに走っていきたかったのですが、足が利かないのと、男が悪態をつきながら身を起こし、立ち塞がったのとで叶いませんでした。
「ああ、そうさ。あれはお前より幾分頭がいいようでね。命までは取らなかったよ。優しいだろ?」
「だったらオレがお前共々殺してやるよ……。ジジイもババアも殺して、オレがあれを可愛がって……」
ぐらぐらと煮えるような怒りを満面に湛えた男が、銃で撃たれた足を引き摺り、レディヴスに近づいて……。
「黙れ」
どっ。
「ぐあああ!!!!!」
喋り終わる前に、いとも簡単に撃たれました。
「お前さ、状況わかってんの?」
「クソが……話は最後まで聞けよ、なァ!! お前こそわかってないだろうがよおッ!!」
叫んだ男が懐から取り出すは、二丁の拳銃。それが、レディヴスを狙って同時に弾を放たれました。
が。咄嗟に身を翻したレディヴスは銃弾をギリギリで躱し、次の瞬間、何事もなかったかのように男の額に銃口を突きつけました。
「ああ、なるほど。馬鹿だから、わからないのか」
男はここに来て、初めて気づきました。その冷たい言葉。刺すような視線。レディヴスは、自分に決して容赦するつもりはないのだと。自分の敵う相手ではないのだと。
「オイ、わかった。オレが悪かった。手を引こう。だから……」
プライドを捨てた男は、静かに手を上げ、自分に反抗の意志はないのだと示しましたが。
「ねえ。馬鹿を治す方法ってさ、何だと思う?」
「ヒッ」
レディヴスにとって、それは全く無意味なことでした。
レディヴスの暗く冷たい瞳とかち合った男は、無我夢中で暴れました。
しかし、レディヴスは殴り掛かる男の攻撃を軽く受け止めながら、男を玄関に引きずって……。
「馬鹿はさあ、死なないと治らないんだって」
どっ。
「ああ。死んでも治らないんだっけ? どっちでもいいか」
銃声の後で、心底つまらなさそうに呟きました。
「もう大丈夫ですよ」
「商人さん、あの男は……」
「聞かない方がいいこともありますよ、ご婦人。それよりも旦那さんを手当てしなくてはいけない」
しばらく姿を消していたレディヴスが再び姿を現したとき、ようやく家の中の時が動き出しました。
固まったままだったおばあさんも、おじいさんのために手当を、レディヴスは血に濡れた服や顔をタオルで拭き取り、レグスに微笑みかけました。
「ごめんなさい、僕のせいで……」
レグスは、ようやくその場の全員に謝罪をすると、涙をこぼし始めました。
「大丈夫だよ、ただのかすり傷で済んだからなあ。幸い、孫も遠くに出ていたし。それに、君が無事でよかった」
「ええ。ええ。そうですよ。レグスが連れていかれなくて、本当に、良かった……」
「おじいさん、おばあさん……」
ついにおばあさんまでおいおいと泣き出したところで、三人は本当の家族のように抱き合いました。
「安心した。本当にアンタのことを息子のように可愛がってくれてるじゃないか。こんなことは滅多にない。やっぱり運がいいよ」
しばらくして場が落ち着いたところで、おじいさんのために医者を呼んで。ようやく二人になれたとき、レディヴスはレグスが座る横の椅子に腰かけ、嘆息しました。
「運が良いとはそうでもないさ。足は利かないし、国は滅びるし、変な奴には連れ去られかける」
「確かにそうだな。悪かった。取り消そう」
「いや。でもさ。レディヴスに会えたのはとても幸運なことだと思う」
レグスはそう言うと、真っすぐにレディヴスを見つめました。
その澄んだ瞳を見たときレディヴスは、湖のように綺麗な瞳だな、と思い目を細めました。
「いわゆる命の恩人ってやつだもんな」
「それだけじゃなくて」
そこで言葉を切ったレグスがちょいちょいと手招きするので、レディヴスは不思議に思いながら顔を近づけました。
「ん? どうし……んんっ!?」
意味ありげに笑ったレグスにレディヴスが眉間に皺を寄せた瞬間。レグスは、近づいたレディヴスの唇を、嚙み千切らん勢いで奪いました。
「どうやら、僕はレディヴスのことが好きになっていたらしい」
「……っは?」
唐突の告白。唇を奪われたこともあって、顔を赤くしながら唇を手の甲で拭うレディヴス。それを見つめながら今度はレグスが目を細めて口元を緩めます。
「おじいさんとおばあさん、お孫さん。そして、この家のメイドたちもみんな優しくて、居心地がいい。でも、それなのに。考えるのはいつもレディヴスのことばかりだった」
「レグス?」
レディヴスの頬にレグスが手を伸ばしました。その手が優しく頬を撫で始めてようやく、レディヴスはレグスの気持ちを理解しました。
「どうして僕はレディヴスのことを忘れられないのだろうって思っていた」
「それは……」
「そして窮地に陥り、レディヴスを見た瞬間気づいた。助けられて気づいてしまったんだよ。この胸の痛みに」
「待て、レグス」
「本当にわがままで自分が嫌になる。でも、どうしたって、もうレディヴスと離れたくない」
静かに、だけどありったけの気持ちが込められたその言葉に、レディヴスは息を飲みました。レグスの瞳は、懇願していました。恋に焦がれていました。でも。
「……お前、それはあんまりだ。自分の置かれている幸せを噛み締めるべきだ」
レディヴスは自分の頬を撫でる手をそっと取ると、そのまま引き剥がしました。
レディヴスは知っていました。彼はもうこの家の一員になったのだと。彼はこの家にいるべきで、彼を必要としてくれる人がいる今の状況が、どれほど大切で大事にすべきものなのか、レディヴスにはわかっていたから彼を遠ざけようとしたのです。
しかし、レグスは引こうとしませんでした。
「レディヴス、僕を連れて帰ってくれ。頼むから。僕はとても、レディヴスがいない世界では生きられない!」
「レグス。だから、お前は……」
「説得なんて聞かない。僕は齧りついてでもレディヴスについていく!」
「は、おい、馬鹿! やめ……痛ッ!!」
身を乗り出し、レディヴスに抱き着いたレグスが、レディヴスの首元に噛みつき、その重さに耐えきれなくなった椅子は音を立てて二人と共に床に倒れました。
「っ~! レグス、お前っ、本当に噛みつくやつがあるか!」
「ごめん。でも僕は本気だから」
派手に打ち付けた頭を涙目で撫でるレディヴスが、レグスに“噛みつき”ましたが、レグスは真剣な表情でレディヴスの頬を撫で上げました。そして。
「んぶっ! っ、や、だからっ。やめろって、レグスっ!」
レグスが隙をつき再び唇を重ねると、レディヴスが瞬時にそれを引き離し、怒鳴りました。
「なんで? 駄目なの?」
「駄目に決まってる! だいたい、お前、ここがどこだと……、どこ、だと……」
レディヴスは身を起こし、レグスに更なる文句をぶつけようとしましたが、目線の先、部屋のドアから覗くおばあさんを見たとき、続きの言葉が出てこなくなりました。
「あらあら。ごめんなさい。邪魔するつもりじゃ……」
「あ。おばあさん」
「いや。あ、じゃなくて……。いえ、違うんです、私は、そういうあれではなくですね……」
レディヴスが慌ててレグスを元の椅子に座らせ、言い訳をしようとすると、おばあさんはふっと微笑みました。
「ええ。わかっていますよ。レグスが貴方のことを大好きだってことは」
「いえ、だから……」
「レグス、私たちが気づかないと思ってた?」
「え?」
「わしらはね、お前のことはレディヴスくんの元に返そうと思ってたんだよ」
そう言って、おばあさんの後ろから現れたおじいさんは、本当に傷以外どうもなかったようで、元気な様子でおばあさんと同じく微笑みました。
「は……? ええと、それは。何かご不満な点でも?」
「まさか。レグスはとっても良い子よ。そりゃずっといてほしいぐらいに。でもね」
「お前はずっと我慢していただろう。わかっていたんじゃ。だから、わしらはお前の意志を尊重したい」
部屋に入ってきたおじいさんとおばあさんは、レグスと前に座り込むと、そっとその手を取りました。それは、やはり家族のような温かさがあり、レディヴスは口を挟むタイミングを失ったまま、佇みました。
「まあ、どちらにしろ、その様子なら今日にでもレグスから同じことを頼まれたでしょうけどね」
「ああ。違いないな」
おじいさんとおばあさんは、やはり元気そうに微笑み、意味ありげな視線をレグスとレディヴスに向けました。
「おじいさん、おばあさん……。本当に……? でも、やっぱり、そんなの僕のわがままで……」
「いいのよ、私たちのことはいいの。私たちは貴方より先に死んでしまうもの。そうしたら貴方の足も看てあげられない。本当は私たちも気がついたの。貴方を最後まで幸せにはできないと」
「ごめんなさい。せっかく僕を選んでくれたのに、こんな、足が駄目になった僕を、わざわざ……ううっ」
「お前は幸せになりなさい」
とうとう泣き出したレグスを、おじいさんとおばあさんが抱きしめました。
その様子に、レディヴスもすっかり流されて、貰い泣きを堪えるのがやっとでした。
「商人さん、お願いしてもいいかしら」
「ええと。本当によろしいので?」
「この子の望むことですから」
別れの時がやってきました。レグスは、泣きはらした目で、おばあさんとおじいさんを見つめました。そして。
「本当に、お世話になりました。色々とご迷惑をかけて、すみません。そしてなにより、ありがとうございました」
ぺこりと深くお礼をすると、涙声で別れの挨拶を告げました。
「ええと。それでは後日改めて返金手続きなどを」
「いいの。結婚資金だと思ってちょうだいな」
「けっ……。お、奥様、ご冗談を」
「あら。でも貴方、レグスは貴方にそういう感情があるのでしょう? それで、貴方はどうなのかしらと思ってね」
「いえ、私は。真っ当な人間ではありませんし……。色恋など」
「ああ。だからあんなに初々しい反応だったんだね」
「うっ……。そんなことは……」
「その口ぶりじゃレグスの方がうわてかしら」
「これ、お前。そこまで聞いてやるな」
「とっ、とにかくっ! かわりに正規の家庭教師をよこしましょう」
元気なおじいさんとおばあさんに揶揄われながら、最後はみんな笑っての別れになりました。
レグスは本当に幸せでした。自分は王子としての退屈な人生を送るのだと思っていました。でも、自分の国は滅びて。奴隷に成り下がって。きっとそのままどん底を歩むのだろうと思っていました。それでも。蓋を開けると、とびきりの出会いがあって。こんなに上手く人生が転がったことに怖さすら覚えるほど、運が良かったのです。
お金や名声はなくしてしまったけれど。自分が王子だったことを今は忘れてしまうぐらいに、レグスは今が楽しくて嬉しくて仕方がないのです。
「ごめん。僕、わがままだよな」
帰り道、馬車に乗った二人の間には何とも言えない空気が漂っていました。
「ほんとにな。……でも、もう謝るのは止めにしてくれ。お前がそこまで責任を感じることもない」
その空気を換えるように、レディヴスがそっとレグスの手に自分の手を重ねてやりました。
「やっぱり優しすぎるよ、レディヴスは」
「待て。抱きつくな」
「駄目なの?」
「駄目だって……って、首に唇くっつけるな……! ってか、なんで吸い付いてる?!」
「ん。そりゃ、言ったでしょ。僕はレディヴスが好きだって」
「それ、わけわからん。きっと勘違いだ。命の恩人だからって神聖視しすぎた結果だ」
「よくわかんないけどさ。短い間だったけど、一緒に暮らしてさ。子どもたちと接するアンタとか、くたくたになって帰ってくるアンタとか、なんかいいなって思ったらさ。あ、これ恋なんじゃないかってね。まあ、優しくされたからってのも大いにあると思うけど」
「やっぱ勘違いだろ」
「じゃあ、レディヴスは僕のこと嫌い?」
「それは、別に嫌いじゃないけど」
「じゃあいい?」
「よくない! お前、足危ないんだから、ちゃんと大人しくしてろって」
「嫌だね。大人しくしてたらレディヴスは僕の気持ち、なあなあにするでしょ」
「それは……」
「だったら、僕はレディヴスに想ってもらえるまで、気持ちを伝え続けるよ」
「っ、わがまま」
「構わない。僕は幸せが欲しいから。レディヴスが欲しいから。だから」
「ッ、んん!」
レグスは、レディヴスの首を思い切り噛み、怯んだところで唇を重ねました。
そうして。困難を乗り越えた奴隷商と王子は、愛を育み、幸せに暮らしました。おしまい。
奴隷商:レディヴス=イラ
元王子:レグス
王子×奴隷商
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あるところに、一国の王子がいました。
王子の容姿は麗しく、一目その姿を見ようと、よその国から人がひっきりなしに訪れるくらいでした。
が、王子はそれを愁いでいました。物心ついたときからずっと見世物のようにじろじろと見られてきた彼にとって、城での暮らしは窮屈でしかありませんでした。
そんなある日、王子は城にやってきた一人の奴隷商を紹介されました。
いつも一人でいる王子に、気に入る奴隷がいたのなら買ってあげようと王が招いたのです。
鎖に繋がれ拘束された奴隷たちは、どれも淀んだ瞳でぐったりとして、人形のように不気味でした。
この中からどれか選べだって? こんなに恐ろしいもの、金を積まれたって引き取りたくない!
王子は、心の中でそう叫びました。でも、父親の好意を無下にするのもな、と奴隷商を一瞥。
奴隷商は、王と談笑していました。
耳を傾けてみると、どうやら奴隷商は話を盛り上げるために、旅をして体験した面白話を披露しているようでした。
その話は、滅多に外に出ない王子にとって、羨ましいものばかりで。
「さて、王子様。そろそろお決まりですか?」
王子が見ていることに気づき、話を切り上げた奴隷商が尋ねました。
そのおもねるような笑顔に、王子は何だか腹が立ち……。
「穢らわしい生業め。お前から買うものなどない!」
どんっ。
気づくと、奴隷商を突っ撥ねていました。
いきなりのことに、油断した奴隷商はよろめき、倒れ込んでしまいました。
「痛って……」
「こら、レグス何をするか! 君、大丈夫か?」
「お父様! 僕に奴隷など不要です。さっさとその商人を追い返してください!」
こうして、奴隷商は王子に奴隷を売りつけることも叶わず、その国を後にしました。
王子も奴隷商も、もう会うことはないだろうとお互いのことを忘れようとしました。
でも、やはり運命というものはあるのでしょう。
あの出来事から数か月。奴隷商、レディヴス=イラはいつものように新しい奴隷を仕入れるために、奴隷市へとやってきました。
「おや、イラの旦那。今日は早すぎる」
「ああ。今日はなんだか目が覚めちまってさ」
「仕事熱心なことで」
レディヴスは、まだ準備中の店主と他愛のない言葉を交わしながら、ふと、荷馬車の中を覗きました。
「えっ。なんで」
「あ、ちょっと旦那。勝手に見ないでくださいよ!」
その中身を見て驚きの声を上げるレディヴスに、店主が慌てて駆け寄り、視界を遮るように立ちはだかりました。が、それもすでに遅く。
レディヴスはすっかり見てしまったのです。そこに座る、美しい少年の姿を。
「おい、これは一体……」
「まったく勘のいい人だ」
諦めたように店主が呟き体をずらすと、そこにいる少年はレディヴスにとって知っている顔。
「お前、こいつはレグス王子じゃないか……」
そう。あのときレディヴスを追い出した王子その人だったのです。
「いやあ。さすが旦那。まさかご存じだったとは。いやね、私は存じ上げなかったんですがね、先日に一つの王国が戦争に負けて滅びたんです。そこで生き延びた王子が綺麗だったので、殺さずに売って貰えるよう頼み込んだんですわ」
「そんなことして大丈夫なのか? それにこいつ、繋がれてもいないじゃないか」
「はは。さすがに大っぴらには売れませんがね。鎖についてはご心配なく。何しろ、これは脚が利かないようでね」
「戦いで傷ついたのか……?」
レディヴスは、王子に向かって問いましたが、王子はそれを受けて、ふいと目を逸らしました。
「どうです? 旦那にだったら売っても構いませんよ?」
「いや、高すぎるし厄介でしかないだろう」
一旦考えてみたものの、やはり面倒なことはごめんだとレディヴスは他の商品に目を向けました。
「はあはあ、そうですかではまたの機会に」
まさか、あのときの王子がね。
レディヴスは自分の腕を撫でました。そこには、王子に押し倒されて出来た痣が未だ薄く残っていて。
ざまあみろとは言わないが……。何と言うか、哀れなものだな。
「オイ、店主。それは何だ!」
そうこうしていると、怒鳴るように荒々しく店主に訪ねる声が聞こえてきました。
「ええ。はい、旦那ァ。これは良い品ですよ。どうぞ見てってください」
レディヴスが新しく現れた客をちらと横目で伺うと、それは巨体の男でした。
品の悪い笑みを浮かべ、王子をじろじろ舐めまわすように見つめ始める男。それにレディヴスは思わず身震いをしました。
そしてこいつに買われるのは何か癪だな、と思った瞬間、レディヴスは行動に出ていました。
「やはりこいつは私が買うよ」
「え、ですが、」
「私に売ってくれるよね?」
「は、ははっ、当たり前じゃあないですか!」
レディヴスがにっこりと裏のある微笑みをくれてやると、店主は冷や汗を掻きながら、両手をこすり合わせました。
「オイ、店主それは」
「お客さん、悪いけどこいつは旦那が先に予約済みでねぇ!」
気味の悪い男が言葉を発する前に、店主が先手を打っての一言。
そうして、レディヴスはレグス王子を買うことになりました。
「僕など買っても何の役にも立たないぞ。お前も厄介だと言っていたじゃないか」
「はは。聞いてた? まあね」
拠点に連れ帰って開口一番。王子に言われた言葉に、レディヴスは笑うしかありませんでした。
本当に、役に立たないことはわかってたんだけどな。俺にも同情心なんてものがあったなんてね。
「同情で連れて来られるのは迷惑だ。そんなんなら殺された方がいい」
心を見透かされたようにタイミングばっちりな王子の言葉に、レディヴスは思わず目を丸くし、後半の言葉にムッとしました。
「相変わらず可愛くない王子様だなぁ。確かに俺も情で買ったのは後悔してる。でもお前、殺された方がいいってのは、もっと悲惨な体験してから言いな」
「僕の足を見ろ。これが悲惨じゃないってのか? こんな一人で歩けもしない体で生きているなんて、王国は滅びたってのに、王子である僕がこうして生き残っているなんて……。どう考えたって、死んだ方がマシだ」
「そりゃお前の苦しみはわかんねえよ。でも、お前はあのままあそこにいたら、もっと悲惨なことさせられてたぜ?」
「……恩を売ったつもりか?」
「だから、今のお前に恩売っても見返りなんてないだろ。完全に金の無駄遣いだよ」
「……。僕の記憶が正しければお前は先日城に来た奴隷商だよな?」
「ああ。そうそう。レグス王子に張っ倒された可哀想な奴隷商さ。覚えて頂けていたようで光栄だな」
「それじゃあやはり尚更だ。助ける理由がない。お前はマゾなのか?」
「まっ……。酷い言葉をご存じで。全く、善行なんて滅多にやるもんじゃない」
「ああ。お前は僕を殺すべきだ。それが最大の善行であり、双方の幸せだ」
「……それじゃあ王子様には生きてもらわないとな。俺はこれ以上徳を積むつもりはないし、お前を幸せにするつもりだってない。そうだな、対価が要るってんなら、この子たちに文字や言葉を教えてほしい」
「この子たち……?」
レディヴスが指し示した先、それを王子が目で追い、それらと目が合った瞬間。
「お兄ちゃん、だあれ?」「新入りさん?」「綺麗なお顔だね~!」
「な、いつの間に……」
いつの間にやら王子を取り囲んだ少年少女が、堪えていた言葉を口々に発し始めました。
「俺も教えてるんだけど、どうも手間がかかってね」
そんな子どもたちの頭に手を乗せ、撫でてやりながらレディヴスは嘆息しました。
「お前は人に教えられるほど勉強ができるのか……?」
「あはは。そんな大したことじゃない。独学で一般教養を齧った程度のものさ」
「子どもたちにそれを教えるというのは、何故だ? この子たちも奴隷なんだろう?」
「ええ。そうですとも。皆いずれは売られてゆく。でも、幼い彼らには最低限の教養を叩きこんでからってのが俺のポリシーなんです」
「君はロリコンなのか?」
「またそんなお言葉を……。一応訂正しますが、そういうんじゃないですからね」
「君は良い奴隷商なのか」
「子どもだけだよ。こうすると人の良い客に受けがいいんだ。それだけさ」
そう言って笑うレディヴスは、王子の目に少しだけ眩しく映るのでした。
それから少し経って、王子はすっかり子どもたちの良い先生となって皆に慕われていました。
「レグス様~! ほら見て! あたしの引き取り手が見つかったのよ!」
「それは、ええと。おめでとう」
女の子が一枚の契約書を王子に見せてやると、王子は曖昧に微笑みました。
王子にはわかりませんでした。引き取り手が見つかるということが良いことなのか、はたまた悪いことなのか。
だから王子はとりあえず、女の子を優しく撫でてやりました。
「ふふ。レグス様って、本当の王子様みたい……」
その行動はどうやら正解だったようで、女の子は嬉しそうに身をよじって王子を見上げました。
「あはは。僕が王子だなんて」
「でも、レディヴスはレグス様のこと王子って呼ぶわよ?」
「前も言ったけど、僕は王子じゃない。そんなもの、務まりっこないんだよ……。彼のは、そう、揶揄って呼ぶだけさ」
「それでも、あたしにとってレグス様は間違いなく王子様だもの!」
王子は、女の子が笑うのを眩しそうに見つめました。
「あたしにも王子が来てくれるかなぁ?」
「きっと……、」
目を輝かせる女の子に肯定しようとした瞬間、王子は視線を感じて言葉を止めました。
「……」
女の子の後ろにレディヴスが、希望を与えるなと言いたげな目をして立っているのです。
「ええと。じゃあせめて、今日だけはこの僕が君の王子さまでいよう」
「ほんと!?」
王子がそれらしく跪くと、女の子は胸の前で手を合わせ、嬉しそうな声を上げました。
それから、女の子が売られてゆくまでの一日、レグスは王子を演じ切りました。
「王子様、おつかれさん」
「わっ」
女の子を見送った後、黄昏れる王子にレディヴスがグラスを差し出しました。
「王子の舌に合うかはわかんないけど、良い茶葉を貰ったんでね」
受け取ったグラスを鼻に近づけると、ダージリンの強い香り。その香りはレグスがまだ王子だった頃によく嗜んでいたもので。
レグスは頭を振るうと、よく冷えたそれを思い出と共にごくりと飲み込みました。
「子どもの方がしっかりしてて、僕は自分が不甲斐ないよ」
レグスは女の子のことを思い出しました。女の子は、自分の運命を受け入れているようでした。これから奴隷としてどんな仕事が待っているのかもわからないのに、その不安を飲み込んで、笑っていたのです。
レグスにはそれが、立派に見えました。周りに流されて、勝手に自分の人生を諦めた弱い自分よりもずっと真っ当な気がしたのです。
「確かに今のアンタはまだ、しっかりしてると言い難いかもな。でも、アイツにいい思い出作ってくれたのは意味あることだと思う。こりゃあアンタにしかできないことさ、レグス王子」
「優しいね」
「別に。俺としては初対面で突っ撥ねられたことを根に持っちゃいないからね」
「それは、悪かったよ。僕は奴隷商と聞いて良い印象が持てなかったんだ」
「奴隷商なんて、王子の想像通り良いもんじゃないですよ」
「でも。それだけじゃなくて。僕は君の自由さに嫉妬してしまった。だからついあんなことを……」
レグスは自分の言動を思い出し、何とも幼い八つ当たりだったとグラスを持つ手に力を加え、羞恥をやり過ごしました。
「ああ。それは無神経でしたね。うっかり旅の話をしてしまって。窮屈なお城暮らしでは羨ましくもなるんですかね」
「なるさ。いや、今となってはそれも楽じゃないとわかるけども。少し前までは、外の世界は自由そのものだと思っていたんだよ、僕は」
「王子にとって、今の暮らしも窮屈なのでは?」
「まさか。君には感謝しているよ、レディヴス。こうして子どもたちと過ごせている時間は、僕の人生の中で一番充実しているように思う」
「殺せって言ってたくせに」
「ああ。あれで死んでいたら僕はきっと不幸な最後だった。つまらない人生さ。本当はあれが王子としての潔い死に方だったんだろうけど。僕は、“普通”という名の幸せを知ってしまったから」
「そうだな。飯が食えて、しっかり眠れて、勉強ができて。子どもたちが笑い合える。それが“普通”であるべきなんだ。人は普通と言えるときが一番の幸せだろうからな」
「ああ。ここはまるで、人生の最後に“普通”を味わえる楽園のようだ」
「そんな大したもんじゃねえよ。俺は俺の利益が出るようにやってるんだって」
「それでも、子どもたちの笑顔は本物だ。僕も、できることならばずっとここにいたいよ」
「はは。それは有り難いお言葉だ」
からんと音を立てて溶けてゆく氷。レグスはそれを、意味もなくゆらゆらと揺すってやりました。
本当は、ずっと居ていいと言ってほしかった。なんて。
ダージリンティーに映し出された自分の顔がゆらゆらと歪むのを見てレグスは、ああ自分も氷みたいに早く溶けて世界に馴染んでしまえばいいのに、と思うのでした。
「僕の買い手が見つかった?」
レグスがいつものように子どもたちを寝かしつけ、自分の寝る準備をしようとしたとき、丁度レディヴスが遠出から帰ってきて買い手が決まったのだと告げました。
「あぁ。品の良い老夫婦だよ」
「品の良い、老夫婦……?」
レグスは、てっきり自分は体目的で売られるのだろうと思っていたので、その言葉にぽかんとしました。
「孫と暮らしてて、勉強を教えてほしいんだって言ってたからさ。丁度良かったよ。アンタもここじゃあ、やりがいってもんがないだろう?」
「……」
一瞬の沈黙。それを不思議に思ったレディヴスがレグスを覗き込もうとすると、レグスはぱっと顔を上げ、クールに笑ってみせました。
「いや、ここは楽しかったけれどね。ありがとう。本当に君には気を使わせた」
「おう。普通ならこんな手の掛かることやんねえかんな。……まぁ、俺が勝手にお前を買って同情したのが悪いが」
「や、それは感謝してるってば」
「ん。ここまでお膳立てしてやったんだ。後はお前の人生さ。自分で幸せを築き上げていきな」
「ああ。今まで世話になった」
そう言って、二人はどちらからともなく握手を交わし、別れのときを過ごしました。
それからしばらく。レディヴスはいつものように奴隷市へと赴きました。
そこで交わされるのは汚い売買契約。人間を人間として見ていない者たちの集い。
ああ、俺が優しいだなんて本当に馬鹿なことを言うもんだ。俺はここの連中となんら変わりない。人間を奴隷たらしめる悪そのものなのだから。
そんな押し問答を幾度となく繰り返した後レディヴスは、ふと贔屓にしている店主が声を潜めて誰かと話しているのを聞きました。
気になって近づいてみると、それに気づいた話し相手の男は、さっといなくなってしまいました。
「よぅ。お客さん?」
「はあ、いえね、少しまぁ」
目を泳がせる店主に、レディヴスは、確信しました。
「お前、何か隠しているな?」
「勘弁してください、報酬も貰ってるんです」
「誰から貰ったんだ?」
「すみません、すみません、でも、バレたら殺されてまうんです」
レディヴスの鋭い眼光に、店主は怯えながらも命乞いするように手をすり合わせました。
「あのさ。いいからさっさと喋りなよ」
「ひっ……! じ、実は、この前の男が来てですね! あの少年がどこに売られたか聞いてきてですね……!」
祈っていた店主も、殺人鬼のような形相で迫られては、依頼も神も裏切って口を割りました。
「喋ったんだな?」
「す、すみません!!!」
「許さないけど、今は特別。でも、次はないと思ってね?」
「ひっ。は、はいっ……!」
冷たい笑顔を前に、すっかり青ざめた店主を置いて、レディヴスは走り出しました。
一方、老夫婦の家では。
「何をするんだ!」
「うるせえ、ジジイはすっこんでろ!」
「うっ!」「貴方!」
いきなり家に押し入った男が、おじいさんを蹴り飛ばし、レグスの目の前へやってきました。
「お前は、奴隷市の……」
「なんだ。覚えておいてくれたのか。いい心掛けだなあ!」
「気持ち悪いほどに欲が顔に出た醜悪な男、誰でも一目見たら忘れたくても印象に残る」
「は……? 顔がいいからって調子に乗るな。お前はこれからオレの玩具になるんだ。その言葉を訂正した方が今後のためだぞ?」
「僕は正直な感想を言ったまでだ。僕はお前なんかの物にはならない」
「はっ。強がってるが、どうせ足が利かないんだろう? ほんと勝手がいい。いっそ腕まで切り落としてやろうか?」
残忍な笑みを張り付けた男は、レグスの細腕を取り、撫で上げます。
「や、やめろ……! その子に手を出したらワシは許さん……!」
「あ? ジジイは黙っとけって言っただろうがっ!」
助けに入ろうとしたおじいさんでしたが、やはりさっきのように男に蹴り飛ばされてしまいました。
「や、やめろっ!」
「だったら選べ。ここで老いぼれたちが殺されるのを見てるか、オレに従うか」
レグスは、倒れてしまったおじいさんを見つめました。その傍でおばあさんがおじいさんを支えながら恐怖に耐えていました。
「……おじいさんたちは傷つけないでくれ」
「いい子だ。じゃあ誓え。そうだな、まずは手始めに、老いぼれたちの前でキスでもしてもらおうか?」
「……」
本当はそんなことこれっぽっちもしたくありませんでしたが、レグスは静かに頷きました。
やっぱり、僕には無理だったよレディヴス。僕は自分一人じゃどうも幸せになれない。君がせっかく用意してくれたこの場所。それも、僕が壊してしまう。いや、壊させない。壊れるのは僕だけでいい。
レグスは目を閉じて、男に顔を近づけました。
そして、その唇が重なろうとしたとき――。
「そんなこと、させねえよ」
どっ。
「う、うぐあああ!!!!!」
一発の銃声。それが聞こえたと同時に、目の前の男が悲鳴を上げて倒れました。
「おい、無事か?」
その声の主を見上げた瞬間、レグスはどんなに泣きそうになったことでしょう。
「れ、レディヴス……?!」
そこには確かに今、思い浮かべたばかりの彼が立っているのです。
「貴様、追ってきたのか……。くそ、店主め、口を割りやがったな!」
レグスは、すぐにでもレディヴスのもとに走っていきたかったのですが、足が利かないのと、男が悪態をつきながら身を起こし、立ち塞がったのとで叶いませんでした。
「ああ、そうさ。あれはお前より幾分頭がいいようでね。命までは取らなかったよ。優しいだろ?」
「だったらオレがお前共々殺してやるよ……。ジジイもババアも殺して、オレがあれを可愛がって……」
ぐらぐらと煮えるような怒りを満面に湛えた男が、銃で撃たれた足を引き摺り、レディヴスに近づいて……。
「黙れ」
どっ。
「ぐあああ!!!!!」
喋り終わる前に、いとも簡単に撃たれました。
「お前さ、状況わかってんの?」
「クソが……話は最後まで聞けよ、なァ!! お前こそわかってないだろうがよおッ!!」
叫んだ男が懐から取り出すは、二丁の拳銃。それが、レディヴスを狙って同時に弾を放たれました。
が。咄嗟に身を翻したレディヴスは銃弾をギリギリで躱し、次の瞬間、何事もなかったかのように男の額に銃口を突きつけました。
「ああ、なるほど。馬鹿だから、わからないのか」
男はここに来て、初めて気づきました。その冷たい言葉。刺すような視線。レディヴスは、自分に決して容赦するつもりはないのだと。自分の敵う相手ではないのだと。
「オイ、わかった。オレが悪かった。手を引こう。だから……」
プライドを捨てた男は、静かに手を上げ、自分に反抗の意志はないのだと示しましたが。
「ねえ。馬鹿を治す方法ってさ、何だと思う?」
「ヒッ」
レディヴスにとって、それは全く無意味なことでした。
レディヴスの暗く冷たい瞳とかち合った男は、無我夢中で暴れました。
しかし、レディヴスは殴り掛かる男の攻撃を軽く受け止めながら、男を玄関に引きずって……。
「馬鹿はさあ、死なないと治らないんだって」
どっ。
「ああ。死んでも治らないんだっけ? どっちでもいいか」
銃声の後で、心底つまらなさそうに呟きました。
「もう大丈夫ですよ」
「商人さん、あの男は……」
「聞かない方がいいこともありますよ、ご婦人。それよりも旦那さんを手当てしなくてはいけない」
しばらく姿を消していたレディヴスが再び姿を現したとき、ようやく家の中の時が動き出しました。
固まったままだったおばあさんも、おじいさんのために手当を、レディヴスは血に濡れた服や顔をタオルで拭き取り、レグスに微笑みかけました。
「ごめんなさい、僕のせいで……」
レグスは、ようやくその場の全員に謝罪をすると、涙をこぼし始めました。
「大丈夫だよ、ただのかすり傷で済んだからなあ。幸い、孫も遠くに出ていたし。それに、君が無事でよかった」
「ええ。ええ。そうですよ。レグスが連れていかれなくて、本当に、良かった……」
「おじいさん、おばあさん……」
ついにおばあさんまでおいおいと泣き出したところで、三人は本当の家族のように抱き合いました。
「安心した。本当にアンタのことを息子のように可愛がってくれてるじゃないか。こんなことは滅多にない。やっぱり運がいいよ」
しばらくして場が落ち着いたところで、おじいさんのために医者を呼んで。ようやく二人になれたとき、レディヴスはレグスが座る横の椅子に腰かけ、嘆息しました。
「運が良いとはそうでもないさ。足は利かないし、国は滅びるし、変な奴には連れ去られかける」
「確かにそうだな。悪かった。取り消そう」
「いや。でもさ。レディヴスに会えたのはとても幸運なことだと思う」
レグスはそう言うと、真っすぐにレディヴスを見つめました。
その澄んだ瞳を見たときレディヴスは、湖のように綺麗な瞳だな、と思い目を細めました。
「いわゆる命の恩人ってやつだもんな」
「それだけじゃなくて」
そこで言葉を切ったレグスがちょいちょいと手招きするので、レディヴスは不思議に思いながら顔を近づけました。
「ん? どうし……んんっ!?」
意味ありげに笑ったレグスにレディヴスが眉間に皺を寄せた瞬間。レグスは、近づいたレディヴスの唇を、嚙み千切らん勢いで奪いました。
「どうやら、僕はレディヴスのことが好きになっていたらしい」
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唐突の告白。唇を奪われたこともあって、顔を赤くしながら唇を手の甲で拭うレディヴス。それを見つめながら今度はレグスが目を細めて口元を緩めます。
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しかし、レグスは引こうとしませんでした。
「レディヴス、僕を連れて帰ってくれ。頼むから。僕はとても、レディヴスがいない世界では生きられない!」
「レグス。だから、お前は……」
「説得なんて聞かない。僕は齧りついてでもレディヴスについていく!」
「は、おい、馬鹿! やめ……痛ッ!!」
身を乗り出し、レディヴスに抱き着いたレグスが、レディヴスの首元に噛みつき、その重さに耐えきれなくなった椅子は音を立てて二人と共に床に倒れました。
「っ~! レグス、お前っ、本当に噛みつくやつがあるか!」
「ごめん。でも僕は本気だから」
派手に打ち付けた頭を涙目で撫でるレディヴスが、レグスに“噛みつき”ましたが、レグスは真剣な表情でレディヴスの頬を撫で上げました。そして。
「んぶっ! っ、や、だからっ。やめろって、レグスっ!」
レグスが隙をつき再び唇を重ねると、レディヴスが瞬時にそれを引き離し、怒鳴りました。
「なんで? 駄目なの?」
「駄目に決まってる! だいたい、お前、ここがどこだと……、どこ、だと……」
レディヴスは身を起こし、レグスに更なる文句をぶつけようとしましたが、目線の先、部屋のドアから覗くおばあさんを見たとき、続きの言葉が出てこなくなりました。
「あらあら。ごめんなさい。邪魔するつもりじゃ……」
「あ。おばあさん」
「いや。あ、じゃなくて……。いえ、違うんです、私は、そういうあれではなくですね……」
レディヴスが慌ててレグスを元の椅子に座らせ、言い訳をしようとすると、おばあさんはふっと微笑みました。
「ええ。わかっていますよ。レグスが貴方のことを大好きだってことは」
「いえ、だから……」
「レグス、私たちが気づかないと思ってた?」
「え?」
「わしらはね、お前のことはレディヴスくんの元に返そうと思ってたんだよ」
そう言って、おばあさんの後ろから現れたおじいさんは、本当に傷以外どうもなかったようで、元気な様子でおばあさんと同じく微笑みました。
「は……? ええと、それは。何かご不満な点でも?」
「まさか。レグスはとっても良い子よ。そりゃずっといてほしいぐらいに。でもね」
「お前はずっと我慢していただろう。わかっていたんじゃ。だから、わしらはお前の意志を尊重したい」
部屋に入ってきたおじいさんとおばあさんは、レグスと前に座り込むと、そっとその手を取りました。それは、やはり家族のような温かさがあり、レディヴスは口を挟むタイミングを失ったまま、佇みました。
「まあ、どちらにしろ、その様子なら今日にでもレグスから同じことを頼まれたでしょうけどね」
「ああ。違いないな」
おじいさんとおばあさんは、やはり元気そうに微笑み、意味ありげな視線をレグスとレディヴスに向けました。
「おじいさん、おばあさん……。本当に……? でも、やっぱり、そんなの僕のわがままで……」
「いいのよ、私たちのことはいいの。私たちは貴方より先に死んでしまうもの。そうしたら貴方の足も看てあげられない。本当は私たちも気がついたの。貴方を最後まで幸せにはできないと」
「ごめんなさい。せっかく僕を選んでくれたのに、こんな、足が駄目になった僕を、わざわざ……ううっ」
「お前は幸せになりなさい」
とうとう泣き出したレグスを、おじいさんとおばあさんが抱きしめました。
その様子に、レディヴスもすっかり流されて、貰い泣きを堪えるのがやっとでした。
「商人さん、お願いしてもいいかしら」
「ええと。本当によろしいので?」
「この子の望むことですから」
別れの時がやってきました。レグスは、泣きはらした目で、おばあさんとおじいさんを見つめました。そして。
「本当に、お世話になりました。色々とご迷惑をかけて、すみません。そしてなにより、ありがとうございました」
ぺこりと深くお礼をすると、涙声で別れの挨拶を告げました。
「ええと。それでは後日改めて返金手続きなどを」
「いいの。結婚資金だと思ってちょうだいな」
「けっ……。お、奥様、ご冗談を」
「あら。でも貴方、レグスは貴方にそういう感情があるのでしょう? それで、貴方はどうなのかしらと思ってね」
「いえ、私は。真っ当な人間ではありませんし……。色恋など」
「ああ。だからあんなに初々しい反応だったんだね」
「うっ……。そんなことは……」
「その口ぶりじゃレグスの方がうわてかしら」
「これ、お前。そこまで聞いてやるな」
「とっ、とにかくっ! かわりに正規の家庭教師をよこしましょう」
元気なおじいさんとおばあさんに揶揄われながら、最後はみんな笑っての別れになりました。
レグスは本当に幸せでした。自分は王子としての退屈な人生を送るのだと思っていました。でも、自分の国は滅びて。奴隷に成り下がって。きっとそのままどん底を歩むのだろうと思っていました。それでも。蓋を開けると、とびきりの出会いがあって。こんなに上手く人生が転がったことに怖さすら覚えるほど、運が良かったのです。
お金や名声はなくしてしまったけれど。自分が王子だったことを今は忘れてしまうぐらいに、レグスは今が楽しくて嬉しくて仕方がないのです。
「ごめん。僕、わがままだよな」
帰り道、馬車に乗った二人の間には何とも言えない空気が漂っていました。
「ほんとにな。……でも、もう謝るのは止めにしてくれ。お前がそこまで責任を感じることもない」
その空気を換えるように、レディヴスがそっとレグスの手に自分の手を重ねてやりました。
「やっぱり優しすぎるよ、レディヴスは」
「待て。抱きつくな」
「駄目なの?」
「駄目だって……って、首に唇くっつけるな……! ってか、なんで吸い付いてる?!」
「ん。そりゃ、言ったでしょ。僕はレディヴスが好きだって」
「それ、わけわからん。きっと勘違いだ。命の恩人だからって神聖視しすぎた結果だ」
「よくわかんないけどさ。短い間だったけど、一緒に暮らしてさ。子どもたちと接するアンタとか、くたくたになって帰ってくるアンタとか、なんかいいなって思ったらさ。あ、これ恋なんじゃないかってね。まあ、優しくされたからってのも大いにあると思うけど」
「やっぱ勘違いだろ」
「じゃあ、レディヴスは僕のこと嫌い?」
「それは、別に嫌いじゃないけど」
「じゃあいい?」
「よくない! お前、足危ないんだから、ちゃんと大人しくしてろって」
「嫌だね。大人しくしてたらレディヴスは僕の気持ち、なあなあにするでしょ」
「それは……」
「だったら、僕はレディヴスに想ってもらえるまで、気持ちを伝え続けるよ」
「っ、わがまま」
「構わない。僕は幸せが欲しいから。レディヴスが欲しいから。だから」
「ッ、んん!」
レグスは、レディヴスの首を思い切り噛み、怯んだところで唇を重ねました。
そうして。困難を乗り越えた奴隷商と王子は、愛を育み、幸せに暮らしました。おしまい。
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(仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな)
ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり――
なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。
そして気づく。
「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」
煙草をくゆらせる仕草。
ネクタイを緩める無防備な姿。
そのたびに、陽翔の理性は削られていく。
「俺、もう待てないんで……」
ついに陽翔は榊を追い詰めるが――
「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」
攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。
じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。
【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】
主任補佐として、ちゃんとせなあかん──
そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。
春のすこし手前、まだ肌寒い季節。
新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。
風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。
何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。
拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。
年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。
これはまだ、恋になる“少し前”の物語。
関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。
(5月14日より連載開始)
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
BL 男達の性事情
蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。
漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。
漁師の仕事は多岐にわたる。
例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。
陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、
多彩だ。
漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。
漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。
養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。
陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。
漁業の種類と言われる仕事がある。
漁師の仕事だ。
仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。
沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。
日本の漁師の多くがこの形態なのだ。
沖合(近海)漁業という仕事もある。
沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。
遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。
内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。
漁師の働き方は、さまざま。
漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。
出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。
休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。
個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。
漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。
専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。
資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。
漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。
食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。
地域との連携も必要である。
沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。
この物語の主人公は極楽翔太。18歳。
翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。
もう一人の主人公は木下英二。28歳。
地元で料理旅館を経営するオーナー。
翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。
この物語の始まりである。
この物語はフィクションです。
この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。
タトゥーの甘い檻
マリ・シンジュ
BL
執着系わんこ攻(大学生)× 高潔な美形教授受(30代)
どのお話も単体でお楽しみいただけます。
「先生、ここ……僕の瞳を入れるから。ずっと、僕だけを見てて」
真面目な大学教授・新城が、大学生の・羽生にだけ許した、あまりにも淫らな「わがまま」。
それは、誰にも見えない内腿の奥深くに、消えないタトゥーを刻むこと。
「下書き」と称して肌を赤く染めるペン先の冷たさ。
アトリエの無機質なライトの下、四つん這いで晒される大人の矜持。
ずっと年下の青年の、必死で、残酷で、純粋な独占欲。
愚かだと知りながら、新城はその熱に絆され、ゆっくりと「聖域」を明け渡していく――。
「……お前のわがままには、最後まで付き合う」
針が通るその時、二人の関係は一生消えない「共犯」へと変わる。
執着攻め×年上受け、密やかに刻まれる秘め事のお話。
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
イケメンモデルと新人マネージャーが結ばれるまでの話
タタミ
BL
新坂真澄…27歳。トップモデル。端正な顔立ちと抜群のスタイルでブレイク中。瀬戸のことが好きだが、隠している。
瀬戸幸人…24歳。マネージャー。最近新坂の担当になった社会人2年目。新坂に仲良くしてもらって懐いているが、好意には気付いていない。
笹川尚也…27歳。チーフマネージャー。新坂とは学生時代からの友人関係。新坂のことは大抵なんでも分かる。
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