アズアメ創作BL短編集

アズアメ

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(86)無能令息と恋敵

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 魔術師の名家に生まれたローゼルア。魔術の才がない彼は、政略結婚のための駒として使われる。しかし、彼の許婚であるリリアに一目惚れしたという男が現れ、決闘を申し込まれ……。

 訳ありチート孤独当主青年×無能責務全う石頭令息。ヒステリック令嬢とお節介ばあやもいるし受けの女装もあるよ!(なんでも詰め詰め侍)
 ボロ負けして主従関係になって全部諦めちゃう受けが好きです!

ローゼルア・ラヴェリア
 長男だが魔力が弱く、身内からは疎まれている。その為、リリア嬢の機嫌を取ることに人生を注いでいる。

ファイザ・ルイア
 没落貴族と言われているが、真相は謎に包まれている。ルイアの結界に縛られて暮らしていたが、打開策を見つける。

リリア
 ローゼルアの許婚。彼のことは気に入っていたが、ファイザの求婚に心揺れる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『ローゼルア。お前は何としてでもリリア嬢と結婚しなさい。それがお前の唯一の存在価値なのだから』
「はい。お父様」
 有名貴族ラヴェリア家の長男にも関わらず、碌に魔術も使えなかった私は、幼い頃よりそう言い聞かされてきた。使い道のない私が、その縁を強めることに全力を尽くすのは当然のことだと思っていた。
 お相手であるリリア嬢も、幸い私に良く懐いた。私と結婚することにも好意的でいてくれた。だから、大丈夫だと思っていた。この世界に私が存在する意味があるものだと思っていた。

 しかし、それは呆気なく覆った。

 あるときリリアは、貴族のパーティーにこっそり参加した。彼女は悪くない。ただ、友人に誘われて、仕方なく付き添ったらしい。
 私はそれに気づき、リリアを連れ戻そうと追いかけた。だって、このパーティーはルイア家当主である青年、ファイザ・ルイアの結婚相手を決める為のものだったのだから。
「リリア、帰ろう。周りに気づかれない内に」
「でも……」
「待て。僕は今この瞬間、運命の人を見つけた」
「は……?」
 皆が注目する中で高らかに告げたファイザの目には、リリアが映っていた。
『ファイザ様。ですがあの娘は、その……。ラヴェリア公爵のご令息、ローゼルア様の許嫁なので、いくら貴方であろうとも……』
「だったら、力尽くは?」
『まさか、決闘を……?』
「なんだ。やっぱり決闘はオッケーなんじゃないか」
 取り巻きの言葉に微笑んだファイザが、ゆっくりと私に目を移す。
「ローゼルア……」
「心配いらないよ。私が勝てばいい話だ」
「でも……」
 彼女の顔を見て、決闘を受ける決意が固まる。彼女の心は揺れていた。今まで、私が側に居て牽制していたわけだから、男からのアプローチなどなかっただろう。それが今、常識知らずのお坊ちゃまのせいで、彼女の心は思わぬ衝撃を受けた。たくさんの女たちが集まっている中から、自分が選ばれれば嫌でも意識してしまうのだろう。それになにより、ファイザの容姿は文句の付け所がない。目つきの悪い私よりもずっと王子様に相応しい。邪魔な存在であることは明らかだった。
「さて。ローゼルアさん、だっけ? 彼女を巡って僕と一勝負してくれません?」
「ふん。後悔するなよ?」
『きゃ~! ファイザ様~!』『いいぞ~、リリア嬢を巡っての争いか~!』『いや~! ローゼルア様、勝ってくださいまし~!』『リリア嬢よりワタシを巡って争って~!』
 各々が叫ぶ中、人が退いたホールの真ん中で剣を受け取り、ファイザと向き合う。
 ファイザの噂は全く聞かない。こうして対峙した今、彼から強い魔力の気配は感じられない。ならば私の勝ちだ。

「はっ!」
 剣に魔力を込め、氷を纏わせる。碌に魔術が使えない、と言ってもそれはラヴェリア家の基準だ。ラヴェリアにさえ生まれていなければ、充分重宝される程の力はあるわけで……。
「なんだ。その程度か。良かった」
「は?」
 ファイザに向かって振り下ろした剣が、易々と掴まれる。
「どういうことだ……?」
 彼の手が触れた瞬間、刃に纏った氷が跡形もなく消えた。
『おいおい。ローゼルアは不調か~?』『早く魔術を使ってくださいまし!』
 外野の声がやんややんやと責め立てる中、もう一度剣に魔力を込める。が。
「どう、して……」
 どうして魔術が使えない? 違う。失敗などしていない。違う。使えないはず、ない。
 全身から汗が噴き出す。蘇るのは虐げられてきた記憶。
 こんな弱い子が生まれるだなんて。どうして教えてるのに覚えられないの。才能がない。ラヴェリアの恥。
 ああ。まさか、全く魔力が使えなく……? いや、そんなはず。私は。違う。使える。できる。私は……。
「大丈夫ですか? 顔色、悪いですよ? 僕にビビっちゃいました?」
「ふ、ざ、けるな……!」
「おっと」
 耳元で囁くファイザを真っ二つにするべく剣を振るう。が、それすらも易々と掴まれてしまい……。
「あは。魔術がなければほんと弱いですね。残念ながら、僕は魔力を無効化できちゃうんですよ。すごいでしょ? だからね、この細腕。もう少し鍛えておくべきでしたね?」
「は……、まさか……。そんなことが、できるわけ……」
「僕の勝ちですよ。ローゼルアさん」
「っぐあ!」

 年下の少年に見事投げ倒され、気を失った私は負けた。次に目を覚ました時に、私の居場所がなくなってしまっていたことは言うまでもない。
『起きなさいローゼルア』『まさか魔法を使ってない相手に負けるだなんて』『とんだ恥さらしだな』
「ち、違います……。あれは、どうにも力が無効化されて……」
『言い訳するならもっとマシなものにして頂戴!』
 そう言って私の頬を叩いた母親は、まるでゴミや虫でも見るような目で私を蔑んだ。
 無理もない。私だって信じられない。魔力を無効化できる人間がいるなんて。だけど、彼は確かにそう私に囁いた。私だって、魔力が使えなくなったと思い、焦った。
『もういい。ラヴェリアの名折れだ。お前はラヴェリアを裏切った』『自害しなさいローゼルア。貴方はもう不要だわ』
 両親に見限られた私は、差し出されたナイフを静かに手に取った。
『ちょっとやめてよ。こんなとこで死なないで』『そうだよ。父さん母さん、兄さんのことは行方不明ってことにしなきゃ。自害したなんて知られたらそれはそれで面倒だ』
『そうね。確かに。ワタシたちに非があると思われても困るわ』『で、あれば。ローゼルア。わかるね?』
「……はい」
 遠くへ行って人知れず死ねということだ。
 こうして、私はラヴェリアを追い出され。死に場所を探して、彷徨うこととなった。

 もはや何も感じなかった。心の奥底では、こうなることを予想していた。必死にリリアと上手く結婚する未来を目指していたけれど。一つ間違えば、私など捨てられてしまうことは分かりきっていた。
「もうそろそろ、いいだろうか……」
 静まり返った森の片隅で腰を下ろす。空腹も疲労も厭わずに、歩き続けて早数日。もう十分なくらい距離を取った。私のことなど、誰もわからないだろう。こんな森の中に死体があっても、誰も気づく者はいないだろう。
 母親から初めて貰ったプレゼントであるナイフを撫でる。そして、それを首に当て、力を込めようとした瞬間。
「ローゼルア!」
 呼び声が聞こえた方向をぼんやりと見つめる。幻覚だろうか。そこには、ファイザがいた。
「どうして……」
 どうしてよりにもよって、彼の幻覚など見てしまったのだろうか。
「おいで」
「……は?」
 彼に腕を引っ張られた途端、それが幻覚でないことを理解する。
「放せ、何が目的だ……。何故お前がここにいる……?」
「はは。何故だと思います?」
「私の最期を、嘲笑うためか?」
「……死なせませんよ。絶対に」
「何……」
「こんなんで死のうと思ったんですか?」
「返せ……ッ!」
 軽々と引っ手繰られたナイフを取り返そうとして、無様に転ぶ。
「大丈夫ですか?」
「クソ……」
 熱い。体に力が入らない。頭が痛い。吐き気がする。もう、起き上がりたくない。
「は、ぁ……。どうして……」
 どうして私がこんな目に遭わなければいけないのだろう。私の生まれた意味とはなんだったのだろう。
「すごい熱。辛いでしょう?」
「さわ、るな……」
 頬に触れたファイザの手を即座に振り払いたかったが、身じろぐだけで精一杯だった。
「もう、いいだろ……? 充分、無様な最期、だろ……? 殺せ。殺して、くれ……。頼むから……」
「はは。無様だなんて。貴方はこんなにも美しいのに。最期になんかさせませんよ。僕は貴方を殺しません。僕は、貴方を助けに来たんですから」
「え……?」
 私を抱き起し、土のついた頬を拭った彼は、その微笑みを私に向けた。
「手っ取り早いからとはいえ、貴方には悪いことをしました」
「……? どういう意味だ?」
「僕の狙いは最初っから貴方ですよ。ローゼルアさん」
「私……?」
「はい。僕、貴方に一目惚れしちゃったみたいで。どうしても手に入れたくなって。でも、あの場で正直に貴方を選ぶと、色々と面倒なことになるでしょう? だから、こうやって。貴方を一度社会から切り離して、僕の物にしようかな、と」
「は……?」
 にこにこしながらそう語るファイザに、首を傾げる。熱のせいだろうか。全くもって彼の言っていることが理解できない。
「ローゼルアさん。どうか僕の手を取ってください」
「気色の悪い冗談はやめろ! 私は、お前のせいで、全てを失ったんだぞ?」
 差し出された手を叩いて、彼を睨みつける。が、彼は依然としてにこにこ顔のまま、もう一度こちらに手を差し出す。
「ええ。ですから責任を取ろうかと。ローゼルア、貴方を僕の城にお招きしましょう」
「招くって……」
「ただ、世間体もありますから、身分を隠した上で使用人として働いてもらうことになりますけど」
「誰が、お前の下で働くものか」
「じゃあ聞きますけど、これからどうするつもりですか?」
「それは……」
「こんなナイフ一本で自殺するのは大変ですよ? 相当な力を入れないと」
「え……?」
「これだから貴族の考えは甘いんですよ。人間って中々しぶといんですよ。飢え死ぬにしても、大分苦しい思いをするかと」
「でも……。きっと、それが私の……、運命だから……」
「強がらないでください。怖いんでしょう? 死が。孤独が」
 怖い? 私が? 死を恐れている? まさか。私は、いつかこうなることが予測できていた。だから、覚悟ならとっくの昔に……。
「震えてることに気づいていないんですか?」
「は?」
 無理やり手を取った彼が、私を抱き寄せる。温かい。久々に触れた人肌に吐き気を覚える。
「ね。僕に委ねてくださいよ。その命、捨てるって言うのなら、僕にくださいよ」
「……触るな」
「貴方は負けたんです。僕の好きにしていいはずだ」
「だったら、力づくで好きにすればいい」
「ええ。そうでしょう。僕も最初はそのつもりだったんですけど。どうしても、貴方に選んで欲しくって」
「やはりわからない。私にはお前がわからない」
「わからなくていいんですよ。貴方はただ、僕の手を取ればそれでいいんです」
 ファイザの赤い瞳が私を捉えて離さない。選択肢などあるようには思えなかった。
「……わからないがわかった。お前の言う通りにしよう」
「なんだ。意外と折れるのが早い」
「どうせ何を言っても時間の無駄なんだろう? それよりも、もうこんなところで、夜を越したくない」
「ふふ。相当弱ってるみたいですね」
「見ればわかるだろう?」
「ええ。今にも死にそうですもんね。それでは、ラヴェリアのお城には負けると思いますが、ウチにお招きすると致しましょう」
 ファイザの指で転移の指輪が光を灯す。その眩さにやむなく目を瞑る。そして、次に目を開くと。
「さ。着きましたよ」
「うわ……」
 眩い緑が視界を埋める。ここは中庭なのだろうか。神々しい魔石をあしらった女神像(恐らく転移の指輪と連動しているものだろう)、立派な噴水、そして様々な植物、美しい声で鳴く鳥たち。まるで植物園のような空間に目を奪われていると、ファイザに姫抱きされた。
「ウチも中々綺麗でしょう? 気に入って貰えたなら光栄です」
「ルイアは没落貴族だと聞いたが……」
 無抵抗のまま進んだ城内は、やはり広く立派な作りだった。ラヴェリアの城とそう大差ないように思える。
「ああ。これ、昔のまんまなんですよ。栄えてた頃のまま結界を張って、劣化を無効化してるんです」
「なるほど。無効化の魔術はルイアの血、というわけか」
「ええ。この結界は先代が張ったものなんですけど、本当に見事なものですよ」
「確かに素晴らしい。こんな魔術があるとは、思いもしなかった」
 他者の魔術だけでなく、時までもを無効化してしまう魔術など聞いたことがない。
「無理もありません。ルイアはその力をずっと隠し通して来たんですから」
「隠し通して来た?」
 何故だ。そんな必要がどこにある。こんなに強大な魔術、発表しただけで魔術界がひっくり返るはずだ。
「無効化の力はお察しの通りとても奇妙な力です。恐らくはこの世に存在してはいけない禁術の部類でしょう。先代もそれに気づき、無効化の魔術だけは人前で使わぬよう徹底したのです。幸い、その頃のルイアは他の魔術にも長けていましたので、有名貴族として名を馳せることができたというわけです。でも。それはもう百年以上も前の話。ルイア家の魔力は、世代を重ねるごとに弱まり。ついに没落貴族とまで言われるようになったってわけです」
「じゃあ、お前はどうして……」
「隔世遺伝ってやつですかね。いやあラッキーですよ。といっても、無効化の魔術以外は生憎受け継いでなくて。まあ魔力はたっぷりあるんで、魔石が使い放題なのはいいんですけどね」
「……何故お前はそれほどの力を持っていながら、ルイアを復興しようと思わない?」
 私にそんな特別な力があったのならば。きっと――。
「どうして僕がそんなことしなきゃいけないんです?」
「え? どうしてって、そんなの、お前がルイアだから……」
「僕はね、権力なんて興味がないんです。家柄とか、正直どうでもいい。そんなのが何になる?」
「何にって……」
「そんなものに縛られるぐらいなら、僕は没落貴族のままで構わないんですよ」
「……」
 驚いた。彼は本当に自由だった。私がいかにラヴェリアに縛られているかを思い知らされた。私が彼ならば、絶対にその禁術を使って自分の力を認めさせる。……でも、もしかしたらそれで得られるものは、更なる拘束なのかもしれない。
「ルイアには現在、僕しか住んでいません。城の掃除はしなくても大丈夫なので、案外一人が気楽でいいんです。でもね、僕だって人間です。少し寂しくなって。重い腰を上げて一緒にいてくれる人を探しに出たというわけです。だから、別に子孫を残す気もなくてですね」
「いや、でも、お前、やっぱり勿体ない……。リリアと結婚すれば、きっと力ある子が生まれるはず。彼女の潜在魔力は結構高い。お前のその力だって、もっと人の役に立つはず。それに、リリアだってきっとまんざらでもないはずだ。あれは私よりも君を気に入っていた。今からでも遅くない。私など捨てていい。残念ながら、私はお前に助けられる価値などない。だから……」
「そんなこと言わないでください。リリアさんには既に連絡済みです。もう興味がなくなった、と」
「どうして……。お前なら全てが上手くいくというのに……」
「賢い貴方にはわかっているはずだ。力が全てでないことくらい」
「……でも、力がなければ逆らえもしない。お前だってそう思ってるからこそ私を選んだんだろう?」
 彼が私を選んだ理由。少し考えればわかることだ。あの場で一番非力でいて、子を孕む心配のない同性。その条件が一致したに過ぎないのだろう。すぐにラヴェリアから捨てられ、独りになってしまう私なぞ、うってつけの玩具じゃないか。
「なるほど。やはり貴方は自分の魔力に相当コンプレックスを抱いているみたいですね」
「……お前に何がわかる」
「……僕の両親もね、己に力がないことを嘆き、幼い僕を置き去りにしたままこの城を去りました。この城に魔力のない者はそう長く住まえないのです」
「どういうことだ?」
「結界ですよ。先代の張ったそれは効力を維持するために、城の人間から平等に魔力を掠めとるのです。でも、魔力保有量の少ない人間は足りない魔力の代わりに魂を削り取られてしまうのです。だから、力を持たない両親はルイアと僕を捨て、己が生きる道を選んだのです」
「何故。幼いお前が捨てられる?」
「簡単なことですよ。ルイアの結界はルイアを縛る。誰か一人はこの結界に餌をやる番人として残っていなければならないんです。だから彼らは、自分たちが逃げられるよう僕を産み、生贄にして、見事逃げ伸びたってわけです。まあ僕は幸いにも魔力を持って生まれたわけで。命まで削られる心配はないので、そこまで恨んじゃいませんがね」
「……結局はお前もルイアに縛られているということか」
「ええ。残念ながら。でも、同じ過ちは繰り返さない。こんな結界は、僕の世代で断ち切ってみせる」
「だから子孫を残さないというわけか」
「ええ。寂しさを紛らわすだけなら、男でも女でも構わないでしょう? でも、貴方には期待しているんです。あわよくば僕の負担を減らしてほしいんですよ」
 意味深にこちらを見つめたファイザの思惑を理解する。
「命が尽きるまでここに居ろってことか。はは。中々残酷じゃないか」
「それは……」
「いい。私はどうせ死ぬ運命にあったんだ。今更足掻きはしない。勝者であるお前にこの命、捧げるまでだ」
「貴方は本当に。自分の価値がわかっていない」
「?」
「まあいいです。とにかく今はまず体力を回復させることを優先してください。相当辛いはずだ。さ、着いた」
「ここは……?」
「客室です。長いこと使ってませんけど、結界のおかげで埃一つありませんので安心して横になってください。僕はその間に食べれるものを作ってきますから」
「あ、おい……」
 情けは不要だと訴えようとしたが、無情にもドアは目の前で閉まる。急いでドアノブに手を掛けるも、予想通りドアが開く様子はない。
「閉じ込められた、か」
 どうやら外から鍵を掛けられたらしい。客室ではなく牢屋の間違いだろ、こんなの。
「はあ……。足掻いても無駄だな」
 体力の限界を感じて大人しくベッドに横たわる。長く使われていないようだが、やはりカビの匂いはしない。本当に無効化の魔力が働いているのだろう。
「外着のままベッドに横たわるなんて、きっとばあやに怒られてしまうな……」
 呟きながら、瞳を閉じる。瞼の裏に移るのは、唯一自分の身を案じてくれた乳母の顔。最後まで私の味方でいてくれた彼女は、きっと両親に疎まれてしまっただろう。
 ああ。私は本当に、碌でもない人生を送ってしまったんだな。でも。どうか神様、ばあや
だけは幸せにしてあげてください。


「さて。それじゃあローゼルアさんの体力も回復したところで。これからはメイドとしてよろしくお願いしますね」
「は? メイ……? 執事の間違いじゃ……」
 献身的な看病の甲斐あって、元より健康になった私に向かって服を押し付けたファイザ。その顔は相変わらずの王子様スマイルを保っている。
「すみませんが。執事は間に合っているので」
「間に合ってる? ここにはお前以外住んでいないと聞いたが?」
「……バレました? まあ、僕の趣味ってやつです」
「お前っ、本気か……? って、やめ……」
「大人しくしてください。貴方は僕のものなんでしょう?」
「っ……。わかった、自分で、着るから!」
 肌に触れるファイザの手を払いのけ、背を向ける。
「そうですか。それじゃあ、お願いします」
「く……」
 明らかに視線を感じるが、文句を言っても体力を消費するだけだろう。それに、私の体など見られたところで、だ。
「ああ。やっぱり似合ってますね」
 フリルがたっぷりとあしらわれた丈の短いメイド服は、鏡を見なくともわかる。絶対私に似合っていない。成人男性がこんな服を着るなど常識的に考えてあり得ない。
「というかそもそも、何故こんなに丈が短いんだ……」
「だって。ローゼルアさんの細くて白いおみ足がいつでも見えるようにしたいなって思って」
 流れるように太ももを撫でるファイザの手を叩く。
「……悪趣味め。こんなの、楽しいわけがない」
「僕は楽しいですけどね。さあ、僕の可愛いメイドさん。貴方はこれから何をするべきか、わかりますか?」
「……」
 にやにやと嫌な笑顔を向ける彼から目を逸らす。恐らく反応するだけ時間の無駄だ。彼が飽きるのを待つのが得策だろう。
「ふふ。だんまりですか。貴方は賢いですね。でも」
 リン――。城内に鈴の音が響き渡る。
「うん。丁度来ましたね」
「客か?」
「ええ。貴方もよく知っている人ですよ」
 玄関に向かって歩くファイザを見つめながら、嫌な予感を覚える。
「何してるんですか。貴方はメイドなんですから。お客様をお出迎えするのも仕事ですよ?」
「……わかった」
 言いたいことはたくさんあったが、感情を打ち消してファイザの後に続く。私の人生はほぼ終わっているのだ。今更恥じることなどない。そう思っていたのだが。

「ファイザ様。お招きいただきありがと……。え、ローゼルア……?」
「っ……」
 まさか、招かれた客が元婚約相手だとは。私の姿を見るや否や、困惑した表情を見せるリリアに目を伏せる。長年その気にさせようと見栄を張ってきた相手に、こんな醜態を知られて恥じない訳がない。
「ほらローゼルアさん。お客様にお茶を持ってきてください」
 誰がそんな命令を聞くものか。二人に背を向け、来た道を戻る。やはりすべての感情を殺し切ることは難しい。
「あーあ。まだ自分の立場がわかってないみたいですね」
 暗い響きを含んだファイザの声にハッとする。が、すでに遅かった。
「っああア!!」
 ファイザが指を鳴らした途端、体に強烈な電撃が走る。
「ローゼルアさん。貴方は僕に逆らえませんよ?」
 座り込んだ私の胸元に手を伸ばしたファイザが微笑む。
「なるほど。これは、魔石だったのか……」
 胸元を飾るリボンの結び目についている宝石を撫でられて気づく。もう少し警戒するべきだった。リリアにも幻滅されたことだろう。
「さあ。僕のメイドさん。そろそろ仕事をこなしてください」
「……わかった。待っていろ」
「あ、あの。せ、折角ですが、ワタシはこれで……」
「おや。もう帰るのかい? それじゃあお見送りをしてあげようか。ローゼルアさん」
「結構ですわ!」
 青ざめた顔で叫んだリリアは、引き止める間もなく城から出て行く。
「おい。お前は一体何がしたいんだ。わざわざリリアを招待して、何のつもりだ」
「何だと思います?」
 全く悪びれる様子もなくリリアのことを見送ったファイザが、肩を竦める。
「……私への嫌がらせか?」
「はは。違いますよ。僕はただ、反応を確かめただけです」
「反応って。当然リリアは怒ってたじゃないか」
「ええ。どうやらリリアは貴方に惚れているわけではないらしい。貴方も、恥じはしたけど、彼女を特別思っている様子でもなかった」
「は? 当たり前だろ? 私はただ利害の為だけに彼女と付き合っていただけだし、彼女はどうみてもお前の方を好いている」
「そのようですね。嫉妬して損しちゃいました」
「……それは、どっちに、だ?」
「分かってるくせに」
 目を細めたファイザが猫を可愛がるような手つきで私の頬を撫でる。
「やめろ。いくらなんでも悪趣味だ」
「はあ。僕の愛はやはり受け入れられませんか?」
「遊ぶなら他のでやってくれ」
「つれないですね。じゃあせめて、メイドとしての仕事を全うしてください」
「……いいだろう」
 何もいいことはないが、恋人ごっこよりはマシな気がするので頷いておく。
「それじゃあ手始めに、掃除でもやってもらいましょうか」
「掃除? この城は綺麗にする必要がないだろう?」
「城内はね。実はこの結界、外庭までは効力を発揮していなくてですね」
 ファイザがそう言って指し示した城のすぐ周りは、確かに植物の手入れがなされていない様だった。
「草を刈れってことか」
「ええ。お願いしますよ、ローゼルアさん」

 別に真面目にやる気など最初からなかった。かといって、逃げるつもりも今更ない。ただちまちまと時間を掛けて草を引き抜いていた。のだが。
「全然なっていない!」「真面目にやってます?」「ローゼルアさんってやっぱこういうの向いてないですよね~」「あ、全然責めてるとかじゃないですよ? ゆっくりでいいですからね!」
「……うる、さい」
 横やりを入れられまくった結果、堪忍袋の緒が切れた。
 いいだろう。徹底的にやってやろうじゃないか……。
 勿論、土いじりなど生まれてこの方やったことがなかったのだが、必死に記憶を手繰り寄せる。確か、ばあやが言っていた。この手の雑草は、一度地面を湿らせてから引き抜いた方がいいと。
「あ。ほんとだ。さすがばあや」
 水を掛けてしばらく、先ほどまでと同じように草を引き抜く。その違いは歴然。引き抜きやすさが全く違うのだ。
「少し、楽しくなってきたかも……」
 元々細かい作業は嫌いでなかったので面倒に思えた草抜きも、それほど苦も無く気づいたら終わっていた。
「おお~。大分綺麗になりましたね。お疲れ様! はい。ご褒美のアイスティーです」
「……ありがとう」
 受け取ることを拒否しようとも思ったのだが、生憎、プライドよりも喉の渇きが勝ってしまった。
「やっぱりローゼルアさんは煽るとやる気出してくれますね」
「ぐ……。お前、わざとか」
「はは、怒らないでくださいよ。あ、そうだ。じゃあもひとつご褒美に、何かお願いごとでも聞いてあげましょう」
「はっ。願い事など今更……」
 ない、と答えようと思ったところで、ばあやの顔が思い浮かぶ。
「……一つだけ。元乳母の様子を知りたい。ばあやは今、どうしているのか知りたいんだ」
「へえ。貴方が他人に興味を持つなんて」
「駄目なら、いい」
「ふふ。いいでしょう。魔石の力で調べてみます。待っていてください」
 承諾されたことに安堵し、息を吐く。
 ずっと気にはなっていた。ばあやは私の肩を持っていたせいで、今はきっとラヴェリアに居辛くなっているはずだ。いや、むしろ恐らく……。
「わかりましたよ、ローゼルアさん。ばあやさんは今、ラヴェリア家から追い出され、職を失っているそうです。再就職しようにも歳が歳なので、難しいようで」
「やはりか……」
 ラヴェリアの非情さに歯噛みする。長年仕えてきたばあやでさえ簡単に追い出してしまうだなんて。
「ばあやさん、お孫さんを養っていかなきゃならないらしいですね。お孫さん、両親が事故で亡くなって、身内がばあやさんしかいないそうですね。ああ、大変だろうな。まだ育ち盛りの子どもたちを老体で養っていくのは」
「……頼む。ファイザ、ばあやを助けてやってくれ」
 コイツに頼るのは癪だが、それ以外の道が見出せないなら仕方がない。大人しく首を垂れて袖を引く。コイツも恐らく、私がそう頼むのを見越していたのだろう。
「そうですねぇ。それじゃあですよ。あの森の洞窟にいる魔物を全滅させてくれれば、考えて差し上げましょう」
 したり顔でそう条件を付けた彼にそっぽを向く。
「魔物退治は使用人の仕事に入らない」
「掃除の一環でしょ。普通のメイドには無理でも、貴方ならできるはずだ。それに、魔物といっても蝙蝠ですから大丈夫ですよ」
「だが、私の力は……」
「弱くはないでしょう? ラヴェリアでは散々言われてきたかもしれませんが。貴方は充分強いんですよ」
「は。ボロボロに負かしておいてよく言う」
 でも。確かにやる前から弱気になっていては、ばあやは助けられない。
「やる気になりましたか?」
「ああ。それが条件だというのなら、私は全力をもって従おう」

 とは言ったものの、だ。
『ギャア!』『ギャオオオ!』
「ッ、食らえ!」
 洞窟の中で炎の魔術が炸裂する。通常の十倍ほどある蝙蝠の化け物を既に数十倒してきたが、全身の疲労と負傷は限界に達していた。
 こんな雑魚、弟たちならすぐに片付けてしまうんだろうな。
「いや……」
 首を振り、劣等感に偏った思考を払う。いくら他人と比べたって、今は意味がない。私がこの課題をクリアしなければ、ばあやは助けられないのだから。だから。何が何でも、やらなくては。
「あと、一匹……!」
 揺らめく視界の中で、最後の一匹を捉え、手のひらに炎を灯す。しかし、相手も黙って見つめてはいない。
『グギャア!』
「っぐあ……」
 鋭い爪で肩が裂かれ、血が舞い散る。
「ローゼルアさん!」
 見かねたファイザが後ろから叫ぶが、止まるわけにはいかない。
「ッ、私を、舐めるな――!」
 最後の力を振り絞り、全身をぶつけるようにして炎を蝙蝠に押し付ける。
『グギャアアアアアアア!』
 蝙蝠が燃え、炎が消えた途端、辺りに闇と静寂が戻る。
「ローゼルアさん……!」
 ずっと後ろで見ていたファイザが駆け寄り、倒れる寸前だった私を支える。
「は……。ちゃんと、倒したぞ……。だから、ばあやは……」
「ええ。貴方は頑張りました。対価は必ず支払います」
「……頼む」
「は~。そんなに好きなんですね、ばあやさんのこと」
「当たり前、だ……。ばあやは、唯一、私のことを、案じてくれたから……」
「ふ~ん」
 こんなこと、言いたいんじゃないのに……。これ以上弱みをみせたいわけじゃ、ないのに……。
「羨ましいな。貴方にそこまで思われているだなんて」
「ばあやは、特別だから……」
「は~。ほんと、仕方ないですね」
「ん……?」
 ファイザがおもむろに取り出した石を私の手に握らせる。
「回復の効果がある魔石です。しばらく持っていてください」
「……温かい」
「とりあえず、城に戻りますから。眠るなりしていてください」
 そう言ってファイザは軽々と私を抱きかかえる。
 ああ、魔石の癒しの力が、心地良い。温かくて。安心する。でも。これは恐らく。半分はファイザの体温が、心地良いのだろうな。

「さてと。もう痛みはありませんか?」
「ん。もう大丈夫だ」
 ファイザが魔石に魔力を注いでしばらく、ボロボロだった私の体がすっかり元通りになる。本当に羨ましい。私にも魔力さえ沢山あれば、魔石を扱うこともできるだろうに。
「というわけで、ご要望通り、ばあやさんにはウチに来てもらうようお伝えしました」
「ウチに来るって、まさか、雇うという意味か?」
「ええ。そうですよ」
「でも、ここに住むと結界に魂を奪われるんじゃ……」
「それなら大丈夫。この結界は、この城に住むルイア家の魔力と魂しか吸いませんから」
「え、それじゃあ私の魔力も……」
「吸われてないと思いますよ。僕と結婚すれば別ですけど。まだ貴方には手も出していませんし」
「……すまない」
「何謝ってるんですか」
「私はお前の苦しみを軽減するために生かされているというのに。自分の要望だけ通してしまった」
「律儀ですね」
「お前が望むのであれば、今すぐにでも婚礼の式を挙げてもいい。形式さえ取れればいいんだろう? 違うか?」
「それは……」
「まさか、体を繋げなければいけない、とか、か……?」
「そうだったら、貴方はどうするんですか?」
「う……。いや、既に私はお前の物だ。ばあやのことを良くしてくれるというのなら、私はお前のために動くのみ」
「……いい覚悟ですね。じゃあさっそく。脱いで貰いましょうか」
「っ……」
 ファイザの手が胸元のボタンに触れる。
「自分で、脱ぐから……」
「そうですか? 手、震えてますけどできます?」
 言われてから自分の緊張に気づく。そりゃそうだ。そういう感情がファイザにあることは予測していたけど、いざ求められると……。
「いや、でも、ちゃんと、やるから……」
「ふふ。可愛いですね、ローゼルアさん。でも、今僕がやってほしいのは」
 頬を撫でた指が、するりと離れる。そして。
「ん……? これ、は?」
 胸に押し付けられた衣装を見て脳裏が疑問符で埋め尽くされる。
「執事服です。着替えてください」
「え、どうして……?」
「ばあやさんが来るならメイド枠は埋まりますからね。それに、これ以上他人の目に触れさせたくないですもん」
「不快だってか? お前がやれと言ったんだろ」
「は~。男心がわかってないなあ。とにかく、貴方には改めて執事としての仕事を与えます」
「いや、女装から脱却できるのは嬉しいが……」
「何か不満でも?」
「や、やるなら、ばあやが来る前に、その、私をルイアにしてほしい……」
 メイド服の裾に皺ができるほど強く握りしめ、恥を忍ぶ。でも、ばあやにバレる心配のない内に事を済ませておきたいわけで。
「……え~と。誘ってくれるのは結構なんですがね。実は僕もルイアとして城に認められる条件がわかってないっていうかですね」
「だったら尚更試せばいい」
 視線を合わせようとしないファイザにずいと迫る。こうなればもう自棄だ。私の身一つで手っ取り早く証明ができるのであれば、それでいい。
「いや。それを試す前に、やってほしいことがあってですね……」
「ああ、まずは結婚式ごっこからやるか?」
「あの、僕が言うのもなんですけど、貴方、もっと自分を大切にしてくださいよ」
「自分を大切に……?」
 初めて言われたその言葉を反芻する。だって、私は失敗作だ。私が大切にされるほどの価値がないことぐらい知っている。私の性が家の役に立つのなら。私の命が彼の役に立つのなら。それでいいというのに。
「ローゼルアさん。僕は――」
「ファイザ……?」
 頬を撫でる手が今までにないくらい優しくて。その揺れる瞳に映る私が、可笑しいくらい戸惑っていて――。
『御免ください!』
「え?」
 どんどん、とドアを叩く音。そして、聞き覚えのある老婆の声を聞き、我に返る。
「ばあや!」
「え、あ。ちょ、着替え!」
 玄関に走ろうとした私の腕をファイザが掴み、執事服を押し付ける。
「あ、悪い……。えっと、話の続き……」
「また改めます。ばあやさんをお待たせする訳にはいきません。さ、早く着替えて?」
「……ありがとう」

「ローズ坊ちゃん! ああ! お会いしとうございました!」
「ばあや!」
 スーツケースを引き摺るばあやの、小さな体を抱きしめる。途端にその懐かしい匂いを感じて頬が緩む。
「あの、ばあやさん。来るのめちゃくちゃ早くないですか?」
「少しでも早く坊ちゃんにお会いしたくて、ばあやは全力で馬を走らせて参った次第でございます」
「ばあや……」
「馬が筋肉痛にならないか心配です」
「ああ、坊ちゃん! 思ったよりもお元気そうで。お城にいた頃よりも肌が綺麗でいらっしゃる!」
「ばあやこそ……。少し痩せたんじゃないか……? ああ、私のせいなんだろう? ごめんね、ばあや」
「そのような気遣い無用です! ワタクシなど! むしろ、ワタクシにもっと力があれば……!」
「ばあや!」
「坊ちゃん!」
「あ~。ごほん。そろそろいいかな?」
 感動の再会を傍目に白々しく咳ばらいをしたファイザがぎこちない笑みをこちらに向ける。どうやら少しはしゃぎ過ぎたようだ。
「ああ! ファイザ様! この度は、この老いぼれめをローズ坊ちゃんに会わせていただき……さらに雇って頂き……本当に……」
「えっと。ばあやさん、顔を上げてください。これは彼が頑張った結果なのですから」
「ファイザ……」
 深々と頭を下げたばあやの背中を擦る彼の優しさ。そして言葉が涙腺を刺激する。ばあやの前で涙を流すまいと堪え、二人を見守る。が。
「あの、ファイザ様。恐れ多くも一つだけ。まさかとは思いますが、坊ちゃんに酷いことなどしていませんよね?」
「え? ええと」
「坊ちゃんに仇なすおつもりなれば、例えファイザ様といえど、このばあや全力で逆らわせて頂く所存」
 ばあやの挑発的な言葉に涙が一瞬にして引っ込む。
「ば、ばあや?! 頼む、許してやってくれファイザ! ばあやは過保護すぎる面があって、だからその……」
「ふ。どうやら本当にお二人は信頼し合っているようですね。ばあやさん、確かに僕は彼に酷いことをした。でも、彼の力が証明された今、僕は彼に救いを求める側なんですよ」
「……どういうことです?」
 ばあやの問いかけと同じ疑問を抱き、彼を見る。私の力など蝙蝠を倒すのがせいぜい。そんなちっぽけな力で彼に救いを与えることなどできるはずがない。
「ローゼルアさん。貴方には素晴らしい力が眠っている。自分に力がないと思い込んでいるだろうけど、確かに貴方は証明してくれた」
「何を言っている。私の力ならさっき見たはずだ。あんな蝙蝠相手にボロボロなんだ。その……残念ながら、私は弱い」
 だからこそラヴェリアとしての義務を果たせなかったんじゃないか。
「違うんです。あの洞窟には魔力無効の効果があって。その影響でルイアに力を持った者が生まれるらしいんですけど……。にも関わらず、貴方は力を使った」
「え……?」
 そんなはずない。私はいつも通り魔術をふるえていたはずだ。
「貴方は大きすぎる力を操るのに時間が掛かってしまった。弟たちが能力を発動する中、焦りもあって、その力を自分で否定してしまった。違いますか?」
「は?」
「でも、さっきは全力を出した。そう、無効化の力を超える程強力な魔術を貴方は使ったんですよ」
「そんな、まさか」
「信じてください。自分の力を」
「本当に……?」
「ええ。今の貴方にはできるはずです」
 そっと撫でられた手のひらを見つめる。この手で、もし強力な魔術が紡げるというのなら……。
 目を閉じ、手のひらに熱を集める。すると。
「!」
「ね?」
 勢いよく揺らめく炎が己の手から生まれる。その純度は高く、触れれば一瞬で灰になって消えるだろう。まさか本当に、私に力があるというのか……?
「僕はあの場で貴方を一目見た時からその力が欲しかった。僕は貴方にこの城で命を捧げて欲しいんじゃない。もっと根本的なことなんです。ローゼルアさん。どうかお願いです。その力でこのルイアの結界を破ってほしいんです」
「私が、ルイアの結界を破れると……? それが目的で私をこうまでして手に入れたと?」
「はい。一目惚れというのも間違いではないでしょう? 僕は貴方のその秘められた力に気づき、惚れこんだ。貴方の力を増幅させるべく、わざとルイアとしてのプライドを捨てさせ、その上で力を呼び覚まして貰ったってわけです」
「なるほど。あの格好でリリアに会わせたのもただの嫌がらせではないというわけか」
「ちょっと失礼」
「ばあや」
 黙って話を聞いていたばあやが、私をファイザから庇うように間に割って入る。
「よくはわかりませんが、やはりファイザ様は坊ちゃんによからぬことをしている模様。ご自分の利益のために坊ちゃんを利用するなど許せません。ワタクシの身はどうなっても構いません。坊ちゃん、貴方はファイザ様から離れるべきです」
「……そうだね。ばあやさんの言う通りですよ。僕は確かに酷い男なんです。やはり僕もルイアに囚われているんです。この忌々しいエゴイストの血が。僕を悪たらしめる。僕だって、貴方に告げた通り、一人でこの結界を抱えて死ぬつもりだったんです。でも。貴方を見たら、希望が湧いてしまった」
「ファイザ……」
「行ってください。僕がまた欲に溺れない内に。わかってはいたんです。悪いことだって。貴方の人生を代償にするなんて。すみません。本当に、これじゃあ両親と変わりない」
「でも、お前は……」
「今の貴方ならば、その力でなんでもできるはずです。ばあやさんには約束を違えたお詫びとして、これを」
「これは……!」
 渡された袋の中身を見たばあやが驚きの声を上げる。それもそのはず、中には魔石がぎっしりと詰まっていたのだから。
「どうやら先祖代々魔石の研究をしていたらしくて。ここには腐るほどあるんです。売ればきっと高価な値がつきますよ」
「待て、お前はどうなる。この先、この城で一人籠もるのか?」
「……はい」
「……違う。お前は、自ら死を選ぼうとしてるな?」
「まさか。僕はこれからも悠々自適に暮らすんです。貴方が羨むほどにね」
「……嘘つきめ」
「坊ちゃん。ファイザ様の運命はファイザ様のものです」
「ばあやは困っている者がいるときは手を差し伸べるべきだと教えてくれた」
「ですが、結界とやらを破るのは、坊ちゃんに負担がない訳ないでしょう?」
「……ばあやさんの言う通り。正直に言うと、僕の憶測ではもう少しローゼルアさんに力があると踏んでいた。が、今の力を見るに、もしかしたら結界を破っても、その反動がローゼルアさんの体に害をなしてしまう可能性がある」
「だからお前は簡単に手を引いたってわけか。優しすぎる」
「優しい人間だったら、最初からこんな方法は選びませんよ。さ、わかったらさっさと消えてください。なあに、貴方が気に病むことはないんです。だって、僕はようやく決心がついたのだから」
「それは許さない」
「坊ちゃん?」
 低く唸るように声を絞り出した私をばあやが心配そうに見つめる。私だって驚いている。まさか自分がばあや以外の他人の為に感情的になる日が来るとは。
「私は、血に囚われているお前の気持ちがわかる。私は、ラヴェリアに囚われて己の価値を見出そうと躍起になっていたから。だが、お前は違う。お前は血に囚われながらも、藻掻いていたんだろう? 私はそんなお前を尊敬さえする。最後まで抗うことを止めないでいて欲しい。だから、私は……」
「ああ、貴方は麗しい。酷い目にあって尚、折れないローゼルア。だけど僕はもう、貴方を犠牲にするぐらいなら死んだ方がマシなんです。本当は言わないでおこうと思っていたのだけど。僕は、貴方のことが――」

「騙されちゃ駄目!!」
「え? リリア……?」「まあ! リリアお嬢様!」
 突然甲高い声で叫び勝手に城へと侵入してきたリリアに、一同は目を丸くする。
「どうしてお嬢さんがここに?」
「ああ! お労しいファイザ様! それは悪魔ですわ! 悪魔を信じては駄目!」
「悪魔? ローゼルアさんが?」
「まさしく! こんな者を雇うなど! どう取り入ったのかはわかりませんが、この悪魔、ファイザ様に復讐をするつもりなのです!」
 ややヒステリック気味に叫んだリリアは、私を指さすとありったけの憎しみを宿した瞳でこちらを睨む。
「そうなんですか? ローゼルアさん」
「くだらない。私は勝負に負けた。それだけだ。それに、今となっては詰まらない柵が消えたことに感謝さえしている」
「だってさ」
 ファイザが肩を竦めてみせるが、彼女の暴走は止まらない。
「ファイザ様は騙されているんです! きっと術に掛けられているんだわ! だって、そうじゃなきゃ、あんな悪趣味なことするわけ……」
「はは。君には理解できないかもね。ま、君がローゼルアさんの魅力に気づいてしまったら僕は躊躇いもなく君を殺すけどね」
 女装の経緯を話す気がないらしいファイザが面白そうにリリアを観察する。その態度が却って彼女に火をつけていることに気がついているのだろうか。
「な、やはり正気ではないわ! パーティーでワタシを見初めて決闘をしたファイザ様がこんなこと言うわけ……」
「ああ、あれね。最初から君なんか見てないよ。ただ、世間体があったから。君を利用してローゼルアさんに近づいただけ。僕がパーティーで一目惚れしたのは間違いなくローゼルアさんだよ」
「そん、な……」
「おい、リリアを敵に回すのはいくらなんでも軽率だ。下手に挑発するべきではない」
「そうですわ! これ以上ワタシに恥をかかせるのなら、ファイザ様にもウチの裁きが下ります。ああ、ファイザ様! アナタはどうあるべきか一目瞭然。ルイア復興のために、アナタはウチに媚びるべきだわ! そこの追い出された恥晒しなど捨て置いて、アナタほどの素晴らしい男はワタシの元で生きるべきなんです!」
 見兼ねた私はファイザの方を落ち着かせることにしたのだが、その結果がこの暴言。さすがリリア嬢と言ったところか。
「言わせておけば――」
「ファイザ」
 リリアに掴みかからん勢いで殺気を放ったファイザの腕を冷静に引く。ここで言い争っても意味がない。はずなのだが。
「リリア様。お言葉ですが、貴方のような穢れたお方に坊ちゃんを貶される謂れはありません」
「は?」
「ばあや!」
 まさか、ここでばあやがリリアに向かって説教をするとは思わなかった。
「アナタ、わかっているのかしら? ウチに逆らえば――」
「貴方こそわかっていらっしゃらないようで。人の上に立つお方なら、それ相応の責任がおありでなくては」
「何を言ってるの、このババアは」
「貴方たちは法を侵し、民を苦しめ過ぎた。故に、少し背中を押しただけで、少し証拠を流しただけで、すぐに民は反乱を起こしたようです」
『お嬢様! お城が!』
 ばあやがにやりと笑った瞬間、リリアの執事が慌ててリリアに駆け寄り耳打ちをする。
「な……。ワタシの城が、燃えてるですって?! 民が、反乱を起こしているって……アナタ、一体何をしたのよ!」
「リリア様のこと、そしてご家族のことは昔から調べ上げていました。坊ちゃんにもしものことがあったときに、と。そして、今が悪しき情報の流し時だと思ったのです」
 そう言って鼻を鳴らしたばあやの肩に、飛んできた鳩がとまる。なるほどあれは、ばあやに懐いている伝書鳩だ。
「な、なによ! ワタシが悪いっていうの?! 間違ってるのはアナタたちじゃない! それなのに……!」
『お嬢様! 逃げましょう! ここもすぐにバレてしまいます!』
「お、覚えてなさい! ローゼルア!」
 執事に手を引かれ、口惜し気に去っていくリリアをぼうっと見送る。
「は~。いいとこ取られちゃったよ。僕だって、同じように彼女を脅す準備をしてたんだけどな……。ばあやさんは手強いや」
「ワタクシとて伊達に坊ちゃんに仕えてはおりません」
「敵に回って欲しくないねえ」
 物騒な会話を交わす二人を横目に、リリアが最後に見せた表情を思い出す。恨まれて当然。だが、長年振り向かせようとしていた相手にあからさまな殺意を向けられると、どうにも心地が良くない。
「忘れていいよ、ローゼルアさん」
「ええ。そうですとも。あのお嬢さんは以前から坊ちゃんを何かといびっていましたから。それに、故意に民を苦しめて弄んでいました。裁かれるべき人ですよ」
「それでも。ファイザは彼女と結ばれた方が幸せだったんじゃないかと思って……」
 彼女はそれを望んでいた。それに、彼女も魔力ならば持っている。彼女が魔力をラヴェリアの結界に捧げ、彼がリリアに愛を捧げ、寂しさを紛らわせたならば、互いの為になるはずだ。勿論、周りからも祝福される絵に描いたような幸せであるはずなのに。
「あのですね。僕の運命は僕のものですよ、ローゼルアさん。僕は彼女にも彼女の家柄にも興味がない」
 そう言って微笑んだ彼はやっぱり羨ましかった。羨ましくて、愛おしくて。彼を縛るものをこの手で壊したいと思うのに充分だった。
「それじゃあ、私はどうだ?」
「え?」
 口づける。そして。
「は……?」
 パリン。
 全ての熱を手の平に集中させ、結界に触れる。すると、呆気ないほど軽快な音がして、結界が崩壊していく。
「これ、結構堪えるな、はは」
「坊ちゃん!」
「ローゼルアさん!」
 膝をついた私をすかさずファイザが抱き留める。その必死な顔が可笑しくて笑いたかったけど、せき込んでしまったせいでそれはできなかった。
「これで、お前は自由になれたろ? 私を、自由にしてくれたお礼、だ」
「馬鹿! 僕は、貴方を犠牲にするぐらいなら、死んだ方がマシだって言っただろ?! だって、僕は、ローゼルアさんが、好きなんですよ……? 確かに最初は利用することしか考えてなかったけど、でも、貴方と話したら、貴方がいかに魅力的な人かわかって……。僕は貴方を愛しているのに、貴方がいないんじゃ、生きている意味がない……!」
「ファ、イザ……」
「許さないですよ! 絶対に! 死ぬなんて、やめてください。僕は、初めて人を好きになったんだ! 貴方だけなんです。だから――!」
「……ふ、ケホ……。はは……」
「は?」
 咳をしながら何とか笑えた私に、ファイザが目を丸くする。
「勘違い、するな。私は、死なない。確かに、堪えたけど……。お前の魔力、吸って、力を増幅させたから……、死にはしない」
「はい???」
「なるほど。さすが坊ちゃん。あの口づけはファイザ様の魔力を奪うためのものでしたか」
「え?? そういう雰囲気だったから、とかじゃなく???」
 ばあやの解説にファイザが今までにないくらいアホみたいな声を出す。
「ん。出来るかは賭けだったけど。出来たから……」
「さすが坊ちゃん。やはり天才です!」
「ちょっと、待ってくださいよ……。僕、勢い余って、告白しちゃったんですけど……?」
「取り消す、か?」
「まさか! 僕の気持ちに偽りはありません」
「結界が壊れた今、私を手元に置く意味などないぞ?」
「馬鹿言わないでくださいよ。僕は貴方にいて欲しい。だから、どうか貴方を選ばせてください、ローゼルアさん」
 私の手に口づけを落としたファイザに、ばあやが感慨深げに頷きを繰り返す。
「合格ですよ、ファイザ様……!」
「やった!」
「……」
 涙を押さえるばあやとガッツポーズを決めるファイザを交互に見つめた後、行き場のなくなった視線を空に漂わせる。
「で。ローズ坊ちゃんのお返事は?」
「……言わなきゃ駄目か?」
「言ってくれなきゃ、僕はこのまま心臓が爆発してしまいそうですよ」
 疲労に身を任せて眠ってしまいたかったが、そうするには少々二人の視線が邪魔過ぎる。
「ええと。そもそも、私は敗者であって、逆らう権利など……」
「坊ちゃん。正直に」
 ばあやの視線とその声音に思わず身を竦ませる。幼い頃に培った教育の賜物というわけだ。
「……私も、まあその。行く宛てもない訳だし」
「正直に!」
「あ~、わかったよ! こういうことは初めてだからわからないが、確かに私ももう少しファイザの傍に居たいと思ってる!」
「脈ありってことですか?」
「……そうじゃなきゃ身を挺して結界壊してないだろ?」
「ローゼルアさん!」
「うぐ」
 頬に熱が集中するのを感じて、そっぽを向こうとしたというのに。馬鹿力により抱き潰される。
「好きです。愛してます。ローゼルアさん、貴方が欲しい!」
「いや、待て、がっつくな。ばあやが見てるし、こちとらもう、意識飛びそう……」
「おや。それじゃあワタクシはキッチンをお借りして今日の晩御飯でも作りましょうかね」
「ばあや! 私を見捨てるつもりか?!」
 てっきりばあやは私の体調を心配してくれるとばかり思っていたのだが。あのにやけ顔を見ると、そうはいかないらしい。裏切者め。
「何をおっしゃいます。坊ちゃんのためを思ってですよ!」
「そうですよローゼルアさん。折角ばあやさんのお許しが出たんですから、たっぷりと愛を語り合いましょう!」
「う……。頭が、痛い……」
「それじゃあ、さあ、僕の魔力を吸いましょう! そしたら疲れだって吹っ飛ぶはずですよ!?」
「それ、絶対、理性までぶっ飛ぶやつだろ……」
「あはは。上手いこと言うじゃないですか」
「ひ……」
 その後、私たちがどうなったのかはご想像にお任せする。
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