アズアメ創作BL短編集

アズアメ

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(103)魔法少女(成人男性)と男子高校生

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突如現れた化け物に対抗する術は、予言に記された魔法少女のみ。その魔法少女として選ばれたのは、高校教師(男)で……。
魔法少女オタクのイケメン高校生×ノンケ眼鏡被害者教師(のつもりで書いたけど、受け攻めは曖昧かも?)
魔法少女アニメ的な敵対関係が好きです!
後編につづく。

重野 夏月(しげの なつき):魔法少女に選ばれた高校教師(男)。パン屋の娘に恋している。ネーミングは夏至。
冬城 桃司(ふゆしろ とうじ):魔法少女アニメオタクの残念イケメン。夏月のマネージャー(?)として付き纏うようになるが……。ネーミングは冬至。
 秋間 春子(あきま はるこ):パン屋で働く可愛らしいお姉さん。夏月の想い人。ネーミングは余った春秋。
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 とある未来の話。人々は突然やって来た地球外生命体に脅かされていた。
 冷気を纏ったそれらは、あっという間に人々を、そして土地を凍らせていった。
 誰もが絶望しかけたその時、奇跡は起こる。
 そう。一筋の光によって、魔法少女が誕生したのである――。



「嘘、だろ……?」
 ひらひらのスカートを摘まみ上げながら、俺は途方に暮れていた。
「ん~。なるほど~。先生があの有名なサントラダムスの大予言にあった魔法少女ってわけですか……」
 偶然居合わせ、変身の瞬間をばっちり見ていた少年が、俺の真横で唸りながら納得する。
「そんなことが、あって堪るか……」
 サントラダムスの大予言。それは、この世を凍り付かせる地球外生命体の出現を予測していたとされ、一気に注目を浴びた大昔の人間による予言のことだ。その予言には続きがあり――。
「“一筋の光を浴び、その者、氷の使者を魔法の力によりて打ち滅ぼす。……我らに勝利をもたらすは魔法の力を得た少女である”って本当だったんですね」
 その予言は(劣化によりところどころ読めないところがあるらしいが)魔法少女の誕生を示唆していることが公表されていた。だが、それがどうだろうか。
「俺のどこが少女だって言うんだよ……」
 そう。お気づきの通り、俺は“少女”なんかじゃなく、れっきとした成人男性だ。隣で感心している少年の担任。高校教師、重野 夏月だ。
「でも先生。一筋の光がばっちりと貴方に降り注いで、如何にもな魔法少女服になったじゃないですか」
「頼む、冬城。夢だと言ってくれ……」
「はは。勿論、僕だって悪い夢だと言いたいところですけど、ね……?」
 彼、冬城 桃司が引きつった笑いを浮かべながら、目の前をスッと指さす。
 彼が指さした先に居るのは、氷の使者と呼ばれるようになった化け物。それがはっきりとこちらに敵意を向け、唸りを上げた。



 数時間前、海外にいきなり現れたその化け物は、恐ろしいスピードで全てを凍らせているのだという。まるで現実味のないそのニュースを眺めた後、俺は学校の判断に従い、生徒たちに帰宅を促した。
 そして、生徒が帰った後の見回り中、どういうわけかまだ校内に残っていた彼を屋上で発見し、彼に帰宅を促していた。のだが。
「まさか! どうしてこの国に氷の使者が……!?」
『キシャアアアア!』
 突然空から舞い降りたその化け物に目を見開く。それは、紛れもなくニュースで見た氷の使者だった。
「冬城!」
 化け物が彼に向かって氷を吐く。考えている余裕などなかった。
「先生!」
 冬城を咄嗟に庇い、衝撃に備えて目を閉じる。
「ッ! ぐ、あああッ!」
 目を閉じていても感じる眩い光。それに包まれた途端、胸の奥から熱い何かが込み上げる。
 ああ。俺は、死ぬのか……? 冬城は、ちゃんと守れたのだろうか……。しかし、これはなんだ……? 痛いというよりも、熱くて、体が、ふわふわして……。
「あ……れ? なんとも、ないぞ……?」
 光が消えた。ので、ゆっくりと目を開け、辺りを見回す。
 相変わらず目の前には化け物がいた。隣には冬城がいた。
 あの光は、あの熱は、一体何だったのだろう。
 ひらり。
 風が吹いた途端、太ももの辺りで布が舞う。
「んえ……?」
 そういえば、やけに下がスースーするな……っと。
「嘘、だろ……?」



 というわけで、俺は訳も分からないままに魔法少女になっていた。いや、少女という言い方が正しいのかは置いておいてだ。
「先生!」
 冬城の声に顔を上げる。それと同時に、氷の使者が俺に向かって容赦なく冷気を吐きつける。
「うわっ」
 運動神経がよろしくない俺は、避けるという選択肢もないままモロにそれを受ける。が。
「やっぱり……。氷が、先生の体に触れた瞬間、溶けた……」
「え?」
 目を開けると、周りの地面が凍り付いていた。けれど、俺が立っていたところだけはびっしょりと濡れていて……。
 俺がビビり過ぎて漏らしたという可能性を除けば、冬城が言った通り、氷が解けたに違いないのだ。
「流石予言の魔法少女! 化け物の攻撃なんか効かないんですよ!」
「えっ。じゃあさっきも?」
「はい。変身したときも、氷が綺麗に溶けてました」
 そんな馬鹿な。俺にそんな力があるなんて。
『ギシ……』
 氷の使者にとっても想定外だったのか、その濁った眼を見開きながら、一歩一歩後ろに下がってゆく。
「でも……。このまま逃がす訳にもいかないよな……」
 変身時に何故か手に握られていたステッキに力を込める。詳しくはないが、魔法少女アニメではこれを使って敵を倒すのが鉄板らしいじゃないか。
「あの、先生……?」
「ええいままよ! 覚悟ッ!」
『ギャギャッ!?』
 ガツリ、と音がして氷の使者が倒れる。そして、叩いたところから徐々にヒビが入り、化け物は砕け散った。
「あの、ステッキ直殴りは些かワイルド過ぎでは……?」
「ん? 違ったか? まあ、別にいいだろ。倒せたんだし」
「今回はそれで良かったでしょうけど……」
「今回? 化け物はこれだけだろう?」
「まさか。きっと今に先生の話を聞きつけて、仲間の化け物たちが貴方を倒しにやってきますよ」
 冬城の言葉にぎょっとする。
「不吉なことを言うな。というかお前、このこと絶対誰にも言うなよ?」
「いいですけど。その代わりに、僕を貴方の助手にしてください」
「助手ゥ? なんでだ? てか、何の助手だよ」
「僕、魔法少女オタクなんですよ。大予言を知ってから、ずっと憧れてたんですよ。可愛い魔法少女の助けになることを!」
 きらりと目を輝かせた冬城を見て変身を解く。……なんか、念じたらイケた。
 それにしたって、普段から女子をその甘いマスクで沸せ、学校一のイケメンの称号をほしいままにしている冬城がオタク? 悪い冗談だろ。
「まあ、残念だが。俺は可愛い魔法少女でもないし、生徒を危険な目に遭わせるわけにもいかないし、そもそも地球を救おうとか思ってない」
「えっ。先生、魔法少女やる気ないんですか……?!」
「積極的にやりたいわけないだろうが。バレたら社会的に死ぬ。……まあ今みたいに、必要に迫られればやらなきゃならんだろうがな」
「な~んだ。やっぱりやるんじゃないですか」
「それかいっそ、この力の事をちゃんとしたところに話して、力だけ抜き取ってもらうとか……」
「体あちこち弄り回されて痛い思いするんじゃないですか? それ」
 冬城の言葉に、昔のヒーローアニメが頭をよぎる。
「……怖いこと言うなよ。とにかく、化け物は倒せたんだ。一件落着。これ以上はないさ。だから、お前もこのことは忘れろ。忘れてくれ。頼むから悪い夢だと思ってくれ」
「む~。僕は絶対に来ると思いますけどね。次の化け物が!」
 魔法少女アニメでは次々と化け物が出て来るし、と呟いた冬城に眉を顰める。
「アニメ好きもいいが、現実問題となった今、不用意な発言は人から反感を買うぞ?」
「僕は率直な意見を述べたまでです! それに、先生だって本当はわかってるんじゃないですか?」
 冬城の言葉にどきりとする。どうしてだか変に胸騒ぎがしていた。このままじゃ終わらない。そんな予感に思わず拳を握りしめる。いつの間にか握られていたペンダントは、指の隙間から鮮やか過ぎる光を零していた。



「先生! 今日もお疲れ様です!」
「……はぁ~。ほんとにな」
 氷の使者が砕けたのを確認してから、眼鏡を押し上げようとしてはたと気づく。
「変身してる時の先生って、眼鏡無しなんですよね~」
「ああ。そうだった」
 変身している状態で上がるのは、身体能力だけじゃないらしい。眼鏡をかけているときと同じようにクリアーな視界なので、何度も同じ過ちを繰り返してしまう。
「まあ確かに、短髪少女が変身すれば長髪にもなるし、眼鏡少女が変身すれば眼鏡無しになりますもんね。ギャップ萌えってやつですね」
「眼鏡は視力が上がってるから用無しってだけじゃないのか? 髪は……長くならなくてよかったよ、ほんと」
「え~? まあ、僕はショートの方が好きだからいいんですけどね」
 そう言って、当然のように髪に触れてくる冬城の手を払いのける。
「やめろ」
「どうして? 意識しちゃいます?」
「……お前、最近ちょっとおかしいぞ?」
 最初に氷の使者を倒してから三日と待たずして、次の氷の使者が現れた。それも、わざわざ俺の居る場所を狙って、だ。冬城曰く、魔法少女の存在を知った氷の幹部(氷の幹部って何なのだろう)が真っ先に潰すべき存在として俺を殺しに来ているらしい。
 それからというもの、俺は頻繁に変身をして、人知れず平和を守ってきた。いや、一人だけそれを毎回見守っていた奴がいた。それが、冬城だ。彼は、特に何をするでもなく、俺のことをつけ回した。初めの内は、俺が変身するのを見てその現象そのものに興奮していた。が、今はどうだろうか……。なんていうか、その……。
「僕がおかしいんだとしたら、それはきっと先生のせいですよ」
「おい、冬城……?」
 冬城の手がスカートのひらひらを触りはじめる。その手つきが、絡みつくような視線が、なんだか……。
「……お前、何か勘違いをしているんじゃないか?」
「あっ。元に戻った。……勘違いって、一体何のことですか?」
 変身を解き、冬城を見据える。それでいったん落ち着くだろうと思っていたが、彼の手は再び俺の髪を撫で始める。
「や・め・ろ! いいか? 俺は魔法少女なんかじゃない。紛れもなくおじさんだ! いくら神秘的な力を得たからといって、お前の性癖を開拓した覚えはない!」
「なんだ。自分がそういう目で見られてる自覚、あったんですね先生。か~わいい」
 目を細めて俺の髪をくるくると弄ぶ冬城は、青春ドラマに出てくる主演男優顔負けの眩しさだ。
「や・め・ろ! うっかりときめく……じゃなくて、男にそんなことしても虚しいだけだぞ、冬城!」
「なんだ。ときめいてくれてたんですね。意外とチョロい」
「おいコラ冬城。聞こえてるぞ。というか、本当に考え直した方がいい。何がどうしてそうなったのかはわからんが、お前はイケメンなんだ。そのことを忘れずに行動しろ!」
「それは、あんまり愛を囁かれたら先生だって女の子になっちゃうってことですか?」
「恐ろしい冗談を言うな。オタク趣味をやめろとは言わん。が、それ以上変な道に進むな。イケメンは目立つんだ。コスプレおじさんに恋したなんてバレたら社会的に死ぬぞ?」
「自分で言ってて悲しくないんですか?」
「五月蠅い。いいか? イケメンは美少女とくっつくべきだ。頼むから俺を変な目で見るのは止めてくれ」
「え~? お断りしますけど? だって重野先生、可愛いし」
「お前さ、なんか魔法の力に当てられてんじゃないか? おじさんに可愛いはやばいぞ?」
「ん~。そうかもしれないですね。でも、今の僕が先生のことを好きなのは紛れもない事実ですから」
「ぐ……」
 さらっと殺し文句を言ってのける冬城に、俺は言葉を詰まらせる。イケメンはこれだから本当に……。
「というか、おじさんおじさん言ってますけど、先生まだ若いでしょ?」
「いや、お前たちからすれば二十八は充分おじさんだろう?」
「先生は十分若いですよ。クールビューティーって言うんですかね。眼鏡も知的だし、黒髪なのも最高。腰だってほら、こんなに細いし」
「抱きつくな! お前、マジで怖いって!」
 冬城の手から逃れるべく身をよじる。駄目だ、コイツといると身の危険しか感じない……。
「ああ。怖がられるのは本意ではないですね。だから先生、ゆっくりでいいから僕のこと、好きになってくださいね?」
「は……?」
 ちゅ、と音を立てて冬城の唇が俺の頬に押し当てられる。
「今はこれで我慢しておきますから」
「お前……。マジでアニメの見過ぎだろ……」
 アホみたいにド定番のイケメン台詞を吐いたアホに頭を抱える。頼むから、これ以上俺の凡人らしからぬ悩みを増やすのはやめてくれ……。



「つ、疲れる……」
 冬城の好き好き攻撃に遭い早数日。俺の疲労は確実に蓄積されていた。
 魔法少女となり氷の使者を倒すという非日常的な使命にも疲れてはいるのだが、それよりも精神的に疲れる要因があることが恐ろしい。うん、恐ろしくてたまらない。
 だが、そんなストレスでどうにかなりそうな日々を、俺はなんとか凌いで正気を保っていた。そう。唯一の癒し、秋間さんのお陰で、俺は狂わずに済んでいた。
「いらっしゃいませ……って、重野さん。いつもお疲れ様です」
 行きつけのパン屋『春夏秋堂』へ足を踏み入れた瞬間、癒しの波動が俺を襲う。パン屋のロゴが入ったエプロンを身に纏う童顔の女性。それが、秋間 春子さん。俺が密かにお慕い申しているお方だ。
「あ。へへ……。お疲れ様です、秋間さん」
 我ながら気持ちの悪い挙動不審っぷりで、彼女にお辞儀をした後、トレイの上にパンを載せてゆく。ソーセージパンにタマゴパン。それからカレーパン。飲み物は……今日は職場のお茶でいいだろう。
「お願いします」
「ふふ。本当に好きなんですね、この3つ」
「あ、ああ。ええ! 本当にす、好きなんです!」
 彼女が笑った途端、香水の甘い匂いが鼻をくすぐる。ああ、好き、だなんて! たとえパンのことといえど、彼女の前でその言葉を告げる日が来ようとは!
「これ、おまけに入れときますね」
「えっ。いいんですか?」
 相変わらず可愛らしい微笑みを湛えながら、秋間さんがビニール袋に茶色いパックを忍ばせる。
「重野さん、最近なんか疲れてるみたいだから。好きでしたよね、カフェオレ」
「……はい! す、好きです!」
 彼女の華奢な手から袋を受け取り、精いっぱい元気よく答える。
 ああ、今日はいい日だ! めちゃくちゃ最高の日だ!


「先生いつもパンですよね。健康に良くないですよ」
「ん~? 好きだからいいんだよ」
「……あっそ」
 呼んでもないのに当然のように隣に腰を下ろした冬城が、つまらなさそうに吐き捨てる。
「というか、ここ、立ち入り禁止なんだが……?」
「なんで?」
「何でって。そりゃ、自殺防止とかそういうことだろ」
「先生は入っていいんですか?」
「いい」
「ぼっち飯は健康に良くないですよ?」
「うるさいな。ていうか、お前こそ。毎度どうやって入ってんだよ」
「そりゃまあ、これで」
 冬城の手にはヘアピンが握られていた。……いや、器用過ぎないか?
「冬城こそ、俺と飯食うのはおすすめできないぞ? 女子と食った方がよっぽど美味いだろ」
「……そうかもしれませんね」
「あれ? ついに正気に戻ったのか?」
「……」
「なんだよ、今日はやけに大人しいじゃないか。まあ、俺としてはその方が嬉しくはあるが」
「……馬鹿眼鏡」
「は? 今なんて」
「何でもないですよーだ!」
「あっ、馬鹿お前! 俺の最高のカフェオレを!」
 あっかんべーと子どもみたいに舌を出した冬城が、俺のカフェオレを攫っていく。
「カフェオレなんて好きじゃないくせによく言うよ!」
「うおっ」
 放られたコーヒー缶を慌ててキャッチする。交換、ということなのだろうか?
 実を言うと、俺はカフェオレが好きなわけではない。ただ、一度だけコーヒーと間違えて買ったことがあった。普段ならばそんな間違いは起こさない。でも、そのときは、その……、初めて秋間さんと出会った日で……。新しくバイトとして入った彼女に俺が一目惚れをした日なわけで……。つまり、その時の俺は彼女の美しさに見惚れていて、手元をよく見ずにうっかりカフェオレを買ったのだ。にも拘らず。
『このカフェオレ、私も好きなんですよ~』
 そう彼女は言った。笑顔で言ったのだ。だから、俺は、そこから時々カフェオレを買うようになった。単純な男だと笑われるだろう。だが、それでも俺は彼女の笑顔がもう一度見たくて……。
 でも。
「アイツ、なんで俺がカフェオレ好きじゃないこと知ってんだ?」
 不機嫌な顔して出て行った冬城に首を傾げ、手元のコーヒーを見つめる。俺が一番好きなメーカーのやつだ。
「う~ん。美味い」
 一口飲んで思わず唸る。最近飲んでなかったから、余計美味しく感じるなぁ。
「……アイツ、本気なんかな」
 ふと考えて首を振る。いや、きっとアイツは魔法少女アニメが好きだから、俺に夢を見ているに過ぎない。それでも十分おかしな話ではあるが……。
「まあ、このお役目が終わればアイツの目も覚めるだろう」
 だったら、より早く氷の使者を全滅させるまでだ。
 コーヒー缶を握る手に力を入れる。生徒が間違った道に行かないよう、軌道修正してやるのも教師の立派な務めなのだ。



「なあ冬城。氷の使者って後何匹いるんだ……?」
 いつものように敵を倒した後、疲労に耐え切れず俺は地面に腰を下ろす。と同時にチャイムが鳴る。と同時に腹も鳴る。ああ、昼飯を食べそこなったせいで力が出ない。
「ん~。五十二話分はいるんじゃないですかね?」
 当然のように間近で俺を観察しながら、冬城がアニメ基準の答えを出す。
「五十二匹ってことか?」
「なんですか? もう疲れちゃいました?」
「三十手前のおっさんがこんな精神肉体両重労働させられて、疲れないわけがないだろう?」
「ハイハイ。そんじゃ、いつものご褒美あげますからね」
 座り込んだ俺に、冬城が軽い口づけを落とす。
「は……? 罰ゲームの間違いなんだが?」
「とか言いつつ、毎回ときめいてるくせに」
 冬城の言葉に眩暈を覚える。彼にキスされたのは何も今日が初めてではない。
 最近になって、彼はご褒美と称しキスをするようになったのだ。
 それがまあ、その。悔しいぐらい様になっているわけで……。
「それはッ、お前の顔面が整い過ぎてるからだろうが!」
 悲しいかな。男の俺でもときめきを覚えるほど冬城はカッコいいのだ。
「お褒めのお言葉どうも。じゃ、追加のご褒美あげましょうかね」
「!」
 冬城の手が迫り、咄嗟に目を瞑る。が。
「これ食べて元気出してください」
「は? おにぎり……?」
 ぽむ、と手に渡されたのは、コンビニの梅干しおにぎりだった。
「毎日同じパンじゃうんざりでしょ? それとも、他のご褒美をご所望でしたか?」
「……五月蠅いな。とっとと授業行くぞ」
「次の授業、LHRでしょ? 先生が来るまで自習だって伝えとくんで、ちゃんと飯食ってから来てください」
 じゃないと罰ゲームですよ、と付け加えた冬城に仕方なく頷く。
「……わかったよ」
「ゆっくり噛んで食べるんですよ~!」
「お前は母親か!」
 走り去ってゆく冬城を見届けてから、おにぎりを覆うフィルムを剥がし、齧り付く。
「あ~、美味い」
 柔らかい白米の甘さとパリパリの海苔の香ばしさが、ぺこぺこに空いた腹に沁みる。うんうん、やっぱ日本人は米だよなあ。
 俺だって、好きで同じパンばっかり食べてるわけじゃない。ただ、あの店のおかずパンがあの3つしかないというだけであって。
「後は甘いやつばっかだかんな……」
 パンより米、その上甘いものが苦手な俺は、わざわざ昼食に菓子パンをチョイスする気にはなれなくて。だけど、彼女に会いに行きたいというジレンマの末、仕方なくあの3つが昼飯固定メンツパンというわけだ。
「あ、しかもこれ、種無しの梅干しじゃん」
 真ん中まで食い進めてから、簡単に俺のテンションが上がる。
 アイツ、どこまで俺の好みを知っているんだ……?
「いや、まさか。偶然だろ」
 何しろ、自分の好みを人に伝えたことはないし。最近周囲には重度のパン好きだと思われてるし、冬城とはまだ会って間もないし。そりゃ、最近はめちゃくちゃ付き纏われてるけど……。
 空を見上げると入道雲がくっきりと空を占めていた。暑い。そうだ。もうすぐ夏休みだ。つまり。
「冬城に付き纏われることなく過ごせるかも……?」
 ぼんやりとした期待に胸を膨らませる。だってそうだろ。いくら冬城と言えど、夏休みを俺で潰すわけあるまい。引く手数多の青春真っ盛りだろうし。それに、短いが俺にだって夏休みがある! つまり、久々に何も気にせず休めるわけで……。
「ああ、これは俄然夏休みが楽しみになってきたな……!」



「てわけで。先生、今日からお世話になります!」
「は?」
 これは、何の悪夢だ……?
 大きな鞄を抱えた冬城が、俺の家の前で深々とお辞儀をする。
『おやあ夏月ちゃん、やあっと帰って来たんかい』
「大家さん……?」
 このアパートの管理人である小柄なおばさんが、愛嬌のある顔で近づいてくる。
 なんだか、とっても嫌な予感がするぞ……?
『こん子はねえ、アンタんことココでず~っと待ってたんよ? おばちゃん家でお茶して待とう言うても聞かんくて』
「いや、待て。話が読めん。どういうことだ?」
「え~っと。つまりですね……」
『こん子の親、こん子が夏休みの間、海外旅行に行くんだって』
「へ? 子どもを置いて……?」
『そ。信じられんやろう?』
「そういう親なんです。自分たちはイチャイチャしたい。僕にはちゃんと勉強してほしい。ってことで、僕は一人悲しく夏休みってわけで」
「で?」
「で。しょうがないので、先生の家に居候させてもらおっかな、と」
「なんでそうなる」
 予感が的中したことを受け、頭を抱える。が、当の冬城は涼しい顔で悪魔のようなセリフを吐く。
「僕だって先生とイチャイチャしたいんで」
「するな。帰れ」
 目が本気なのが怖いんだよ!
『まあまあ、夏月ちゃん。そう邪険にしなくともええやんか。桃司くんも、こんな先生のとこやなくて、おばちゃん家に泊まってくれてもええんよ?』
 イチャイチャの部分を冗談だと思っているらしい大家さんが、俺をジト目で見てくる。というか、どうして俺はちゃん付けなのに冬城はくん付けなのか。
「ありがとう、おばさん。でも僕、先生と一緒がいいんだ……」
『んま~! 夏月ちゃんったら、羨ましい!』
 イケメンの潤む瞳を見て、大家さんが俺の背中をバシバシ叩く。
「いや、でも、いきなりそんなこと言われたって……」
『今月の家賃、チャラにしたげるよ』
「生活費、僕も半分出しますから」
「……乗った」
 悪魔の誘いに、口が勝手に動いていた。
「先生って意外と守銭奴なんですよね」
「うるさいな」



 それから冬城は、宣言通りに夏休み中ずっと居候を決め込んだ。
「暇だったんで、グランマルニエショコラ作りました」
「なんて?」
「スフレタイプのガトー・ショコラですよ。甘さ控えめなんで、美味しいですよ? お好みで生クリームをどうぞ」
「え、こんなんウチで出来んの? お前、パティシエ志望?」
「いえ。先生が疲れてるかなって思って」
「う……」
 爽やかな微笑みが、帰宅直後の疲れた心に染み入る。そっと出されたコーヒーも当たり前のように美味い。なんか複雑な名前のガトーショコラも、意外と食べれる。てか美味い。
「お前、宿題は終わったのか?」
「ええ。ばっちりと。他人の家でやるとやっぱ集中力が違いますね」
「なるほど。それで俺ん家ってわけ?」
「いや。それは単に先生と一緒に居たかっただけで。言いましたよね? 僕、先生のことが好」
「あ~。ほら、宿題が終わったからと言って油断するのはよろしくないぞ? まだ高二とはいえ、予習復習はしっかりとこなすべきだ。夏を制する者はなんとやら、だ」
「……そう、ですね。調子に乗りました。親にも勉強しとけと言われてるし……。僕、ちゃんと勉強しますね」
 無理に作られた笑顔に罪悪感を覚える。俺だって、コイツがちゃんと勉強してることぐらい知ってる。知ってるくせに、言い訳に利用して彼を追い詰めたのは、さすがに大人げがない。
「……いや、あの。ええと。明日は俺も休みだし、さ。その……、一緒に映画でも、行くか?」
「え、いいんですか?!」
「あ~。まあ、コレのお礼」
 弾けるような笑顔から目を逸らし、ケーキを頬張る。
 冬城がここに来て早数日。掃除洗濯食事の準備、その他諸々の家事をこなしつつ、冬城は俺のためにあれこれ尽くしてくれていた。今日みたいにケーキを焼いてくれたり、マッサージをしてくれたり、笑顔で下らない愚痴を聞いてくれたり……。正直、めちゃくちゃ助かっていた。むしろ、金を払ってもいいぐらいに助けられていた。だから。
 映画に連れていくぐらい、してやらないと可哀想だろ……。
 折角の夏休みを、こんなおじさんの世話で潰していいわけがない。いや、おじさんと映画に行くことも正しいわけではないだろうけど……。



「いや~。面白くなかったですね!」
 映画を観た後、喫茶店で一服しながら、冬城は苦笑しながらそう言った。
 好きな映画を観ていいと冬城に言ったら、てっきり魔法少女アニメの映画に付き合わされると思っていたが。
 幼女先輩たちの邪魔はしたくないので、と謎の節度を弁えた冬城が選んだのは、なんとまあ、恋愛モノの映画だった。
 それも、教師に恋した生徒の話だ。
 内容を要約すると、女子生徒は教師に猛烈アプローチを繰り返すが、結局最後は、教師が女子生徒を裏切り、一般女性と結婚する。女子生徒は絶望し、自殺するといったバッドエンドストーリーだった。女子生徒の儚い恋が人魚姫のように美しく映し出された作品ではあるが……。
「あの教師はクソ過ぎやしないか?」
「ああ、なんだ。先生もそう思うんだ」
 コーヒーを飲みながら、彼は小さく驚いた。
「当てつけのつもりか?」
「まさか。そんなつもりじゃ……いや、なんか、この映画観て、先生と良い雰囲気になればいいなとは思ってましたけど……。バッドエンドだったとは……」
 確かに、テレビの宣伝やポスターではハッピーエンドで終わりそうな雰囲気を醸し出していた。そういう演出なのかは知らないが、不親切極まりないことは確かだ。
「この映画、あらすじ見て、ず~っと気になってたんです。でも、観る機会が中々訪れなくて。……やっと観れたってのにさ。こんな結末だなんて聞いてませんよ。こんなの、俺だって胸糞悪いし縁起が悪い」
「……帰るか」
 これ以上、彼に期待を持たせるのは残酷であることを学んだ今、そう告げるのがやっとだった。
「ええ。それがいいでしょうね」
 疲れ切った顔で無理やり微笑む冬城に胸が痛む。ああ、俺はとんだクソ野郎だな。

「暑いな……」
 外の熱気に顔をしかめる。夕日はとっくに沈んだというのに生ぬるい空気は変わらずにしんどい。が、目の前を横切る若者たちは、水の中を泳ぐ魚みたいに元気にはしゃぎながら走り去ってゆく。
『きゃはは!』『も~、待ってよ~!』『早くしないと、混んじゃうって!』
「夏祭りでもあるのか?」
 うら若き少女たちは色鮮やかな浴衣を着ていた。改めて周りを見渡すと、浴衣の女性、カップル、親子がちらほらはら。その誰もが同じ方向を目指して進んでゆく。
「ああ。近くの神社のお祭りですよ。行ったことないので詳しくはわかりませんけど」
「……折角だ。少し覗いて行くか?」
「は?」
「やっぱり嫌か?」
「ほんと、狡い人ですね貴方は」
 冬城がそう言って笑った途端、どんっ、と花火が打ち上がる。
「こんなの、忘れられなくなる」
 ぽつりと呟かれた言葉は、、少女漫画のようにタイミングよく花火にかき消されることもなく、俺の心にじんわりと染み込んでゆく。
「もうすぐ、夏も終わりだな……」
 呟いてから、冬城をそっと見やる。花火で照らされた冬城は、とても美しく、とても儚げだった。その表情が、映画の女子生徒と重なって――。
 コイツは、死なないよな……?
「先生……?」
「ごめん、冬城……」
 気づいたら俺は、冬城の手を握っていた。だって、そうしないと、彼が可哀想で……。見ていられなくて……。
「はは。やっぱり先生は狡いや」
 くしゃりと歪んだ彼の顔を見て、やはりそれが正しい行いでなかったことに気づく。
 ああ、早く夏が終わってくれないと、俺は罪悪感で死んでしまいそうだ。



「なあ冬城。俺は一体いつまで魔法少女をやればいいんだ……?」
 新学期早々、例のごとく現れた氷の使者を倒した後、例のごとく隣にいる冬城に疑問をぶつける。
「そりゃ~、氷の使者がいなくなるその日までじゃないんですか?」
「いなくならないから言ってんだろ。ハァー」
「ちょっと。カフェオレ臭い息吐かないでくださいよ。それより僕は一体いつになったら貴方が僕に恋してくれるのかを聞きたいんですけど」
「お前、いい加減諦めてくれよ。わかってんだろ?」
「先生がパン屋のお姉さんに恋してるってこと?」
「……ああ」
 やっぱり知ってたのか、コイツ。
「はは。わかっていようと、こっちとしては引けないんですよ」
「お前なら選び放題だろ? 俺なんかよりもさ……」
「駄目なんです。貴方じゃないと、意味がないんですよ」
 悲しげに呟かれた言葉に、不覚にも胸が高鳴る。
「お前、そこまで俺のことを……。でも、俺は、」
『ねえ、聞いた?! 近くのパン屋に氷の使者が現れたって!』
 ふいに聞こえてきた女子生徒の声にハッとする。
『春夏秋堂でしょ?!』『ヤバ、早く逃げよ!』
「な……、まさか……。どうして……、俺がいない場所に……?」
 今までは、氷の使者が俺ばかりを襲っていたはずだ。それが、いきなり、どうして……。
「……先生がいけないんですよ。僕はもう、返事なんか聞きたくない。だから……」
 ぽつりと呟かれた冬城の言葉は気になったが、そんなことを言っている場合ではない。
「俺は行く。冬城、お前は逃げろ」
「……嫌です」
「悪いが、今回ばかりは――」
「先生」
「うおっ」
 ぐんと腕を引かれてつんのめる。
「お前な、なにす――」
「お願い。行かないで……」
 呟かれたその言葉は、驚くほどに弱々しくて。
「え……。おい、どうしたんだよ」
 もしかしたら、コイツは泣いてしまうのかもしれない。俺のせいで、泣いてしまうのかもしれない。
「もう嫌なんです。お願いだから、僕を選んで」
「冬城……」
 縋りつく冬城に震える手を伸ばす。でも――。
『ギャオオオオオン!!』
 遠くで聞こえた化け物の声に顔を上げる。
「悪い、冬城。今は、春子さんを助けないと」
「そう、ですか……」
 冬城の腕がだらりと力を無くす。それを見て何も思わないほど彼に愛着が湧いていないわけではない。だけど俺は、彼から逃げた。ああ、つくづく酷い男だと、罵ってくれたら良かったのに。そうしてくれた方が、まだ気が楽だったのに。



「あの、ありがとうございます……!」
「お怪我は?」
「いえ、間一髪のところで助けて頂いたので……」
「ああ……。間に合ってよかったです。それでは」
 『春夏秋堂』を襲っていた氷の使者をなんとか倒し、春子さんに向かって、昔見ていたヒーローアニメさながらのセリフを吐く。……勿論、この不審者丸出しのコスプレ姿じゃ格好がつかないことぐらいわかっているが。
「あ、待ってください! 重野さんですよね?!」
「ば、バレました……?」
「え、ええ。まあ……」
「ち、違うんです! この服装には訳があって! 決して趣味ではなく……!」
 このまま正体がバレることなく立ち去れるんじゃないかという淡い希望は、彼女の遠慮がちな視線によって打ち砕かれる。
 終わった……。
 今までは本当に奇跡的に、人に見られず済んでいたが、まさか、よりにもよって、彼女にバレてしまうとは……。
「あの、重野さん?」
「うう、それでも、俺は、貴方のことを救えてよかったですから……」
「え~っと。よくはわかりませんけど……、私、重野さんが助けに来てくれて嬉しかったんですよ?」
「えっ?」
 微笑む彼女に目を見開いたまま、己の頬をつねる。……痛い。
「もう駄目だと思いました。あんな化け物に襲われて……。怖かった……」
 愛らしい瞳は潤み、華奢な肩は震えていた。ここで男を見せなければなんとする、だ。
「春子さん……。もう大丈夫です。俺が貴方を守りますから……!」
「重野さん……」
 彼女を抱き寄せてやると、その白い頬に朱が差し込む。これは、もしかして(衣装のことを除けば)良い感じの雰囲気なのでは……?!
「あーあ。結局こうなるんだもんな」
 すぐ隣で吐かれたため息に心臓が跳ねる。
「えっ、冬城……?」「だ、誰……?」
 気配もなく突然現れた彼は、白けた目でこちらを見ていた。あれは、本当に冬城なのだろうか。いつも愛想と調子が良いはずの彼が、あんな荒んだ目をするのだろうか。
「もういいです。この世界も終わりだ。今回は、少しだけ期待したんだけど。無駄でしたね」
 誰に言うでもなくそう呟いた冬城が、宙に向かって手を振るう。すると、どうだろうか。
「なんで、お前が……」
 冬城の体は、あっという間に氷に包まれた。目に映るその姿は、嫌というほど対峙してきた氷の使者そのものだった。
「最後に悪あがきさせてもらいますよ。まあ、結果は同じだろうけど」
「どういう意味だ? お前は、本当に冬城なのか……?」
「そうじゃないって言ったら、貴方は信じてくれるんですか? 冬城 桃司が死んだって言ったら、貴方は悲しんでくれるんですか?」
 氷でできた瞳がこちらを射抜く。闇を含んだそれは色や質感は違えど、やはり紛れもなく冬城のものだった。
「騙していたんだな、俺のことを」
「……ええ。そうですよ。残念ですけど、お遊びはもうお終いだ。さあ、戦いましょう! 心ゆくままにッ!」
 冬城の手が振るわれた瞬間、無数の氷の刃が俺を目掛けて飛んでくる。
「春子さん、ここを離れてください!」
「で、でも……」
 氷をステッキで払いのけながら彼女の背中を押す。
「お願いします。貴方がここにいたら、俺は戦えない!」
「……わかりました。でも、無理はしないでくださいね?」
「ありがとうございます」
 そっと労わるように重ねられた彼女の手をやんわりと押し返しながら、息を吐く。
 本当ならばヒロインらしい彼女のセリフに、心の中でガッツポーズを決めたいところだった。でも、この衣装じゃあヒーローも気取れない。それに……。
「茶番は終わりましたか?」
「冬城……」
 彼女の後姿を見守ってから、冬城に向き直る。その手には、氷でできた長剣が握られていた。
「“今回”の貴方は、酷くイライラするんですよ……。ねえ、少しぐらい残酷な殺し方をしたって、構いませんよね?」
「本気じゃ、ないよな……?」
「本気じゃないわけないでしょ。先生が悪いんですよ? 僕のモノにならないから。だから……死ね!」
 キンッ、という音を立てて剣とステッキがぶつかり合う。
「冬城! やめろ!」
「うるさい! 僕はもう何度も貴方を殺してきたんだ! “今回”だって、速攻で殺してやる!」
「冬城……。悪いけど、俺だって簡単に殺されるつもりは、ない!」
 ステッキに力を籠める。すると、真ん中に埋め込まれた宝石から淡い光が立ち上り、みるみるうちに赤い球がステッキの先に生まれ出でる。
「ま、まさか……! どうして貴方がその技を……」
「なんだかよくわかんないが……、弾けろッ!」
 ステッキを大きく振りかぶり、冬城に向かってその球を放つ。
「が、あああああああああああ!」
 放った球は冬城に触れた瞬間に弾けて、ゆらめく炎となって彼を包み込んだ。



「は……。まさか、貴方にまで敵わないとは、ね……」
 地面に転がった冬城の氷の体は、あちこち溶けて欠けていた。
「本当に人間じゃないんだな……。冬城、お前は何だ?」
「さあ。何だと思います?」
「ちゃんと説明をしろ」
「……ハァ。そんな怖い顔しないでくださいよ。全く」
「冬城」
「それ、別に本名じゃないんですよね。ただ適当にそれっぽい名前をつけただけで。ま、本当の名前なんて、最初っから僕には無いんですけど」
「冬城」
「ああ、もう! ええ、お察しの通り、僕は地球を滅ぼすために異世界から来た化け物ですよ!」
 起き上がった冬城が、不貞腐れたように自分を化け物呼ばわりする。その仕草は、どうにも人間らしい。
「その化け物が、どうして人間の真似事を?」
「話すと長くなりますよ?」
「言わないなら、この場でトドメを刺すぞ?」
「……本当に、狡い人だ」
 泣きそうな顔で笑った冬城が、ぽつりぽつりと言葉を零す。
 彼が語った話は、まるでSF映画のような内容だった。



 あるところに、氷の力に長けた一族がいました。彼らは安寧を求め、長きにわたり色々な時空を旅していました。
 あるとき、氷の一族に男の子が生まれました。勿論初めの内は、みな新たな命を祝福し、その成長を見守りました。
 しかし、その子が十を超えた頃、大人たちはある異変に気づきました。彼が魔法を使ったところを見たことがあるか、と囁き合いました。
 その答えには、誰もが首を振りました。そう、彼はあろうことか魔法が使えなかったのです!
 一族はみな口を揃えて「失敗作だ」と彼に後ろ指をさしました。
 そうして、彼らは“失敗作”をどこぞの荒れ果てた時空に置いてきぼりにしたのです。
「みんな、どこ……?」
 少年は、何も言わずに消えてしまった仲間たちを探しました。一人ぼっちで彷徨っている内に、少年は自分が捨てられたことに気づきました。
 悲しくて苦しくて、おかしくなりそうでした。このままなにもできずに死んでいくのは、絶対に嫌だと少年は思いました。すると、どうでしょう。
 少年が見ている景色がすらりと変わりました。そう。彼はここにきてようやく魔法が使えるようになったのでした。
 彼が転移した星は、見たことのない建物が聳え立つごみごみとした空気の汚い星でした。
『な、なんだあれは!』『化け物だ!』『いや! 来ないで!』
「僕が、怖いの……?」
 その星の生き物『人間』は、碌に力の使えない彼を怖がるのです。
「もしかしたら、この星なら、乗っ取れるかも……」
 彼が見てきたどの生命体よりも弱いであろう人間たちに、この美しい星は相応しくありません。
「僕だって、まだ生きていたい……!」
 少年の力は決意と共に覚醒しました。それでも、彼の一族の中では弱い力でしたが、この星を制圧するには十分だろうと、彼は思いました。
 しかし。
「氷の使者! 私のパパを殺した貴方は、絶対に許さない!」
 あと少しでこの地球を制圧できるというときに、可憐な少女が立ちはだかりました。
 その少女は、魔法少女として彼と戦いました。
 彼女のように不思議な力を持ち、挑んできた者は過去にもいました。しかし、彼女とどこか似ているその男は、彼に敵うことなく死にました。だから、今回もきっと大したことがないと、少年は高を括っていました。しかし。
「そんな、まさか……」
 まだ小学生ほどの幼い子どもに、彼は負けてしまったのです。
「どうして……! あれから僕も成長した! 魔法だって、それなりに使えるようになった! それなのに……!」
「さあ、トドメよ! 覚悟なさい!」
「クソ!」
 少女が高らかにステッキを振るったその瞬間、彼は力を振り絞って時空を歪めました。
「過去に戻れ……。そうすれば、まだ取り返しがつくはずだ……!」
 少年は自分に言い聞かせるように呟くと、時を遡る呪文を唱えました。

 少年は、それから何度も時間を巻き戻しては地球侵略を試みました。しかし、どれだけ人類を恐怖に陥れようと、毎回あの魔法少女が現れて、彼の邪魔をするのです。だから、彼は彼女を根本的に始末する術を探すことにしたのです――。



「その魔法少女っていうのが俺ってわけか?」
 自分に指さし冬城に問うと、彼は少しだけおかしそうに笑ってから、肩を竦める。
「いえ。違うんですよね、それが。本物の魔法“少女”。そう。貴方と秋間 春子との間に出来る、子どものことなんですよ」
「俺と、春子さんの……?」
 口に出してから、そんな未来が存在することに頬を染める。が、能天気に喜べる未来ではなさそうだ。
「貴方のことをここで倒したとしても、後々魔法少女は現れるんです。そう。魔法少女の血を受け継いだ子が、秋間 春子に宿っていて……」
「待て待て。それじゃあまさか、予言の魔法少女っていうのは……」
「貴方の娘のことですよ。早々貴方に気づかれないように、わざと予言の石板文字を読めなくしたんですけどね」
 つまり、俺は魔法少女が誕生するまでの、ただの前座にしか過ぎないってわけだ……。
「じゃあ、ここで倒したって言うと、並行世界の俺はいつもここで殺されてたってことか?」
「ええ。漏れなく」
 さらっと別世界の自分の死に触れられ、肝が冷える。冬城に殺された“俺”は、一体何を思ったのだろうか。
「でもまあ、タダでは死んでくれませんでしたけど」
「どういうことだ?」
「死に際に、魔法の力で貴方は僕を数年封印するんです。そして、その数年が命取りなんです」
「……娘の存在、か」
「ご明察。封印から目覚め、地球侵略を再開しようって時に必ず、成長した子が父親の仇だと僕を殺しに来るんですよ。貴方よりも強力な魔力を携えて、ね」
「それは……」
 どうなのだろうか。俺としては、子どもに復讐なんて背負わせたくない。それに、この世界を救うという使命も……。
「貴方を何度殺しても、小賢しい呪いを掛けられる。だったら先生と出会う前の秋間 春子を殺せばいいと思うでしょう? でも、駄目なんです」
 首を振る冬城は、疲れ切ったように地面を見つめた。きっと、俺が思う以上に彼は幾度となく時を繰り返しているのだろう。
「不思議な力が働いているようで、そこまで時間を遡れないんですよ。本当に、この星はつくづく小賢しい力で守られている」
 彼の言い分が本当だとしたら、彼は大分不利な状況じゃないか? まるで、どう分岐してもバッドエンドにしか行きつかない、最初っからトゥルーエンドなんて作られていない、趣味の悪いゲームのようだ。
「貴方が秋間 春子を認識した後じゃ、どうしたって貴方は僕が彼女を殺す邪魔をしてくる。じゃあ後はどうすればいいかって、もう二人の仲を引き裂くことしか思いつかなくて……。だけど、それも上手くいかず。どんなに邪魔をしようが二人は結ばれてしまうんですよ」
 彼が人間の振りをするようになったのは、きっとそこからなのだろう。何度も人間の演技をしてきたのだろう。だから、彼はこんなにも人間らしい顔をするのだろう。
「そんな中、氷の使者を作り出して貴方の力を削る傍ら、僕は普通の人間として貴方の傍に付き纏い、好意を抱いている体で攻めるって方法が一番妨害できたんです。まあ、先生ってば、お人好しですからね。いや、童貞と言うべきでしょうかね」
「誰が童貞だ! てか、やっぱ演技だったのかよ、お前……」
 本気に見えた。けど、何度も繰り返せば演技も上手くなるはずだ。それに、コイツは人間とは違う。だから……。裏切られたと思う気持ちは正しくないのだろう。彼はそうあるべき敵なのだから。……だけど。
 酷く心が痛かった。冬城の好意は嘘偽り。その事実を前に、俺はどうしようもない悲しみを覚えた。
「勿論、最初は演技でしたよ。でもね、誤算があったんです……」
「え?」
 静かに呟かれた冬城の言葉に、弾かれるようにして顔を上げる。すると、目が合った彼は、吹けば飛んでしまいそうな儚い笑顔を見せて言った。
「こっちに矢印を向かせようと躍起になっている内に、本当に好きになってしまったんですよ、貴方のことを」
「は……?」
 馬鹿でしょ? と呟く冬城は、氷になってしまっても、相変わらず綺麗な顔で。そういうセリフが驚くほど様になっていた。
「特に、今回の先生は、本当に優しくて……。親がどうのとかいう嘘までついて、夏休み中一緒に居たのがいけなかったかも。僕はあれで大分引き返せないぐらい貴方のことが好きになってしまったんですから……。でも、やっぱり結論が覆ることはなかった。僕がどれだけ貴方の好物を知っていようが関係なかった。貴方は嫌いな物を押し付けるパン屋の女を選んだ……。今までと同じなんですよ」
「ああ、だからお前は俺の好みを正確に把握していたのか……」
 何度も繰り返す中で、彼は何度も俺に好かれようとしたのか……。
「いや、全く同じではないですね。この世界は、一番悪い。あろうことか、僕は貴方にさえ勝てなくなっていたんだから。まさか、ここまで来て悪化するなんて。はは……。ま、どうせここで貴方に勝てたとしても、子どもが生まれるはずだもんな……。どうせ、僕が見てないとこでパン屋とヤってたんでしょう? 貴方が死んでも子どもは生まれる。ね、そうなんでしょう、先生?」
「いや、俺はそんなこと……」
「……え、なんだ。今回は本当に成功しそうだったんだな。いや、僕がここで死ぬから保険はいらないってことかな。まあ、どっちでも構わないや。どうせ僕はもう貴方を殺せないんだから」
「冬城?」
「もうお終いにします」
「え?」
「諦めます。何もかも」
 パキリ。音を立てた冬城の氷の体にひびが入る。
「あ~あ。最初っからこうすればよかった……。結局僕は、一人で生きていけっこなかったんだから」
 パキ、ペキ、と冬城の体に、頬に、瞳に、次々とひびが入ってゆく。
「冬城、お前……。征服なんてしなくとも、お前には居場所があったはずだ! だって、お前は人間として、上手く溶け込んでいたじゃないか! だったら!」
「居場所なんて、ありませんよ。皆、時期に気づくんです。僕が普通の人間でないことに。僕だって、とっくの昔に試してるんですよ……。情けないでしょう?」
 彼の顔が歪められた途端、それを皮切りに氷がどんどん欠けてゆく。
「ふ、冬城ッ……?!」
 大粒の涙のように零れてゆくそれは、掴んでもすぐに溶けて蒸発してしまう。
「僕ね、楽しかったんです。夏休み、貴方とたくさん過ごせて。ああ、これがきっと幸せなんだろうなって。毎日噛みしめることができて……。だからね、いいんです。それに、もうそろそろ力の限界を感じていたんです。ここらが潮時ってやつですね」
「よくないだろ! お前、もう悪いことしないんだろ?! だったら! 俺と一緒に暮らそう! 俺だって、お前と過ごして楽しかったよ! なあ、だから……」
「貴方には未来がある。想い人がいる。僕のことはもう忘れてください。叶いっこなかった。邪魔して悪かったって、今は思っています。後悔しているんですよ、この僕が。だから、ね?」
 キィン。冬城が俺を見つめた途端、激しい頭痛に襲われる。
「っぐう」
「さようなら。先生」
「冬城……!」
 伸ばした手が空を切る。冬城だった氷が、ガラガラと音を立てて崩れてゆく。
「嘘だろ……?」
 拾い上げた氷の欠片が、手の平の熱ですぐに水に変わる。こんなに呆気ないものなのだろうか。冬城 桃司という存在は、夢幻として消えてしまうのだろうか。
「嫌だ……。俺は、そんなの認めない――!」



 声が、聞こえた気がした。愛しいあの人の声が。
 僕はもう空っぽなのにね。僕はもう誰からも必要とされていないというのにね。
『起きろ、冬城』
 起きろ? 僕はもう眠っていたいんだ。眠っていた方が楽だから。このまま溶けてなくなれば、もう変に心動かされることもないはずで……。
『頼むから、起きてくれよ冬城……』
 ああ、やめてよ。どうしてそんな泣きそうな声を出すんだよ……。そんな声、聞いたら僕は……、貴方のことが心配になってしまうじゃないか。もう一度、その顔を見たくなってしまうじゃないか……。

「わ。ほんとに泣いてるじゃないですか……、先生」
 目を開け、ぼんやりとする頭を振るう。
「ふゆ、しろ……!」
「うわっ」
 起き上がり、その涙に手を伸ばそうとした瞬間、愛しい人に思い切り抱きつかれる。
「馬鹿! アホ! 不良! お前、勝手に消えるなんて……! 俺の気持ちも少しは考えろよ!」
「いや、そんなこと言われても、僕はもう……って、あれ。何で僕、まだ生きて……?」
 自分の手を見つめる。それは透き通る氷ではなく、人間の肌だった。
「お前はもう人間だから」
「ん……?」
「代わりに魔法少女の力、消えちまったけど……。お前が助かってよかった」
「は?」
 そういえば魔法少女らしい服どころか、変身アイテムであるペンダントさえ先生は身に着けていなかった。
「いや、人間にって、僕が? まさか……」
 そんなことができるはずない。いつもみたいに念じれば、元の姿に戻るはずで……。
「戻らないだろ?」
「う……。マジ、ですか……?」
 依然として人間らしい肌色に言葉を失う。いや、魔法少女の力をもってすれば、確かに不可能ではないのかもしれない。しれないけど!
「不満か?」
「不満、じゃ、ないですけど……」
「だったらいいだろ? お前の力が失われた今、魔法少女の力なんて必要ないわけだし」
「や、そうですけど。でもそれ、僕が消えればよかっただけの話で……」
「そんなこと言うな」
「痛っ。なにするんで……すッ?!」
 頬を摘ままれたことに文句を言おうとした瞬間、唇が重なる。
「いつものお返しだ、馬鹿」
「は……?」
「絆されたのがお前だけだと思うなよ、冬城」
 不機嫌そうに眼鏡を押し上げる仕草、そしてその表情とは裏腹に、先生の頬は赤く染まっていた。
「いや、え、それ、どういう意味で……?」
「愛してるって言えば伝わるか? ……俺がお前の正体バレないように協力してやる。だから、俺と一緒にここで生きてはみないか?」
「僕がその言葉を信用するとでも?」
「俺がそんな嘘を吐けるほど器用じゃないことぐらい、お前は知っているはずだ」
 確かに先生は不器用だ。それに、この人が嘘を吐けばすぐにわかるほど、僕はこの人についてよく知っていた。
「でも、貴方は何度も僕と戦ってきた訳で……。何人もの“貴方”を殺してきた僕が、怖くないはずがない。何度も貴方の想い人……秋間 春子を殺した僕が憎くないはずがない」
 そんな奴と知った上で、愛しているだなんて。信じられるわけがない。
「ああ、なるほど。確かにそうだ。だが、俺にその記憶はない。俺にとっちゃ、この世界以外の俺なんて他人だし。この世界じゃ春子さんはまだ生きてる。だから、そんなに怯えることはなんじゃないか?」
 意外とドライで呑気な反応が返ってきたせいで、張り詰めていた気持ちが幾分か緩む。……この人、本当にわかっているのだろうか。
「怯えてるわけじゃなく……、貴方はそれでいいんですか? だって、今の貴方なら、春子さんと結婚して幸せに暮らすことができるのに……」
「そうだな。けど、今の俺は冬城と一緒に幸せになりたいっていうか……」
 ごにょごにょと最後の方を濁しながら恥じる仕草を見せた先生に、完全に色々吹っ切れる。腹の中で渦巻いていた負の感情が、嘘みたいに蒸発したな……。
「貴方って人は、本当に……。僕が出会った中で最高に厄介な重野 夏月ですね」
「他の俺と比べられるのは心外だな。自分に嫉妬してしまいそうだ」
「貴方が最高だって言ってんですよ。全く。せっかく僕の方を向いてくれたんだから、もう絶対に逃がしませんよ? もう時間を遡る力なんてないんだから、道を間違えた、なんて後悔しても遅いですよ?」
「お前は俺を後悔させるような男なのか?」
「……狡いですよ、やっぱ。ええ、後悔なんかさせませんとも。何しろ、誰よりも貴方のことを知っているのは僕なんですからね!」
「じゃあ、コーヒー十本で全部許してやる」
「カフェラテじゃなくていいんですか?」
「甘いのはこれで十分足りる」
 そう言って、軽く唇を重ねた先生は、照れ顔を誤魔化すように眼鏡を押し上げる。
「……やっぱり、後悔させてやりますからね……。覚悟してください、先生」
「う……。待て、その、お手柔らかに頼む……」
「それはこっちのセリフですよ、本当に!」
 前例がない道なんて、時が遡れないなんて、すぐに不安が浮き上がってくるだろう。だけど、それでも。人間らしく愚かしく、真っすぐ愛を曝け出すのも悪くはないのかもしれない。
「僕は貴方に貰った一生をかけて、た~っぷり貴方を愛してやりますから!」
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