アズアメ創作BL短編集

アズアメ

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(73)仮面とたこ焼き

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更科 紡(さらしな つむぐ)
 仮面優等生。学級委員長。心の中では毒吐きまくるが、誰にもバレていない。はずだった。(親が鬱を患っており、酷い言葉を浴びせられてきた。ので、自己肯定感が低い。ので、自分の存在価値を見出すために完璧を演じている(ここまで無自覚)。)

佐貫 徹(さぬき とおる)
 不良転校生。大阪弁。意外と気さくで、曲がったことが嫌い。紡の生き方が目について説教染みた真似をする。
(親戚ほとんど教職についている。両親も例外ではなく忙しい日々で、徹への愛情が薄かった。そのくせ、将来への期待が重く、圧に耐え切れなくなった徹は不良として振る舞うように。一族の恥さらしと言われ続けているが、本人は自分の選択が正しかったのだと思っている。)

名前の由来は、“そば”と“うどん”(なぜなのか)。

委員長の本性を知って、何かと絡んでチュッチュしてくる不良関西人×本性を知られても白を切り通したい劣等感ありありの委員長。
可愛げのないプライド激高受けに説教ちょっかいかけたら意外と脆くて勘弁してくれ~(ギャップ萌え)ってなる攻めが好きです!
ちなみにモグラってのはリセ〇トさんのことです。スマ〇ラのアシストでめちゃくちゃ長い説教垂れて帰る思い出がすごい。
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 僕は本当に人間なのだろうか。
 僕にはわからない。どれだけ考えたって、きっと僕じゃあ答えが出せない。
 だから。僕はそれがバレないように仮面を被ろう。


『あ、委員長! ノートありがと~。持って帰っちゃってごめんね!』
「ううん、大丈夫。役に立てて良かったよ」
 勝手に持って帰りやがって、アホ女が。
『委員長! 頼む、やっぱリレーにも出てくれ!』
「しょうがないなぁ」
 全競技出るとか体育祭で僕を殺す気かよ、くそったれ。
『更科! 例の転校生のことなんだが、またプリントが一人だけ出てなくてな』
「僕から言っときますね」
 教師のくせにパシってんじゃねぇよ、くそが。
『『『さすが委員長!』』』
「あはは」
 ほんと、疲れる。全員死んでくれ。
 僕、更科 紡は高校二年。善良な学級委員長を続けること一年半。御察しの通り、文武両道顔良し愛想良しと評判も悪くない、いやむしろ頼れる委員長として、クラス内外問わず面倒事を押し付けられる日々を送っていた。
 勿論それは、とても充実していて。ああ、高校生の内からこんなに人の役に立てるなんて。なんて素晴らしい青春なのだろうか。人のために尽力し、感謝の言葉を聞き、僕の奉仕の精神は育まれ、そして僕の心は、それはもう清く美しく綺麗に……。
「なるかボケ」
 廊下で人に聞こえないようぼそりと呟き、自分にツッコむ。
 そう。御察しの通り、僕は正義ではない。正義の仮面を被った何かなのだ。だけど、そんなことはどうだっていい。だって、僕の仮面の下を覗ける人間など、この世に存在しない。あらゆる人間が僕の上っ面に騙されて、僕を誉めそやす。だから、僕だって本当の僕を忘れてしまった。そう。僕はきっと完璧な人間だ。たとえ僕自身が僕を正義でないと思っていても、周りから見れば正義なのだから。僕は生きている限り、きっとこのまま。本当の自分が誰なのかも忘れて、優等生のフリをして皆の期待に応えてゆく。それが僕の抗うことのできない人生だ。

「佐貫くん、先生が早くプリント出せって言ってたよ」
 探し始めてしばらく、佐貫 徹を発見する。彼こそが先ほど話題に出た転校生。これがまた中々の問題児で、教師も僕に丸投げだ。こいつときたら授業もろくに受けず、こうして中庭のベンチで昼寝するのが日課らしい。連絡事項をわざわざ伝えに来る僕の身にもなってほしい。
「お~い、佐貫くん」
 ぐうすかと寝ている彼の肩を優しく叩いてみる。本当は手っ取り早く頭を叩いてやりたいとこだけど。きっと”僕“はそんなことしない。
「ん~」
「佐貫くん、起きて」
「ん。なんだ、委員長か」
 佐貫の肩を優しく揺すること数分、ようやく目を覚ました彼が僕の存在に気づく。
 可愛い女の子かと思ったんやけどなぁ、とむにゃむにゃしながらふざけたことを呟く馬鹿面は、どうやらまだ夢現らしい。
「佐貫くん、だから……」
「あ、委員長ちょうど良かったわ。これ、書き終わったからついでに出しとってや。どうせまた職員室行くんやろ?」
 まさに請求しようとしていたプリントを突き出されて面喰らう。
「わかった。出しとくよ」
 一呼吸おいて、僕は微笑みながらそれを受け取る。……勿論、心の中で悪態を吐きながら。
 普段どれだけ女の子と遊んだらあんな妄言吐けるんだ? てかプリントぐらい自分で出しに行けよ。その無駄に長い足はお飾りかよ。つか学校に何しに来てんだよ。人を職員室に行くのが趣味みたいに言うな。
「お~きにな~」
 ひらひらと興味なさげに振られる手に背を向ける。その関西弁が妙に癪に触って拳を握りしめる。なぁにがお~きにな~、じゃ。あんのタコヤロー。親戚が教育委員のお偉いさんだかなんだか知らねえが、こんなに堂々とサボれるなんてほんといい身分だわ。
教師も腫れ物に触ろうともしないカスばかりで。
「は~。疲れる……」
 ため息と共に、誰にも聞こえないほどの小声で愚痴を零す。ほんと、この世界は汚い。こんな穢れた世界の中じゃ仮面がないと、きっとあっという間に僕は溺れてしまうのだろう。


『更科、悪いなぁ手伝ってもらって』
「いえ、暇なので」
 放課後の教室で担任の教師が僕に向かってへらへらと微笑む。ほんと、何が悲しくておっさんと二人きりでPTAの資料を綴んなきゃいけないんだっての。
『更科は本当に絵に描いたような優等生だなぁ。だが、たまには青春もしろよ?』
「あはは」
 なぁにが青春もしろよ、だボケ。セクハラで訴えるぞ。貴重な放課後を奪ってんのはお前だろうが。ことあるごとに雑用押し付けやがって。ボンクラ教師がふざけるな。
『よし。これで終わりだな。いや~。ほんとに助かったなあ』
「先生をお手伝いするのも僕の仕事なので」
 適当に微笑んで教室の扉を開ける。刹那、女子生徒が目の前に現れ、僕に熱烈的な視線を向ける。
『あっ。更科くん……。えっと、その。ちょっとだけ、話、聞いて貰っていいかな?』
「うん、どうしたの?」
 ようやく教師から解放されたと思ったらこれだ。上目遣いで道を塞ぐ女子生徒にたじろぐ。正直どこのクラスの子かすらわからない。
『あ、あのね、私……。更科くんのこと、ずっと前から好きだったんだ。良かったら付き合ってほしいな、なんて……』
「ごめんね、今は学業に集中したいんだ」
 やんわりと、だけどばっさりとその告白を切り捨てる。別段、この手のことには不本意ながら慣れている。きっと彼女だってどんな風に断られるかぐらい、女子同士のネットワークで下調べしていることだろう。だからなのか、意外なほどに彼女はあっさりと引き下がった。本当に僕のことが好きなのかも疑わしい。整えられた髪、あざとい仕草、甘ったるい声。全部が全部嘘くさく見える。“僕”というステータス欲しさに一応告白してみた、といったところだろうか。まあ、何にしても、僕に好意を抱くなんて見る目がない。
『委員長~! さっき告られてただろ~!』『え、マジ? 誰に?!』
『いやいや流石にそれはコジンジョーホーだし?』『え~? 気になるじゃ~ん!』
 告白を断り、歩いてすぐ。廊下でクラスの男子二人組に出会う。どうやらさっきのが見られていたらしい。
『もしかして委員長断った?』『もったいね~!』
 勝手に話を展開してゆく馬鹿コンビに、僕は曖昧に微笑んでおくことにする。
『委員長好きな子いないの~?』『いるから断ってんじゃね?』
『え~? で、真偽のほどは?』『そこんとこどうなんです?』
「あはは。ごめん、急いでるからまた今度ね」
 爽やかに断って駆けると、後ろから不満げな声が漏れる。
 自分たちがモテないからってはしゃいでんじゃねーよ、クソガキども。人の恋路なんてどーでもいいだろうが。
「っは~」
 誰もいないのを確認した後、教室で盛大にため息をつく。今日はいつも以上に絡まれまくったせいで疲れてしまった。
「ったく、どいつもこいつもほんっと殺す。死ねばいいのに、死んでくれ」
 鞄を枕にして机に突っ伏した後、窓の外を見つめる。空はすっかり赤く染まり、夜の始まりを告げていた。
「女子も男子も先生も、ぴーぎゃーぴーぎゃーとよくもあんなに喚けるもんだ。ほんと死ね」
 もう一度ため息を吐き、顔を上げる。視界に入った黒板。授業中に書かれた文字が消されていないことに気づいてしまい、僕は更にもう一度ため息を吐く。
「ったく、自分の仕事ぐらい忘れずやれっての」
 無視しても良かったが、何となく偽善が勝り、日直に文句を垂れつつ席を立つ。
「って、粉つきまくってるじゃねぇか。めんど……」
 仕方なく黒板消しクリーナーを使おうとスイッチを入れる。が。
「入ってねえし」
 バキューム音が全く鳴らないので、カチリとスイッチを戻す。コンセントを見るとやはり差し込まれていない。何度目か分からないため息を盛大に吐きながら、よいしょとしゃがみ込んでコンセントを拾いあげ、プラグに差し込む。
「って……。んわっ!?」
 立ち上がろうとしたとき、背後で何かの気配がした。ふとその方、教卓の下を覗くと。
「あは、見つかってもうた」
 問題児、佐貫 徹が丸まって頬を掻いていた。

「えっと……」
 今の聞かれてたか?
 腰が抜けた体制のまま彼を凝視する。
 いや、小声だったしきっと大丈夫だ。
「佐貫くん、こんなとこで何してるの?」
「や、先生に見つかりそうやってん」
「見つかりそう?」
 別に彼が隠れる意味などないのでは? どうせどれだけうろつこうが怒られない身分なんだから。
 そんな風に思っていたのがバレたのか、彼はおもむろに僕に向けて何かを差し出す。
「これやこれ」
「……」
 それは、女の人があられもない姿で拘束されている如何わしい雑誌だった。なるほど。このエロガキ。学校にんなもん持ってくんなっての。
「黙っててな、委員長」
「あ~、うん」
 別に言われなくとも、そんなくだらないことを僕の口から誰かに告げることはない。品位が落ちる。というか、勝手に見せてくんなこのエロタコヤロー。
 とりあえず黙秘を誓ったところで会話は終わったので、立ち上がって黒板消しを綺麗にする。
 さっきの様子では、僕の独り言を聞かれた可能性も薄い。自分のエロ本のことで精一杯だったのだろう。ラッキーだ。とにかく、これ以上絡まれない内に、さっさと黒板を消して……。
「いやー、しかし驚いたなぁ」
 立ち上がり、服の汚れを払いながら彼が呟く。わざわざクリーナーの爆音に負けないぐらいの声を張る彼に疑問を覚える。
 なにかまだ言いたいことでもあるのか……?
 そう思ったときには既に、彼は僕の背後に立っていて。
「委員長ってえらい口悪いんやな」
「え?」
 まさかこいつ……。
 耳元で囁いた彼の言葉に笑顔を引きつらせながら、クリーナーのスイッチを切る。
「聞こえてたで。お疲れさん」
 ぽんっ、と気安く肩に手を置かれた僕はいよいよ失態に気づく。
「な」
 床に落ちた黒板消しは、小麦粉のように白い煙を生む。それを拾えないでいると、静寂が戻った教室に彼の声が響き渡る。
「はは。委員長、顔が真っ青やん」
「えっと……」
 ぐるぐるしている僕を放って、彼は黒板消しを床に擦り付ける。床に落ちた粉は幾分か黒板消しにくっつき、残った分は彼の無駄に長い足で搔き消され、元通りだ。
「ほんと、いいこと知ったわ。委員長も人間で安心やわ」
 黒板消しを元の場所に置いた彼が、ゆっくり近づく。僕は碌に口も開けないままに近づかれた分だけ後退する。
「醜くて、俺と同じ」
 僕が醜い人間だって?
「き、君と一緒にするな。っあ……」
 背中が窓に触れたことに気づき、後ろに逃げてしまったことを後悔する。
「ふふ。捕まえた」
「っ……」
 あっという間に所謂壁ドンを決められてしまった僕は、思った以上の屈辱に苛まれる。何が楽しくて僕は今、クラスメイトの不良に壁ドンされてるんだ!
「プライド高くしても将来何の役にも立たんで。委員長ってさ、大人になっても幸せになれないタイプやんな」
「何の話……」
「自分を偽って、爽やかに振舞って。それで周りは楽しいかもしらんけど、自分しんどいだけちゃう?」
「僕は、別に偽ってなんか……」
「あ~、しんど。聞いてるこっちが疲れるわ」
「……」
「こんなん言われても何も言わんとか。だっさ」
「……佐貫くんは、僕のこと勘違いしてるんじゃないかな」
「そのニコニコも吐き気がすんねん。それずっと続けるんかいな。お先真っ暗やな」
「さ、佐貫くんこそ、授業サボるのやめないと将来危ないんじゃないかな」
「心配せんと、俺の家系は金持ちやからコネでなんとでもなんねん。んなことくらいわかるやろ?」
 言い返せなかった。何故僕が説教されなければいけないのかもわからないまま、僕はただ青ざめた。どうして。どうしてこいつは僕の仮面の下を覗けるんだ? どうして、こんな奴が僕より自由に泳げるんだ? どうして、僕がこんなに傷つかなくちゃいけないんだ? 僕は一体、どうしてコイツがこんなに妬ましいんだ?


「な~。ココん家の夕飯、絶対カレーやんな!」
 馬鹿デカい声でどうでもいい情報を告げ、僕の帰り道を邪魔する彼にこめかみを押さえる。
「ええと、佐貫くん。なんで僕についてくるのかな……?」
「ああ、大丈夫。お構いなく~」
 コイツ、言葉が通じないのか?
 殺意を必死に抑えながら彼の顔を伺う。が、陽が落ちてすっかり暗くなった今、その表情はわからない。
 夕飯の匂い、食器の擦れる音、風呂の水音、親子の声。家々から漏れるそれらを暗闇から見つめると、どうしても無性に寂しくなる。特に、一人暮らしをしてからというもの、どうしても心が締め付けられてしまう。
「楽しそうやな」
「え?」
 これ以上は何を言われても無視しようと決めたのだが、ふいに優しく呟かれた言葉に思わず聞き返してしまう。
「家族で風呂入ったり夕飯食べたり。そんなんが時々羨ましくなるんや」
「へぇ」
「お前にはわからんか」
「はは。佐貫くんはすっかり僕に厳しいね」
 少しだけ傷ついた僕は、少しだけ弱々しく微笑む。どうせ暗闇だ。下手な笑顔でもバレはしない。
「……」
「ん、何? どうし……」
 急に大人しくなった彼を不審に思った瞬間、唇に柔らかいものが押しつけられる。
「……は?」
「じゃ、俺こっちやから」
「いや、待て。今の、何だよ」
「寂しくないように、お別れのちゅーやけど? てか素出とんぞ」
「えっと」
「あ、もしかして今のが初めてやった? ぷ、こんなんタコにちゅーっとされたのと同じやん」
「……」
「ほな。また明日、な」
「……なぁにがまた明日、だタコ野郎!」
 彼が見えなくなったところで、ようやく我に返り、急いで口を拭く。
 全くもって意味がわからん。意味がある行為なのか、それともただの気まぐれなのか。いくら考えたって、タコの思考が人間にわかるわけがない。
「でも。これだけは同意できるな……」
 未だ止まない幸せそうな家族の生活音に足を速める。勿論僕のは、羨ましいなどという生易しい言葉で片付けられてしまうほど綺麗な感傷ではない。妬ましい。全てはこの一言に尽きる。
「阿保らしい」
 どろどろとした心の内を無理やり押し込めて顔を上げる。淡く温かな外套に群がる蛾の姿がより一層惨めに映った。


 目の前に巨大なタコが現れた。あっさりと絡みつかれた僕は、逃げることもままならずに、唇をぶちゅりと吸われる。
 やめろ、馬鹿! 吸い付くな汚い! タコの分際で人間に歯向かうなんて!
『お前が人間やて? 笑わせてくてくれるわ』
 触手をうねらせて笑うタコ野郎が、ふいに僕の仮面に触れる。
『その仮面、剥いだら一体何が出てくるやろかいな』
 やめろ、触るな、お前なんかにわかるものか! お前なんかに、僕の素顔が知られて堪るか――!
「んぐ」
 迫りくる吸盤に齧りつこうとした途端、自分の歯と歯がかちりと音を立ててぶつかり合う。ぼうっとする頭で、口の中に噛み千切ったタコの足がないことを確認すると、僕は重々しくため息を吐いた。
「はあ。変な夢を見たものだ……」


 それからの学校生活はいつも通り。彼は僕の暴言を言いふらすこともなく、適度にサボりを繰り返して僕の手を煩わせた。正直、このタコ野郎の考えがわからな過ぎて、僕はいつもより疲弊していた。だからと言うわけでもないのだが、体育祭当日。数多の種目に出尽くした僕は、糸が切れたように倒れ込んだのだった。
「よう。起きたか迷惑委員長」
 保健室のベッドの上。目を覚ますと、佐貫 徹の顔があった。
「何で君が」
「俺がアンタを運んだからな」
「何で君が」
「さあな」
「僕、どれくらい寝てた?」
「そんなには経ってへん。今が閉会式真っただ中や」
「君は出なくていいの?」
「わかるやろ。俺はサボれんねん」
 飄々と言ってのける彼が、心の底から嫌いだと思った。それなのに。
「そうやって引き受けて倒れるとか迷惑やろ。倒れるんやったらやるなや」
「僕はみんなのためを思って……」
 更に嫌われるような言葉を平気で投げかけてくる神経が、全くもって僕には理解ができなかった。
「お前がいくら頑張ってもみんなの為にはならへんて。それはただのアンタの自己満足にすぎないやろ? わかってるんやろ?」
 正論だと言うことはわかっている。現に、僕は失敗を犯してしまったからココにいるわけで。でも、だからと言って、弱っている人間にここまで言うのは……。
「そうやって、自分がでしゃばってると他の奴らは甘えてぼんくらになるだけやん。アンタのやってることはみんなの活躍の場を奪ってる」
「それは……。たしかに、そうかもしれない、ね」
「まだへらへらできるんかい。ホンマ、アホやな」
「……ごめん」
 泣いたら駄目だ。ガンガン痛む頭を押さえながら、涙を飲み込み、何とか弱々しく微笑んでみせる。
 その瞬間、フラッシュバックと共に、再び唇が重なった。
「え……?」
「いい加減目ぇ覚ましや」
 冷たい視線と言葉に、僕の心臓が凍る。どうやら、これは愛の証ではないらしい。じゃあ消毒なのだろうか。わからない。彼の考えていることが、全くもってわからない。
 どうして僕をそんな目で見るんだよ。なんなんだよ。自分は除け者の癖に。どうして僕にだけ強く当たるんだよ。
「僕に、どうしろって言うんだ……」
 佐貫が去り、静寂を取り戻した保健室に、閉会の挨拶を語る校長の声が響き渡る。きっと皆はこの炎天下の中で、苦しみながら話を聞いているのだろう。
 軽い罪悪感に駆られながら、目が痛くなるほど真っ白なシーツを握りしめる。泣いてしまえば楽なのかもしれない。だけど、それすらも、僕にはできなかった。いよいよ自分が人間なのかもわからない。それなのに、少しずつ、仮面は音を立てて剥がれてゆくのだ。


 時は流れて文化祭。あれから彼に絡まれることもなく、僕は相変わらずみんなに人気の学級委員長として過ごしていた。
『ね~。たこ焼き、なんか上手く焼けなくない~?』『てか、ひっくり返すのムズ過ぎ!』
 僕のクラスは定番のたこ焼き屋台を出すことになったのだが。
「なるほど。上手く焼けないな……」
『え~! 委員長でも無理とか。もう全人類無理ゲーじゃん?!』
 クラスメイトに泣きつかれ、焼いてはみたものの。見事にぐちゃぐちゃになった“たこ焼きもどき”が出来てしまった。ああ、クソ。たこ焼きなんて焼いたことねえよ! てか、こうなることわかってたのに引き受けたの、ホント馬鹿だろ僕。できないのなら断るべきだったのだろう。この前、彼が言っていたように。迷惑でしかないのだから。
「あー、もう見てられへん! 貸しいな!」
『わ、すごい』
 どこから見ていたのだろうか。佐貫が僕の手からピックを奪うと、焦げかけていたたこ焼きを手慣れた手つきで引っくり返していった。
「たこ焼きは妥協したくないねん」
 そう言って彼は、見事に作り上げたたこ焼きをその場にいたクラスメイトに振る舞った。
『おいしい!』『えー、佐貫君! 私にもやり方教えて!』
「ええけど。俺の指導は厳しいで?」
『あはは!』
『なんか佐貫くんて、思ってたよりも気さくでいい人かも』『ねー』
 なんだよ、それ。
 すっかりと居場所を取られてしまった僕は、逃げるようにゴミ捨てに向かった。
 別に、羨ましくなんかない。別に、寂しくなんかない。だけど……。
『おにーさん、これも捨てといて~』『これもね~』
「あ。はい」
 すれ違ったガラの悪い男二人に、酒缶を渡される。どうしてこんなのがウチの文化祭に来てるんだ。
『てか、おにーさんイケメンだね。あのさ、こいつに可愛い子紹介してやってよ~!』『ぎゃはは! やめろって!』
「……」
『ね、一人だけでもいいからさ~』『必死かよ~』
「やめてください!」
 酒臭い男に肩に組まれた瞬間、虫の居所の悪かった僕は即座にその手を叩き落す。
『うっわ、感じ悪。イケメンだからってさ。優等生ぶってんのすげー嫌なタイプじゃん?』『言えてる。ちょっとは痛い目にあってさぁ~、逆らう相手間違えたの反省しよっか~?』
「っ!」
 容赦なく突き出された拳を、紙一重で躱す。
『何外してんだよ、ちゃんとやれよ』『お前、押さえといて』
「やめてください、教師を呼びますよ?!」
 二人がかりで押さえつけられては、流石に焦りが生じる。生憎ここは人通りの少ないゴミステーション前だ。
『呼べるもんなら呼んでみな、っと!』
「っ」
 叫んだところで、軽音部のステージ音にかき消されてしまうことを知ってか、男は容赦なく僕を殴る。
『お前、イケメンの顔殴るとか、容赦ね~な! ほら、イケメンくん涙目じゃん』『あはは! ごめんね~。痛かったよなッ!』
「っぐ……」
 顔を押さえている隙に、今度は腹に蹴りが入る。
「馬鹿だな……」
『アア?』
 アイツだったら、きっと上手く切り抜けられたんだろうな、なんて。そんなこと思っても意味はない。僕は所詮臆病で仮面を被らないと人前に出られないクソ野郎で。その仮面すら、今はまともに被れなくなった役立たずなんだから。
「僕も、お前らも、馬鹿だって言ったんだよ」
『馬鹿はお前一人だけだろうが、よっ!』
「っ……」
 思い切り蹴飛ばされた僕は、あっけなく地面に倒れる。ほらね。本当の僕はこんなにも弱い。きっと、こんなところを見られたら、みんなに失望されちゃうだろうな。
『なぁ、もうそろそろ行かね?』『んー、あともーちょい殴ってから……。って、あ? なんだお前』
「あれやったん、自分らか?」
「え……?」
 滲む視界に、憎むべきタコ野郎が映りこむ。その後頭部についているのはヒョットコお面。たこ焼き屋台の設営に使ってたやつだ。なんで佐貫が被ってんだろう。似合いすぎて笑える。なんて。そんなこと言ってる場合じゃないな。おい馬鹿タコ、逃げろ。なんでお前がここにいるのかはわからんが、僕に巻き込まれてんなっての。って……。
『なになに、関西人? 喋り方ウケる……、っぐえ!?』
「自分らなんやな?」
『ま、待て。ちが、話せばわか……、ひぃいああ!』
 怯むことなくガンを飛ばした彼は、返事を待つことなく男二人を殴り倒してボコボコにする。
 嘘だろ。はは。まさか僕のことを助けてくれるってのか?
『ひ、た、助けてくれ……!』『お、覚えてろよ……!』
 殴られて数秒で三下的捨て台詞を吐いて逃げていく男たちの背中を見つめながら、タコ野郎が唖然としている僕にぼそりと言葉を投げる。
「何やってんねん」
「うる、さいな……」
 視線を逸らしながら、よろよろと立ち上がった僕に、またしても佐貫は口づけを落とす。
「ん、痛い……」
「消毒やから我慢せぇ」
「消毒って……」
 そんなものが消毒になるわけないだろ。やっぱりタコの思考はわからない。
「大丈夫かいな」
「……痛いに決まってる」
 痛いに決まってるだろ。
「せやな」
「お前、一瞬で倒すとか、ほんと、ムカつく」
 僕が女子だったら惚れてるところだ。
「自分が弱いだけやろ」
「うざ」
 本当に、僕と正反対なコイツはウザい。
「なあ委員長。さっきから化けの皮が剥がれとんで?」
「……」
 言われて初めて気づいた。僕は今、仮面が被れていない。どうして。僕は完璧な委員長なのに。どうして。佐貫には上手く笑えないんだ……?
「それってさ。俺には心許してくれたってことでええん?」
「……まさか」
 そんなことはあり得ない。僕はコイツが嫌いだ。僕のことを平気で貶し、自由に振る舞ってみせるコイツが憎くて仕方がなかった。僕がコツコツと積み上げていった信頼を、いとも簡単に得てしまうコイツが怖かった。
『自分しんどいだけちゃう?』『お前にはわからんか』『いい加減目ぇ覚ましや』
 彼の言葉が木霊する。その度に、僕は勝手に追い詰められる。ああ、僕は弱い。
「ほら、手ぇ貸すから立ちぃ」
「いらない」
 弱い癖にプライドが高くて嫌になる。
「はっ、よろよろの癖に。ほんま可愛げないわ」
「くっちゃべってないでとっとと手伝いに戻れよ。たこ焼き作るくらいしか脳がない出来損ないの癖に」
 ああ、僕は上手く息ができないのに。
「へぇ。言うやん。ほんならその出来損ないに助けられた性悪コミュ障の委員長様はなんなん?」
「助けられたなんて思ってない。思い上がるなよ、クソゴミが」
 コイツは僕を嘲笑い、悠々と泳いでゆけるなんて。こんな世界なんて……!
「言ってくれるやん、委員長」
 どっ。壁に体を押し付けられる。殴られたばかりの体じゃ碌に抵抗もできないが。
「っ、やれるもんならやってみろよ」
 全部コイツのせいにしてやる。僕は殴られた可哀想な委員長を演じればいい。そうすれば、きっと元通りだ。まだ間に合う。コイツの信頼を落としてしまえば、僕の信頼は揺るがない。だから……。
「それで、俺のせいにするつもりやろ?」
「え?」
 僕の笑みを冷ややかに見つめる佐貫に、心が凍りそうになる。
「アンタの考えそうなことや。でもな」
「っ……!」
 彼の片手がいとも簡単に僕の首を締め上げる。
「俺にはそんなこと揉み消せるほどの権力があるんやで?」
「う」
 首に食い込む佐貫の指は、引っ掻いても取れず。
「それどころか、逆にアンタを訴えることだってできる」
「あ」
 苦しい。息ができない。どうして僕は、こんなにも無力なのだろう……。
「ほれ、よう吠えや。吠えた分だけいらん噂でも流してアンタの築いてきた信頼も壊したる。んでもって、親兄弟にもアンタのこと伝えて脅したろ。あ~、それ面白いわ」
「っは……」
 佐貫の手が首から離れた瞬間、支えを失った体があっなく崩れ落ちる。
「な? アンタは弱いんや。そうやって這いつくばってんのが丁度すかっとする――」
「っ……」
 佐貫が僕の顔を見て、あからさまにぎょっとする。
「な、泣かんでええやん……」
「うる、さい」
 おろおろと差し伸ばされた手を振り払って、何とか涙を止めようとするが。
「ほら、みんな来るから泣き止みぃ」
「っ、見るな、殺、す」
 毒気を抜かれた佐貫の声が、僕を一層惨めにさせる。ああ、僕は彼の前では泣けるのか。一人じゃ泣けなかったっていうのに。
「あ~。まさかこんなに簡単に泣くなんて思ってなかったわ。お前はもっと、魔王みたいに底知れん悪で、生意気で、可愛げのない奴やと思ったんやけど……」
「悪、かった、な」
「は~。しゃーないなぁ、ほんま。ほれ、タコちゅーっとな」
「なに、すんだ……!」
 当たり前のように、ぶちゅっとキスしてくる佐貫に顔を上げる。
「怪我が早く治るおまじないやん」
「犯罪の間違いだろ!」
「はは。恋の過ちってか?」
「違う」
「違わん」
「でもほら、セクハラしたら泣き止んだやん。もいっかいいこうか?」
「待て。もうやめろ。お前と話してると頭痛くなってくる」
「はは。泣き疲れたんなら、負ぶさってええで?」
「誰がお前に頼るもんか」
「でもな。委員長、そんままじゃ、体痛くて帰れんやろ」
「帰れる」
「立てへんやん。目ぇも赤くなっとるし……。うん。実力行使やな」
「わ、おい。やめ、んぶ!」
「これ被ってたら、誰かわからんやろ」
 いい笑顔で僕にヒョットコを被せた佐貫が、そのまま僕を抱きかかえる。
「ま、待て! せめて、おんぶに……」
 ヒョットコを被ったからといって、誰かわからなくなるわけないだろ! 怪盗漫画の世界でもない限り、体型髪型その他諸々で諸バレだ。
「ハイハイ。ほんじゃ、ちゃんと掴まっててや?」
「くそ……」
 僕を背負って歩き出す佐貫に色々諦めた僕は、彼の背中に顔を埋める。少しでもバレないようにと、髪型を隠すためにヒョットコを後ろ向きに被ったから、そうせざるを得ない訳で。
「やけど、ソレ。余計に目立つわな」
「っ! だったら、人通りの少ない道を選びつつ、ダッシュで学校を出ろ!」
「はは。無茶振りやな!」
 弾むように笑うと、佐貫は注文通りに目立たぬよう気を配りながら僕を背負い、賑わう学校を後にした。
「たこ焼き、良かったのかよ。妥協できないんだろ?」
「タコ殴りにされた奴もほっとけないやんか」
「全然上手くないからな、ソレ」
「でも、たこ焼きは美味かったやろ?」
「食べてねーよ」
「え~。残念やなぁ」
 そんなのこっちの台詞だ。僕だって、できることなら皆と一緒になってたこ焼き屋台を成功させたかった。彼の焼いたたこ焼きを味わって、仲良くなりたかった。

「そこの角曲がったらもう降ろせ……」
 マンションの前に着くや否やヒョットコを外した僕は、彼の背中から顔を離す。
「いや~、委員長。ようここまで負ぶられんの我慢したなぁ」
「お前がビクともしないからだろ」
「ひ弱やなぁ」
 そう言って笑った彼から降りようとするが、やはり僕の力ではどうしようもない。いや、そもそも今は殴られ過ぎて力が入らないだけで。別に僕の力がまるきり弱い訳じゃなくて……。
「って、おい。何すんだ……!」
「何って鍵。ポッケかなって。ほら、ビンゴや。鞄の中やなくてよかったわ。え~っと、501号室ね」
 許可もなく僕のズボンのポケットから鍵を取り出した彼が、これまた勝手に取り出した僕の生徒手帳を捲り、個人情報を確かめる。
「おい、部屋までは歩けるから、降ろせって!」
「どうせ委員長、俺のこと止められへんやん。無駄な抵抗やめとき。近所迷惑やで?」
「ぐ……」
 何のためらいもなくエレベーターに乗り込む佐貫に言葉を詰まらせる。さすがは関西人。全くもって遠慮がない。

「ほい、これで冷やしぃ」
「ん」
 ついに僕の部屋にまでついてきた彼が、濡らしたタオルをこちらに寄越す。ていうか、人ん家のタンス勝手に開けるなよ……!
「いや、目ぇやなくて頬を冷やすために用意したんやけど……。まぁ、目ぇも腫れそうやもんな」
「……うるさいな」
 勘違いしたせいか火照る頬を慌ててタオルで押さえると、忘れていた痛みが蘇る。
「まぁ、顔の傷も大したことなくて良かったわ。でも、腹は痣になってるんちゃう?」
「ん、勝手に捲るな。変態め……」
「ええやん。減るもんやなしに。こっちかて心配してるんやで?」
「……」
 あれ……。なんか、変だ。耳、聞こえなくなって……。体、熱い……。
「お~い、委員長。無視かいな。ほんま、人が下手に出てると思って……」
「さ、ぬき……」
「えっ。な、なんや、その顔は……」
 揺れる視界に映った佐貫が、珍しく焦った顔を浮かべる。それを見た途端、僕の体は彼に傾き……。
「わっ、な、なにして……」
「悪い、ちょっと、気分、悪い……」
 気づいたら彼に身を預けていた。まるで、そうすることが一番安心できるかのように。その温かさを感じながら、僕は意識を手放した。


『自己管理もできんのやったら、何でも引き受けんのやめぇ』
『せやせや。助ける身にもなってほしいわ』
 気が付くと、僕はミラーハウスの中を彷徨っていた。たくさん並んだ鏡に映る赤い宇宙人が気味悪くて。駆け抜けながら、僕は鏡に映る宇宙人に苛まれていた。
 僕は助けてくれなんて言ってない!
『ほんまにせやろか』
 鏡に映った宇宙人を思い切り睨みつけても、宇宙人は笑みを崩さない。
『自分、ずっと叫んでたやん』
『助けてー、助けてーって』
 違う! 僕は助けなんていらないんだ! 僕は完璧で、誰からも頼りにされる優秀な男で……。
『嘘つき』
『本当は誰かに甘えたくて、委ねたくて仕方がないくせに』
 馬鹿を言うな! 今だって僕は一人で生きていけてる!
『寂しいのを誤魔化しながらな』
『本当は寂しゅーて寂しゅーて、誰かに救ってほしい癖に』
『ほら、胸に手を当ててみぃ』
『寂しさがずっとずっと積もって、虚しいになってるやろ?』
 僕は、僕は、僕は別に助けなんて……!


「っは」
「あ、起きた?」
「え……?」
 悪夢から目覚めた僕の目の前には、赤い宇宙人……。いや、クラスメイトのタコ野郎がいた。
「熱出てたで」
「……今何時?」
「もう夜の9時」
「あ~。ごめん、もう大丈夫だから」
「あ、委員長に戻ってる」
「……さっきはちょっと、気が動転してて、酷いこと、言ったかも」
「俺はあっちのが、よっぽどアンタらしいと思うんやけど」
 冗談じゃない。夢の中の宇宙人の言葉を思い出しながら、僕は汗を拭う。
 僕は一人でも生きてゆける。僕は、自分を偽ったままでも生きてゆける。だから、誰かに、コイツに、心を許すことなど決してあってはいけないのだ。
「なあ、委員長。お腹空いたんとちゃう?」
「え?」
 勿論、即座に首を振ろうとしたのだが。突然目の前に置かれたたこ焼き器の存在に面食らう。
「いや~。委員長、俺のたこ焼き馬鹿にしてるっぽいから食わしたろ思ってな」
「えっと」
 まさか、わざわざ家から持ってきたのか? 馬鹿なのか?
 しかも、病人にたこ焼き食わす気かよ。阿保なのか?
「俺、これしか作れんのや。堪忍!」
「え、ええ……?」
 戸惑う僕を他所に、彼は驚くほどの手際でたこ焼きを作っていく。
 いやいやいや。匂いが部屋につくだろうが。いじめなのか?
「ほい。できた。熱々の内にど~ぞ」
「えっ」
 目の前に差し出されたそれは、本当に綺麗に焼かれていた。きっと美味いのだろう。クラスメイトたちの顔と空腹が思い出され、少しだけ興味が湧く。いや、でも、いくらなんでも今食べるべきものではないだろ……。
 そう思うのだが、目の前で踊る鰹節が妙に懐かしくて。気づいたら、僕は爪楊枝でたこ焼きを刺していた。
「火傷しないよう気ぃつけてや?」
「ん」
 二本の爪楊枝でたこ焼きの穴を広げ、熱い空気を外に逃がす。そして、しばらく。湯気が弱まったところで、その憎らしい真ん丸を口に運ぶ。
「どう、おいしい?」
「……よく味がわからないや」
 それに、ただでさえ乾いていた喉が、もっと乾いてしまった。
「あ~。やっぱ熱出てるから駄目か。つまらんな~」
「はは。つまらんて……」
「おっ、関西弁移った?」
「う……」
 口を押えた僕を見て、佐貫がすっと目を細める。
「だってせやん。みんなしておいしい言うてくれんのに、委員長は……。中々思い通りにいかへん」
「えっと、おいし……」
「あ~。アカンアカン! そんな適当な言葉欲しいわけじゃないねんて。わかるやろ?」
 訳わかんねえよ。なんなの? たこ焼きに人生賭けたオッサンかよ。
「次は絶対おいしい言わしたるから」
「は? ってこれ、どうすんの?」
「明日学校で返してくれればええよ。んじゃ、俺はこれで。ほな!」
 いや、看病する気はねぇのかよ。
 某クソモグラもびっくりなほど素早く出て行った佐貫と、焼きっぱなしのたこ焼き器を見て嘆息する。
 取り戻した静寂の中で、もう一つだけたこ焼きをつまむ。
「う……」
 やはりそれは、僕に安らぎを与えてくれるような味ではなく。喉の渇きに耐えられなくなった僕は、よろよろと立ち上がり、そのまま気合で彼の汚したキッチンを片付けるのだった。


『委員長大丈夫?』『それどうしたの?』
「ええと。これはその……」
 熱の出た翌日。何とか体調不良を乗り切った僕は、クラスメイトの質問に口ごもる。
 心配そうに指された顔の怪我は、やはり湿布を貼っただけじゃ誤魔化せない。
「それ、やったん俺や」
「あ……」
 急に後ろから肩を抱かれた僕は、声を詰まらせながらその温もりに困惑する。
『え?』『佐貫くんが?』
「お、持ってきてくれたん? さっすが委員長」
「あっ」
 手に持っていたスーパーの袋があっという間に奪われる。
『えっ。何それ?』
「たこ焼き器や」
『え? なんでたこ焼き器?』
「委員長とたこ焼きしたから」
『どゆこと?』
「委員長が俺のたこ焼き食べてくれないから、殴ってそのまま家でたこ焼きパーティー」
『え~? なにそれ』
「えと……」
 僕が問いたい。ただでさえおかしい筋書きが変に庇ったせいでもっとおかしくなってるじゃないか。お前は情緒不安定かよ。
「大丈夫。委員長とは仲直りしたやん。ね?」
「あ。う……ん?」
 仲直りした覚えはないのだが?
『てか。佐貫くん、昨日急にいなくなるから大変だったんだよ~?!』『そーだ、そーだ! まさか委員長まで攫ってるなんて!』
「ごめんて。せや、お詫びも兼ねて、たこ焼き打ち上げパーティーやろか?」
『え、なにそれ。楽しそう!』『いいじゃん。佐貫のたこ焼きもっかい食べたい!』
 あっという間に僕の怪我や彼の奇行がうやむやになり、クラスメイトが盛り上がる。
 こういうとこだよ。彼のこういうところが、僕は憎くて仕方がないんだ。
「委員長も来るやろ?」
「僕は、用があるから……。体調も良くないし……」
『え~? 委員長も行こうよ~!』『そうだよ~。委員長がいなきゃ、クラスの打ち上げになんないじゃ~ん!』
 まるで酒でも引っ掛けたかのようなクラスメイトの絡み。そんなウザったい頼みでも、優等生の僕は断れるわけがないのだった。


『え~、待って。これ文化祭のときより美味しいんだけど~!』『ほんとだ!』
「当たり前やん。仕込みから俺がやってるさかい」
 わいわいと盛り上がるクラスメイトをぼんやり見つめながら、皿の上に乗ったたこ焼きを口に運ぶ。
「どうや?」
「ん、確かに美味い……」
 何の気負いもなしに漏れた感想に、佐貫の目が丸くなる。
「そんなん、アカンって」
「佐貫?」
 ぼそりと呟かれた言葉に首を傾げた瞬間。
「んう!?」
 僕は佐貫にキスをされた。
「あ」
 やっちまった、みたいな顔するな! 僕の何が気に食わなかったのか知らんが、マジでやめろ!
『えっ。佐貫くん、な、何してんの?』『なになになに?』
「や、これは、そういうんじゃなくて……!」
 ざわつくクラスメイトたちに冷や汗を流し、首を振る。が、しかし。僕の膝に佐貫の頭が乗っかって……。
「ぐぅ」
『え、寝ちゃった?』
 目を瞑り、僕の膝の上で寝息を立て始めた佐貫を全員が不思議そうに見つめる。
 おいおい、いやいや。この状況で狸寝入りなんて、通用する訳……。
『うわ。これ、酒じゃん!』
「え?」
 佐貫の横に転がった缶を拾い上げた男子が表示を見て驚く。
『なんだ、酔ってたのかよ』『キス魔タイプってやつ?』『マジ? 女子じゃなくてよかったじゃん』『委員長も災難だったな!』
「あ、はは」
 勝手に収束に向かったのは有り難いが、僕が何故同情されなければいけないんだ! 酔ったらキス魔とか、ほんとタコみたいな奴だな!
「それじゃあみんな。佐貫くん寝ちゃったし、残りの分焼いて、お暇しよっか」
『はーい』
 何事もなかったかのように仕切る僕に、みんなが従う。そうそう。これだよこれ。クラスを仕切るのは僕にこそふさわしいんだ。
「えっと。それじゃあ僕はお土産用のパックを……」
 立ち上がろうとした瞬間、佐貫の手が僕の服をぎゅっと掴む。
『あはは。委員長は座ってて。佐貫係だし』
 そんな係りになった覚えはない!
 憎々しいほど穏やかな顔で眠る佐貫を見下ろし、舌打ちしたい衝動をなんとか抑える。
『そういえば委員長、佐貫くんが来てから楽しそうだよね』
「えっ、僕が?」
『え~。気づいてないの~? なんかね、ちょっと柔らかくなったかなって』『あ、わかる~』『結構いいコンビだよね』『うんうん』
 一ミリもわからない会話が飛び交う中で、どうすることもできずに俯く。
 僕が楽しそうに見えるのは、僕がそう演じているからに過ぎない。佐貫が来て変わった、だなんて節穴にも程がある。
『それじゃ、悪いな委員長』
「いいよ、僕は一人暮らしだし。佐貫くんも心配だから」
 たこ焼きを焼き終えたクラスメイト達が、お土産を手に提げ立ち上がる。僕は、帰りたい気持ちを抑え込み、完璧な笑顔で手を振る。
『じゃ、よろしくな』『ばいばい委員長~!』
 たこ焼きの匂いが残った部屋に、静寂が訪れる。まるで昨日と同じだ。でも、同じ一人暮らしとは思えない程にだだっ広い佐貫の部屋では、寂しさも一入だ。
 膝に乗る佐貫の髪を見る。赤くて毛先がくるんとしてて。
「ほんとタコみたいだな……」
 柔らかくなった、か。そんなつもりはないのに。やはり、僕はコイツに少し気を許しすぎだろうか。
 ふと、赤い髪に触れたくなって、手を伸ばす。が。
「んわ!」
 そのくせっ毛に触れた瞬間、がしりと手首を掴まれ、頰ずりされる。
「お前、起きてたのかよ」
「はは。こんくらいじゃ酔わんわ」
「じゃあ、僕にキスしたのは何だったんだよ」
「何だったと思うん?」
「知らん」
「あっは。委員長、また仮面剥げとるやん」
「う……」
 指摘を受けて怯んだ僕を、佐貫は目を細めて笑う。
「俺はそっちの方が好きや。委員長さ、まだ気づかんの?」
「気づくって、何に……」
「何だと思うん?」
「知……」
 答えようとした言葉は、口づけによって塞がれる。たこ焼きのソースと、酒の匂いのするそれは、酷く不快なはずなのに。
「委員長、顔真っ赤やん」
「っ……」
 触れるだけのそれに、つい体が熱くなる。
「熱、上がったんか? まだ本調子じゃないもんなぁ?」
「ん……」
 甘ったるい視線が絡み合う。熱い。このままここにいたら、きっと僕はおかしくなってしまう。
「委員長さぁ。逃げられないの、わかってるやろ?」
「あ……」
 腕を取られ、いとも簡単に押し倒される。そして、深く口づけられたところで、僕はもうわからなくなってしまった。僕という人間は、どうしてこうもこの男に弱いのか。どうして、この暖かさを求めてしまうのか。
 いや、本当は当の昔に気づいている。だけど、認めてしまうのが怖かったんだ。


 それから数日。僕は転校することになった。
 別に、彼から逃げるためではない。母親の病気が重くなり、実家へ呼び戻されることとなったのだ。
『大変だろうけど頑張ってね、委員長』『あっちでも頑張ってね』『頑張ってね』
 クラスメイトの口から出てくるのは、聞き飽きた言葉ばかりだった。その呪いのような言葉に、僕は努めて笑顔で応えた。それなのに。
「お前さ、頑張り過ぎんなよ?」
「は?」
 彼だけは、無責任に僕の背中を押す言葉を吐かなかった。
「いやお前、なんでも引き受けるから。今回のことも断われんだけちゃうんか?」
「まあ、親だからしょうがないよ」
 彼の言葉に曖昧に笑いながら、自分に言い聞かせる。
 正直に言うと、僕は母親が嫌いだった。父を失い、うつ病を患った母に、幼い僕はいつも虐められていたのだ。だから僕は中学卒業と共に、実家を出た。父の遺産で生活している以上、僕は母を捨てきれない。母の親戚は、それをわかった上で僕を呼び戻すことに決めたらしい。
 ああ。僕がもう少し早く大人になれれば。そしたら、あんな地獄へ向かうこともないのに。なんて。
「なあ。俺が委員長を養うって言っても駄目なん?」
「は?」
 俯いていた彼が、顔を上げて真剣な眼差しで問う。
 いや、養うとか。そんな。
「そやったら、委員長はここにおれるんやろ?」
「なに、僕にいてほしいの?」
「いてほしいわ。ずっと側に置いときたい」
「なにそれ。そういうのは彼女作って言いなよ」
「ん~。せやな。せやんな」
 珍しく煮え切らない様子で頭を抱えた彼に、ため息を吐く。そんなのは、ただの勘違いだ。僕はコイツにとっての大切ではない。
「でもなんか、むっしょ~に委員長に言いたいねん。それに!」
「んむ」
 油断していたところに、口づけを落とされた僕は、慌てて周りを伺う。幸い、誰もいなくなった教室は、静寂に満ちていた。
「こういうことも、したいと思てまう」
「それは、なんか。ほら、おまじない、なんだろ? 特別な意味なんてない」
「そうだけど。そうやなくて!」
「とにかく、転校は決定事項だ。大丈夫。お前も僕のことなんかすぐに忘れるよ」
 そう。僕のことなんて、きっと忘れるのだ。今まで僕のことを散々頼っていたクラスメイトも、教師も、そして彼も。時間というものはとても残酷で。いなくなった人間のことなんか、すぐに忘れてしまう。丁度、僕が父親のことを思い出せないように。
「だったら、忘れなかったらいいんやろ?」
「え?」
 強引に押し付けられた唇に、一瞬呆気に取られる。
「お前……。また……!」
「今度のは、ちゃんとしたおまじない。委員長のこと、絶対に忘れないやつや!」
 自信満々に答えた彼の笑顔から、視線を外す。
「絶対意味ない」
「ほんなら、約束。また会えるって言うて?」
「……わかったよ。約束する。きっとまた会えるよ」
 差し出された手に小指を絡め、指を切る。子どもっぽいその行為に意味はないが、彼がこれで満足してくれるのならそれでいい。
 結局、彼が言う通り、僕がいなくたってこのクラスは変わらないのだろう。僕の代わりなんて誰にでもできる。僕がいなくたって、みんなは生きていける。
 僕だって。彼がいなくたって、生きていけるのだ。

「僕って一体何だったんだろうな」
 彼と別れた帰り道。そっと唇をなぞる。
 この街に戻ることはもうないだろう。彼に会うことももうないのだろう。
 僕は人間じゃないから、平気で嘘がつけるんだ。
 君が少しずつ剥いでいったこの仮面も。きっとすぐ元通りになる。
 愛しい街並みに風が薙ぐ。家々から漏れる生活音が、僕の心により一層虚しく響いた。


 夢を見た。赤い宇宙人が出てきた時点で、僕はそれを夢だと気づいた。
 赤い宇宙人は、相変わらず僕に吸いついた。そして、僕の小指に触手を絡ませてウネウネと踊った。
 馬鹿な奴だな。
 楽しそうに踊る宇宙人を強引に引き剥がした僕は、ヒョットコを被り、歩き出す。
 そして、誰もいないミラーハウスを越え、たこ焼きの海を越え、真っ白い学校に辿り着く。
 呆気ない。
 あれほどまで執着してきた彼も、後ろを振り向けば、いつの間にかいなくなっていた。
 ああ。寂しい。
 気づくと、僕は泣いていた。
 寂しくて、虚しくて。どうしようもなく胸が痛かった。
 馬鹿なのは僕だな……。
 不器用な笑みを浮かべた後、仮面の隙間から涙を指で拭う。
 あれ?
 ふいに視界に映った自分の小指。そこには真っ赤な宝石があしらわれた指輪がはめてあった。
 なんだこれ?
 不思議な輝きを放つそれに見入っていると、赤い宝石からにゅるりと触手が現れる。
 え……?
 外そうとした瞬間、ずるりとタコが姿を現し、あっという間に仮面を絡め取って放り投げ、僕に纏わりつく。
『な、また会えたやろ?』
 久々に晴れた視界。すぐ目の前で微笑むタコ野郎。涙を流す僕。
 全てはまやかしだ。
 本当に、馬鹿なのは僕だ。こんな夢を見るなんて。こんな夢を見て、現実世界でも泣いているなんて。


 あれから半年。相変わらず母の容態は芳しくない。相変わらず僕は仮面を被ったまま人と接している。たこ焼きの匂いが漂うこの街で、僕は未だに自分の存在意義が掴めずにいた。
 でも。それでもいいのかもしれない。ご都合主義は夢の中だけで十分だ。
『さて。それじゃあ転校生を紹介しよう』
 ざわりと揺れる教室の中、僕は静かに顔を上げる。
 息が止まるかと思った。
「は……。何で、佐貫が……?」
「やっほ~、委員長。久しぶりやな」
 苦しくなる胸を押さえ、彼を凝視する。ひらひらと手を振ってみせた彼は、間違いなくあのタコ野郎で。
「嘘や……」
「嘘やないって。委員長、やっぱ関西人やったんやな」
 慌てて口を押さえる僕に、佐貫が目を細めて笑う。
「隠しても無駄や。俺、アンタのこと色々調べてん。んで、追いかけてきたんやで?」
「な、なんで……」
「そりゃ、俺がアンタのこと好きだからやん。それに、約束したしな」
「いや、でも僕は……」
「俺は、委員長がいい。委員長が側にいないと嫌や」
「な……」
 真剣な瞳で告げた彼が、僕の手を取り、指輪をはめる。それは、偶然だろうか。夢で見たあの指輪とそっくりだった。
「その、ええと。でも。僕、もう委員長じゃないし……」
 なんとか絞り出した言葉は、全く的を射ない言葉で、余計に羞恥を招く。流石に、転校早々委員長ってのは気が引けたから、今の僕は、ただの善良で優秀な一般生徒だ。
「そか。んじゃ更科いや、紡?」
「な、名前、覚えてたんだな」
「当たり前」
 屈託ない笑顔で答えた彼に、心臓が千切れそうな程高鳴る。
「んじゃ、とりあえず」
「んむ?!」
 彼の唇が、当たり前のように僕の唇に重なる。
「ずっと一緒にいられるように。おまじない、な?」
 どうやらこれは夢でもまやかしでもないらしい。一気に騒めくクラスメイトと教師に、僕は慌てて彼から離れる。
 だけど、すぐに彼の手が伸びてきて、僕を絡め取って引き寄せる。
 なんて質の悪い現実だろう。仮面がぱりぱりと音を立てて剥がれてゆく。でも、もう怖くなかった。自分が何者であろうと、彼がタコであろうと、彼と一緒にいられるのならば。
「は。馬鹿だな。お前も僕も。どうせ僕はもう逃げられないさ」
 赤い宝石に口づけを落として笑うと、彼は弾けるような笑みを浮かべてもう一度僕に吸いついた。本当に、タコみたいな奴。
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