アズアメ創作BL短編集

アズアメ

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(119)求婚王子とお姫様の執事

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 小国の王子リシェロアは、大国の姫ルミールの気持ちを知るために自白剤を飲ませようと企む。しかし、飲んでしまったのは姫の執事クーロンの方で……。
 姫に恋する王子×姫の執事
 当社比エロです。自白剤に媚薬に尻からえっちな汁が出る薬(なんでや)が出てきます。無理やり薬飲ませるのが好きです!

クーロン=コーヴィク:ルミールの優秀な執事。苦労性被害者。
リシェロア=リシェット:小国の王子。幼い頃からルミールのことが好き。わがままボーイ。
ルミール=ルミア:大国の姫。リシェロアのことが好き。だけど、父親から止められているので気持ちを伝えられずにいる。
シャトール:ルミールのメイド。ドジっぷりが半端ない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「ねえクーロン。どうしてワタシはリシェロアと結婚できないのかしら」
「何度も申し上げておりますように、ルミア国とリシェット国とでは規模が違い過ぎます。あのような小国の王子と結婚したいなど……旦那様もそろそろお怒りですよ?」
「国の大きさなんて、ワタシの恋と無関係だわ! ワタシはお父様の道具じゃないのに!」
「お嬢様」
 ヒステリックに叫んだお嬢様が、私に向かってティーカップを投げる。私の給料一年分でも払い切れない高価なカップを何とか受け止めながら、内心でため息を吐く。
 可愛らしいピンクのドレスで着飾った目の前の金髪美少女は、ルミール=ルミア。私がお仕えしているルミア国のお姫様だ。
 ルミア国は、この世界の誰もが知っている大国だ。その賑わいっぷりは世界一と言っていい。外国からの評判も良く、移住したい国として真っ先に上げられるのがこの国だ。
 つまり、そんな有名な国のお姫様が、リシェロア=リシェットのようなどことも知れない国の王子様と一緒になることは、絶対にあり得ないのだ。
「クーロンのわからずや! 馬鹿アホまぬけ!」
「お嬢様、言葉が悪いですよ」
「ふん!」
 むくれてもなお可愛さを保っているお嬢様にもう一度内心でため息を吐く。
 これほど可愛らしければ、選び放題だというのに。どうしてわざわざ面倒な恋をしてしまうのだろうか。つくづく、神様は意地が悪い。
 部屋の中にある大きな鏡をちらりと見てから、すぐに目を逸らす。長い黒髪をひとつに束ね、神経質に眼鏡を押し上げた執事が、その翠の瞳を歪めながら苦し塗れに私をあざ笑ったからだ。



 その翌日。お嬢様は当然のように面倒事を起こした。
「てことで、クーロン。お客様よ! 丁重におもてなしして頂戴!」
「いやいや。どうかお気になさらず~」
 お嬢様の横で呑気にひらひらと手を振る青年を見て、呆気にとられる。
「ど、どうしてリシェロア様が……?」
「ワタシが招待したの! 別に貴族同士でお茶会を開くことは、咎められるものではないはずよ? それに、昔はよく招いていたじゃない」
「い、いえ。そうですがその……。年頃の男女が、というのはやはり……。旦那様もお許しになられないと言いますか……。お嬢様も禁じられていたはずでは……?」
「じゃあ、旦那様には内緒にしといてくれる?」
 迷惑だ、という視線を送ったにも関わらず、リシェロアは悪びれる様子もなく私の肩を気安く叩く。
「それだわ! さっすがリシェロア!」
 迷惑極まりない提案に、手を叩いて喜ぶお嬢様に頭を抱える。
 この二人、どうしてこうも常識というか遠慮がないんだ……!
「ほら、クーロン。ぼさっとしてないで、さっさとお茶を淹れて頂戴。勿論、美味しいケーキもつけて頂戴ね」
「僕はクッキーの方が嬉しいな」
「……か、かしこまりました」
 怒りに震える手を必死で押さえつけながら、メイドたちにお菓子の準備をするよう伝え、自分もお茶の準備にかかる。
 こうなってしまえば、お嬢様は絶対に引かない。強引にお茶会を中止させてしまえば、彼女の機嫌は最悪となり、その癇癪度合いによっては私の首も危うくなる。
 実際、過去に何度かこういうことがあり、その度に私は酷く迷惑を被った。その中で編み出した対応策が「お嬢様の意に反せず、さっさとままごとのようなお茶会を済ませる」だ。勿論、必要以上二人が親密になることのないよう配慮することが前提だが。
「クーロンの淹れるお茶はとっても美味しいのよ。メイドが淹れるものよりずっとね!」
 テーブルに着き、無邪気にはしゃぐお嬢様を見てため息を吐く。……褒められては、手を抜くわけにもいくまい。
「へえ。それってさ、執事じゃなくてメイドに転身した方がいいんじゃない? フリフリのエプロン着てさ、ご主人様~って」
「……はは。リシェロア様は冗談もお上手なんですね」
「別に冗談でもないけど?」
 殺す……。コイツの分はただのお湯でいいんじゃないか……?
 無神経な王子の言葉に青筋を立てながら、彼らの傍で笑顔を張り付けたままお茶を淹れてゆく。
「リシェロアってば、クーロンばっかり構ってないで、そろそろワタシとお話しましょうよ~!」
 ナイスフォローお嬢様! まあ、ただの嫉妬なんだろうけど、今だけはそれがありがたい。
「あ、そういえば。僕いいもの持ってきたんだった」
「え~、なになに?」
「じゃ~ん。お茶に入れるともっとおいしくなる粉~」
「え~、何それ、すご~い」
 いかにも怪しい粉を懐から取り出したリシェロアに、お嬢様は甘ったるい声を出しながら手を叩く。
 一体、何の茶番が始まるっていうんだ……? 頼むから変なことはしないでくれ……。
「執事サン、お茶淹れ終わった?」
「えっと……。まあ、はい……」
「じゃ、ちょっと貸して」
「ちょっと!」
 ティーカップを奪い取ったリシェロアは、許可を取ることもなく、懸念通りにいきなりサラサラと粉末をお茶に落とす。
「はい、完成! これで美味しいお茶になったヨ~」
「え~、すご~い!」
 いや、人の淹れたお茶を一口も飲まずに変な物入れるな! そんで、演技下手くそか! あと、マジで怪しさ満点の粉はなんなんだよ!
「あ~、お嬢様。お茶の前に、王子にお庭を見せて差し上げては? 美味しいケーキとクッキーが焼ける頃にお呼びしますので」
「え~? なんで?! 今、お茶飲む流れだったじゃない~!」
 だからだよ、というセリフを飲み込んで、にこやかに微笑む。
「それが、今のお茶、少し淹れ方を間違えてしまって」
「いや、どんなお茶でも美味しくなる薬だからヘーキっすヨ~」
 だから、演技が下手くそ過ぎるんだよ、お前は! あと普通に失礼だ!
「クーロン、リシェロアもこう言ってるし、庭なんて別に案内しなくったって……」
「お嬢様、リシェロア様は大層薔薇がお好きだとか。ウチの立派な薔薇園を見せれば、きっとお喜びになりますよ。気に入られれば、毎日お越しいただけるかも……」
「リシェロア! 庭に行きましょう!」
 適当なことを囁いてやると、お嬢様はすぐに目を輝かせてリシェロアの手を取った。……こういうとき、単純で助かる。
「チッ」
 強引に引っ張られ、仕方なく同行することになったリシェロアは、あからさまに私に向けて舌打ちをした。
 相変わらず憎たらしい。本当に、あんな奴を好きだなんて、どうかしてる。


「さて。あの怪しい粉は一体何なのか……」
 もしも毒だったのならば、すぐに旦那様に知らせてアイツを殺すが……。
「ん……」
 淹れたばかりの紅茶を一口含み、舌で転がす。
 なるほど。これは真実花と饒舌花を混ぜ合わせた自白剤だ。
 リシェロアの奴、やはりお嬢様の本心を探ろうとしてきたか……。
 流石のお嬢様も、旦那様の言いつけ通り、リシェロアに自ら気があることを告げてはいない。しかし、お嬢様が自分のことを好きだという確信を持てば、きっとリシェロアは今よりも過激な手段に出るだろう。それこそ、駆け落ちといったような、最悪な展開に……。
 首を振って最悪な想像を打ち消し、ハンカチを口に当てる。
 私には特技がある。諸事情で草花に詳しく、口に含んだだけでその種類を言い当てることができる。おかげで、こうしてお嬢様の毒見兼護衛としてお傍にいることが叶っているというわけだ。
 毒でなかったにせよ、これは旦那様に報告せねば。自白剤とはいえ、お嬢様に薬を盛ろうとしたんだ。これでようやく、アイツの顔を見なくて済むようになるはず……。
「あ、わ、クーロン様、ど、退いてくださ~い!」
「んむッ?」
 思わず微笑みそうになった瞬間、後ろから思いきり体当たりされる。
「ぐ……。な、嘘だろ……」
「クーロン様! すみません、すみません……!」
 平謝りするメイドを他所に青ざめる。
 ぶつかられた衝撃で思わず飲み込んでしまった……。
 恐らくかなり強力な薬のはず。一口だけとはいえ、このままここに居れば余計なことを喋ってしまいかねない。
「ああ、私ったら、大事なクッキーを……!」
 床に転がったクッキーを拾い上げてから、メイドのシャトールはわななく。
「シャトール、君はもう下がっていい」
「す、すみません……!」
 大きな眼鏡をずらしながら、シャトールがペコペコと謝る。
 彼女のフォローに回りたいのは山々だったが、どうやら限界が近い。これ以上彼女に向かって口を開けば、キツく当たってしまいそうだ。
「メイド長。すまないが、私は体調が悪いのでしばらく自室に籠る。このお茶は捨てておいてくれ。誰にも飲ませるな。あと、お嬢様たちが戻ってくる前に新しいクッキーを。そのとき、くれぐれもリシェロア様から目を離さないでほしい。間違っても、お茶に薬を入れないよう、見張っておいてくれ」
「……薬の件、旦那様にお伝えしなくても?」
「貴方も聞いていたのか。それじゃあ、伝えておいてくれるとありがたい。あれは自白剤だ。それと、シャトールのことも」
「あの子が何か?」
「リシェロアとグルかもしれん。確信はまだ持てないが、一応。そっちも注意して見ておいてはくれないか」
「わかりました」
 小声で話す私たちに向かって、シャトールはずっとペコペコと頭を下げていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
「シャトール。貴女、今日はもういいわ。クーロン様が仰る通り、休みなさい」
「はい……」
 しょぼくれた声を出した彼女が下を向く寸前。その顔にほんの一瞬だけ狡猾な笑みが浮かんだのを、私は見逃さなかった。
 彼女に関しては、彼女がここにやってきた時からそのわざとらしさに不信感を抱いていたのだが。リシェロアの息がかかっているのであれば、証拠を掴み次第即刻クビにしなくては――。
「まあ、まずは解毒だな……」



「おやおや、執事サン。こんなところでサボりですかァ~?」
「う、ん……?」
 目を開けた途端、ひらひらと手を振るリシェロアの姿が映る。
「あ、寝惚けてます? 僕、リシェロアですよ~。わかりますか~?」
「どうして、ここが……」
 いちいちムカつく言葉選びをするリシェロアに苛つきながら、ぼんやりとする頭を抱えて身を起こす。
「運命かな」
「……シャトールか」
 恐らく、あの後シャトールが私を尾行して、この場所を突き止めたのだろう。
 どうやら、真実花の副作用にやられて意識が朦朧としていたらしい。おかげで、尾行されていたことにも気づけなかった。わざわざ部屋でなく、人気のない森の小屋に来たというのに……。これじゃあ意味がない。
「そんなに警戒しないで?」
「クソ、せっかく、解毒薬を作るつもりだったのに……」
 薬草を集め、小屋で鍋を沸かしたはいいが、その後意識を失ってしまっていたらしい。
「火をかけながら眠るなんて、危ないよ? 僕が来なかったら今頃大火事だ」
「誰のせいだと思って……」
「あは。薬、大分効いてるみたいだねぇ。執事が王子様にそんな口聞いちゃ駄目だろう?」
「ッ……、放せ」
「放しませ~ん。アンタ、ルミールの本心知ってるんだろ? 彼女の代わりに吐いてもらうから」
 取られた腕を引くが、びくともしない。彼の力が特別強いわけじゃない。恐らく、副作用の熱で力が入らないせいだろう。
「誰が、お前なんかに……」
「うわ~。執事サンってば本性悪いな~。でもさ、ちょっと喋るだけじゃん。ほらほら、言っちゃいなよ」
「そんなの、執事として、言えるわけが……」
「じゃあさ、アンタはどう?」
「……私?」
 リシェロアの言葉を反芻しながら、痛む頭を押さえる。駄目だ。やはり体が怠い。
「アンタ、なんか時々、僕のこと見て苦しそうにするんだよね~。あれ、バレてるからね? 僕ってそういうのわかっちゃうタイプなわけ。ほんと、厄介だよ」
「……」
 違う、と否定してやりたかったが、きっと今口を開けば取り返しのつかないことになってしまう。
「だからさ、絶対ルミールもそうだと思うんだけどさ、流石に独断で行動するわけにもいかないっていうか。僕としても確信が欲しいっていうか。わかるでしょ?」
「わかりません。お嬢様は、渡さない……」
「それは、誰のため?」
「そんなの、お嬢様やルミアのために決まって……」
「それだけ?」
「え……?」
 とん、とリシェロアが私の胸を突く。骨に響いた振動は、深いところまで浸透して私を揺さぶる。
「違うよね? アンタは僕が好きなんだろう? だからルミールと結婚してほしくない。僕とルミールが幸せに暮らしているすぐ傍で、執事として仕え続けるのは辛すぎる。そうでしょう?」
「……ッ」
 言葉を紡ごうとする口をどうにか閉じて、喉を絞める。小突かれた心臓が痛む。うるさいほどに騒ぎ立てる。
「ほら、言っちゃいなって。言えばさ、楽になるよ?」
「う。あ……ッ」
 爪が食い込むほど己の首をキツく絞めた手を剥がされ、傷ついた喉を優しく撫でられる。
 やめろ、やめてくれ……! 言いたくない! こんな馬鹿げた感情、認めたくない、やめろ、やめてくれ……!
「クーロン=コーヴィク、言え。そして、楽になればいい」
「あ、あ……」
 擽られた喉から勝手に声が漏れる。せり上がってくる言葉を、止めることができない。
「ほら、「私は」?」
「私、は……」
 震える声で促されるまま言葉を紡ぐ。それがどれだけ愚かなことか、わかっているはずなのに……!
「「リシェロア様のことが」?」
「リシェロア、様、の、ことが……、い、やだ。言い、たく、ない……。は、ぐぅ、あア……!」
「おい、クーロン?」
 駄目だ、言えない。言っては、いけない……! 駄目、気持ち悪い、回る、世界が、回る……、景色が、よじ曲がって――!
「クーロン!」
「う、う……ッ」
 汗を流し過ぎて冷えてしまった体が、リシェロアに抱きとめられる。早く退かなくては、と思っている内に、悍ましいほどの吐き気と腹痛に見舞われて……。とうとう私はふつりと意識を手放した。



 私は今でこそ城の人々に認められているが、昔は魔力が頗る弱く、周りから馬鹿にされていた。
『お前はコーヴィク家の恥だ、クーロン。十歳になるにも関わらず、未だ大した魔力を持たないなんて。実に嘆かわしい! その瞳の色を持ちながら、何たる無能! 次の魔力認定試験で結果が出なかったら、私はお前をこの家から追放する! いいな?!』
 そう父にはっきりと告げられてから、幼い私は耐え切れずに泣いた。泣いてお嬢様に縋ったが、彼女はこちらに見向きもしなかった。
 誰も助けてくれやしない……。
 家名第一の家族も、どこぞの王子様に惚れこんだお嬢様も、憐みの目しかくれない他の従者たちも。みんな私を助けてくれなかった。
『それでね、クーロン。リシェロアは、本当にかっこよくて……。ワタシより二歳年上なんだけどね……ああ、そういえばアナタはリシェロアより一つ年上なのよね。ああ、リシェロアがいかに有能かが知れるわね。そう。リシェロアはね、かっこいいだけじゃなく魔術も剣術も話術も……全てが完璧な王子様なの! ああ、どうしてお父様は彼をワタシの許婚にしてくれないのかしら!』
 一人で喋り続けるお嬢様の傍で、私はただ機械的に頷き、お茶を淹れた。お嬢様は歳の近い私のことを話し相手に呼んでは、会ったこともない“王子様”の話や些細な愚痴を聞かせてくれた。だが、彼女にとってその役目は別に、私でなくともいいのだろう。


「どうして私はこんなにも無能なのだろう……」
 庭の噴水に映った己の瞳を見て、涙が滲む。
 駄目だ、こんな情けないところを誰かに見られたら、また笑われてしまう……。
「でも……」
 どうせ、今更だ。どれだけ気丈に振る舞ったって、魔力がない限り笑われたまま。こんな目があるから……。こんな目を持って生まれてしまったから……。
 涙が溢れる目を擦る。このまま真っ赤に染まってしまえばいい。このまま涙で色が落ちればいいのに――。
「やめなよ。せっかくの綺麗な瞳が台無しになる」
「え……?」
 ふいに後ろから手を取られて振り返ると、そこには金髪碧眼の少年が立っていた。
 この世界の人間は、その髪と瞳の色によって生まれが判別できる。魔力に乏しい平民は皆、揃って銀髪銀眼だ。それ以外の色を保有するものは、代々魔力の強い家系の者だ。
 黒い髪は仕える者。そして、金色の髪は……。
「貴族……。碧眼ということは、リシェット家の……」
「僕はリシェロア=リシェット。君は……その翠色の瞳、ルミールに仕えるコーヴィク家の者だね。会えて嬉しいよ」
 無理やり握手をしてのけたリシェロアは、従者である私にも屈託のない笑顔を見せた。
「今日は、ルミールからお茶の誘いを受けていてね。初めてルミア家に来てみたんだけど……。いやぁ、僕の城と違って、すごく立派だね」
「……お嬢様に確認を取って参ります。しばしお待ちを」
「待って」
「は?」
 お辞儀をしてから踵を返した私の手を取り、リシェロアが静かに私を引き留める。
「君はどうして泣いてたの?」
 碧眼が真っすぐ私に向けられる。
『全てが完璧な王子様なの!』
 ふいにお嬢様の恋に溺れた言葉が過り、自分がこの少年と比べ物にならない程の無能だという事実を思い出す。
「リシェロア様、おやめください。私のことなど貴方にとって取るに足らない。お嬢様もお待ちでしょうから……」
「隈も酷い。眠れていないのか? 手も、ボロボロだ。この匂い……薬草か?」
「ッ」
 指先の匂いを嗅がれて、反射的に手を引っ込める。
 彼の言う通り、私の手はあかぎれだらけ。おまけに草花の色と匂いが染み付いたみすぼらしいものだった。普段は手袋をしているのだが、今日に限って着け忘れたのだからタイミングが悪い。いや、庭の掃除が終わってから部屋に戻って取って来ようなどと横着してしまったのが悪いのだが……。
「執事サン、薬草の調合でもしてるの? なんで?」
「それは……」
「なんで?」
「……」
 歯切れの悪い私を見て、リシェロアが詰め寄る。が、何と言い訳していいかもわからず、私は俯いてしまう。
「教えてくれないんなら、ルミールに言っちゃおうかな~。コーヴィク家の執事サンに意地悪されたってさ」
 どうやら、王子様の性根は腐っているらしい。目の前の謎を暴かないと気が済まないようだ。
「別に、大した事じゃあありません。ただ……。私は、魔力が弱いんです……。こんな翠の目を持って生まれたのに……。だから、少しでも魔力を強くしようと……」
「ああ、草花の魔力を抽出しているのか。それで、集めた魔力をこの指輪に溜めてるんだ」
「……そういうことです」
 気休めにしかならないのだろう。草花から採れる魔力は微々たるものだ。より純度の高い魔力を抽出するために、あらゆる草花を独自に勉強し、研究してみたものの、やはり大した成果は得られず。かと言って、試験が迫る焦りをどうすることもできず、ただひたすらに隠れて草花と向き合う日々。
 わかっている。それが無駄なことくらい。私がもうすぐここからいなくなることくらい。
「君、本当に魔術が使えないの?」
「……ええ」
「そんなに綺麗な翠の瞳があるのに?」
「……私には、似合わないのです」
 悪意のない口ぶりが、更に私を追い詰める。心に刺さった言葉が抜けない。もう既に、私はここから逃げ出したい気持ちでいっぱいになっていた。
「そんなことないよ。その黒い髪によく似合ってる。とても綺麗だ。もっとよく見せて」
「おやめください! 私はもうすぐ死ぬ人間なのです!」
 髪に触れたリシェロアの手を叩き落としてからハッとする。が、もう遅い。従者が客に向かって手を上げるなどあって良いことではない。
「死ぬって、どういうこと?」
「……ハァ。見ての通り、私はコーヴィク家に相応しくありません。だから、その……。近々ここを追い出されることになっているのです……」
 隠す気力ももう失せた。どうせここで問題になったとしても、死ぬのが早くなるだけのこと。寧ろここで処罰を受けた方が、どこぞに売られるよりかはマシだろう。
「でも、それって魔術が使えればいいんでしょ?」
「そりゃあ、そうですけど……」
「じゃあさ、僕と一緒にやってみる?」
「え?」
 薬草臭い手に、リシェロアの手が重なる。その手は意外にも豆だらけで、彼が努力家であることが判明した。
「ああ、ごめんね。痛いでしょ。最近剣術の新しい型を極めるのに夢中で……この通り。でもね、僕もようやくコツが掴めてきてさ。コツを掴んだら一気に楽しくなっちゃって……。あ~、つまり、何が言いたいかっていうと。執事サン、掌に気持ちを集中しててね」
「な、にを……」
「いくよ」
「あっ」
 小さく悲鳴を上げた途端、体の奥底から何かがせり上がり、掌に爆発的な熱が生まれる。熱い。その見えない熱はみるみるうちに形を変え、やがて辺りの落ち葉を巻き上げる風となり、その風は炎の渦となり……。全ての落ち葉を燃やした後に、フッと消える。
「すごい……」
「上手くいってよかった。これ、全部君の魔力を使ってやったんだよ?」
「え、私の、魔力……?」
 言われてから、自分の中に燻っていた何かが解き放たれた感覚に気づく。
「いや、でも……。私には魔力なんて……」
「あるよ。コーヴィクなんだからあるに決まってるじゃないか。ただ、感知しにくいぐらい奥底に閉まってあっただけ。それを、今僕が無理やり引きずり出してやったんだ」
「は……? だって、そんなこと、誰も言ってなかった……」
「うん。気づかなかったんだろうね。僕がギリギリ気づけたぐらいだもん。僕より魔力の弱い人たちにはわからなくて当たり前」
 さらりと自分の力を誇示するリシェロアに、私はぽかりと口を開けた。
「はは。可愛い顔が台無しだよ、執事サン。ほら、これでもうコツは掴めたでしょ? 後は自分でできるはず」
「私が、魔術を……?」
「うん。やってみてごらん?」
「……」
 促されるがままに目を閉じ、掌に熱を集中させる。すると。
「あっ……!」
 ぼっ、という音を立て、掌に炎が躍った。
「うんうん。上出来だ。これでクビにならずに済むね」
「あの、ありがとう、ございます……!」
 信じられなかった。まさか、自分が本当に魔術を使える体だったとは。私に、魔力があったとは……。こんなにも美しい炎を生み出せる日が来ようとは……。
「ほらほら、泣いてないで。今度こそルミールに取り次いでくれ。泣き虫執事サン」
 そうして、私はその出来事をきっかけに変わった。魔術を使えるようになった私に対し、周りの反応も変わった。失敗作呼ばわりされていたことを誰もが忘れてしまうぐらいに、私は魔術を極め、自信をつけた。
 あの頃の弱かった私はもういない。私はもう何にも惑わされない。何にも負けてはいけない。だから、この気持ちも――。



「あ……」
「お。やっと起きた。おはよう、執事サン」
「う……」
 痛む頭を押さえて身を起こすと、リシェロアは物色していた薬草を棚に戻し、微笑んだ。
「私は、また気を失っていたのか……」
「ほんと、勘弁してよね。アンタにはまだ聞かなきゃいけない事があるんだからさ」
「ッ……」
 気絶する前のやりとりを思い返してゾッとする。喉が渇く。胃が捩じれるように痛い。
「クーロン、アンタさ……」
「やめ……」
「アンタ……いや、君さ、もしかして僕が初めてこの城にやってきたとき、案内してくれた子?」
「……ええ。そう、ですけど」
 リシェロアの質問が思っていたものと違って拍子抜けする。そして、口を滑らせてから、今まで忘れていたであろう過去をここに来て思い出されたことに、気まずさを覚える。
「やっぱり! 前は気弱で華奢な可愛い少年だったから、全然気付かなかった。まさか、こんな陰湿眼鏡に育っちゃうとはね!」
「別に、好きで陰湿に育ったわけでは……」
「いや~。ホント、懐かしいなぁ! 僕のお陰で君は魔術が使えるようになったんだもんね。そっか、だから僕のことが好きなのか。ようやく納得がいったよ。案外今でも可愛いところが残ってるんだね」
「やめてください!」
 髪に触れた手を払いのけ、叫ぶ。単純な自分の心に嫌気がさす。あの頃からずっと、私の心はこの男に憧れ続けてしまっている。それが嫌で堪らない。
「嬉しい癖に」
「こんなことは、お嬢様にするべきだ」
「妨害してくる執事がよく言う」
「私だって、本当は……!」
「本当は?」
「っ……」
 開きそうになる口を何とか押さえる。どうやらまだ薬の効果は残っているらしい。が。
「いいから、言いなよ」
 口から手を剥がされ、喉を擽られる。それだけで閉じたはずの口は再び開き……。
「本当はッ、私だって、お嬢様の好きにさせたいんだ……!」
「……ん? ルミールの好きにって。君は僕が好きだから、邪魔したいんじゃないのか?」
「私の恋など、叶うものではないから。だから、どうでもいい」
 勿論、嘘ではない。これはれっきとした本心だ。こんな気持ち、元より叶えるつもりも伝えるつもりもなかった。ただ、私は執事としてお嬢様の幸せを真っ当に願っているのだから。
「へえ。身の程を弁えてるってこと?」
「ええ。貴方と違ってね」
「ハッ! 言ってくれる」
「本音を言わせたのは貴方だ!」
 やけっぱちになって叫ぶと、リシェロアが一瞬鼻白む。
「まあでも、生憎僕は君のように諦められない性質でね。精一杯足掻かせて貰うつもりだ」
「これ以上お嬢様を苦しめるな」
「それは、単純に彼女が僕を嫌いって意味? それとも、本当は彼女も僕を好きだけど、家のせいで許してもらえず苦しんでるってこと?」
「……」
 ああ、これは、わかってて聞いているな……。私の反応で既に確信を得てしまったのだろう。それなのに、まだ私を甚振ろうとは底意地の悪い……。
 意地悪く細められた瞳を睨む。その碧眼を憎むべきだというのに、どうしても己の情が邪魔をする。
「ああ、勿体ぶるのはやめてくれよ。言い辛いなら、まずは君が僕にちゃんとした愛の告白をしてみるかい?」
「……」
 誰が言うものか、と唇を固く結ぶ。
 誰が十数年隠していた気持ちを今更告げるものか。半分バレているとはいえ、自分の口からそれを告げるなど、できるはずが――。
「可愛くないな」
「……は、何をッ?!」
 そっぽを向いた唇に、リシェロアの舌が触れる。その奇行に驚いて声を上げた隙に、唇が強引に重ねられる。
「ん、んぅッ!」
 コイツ、いきなり何を……!
 生々しい感触に身を捩って抵抗するが、首の後ろを固定されたまま、口の中をこじ開けられる。割り込んできた舌に口の中を掻き乱されてゆく恐ろしさに、耐え切れずに目を瞑ると、益々その感覚が鋭くなる。他人にこんなことをされるなんて、不快なはずなのに、気持ちよくて……。舌が触れあう度に、頭がぼぅっとして……。
「は、顔真っ赤。ちゃんと息しなよ。んで、コレ。しっかり飲んでね?」
「は……、ッん」
 いつの間に取っていたのか、棚に置いてあった饒舌花のエキスをリシェロアが口に含む。そして、当然のようにそれを私に口移す。
「ん、ッは……。んんぅ……。なん、て、ことを……」
 飲み込んでから、熱に浮かされた自分を呪う。こんなに飲んでしまえば、もうどれだけ頑張ろうと自分の意思で口を閉ざすことなど到底できないだろう。
「ほら、クーロン。言ってよ。ルミールが僕のことを本当はどう思ってるのか、知っているんだろう?」
「あ……! ぐ……。お嬢様は、貴方のことが、好きだ……。でも、国王から強く止められているから……」
「どうして?」
「お嬢様の結婚相手は、本人が知らないところで、随分前から、決まっているんだ……。大国の王子様が、お嬢様を気に入ったようで……」
「ルミア家の当主も金に目が眩んだってわけか。思ってた通り過ぎて拍子抜けしたよ。けど、まあそれなら問題無い」
「は……? 小国であるリシェットが敵う相手じゃ……」
「僕が、錬金術に成功したと言ったら?」
「錬金術……?」
 非現実的な言葉に首を傾げる。が、リシェロアの顔は至って真面目だ。
「そ。僕の国はね、ずっと錬金術について研究してきたんだ。お陰で随分貧乏になってしまったけれど。これからは」
 リシェロアがポケットからおもむろに石を取り出し、掌で包み込む。そして。
「全て上手くいく」
 もう片方の手をぱちりと鳴らした瞬間、掌の隙間から光が漏れる。
「そんな、馬鹿な……」
 開かれた掌の上には、先ほどの石と同じ大きさのダイヤモンドが輝いていた。
「これ、クーロンにあげる。苦しめちゃったお詫びに」
「は……?」
 売れば数年遊んで暮らせるほど大きいダイヤモンドを、リシェロアは私に押し付けて笑った。
「じゃ、僕はルミールのお父さんを説得してくるよ」
 きっと当主は喜んでお嬢様をリシェロアに差し出すだろう。彼は本当に金に目がない人間だから。そして、お嬢様も泣いて喜ぶだろう。長年の夢がようやく叶うのだから。
「こんな物、誰がいるか……」
 リシェロアが去った後、ぽつりと呟き、ダイヤを床に落とす。
「は……。やっぱり、リシェロアはすごいな……。何でも努力して掴み取るんだから……。私は、彼のそういうところに憧れたんだ……」
 呟いてから、床が濡れていることに気づく。
「ああ、私は、泣いているのか……。はは、やっぱり駄目じゃないか……。結局私は弱いまま。この気持ちを断ち切ることさえできないなんて……」
 はらはらと流れる涙をそのままに、思考を放棄して横たわる。頭では解毒剤を調合すべきだとわかっているのに。体も心も錆付いたように動かない。
「リシェロアの言った通りだ。私は、恐れている……。彼とお嬢様が結ばれることを……。その横で平然と二人に仕えることなど、私にはできないから……。ああ、私は、どうすればいい……? どうすれば、この心を殺してしまえるのだろう。どうすれば……」



 それからトントン拍子に事が進み、二人の婚約パーティーが開かれた。勿論、自白剤の告発など最早忘れ去られていて、どれだけ錬金術の危険性を訴えようが無駄に終わった。
「やあ執事サン。君も休憩かい?」
「……どうも」
 大勢の笑い声と酒の匂いにうんざりして裏庭に出ると、タイミング悪くリシェロアに遭遇してしまう。
「あのね、クーロン。君には感謝してるんだ。昔、君を助けた甲斐があったってもんだよ」
「そうですか」
 煌びやかな衣装に身を包んだリシェロアからさりげなく目を逸らす。いつものラフな格好と違って、今の彼は本当に王子様という言葉が相応しい。
「なんだ。やけに静かじゃないか。感じが悪いな」
「……それは失礼致しました。それでは」
「待て待て。そう逃げようとするな。構いたくなる」
 お辞儀をして横をすり抜けようとする私の腕を無理やり掴んだリシェロアに、眉を顰める。この際、感じの悪さなど気にしていられない。「どうすれば」の答えが見つけられなかった私には、適当に誤魔化して逃げる以外の選択肢がない。
「もうすぐダンスの時間では? お嬢様がお待ちですよ」
「じゃあ君がこの酒を飲み干してくれたらさっさと行こう」
「は……?」
 せっかく作った笑顔が凍る。掲げられた酒は、一見普通のワインに見えるが、きっと何か入っているのだろう。
「ね? いいでしょ?」
「いえ……。申し訳ありませんが、私は、仕事中ですので……」
「主人のパートナーを楽しませるのも仕事の内だろう?」
「……」
「なんだ、疑ってるのか? そう警戒しなくともただの酒。祝杯だよ。君にも祝って欲しいんだ、クーロン。勿論、祝ってくれるよね?」
「悪趣味なことで」
 そう言えば執事は断れないと知っているから、質が悪い。
 グラスを受け取り、ワインを少量口に含む。そして、すぐにハンカチを取り出して吐き出す。
「……本当に悪趣味な人だ」
「嘘を見抜けない方も悪いとは思わないか?」
 わざとらしく肩を竦めたリシェロアを睨むが、その憎たらしい顔は動じない。
 また自白剤だ。この前のことがよっぽど面白かったのだろう。
「私は飲みませんよ」
「いいや。君は飲まなくちゃいけない」
「どういう意味です?」
「君が僕に好意を抱いていることをバラしてもいいんだよ?」
「……そんなもの、否定すればいいだけだ」
 どこまで私の主張が通るかはわからないが、こんな脅しに屈するべきではないだろう。
「つれないな。まあいいや。力づくで飲んでもらおう」
「は? なに、んむ……ッ!」
 この前と同じ要領で唇を重ねたリシェロアにぎょっとする。まさか、婚約発表の日にこんなことをするなんて……。やはり信用ならない。
「ちょっと。ちゃんと受け入れてくれなきゃ。人が来たら大変なことになるよ?」
「じゃあ、こんなことやめて、んッ」
 再び重なる唇に、慌てて抵抗するが……。
『ふう。少し人に酔ってしまいましたわ』『こちらで休憩いたしましょう、マダム』
「ッ……」
 扉の向こうから声がして、咄嗟に息を顰める。
「ほら、言わんこっちゃない。こっち」
 引っ張られ、大木の陰に隠れたタイミングで裏庭へと繋がる扉が開かれる。
「じゃ、続き」
「は? ふざけてる場合じゃ……」
「ふざけてない。こっちだって時間が惜しいんだよ」
「な、待っ」
「さ、腹を括って」
「んうう……!」
 小声で囁いた後、リシェロアはワインを口に含んで口づける。
 お客様にバレてはまずい。即刻クビ……それどころか死刑確定だ。お嬢様だって悲しむどころの騒ぎではない。
 リシェロアの肩を押し返すが、びくともしない。どうやら、単純に力でも勝てないらしい。
「んぅ……」
 厭らしい水音を立てながら次第に荒くなってゆく呼吸に焦る。
 どうしてこんな嫌がらせを受けなきゃいけないんだ……。どうして私はまだこの男のことが好きなのか……。
「んッ……」
『あら。今なにか聞こえませんでした?』
「!」
 女性の台詞に、溶けかけていた意識を取り戻して必死に声を堪える。が、それをあざ笑うかのように、リシェロアの舌使いが激しさを増す。
 コイツ、ふざけやがって……!
 懸命にリシェロアを睨むと、「早く飲み込めば解放してあげるのに」という目で馬鹿にされる。
 クソ、今更自白を躊躇ってる場合じゃないか……。
「ッ……ん、っは」
 覚悟を決め、仕方なく飲み込むと、リシェロアの目が三日月型に歪む。
「ふふ。飲んじゃったね」
「……う」
 どくり、と心臓が嫌な音を立てる。どうしてリシェロアはこんな日に私に構うのだろう。やはり、私の心を壊して執事を辞めさせる算段なのだろうか……。
 とりあえず、他の客にバレる前に自室へと向かう。が、当然のようにリシェロアもそれに追随する。
「リシェロア様。王子様がこのような場所に来てはいけませんよ」
「君が逃げるからだろう?」
「……これ以上、私に利用価値があるとは思えませんが?」
「わかってるけど?」
「じゃあやはり、私に仕事を辞めろと……?」
「ああ、いや。なるほど。それは勘違いだね。僕はただ、君がどんな気持ちでこのパーティーに参加してるのか知りたくなっただけだから、安心してよ」
「は?」
 腕を引かれ、無理やりベッドに押し倒される。さほど広くないそれは、二人分の重みにぎしりと悲鳴を上げる。
「ただの興味本位さ。ね、それでどうなの? 答えを教えて?」
「どんなって……。あ、ぐ……。少し、羨ましい、けど……。でも、本当に、私は……、お嬢様の……そして貴方の幸福を、願って、いるので……」
「君、本当に心が綺麗だな……。そんな人間がいるとは驚いた」
 リシェロアの手がふいに手袋の中に侵入し、掌をなぞりながら手袋を押し上げる。その感触に懐かしさを覚える。成長したその手もやはり豆だらけで、彼が変わらずに努力をしていることがわかった。
「ふは、くく。とんだ解釈ですね。そんなんじゃないですよ」
「でも。だって君は僕が好きなんだろ? それなのに……」
「言いたいことはわかりますよ。だけど、現実問題として、私は貴方に釣り合わない。それだけのこと。叶わないのに、望んだって意味がない」
「へえ。やっぱり綺麗だ」
「な……、やめてください!」
 頬に触れた手を弾く。無礼だと罵られてもおかしくないその行為に、リシェロアはにやにやと笑みを零す。
「相変わらずだね」
「す、みません……。けど、その……」
「意識する?」
「っ、当たり前、でしょう……?」
「……ふーん」
「あの、何して……?」
 首筋に唇を這わせ始めたリシェロアに困惑しながら身を捩る。
「僕、クーロンなら抱けるかもしれない」
「は……? 冗談は、やめてください」
「冗談かどうか、試してみる?」
「は? え、リシェロア様、何して……?」
 リシェロアの指があちこち体を撫で始める。慌てて押し返そうとするが、自白剤の副作用で体が怠くて上手くいかない。
「僕はてっきり、こういうコトするために部屋まで連れてこられたんだと思ったんだけど?」
「ッ、そんな訳……」
「わかってる。君は本当に綺麗だよ。自分の気持ちをよく誤魔化してる。でも。いくら優秀な執事サンだろうと、快楽に溺れりゃ欲も出てくるんじゃない?」
 細められたその瞳に危機感を覚える。もしかして、この男は本気で私に興味を……。
「り、リシェロア様、どうか、お気を確かに……」
「ねえクーロン。僕は君が乱れるところが見たいんだ。もっとさ、必死に僕を求める姿を見せてくれよ。僕は君自身も気づいてない君の本性を、この手で引きずり出してやりたいんだよ」
「ひっ」
「クーロンは仕事人間だからさ、ココ、まだ誰にも触らせてないよね?」
「リシェロア、様……、待って、そんなもの、触っては……」
「脱がないと、大事な仕事着が汚れちゃうよ?」
「ん、待ってくださ、いッ!」
 服越しに触れられた己のモノに意識が持っていかれた隙をついて、口づけが落とされる。
「ん、んん……ッ!」
 そして、舌に乗せられた薬の正体に気づき抵抗する。が、既に舌の上で溶けた薬が早速体に異常を来し……。
「んッ、あ、熱い……、うう、体が……」
「小屋で頂戴した薬草をアレンジして作ってみた媚薬。結構効くでしょ?」
「は、いつの間に盗んで……、待っ、そこ、擦らないでッ……、や、駄目、いッ……、んッ!」
「あーあ。汚れちゃったね」
「は……、あ……」
 息を整えつつ、少し扱かれただけで達してしまったことに焦る。そもそも、自分に性欲があること自体に驚いた。普段、自分でも心配になるほどそういう気にならないものだから、自分で慰めることすら稀だった。なのに、まさかこんな簡単に……。
「ほら、今度はちゃんと脱ごうね」
「リシェロア、様、こ、んなこと、駄目です……! 興味本位で済ませられることでは……」
「言ったでしょ。主人のパートナーを楽しませるのも君の仕事だって」
 脱がしながらもリシェロアは指をあちこち厭らしく這わせる。その度に体が反応して止まらない。
「だったら、女を、用意しますからッ」
「いいや、君で充分」
「あ、んッ!」
「ほらね。胸も感じる」
 胸を抓られた途端に、体がびくりと震え、それが快感であることに気づく。
「おかしい、こんな、いっ、痛い、ッ~!」
「気持ちいいの?」
「うう、ッ、は、い……ッ!」
「正直だね」
 正直も何も、そういう薬を飲ませられているんだから当たり前だ。
「じゃ、ご褒美。これ飲んで」
「う……」
 口にねじ込まれた薬は、複雑な味がした。吐き出す前に溶けてしまったそれは、その数十種類にも及ぶ薬草が調合された薬のようだ。
「これ……」
 効能を推測し、青ざめる。もしかすると、これは……。いや、そんなまさか……。
「あ、効能わかっちゃった? 前例無しの自家製だから上手くいくか自信なかったけど……。どうやら、大丈夫そうだね!」
「待っ……、んッ!」
 先ほどと同じように胸を抓られた瞬間、尻に違和感を覚える。
「うん。成功だ。お~、すごい。女みたいに濡れてる」
「リシェロア様、お、おやめください……!」
 容赦なく足を開き、まじまじと尻の穴を観察するリシェロアに恐怖を覚えて声が上ずる。勿論、その間にも視線に耐え切れなくなった羞恥が性欲へと変換されて、粘液が勝手に穴を満たす。
「なんで? こんなに気持ちよさそうに濡れてるくせに」
「あ、うあ……!」
 つぷり、と指が押し込まれる。その感覚は痛いはずなのに、熱く溢れ出す粘液がぐちゃぐちゃと音を立てて擦れるせいでそれもすぐに快感に変わる。
「痛い?」
「あ、なんで……。怖いのに、き、もちいい……。でも、気持ちいいから、駄目で……」
「そんなこと聞いてない」
「ああッ、あ、指、増えて……! んう、待って、胸、抓ったら……、あ、気持ち、良すぎて、あ、もっと溢れて……!」
「すごいね、次から次に粘液が溢れてくる。期待しちゃってるんだね、クーロン」
 言葉通りに溢れ出す液をリシェロアが指に絡め、ナカに擦り付ける。
「は、あ、熱いぃ、指、入れられてるだけなのにッ、あッ、もう、ナカ、ぐちゃぐちゃにッ……、あ、これ、勝手に、腰、動く……!」
「エロいね、自分で全部解説しちゃって」
「あ、貴方がッ、自白剤なんて、飲ませるからッ……! こんなのッ、恥ずかしい、のにッ……!」
「うん。可愛い。もうすっかり僕を受け入れる準備が出来ちゃったね」
「んんッ、こんなの、駄目なのにッ、怖いのにッ……。あ、リシェロアぁ……、奥、もっと……、あ、今、指、抜いちゃ……」
「は、すご。ほら、僕の指、こんなにドロドロだ」
 リシェロアの指を見て眩暈がする。自分の中からあんなものが出るなんて。怖い。けど、もどかしい。我慢できない。抑えられない……。
「うう……、は、やく、入れて……」
「はは、すごい。穴がひくひくしてる。最高にエロい」
「ん、駄目、入口ばっか触るの、駄目……。お願い、いれて……」
「指で足りるの?」
「え……?」
 リシェロアが己のモノを指し示し、意地悪く微笑む。
「これ挿れたら、もっとよくなるよ?」
「あ……」
 想像して息を飲む。駄目だとわかってるのに、体が火照って堪らない。
「欲しい?」
「ほ、しい……。ここ、いれてッ……!」
 こんなはしたない台詞、言うつもりなんてなかったのに。頭が、体が、心が熱くて……。
「素直で可愛い」
「あっ」
 自らの指で広げたそこに、リシェロアのモノがぴとりとくっつく。それだけで、期待した奥から熱い粘液が込み上げる。
「挿れるよ」
「あ、う……、は、いる……、ああ……ッ!」
 粘液で滑りながらゆっくりとねじ込まれ、ナカを満たしてゆくそれに体をしならせる。痛いはずなのに、頭が麻痺して全てが快感に変換されてゆく。
「ね、こんなことされても、まだ僕のこと好き?」
「す、きです……」
「何で泣くの?」
 リシェロアの手が眼鏡を取って涙を掬う。その優しい手つきが切なくて、更に涙を零してしまう。
「私は、こんな日に、お嬢様を、裏切って、こんな……」
「僕に愛されるのは嫌?」
 愛、という言葉に反応してナカが勝手に絞まる。苦しいのに、満たされる感覚に抗えない。
「こんなの、予想してなかった……! もう、やめてください……! 嫌じゃないから、嫌なんです……! 私は、貴方の気まぐれに振り回されて……。心臓が、おかしくなりそうだ……」
「ッ、なに、それ……。ヤバイ」
 ふいに、肩に倒れ込んできたリシェロアが息を詰める。
「あっ……! 待っ、なんで大きく……?!」
「無理」
「え?」
「なんか、いいなって。あ~、僕の方がおかしくなりそう」
「な、待っ~!」
 口づけが落とされ、そのまま貪るように舌が絡み合う。熱い。もどかしい。また、腰が勝手に動く……。
「可愛い。欲しい。クーロン、僕、もしかしたら心変わりしちゃったかも」
「は? 何言って……」
「責任、取ってね?」
 にこり、と笑ったリシェロアが私の足を持ち上げ、動き出す。
「は、あ、待って、激し……! ん、深いッ、奥、当たって……!」
「僕も、クーロンが好きだ。は、愛してる……!」
「な……。え……? や、待っ、もう、わかんな、駄目、イ……っ~!」
 リシェロアの言葉を聞いて、体が震える。そして、何もわからないまま絶頂に達して……。
「あ~あ。もうイっちゃったの? そんなに気持ちよかった?」
「んう……、は、んん……」
 射精し終わらないうちに、深い口づけが落とされる。抱きしめられた体が、リシェロアに触れられたところ全部が、気持ち良くて、びくびくとした震えが止まらない。
「キス、気持ちいい? イったばっかなのに、反応してる」
「は、待って、これ、もう抜い……、あ、んッ!」
 浮かしかけた腰が、再び強く戻され、奥がずちゅりと突かれる。
「まだ駄目に決まってるでしょ。今からここにいっぱい僕のを注いであげるんだからさ。覚悟はいい?」
 トントン、と腹を突いたリシェロアが有無を言わせぬ口調で問う。それだけで、逆上せたみたいに体が一気に熱くなる。
「あ……。え……? だ、め、リシェロア、様、も、私、自分ので、いっぱいだからっ……」
「大丈夫。クーロンの粘液も奥まで塗り広げてあげる」
「あ……、待って、ホントに、これ以上は、おかしくなるから……」
「おかしくなっていいよ。僕が欲しくて欲しくてどうしようもなくなる体に作り替えてあげる」
「は、そんな……。や、駄目……。あ、も、怖い、は、あ、ッ~!」
 じりじりと引き抜かれたそれが、抜けてしまいそうなところまで来て、一気に奥に突っ込まれる。緩急のついたその動きに、何度も耐えがたい電流が走り、嬌声が漏れる。
「んッ、待って、も、無理だって……」
「ほら、もう出るよッ。クーロンのナカ、たっぷり、注いであげるッ!」
「あ、ひッ~!」
 激しく奥にぶつかったそれが、ナカで勢いよく射精する。
「あ、ああ……ッ!」
 その刺激に押されて、体がしなり、再び自分のモノも限界に達する。
「前も後ろも上もぐしょぐしょだね、クーロン。可愛い。僕でこんなに感じちゃってさ」
「んう……」
 涙を拭われただけだというのに、体が再び熱を持ち始める。
「あーあ。エロい。まだ足りなかった?」
「っ、あ。待って、もう抜いて……」
 ぐっと腹を押され、ナカが疼く。それと同時に、再びリシェロアが動き始める。
「あ、も、出ない、もう、出ないって……!」
「出なくてもイけるでしょ? クーロンなら出来るよ」
「あ、何、待って、や、リシェロア、あ、んんッ~!」
 急に胸を摘ままれて、その快感に震える。
「忘れてた? ここも立派な性感帯だよ?」
「あ、痛いから、駄目だって……、あ、ううッ~!」
 両方とも強く抓られた途端、奥が疼き、じわりと粘液が溢れる。痛いはずなのに、やはり気持ち良さの方が勝って、甘い息が漏れる。
「気持ち良かった? 締め付け、すごいよ? わかってる?」
「ん、わかん、ない、も、おかしい、全部、気持ち良くて……。あ、駄目、全部、強い、って、あ、激し、だめ、来る、変、なんか、は、はぁ、」
「いいよ、一緒にイこ。クーロン、愛してる」
「あ、あ、ああッ~!」
 胸を抓られたまま、奥を突かれる。その水音が体に響いた瞬間、射精もしないままイっていた。
「やっぱり出来た。偉いね、クーロン」
「んう……」
 頭を撫で、口づけを落としたリシェロアをぼんやりと見つめてから目を閉じる。
 駄目だ、もう、なんか、わかんない……。



「ん……」
「あ、お嬢様。クーロン様が!」
「起きたのね、クーロン」
 目を覚ますと、シャトールとお嬢様がいた。
「あ、えと……。私は……」
 昨日の出来事を思い出し、お嬢様の顔を見て青ざめる。弁解しようとするのに、頭も舌も上手く回らない。
「わかってる。アナタは悪くないわ。ホント、散々だったわね」
「あの、リシェロア様は……」
「罪を償ってもらったわ。当然よね。ワタシを裏切るなんてあっていいことじゃないもの。ああでもしなきゃ、せっかくパーティーに来てくださった皆様にも示しがつかないもの。ねえ、シャトール?」
「ええ。お嬢様」
「え……。まさか……」
 二人の仄暗い笑みに、嫌な想像と汗が止まらない。
「ねぇクーロン、アナタも見てみる? あの男の惨めな姿を」
「でも、あれは流石に可哀想でしたから……。クーロン様は、見ない方がいいかも……」
「どこに……、どこにいるんですか、リシェロアは」
「地下室よ」
「ッ……!」
 不安と怒りと後悔が入り混じって震える手を握りしめ、地下室へ走る。
 あんなに酷い目に遭ったというのに、体は思ったより軽い。口に残った薬草の残り香は、私が独自に調合した回復薬のそれだった。恐らくリシェロアが薬を飲ませてくれたのだろう。
「リシェロア、リシェロア……!」
 地下へと続く長い階段に、己のものとは思えない程、悲痛な声が響く。お嬢様に仕えるにあたり、無駄な感情は排してきたつもりだった。けど、これだけは。この気持ちだけはどうしたって長い間消せずにいた。それが、こんな形で終わってしまうなんて……。
 石でできた冷たい壁を殴りつける。
「終わらせない……。終わらせてやるもんか……」
 まだ生きているのならば、彼の心と体の傷を薬で癒す。死んでいたとしても、禁術でもなんでも探して生き返らせてやる……。
「私は、リシェロアがいない世界では、きっと生きられない……」
 自分を救ってくれたリシェロアを見守るだけで良かった。その幸せを願うだけで良かった。だけど、彼が私のせいで死ぬなんて。想像しただけで気が狂いそうだ。
「リシェロアっ!」
 地下の一室から漏れ出る光を頼りに、その扉を勢いよく開ける。
 そこにどんな惨状があっても、私は目を瞑ってはいけない。どんなことが待っていようとも、受け止めてみせる。それが愚かな私にできる最善の決意なのだから――。



「うう……」
「リシェロア!」
 呻き声のする方を慌てて見つめる。蝋燭の揺らめきが、書庫の傍らのくたびれた文机で突っ伏すリシェロアの姿を映し出す。
「もう、勘弁してくれ……」
「リシェロア、大丈夫ですかッ?!」
 駆け寄り、魘されたその肩を揺さぶる。すると……。
「ん……。あれ、クーロン? どうしてここに……?」
「どうしてって……、あれ……? 貴方、何ともないんですか……?」
 寝起き顔のリシェロアに目立った外傷はない。その表情にも絶望の気配はない。
「いや、流石に反省はしてるよ……? 君に酷いことしたし、ルミールにも……。お蔭でめちゃくちゃ絞られて。見ての通り、謝罪文を書かされ続けてるってわけ」
「は……?」
 示された紙は、どうやら来賓への謝罪の手紙らしい。
「というか、クーロンこそ大丈夫? 走ってきたの? ルミールたちに意地悪された?」
 立ち上がったリシェロアに乱れた髪を撫でられ、思わず身を引く。
「あの、もしかして、罪を償うって……、手紙を書くこと、ですか……?」
「……あ~。やっぱり意地悪されたんだね」
 身を引いた私の腰を馬鹿力で引き寄せたリシェロアが、よしよしと声に出しながら再び頭を撫でる。
「じゃあ、リシェロア……様は、本当に何事もなく……?」
「ふふ。あはは! ごめんなさい、クーロン。まさかアナタが、あんなに必死な顔して走っていくとは、思ってなくて……!」
「お嬢様……?!」
 笑い声と共に現れたお嬢様の毒気のない様子に、全身の力が抜ける。
「クーロン様、すみません。お嬢様がどうしてもと仰るもので……」
「いや、シャトール。お前は絶対乗り気でクーロンを揶揄っただろ」
 分厚い眼鏡を手で押し上げ、不気味に笑ったシャトールにリシェロアがげんなりとした声でツッコむ。そういえば、シャトールはリシェロアの手先だった。随分親しいみたいだけど……。
「ふふ。お兄様ったら。わたしの性格をよくご存じで」
「「えっ、お兄様……?」」
 ルミールと私の声が重なり、シャトールが肩を竦める。
「あら、お兄様。バレてしまいましたわ」
「お前な、わざとやったんだろうが」
「ふふ。だってぇ。そろそろこの色にも飽きてきたんですもの」
 そう言ったシャトールが、ぱちりと指を弾く。すると、彼女の黒髪が美しい金色に染まる。どうやら、魔法で色を変えていたようだ。
「うん。やっぱり金髪の方がわたしには似合うわ!」
 そう言って眼鏡を外した彼女は、リシェロアと同じ蒼い瞳を輝かせた。先ほどまでの野暮ったいドジメイドとはまるで別人だ。
「嘘……。アナタ、本当にお姫様なのね……?」
 腰に手を当て、堂々と立った彼女は、お嬢様の言葉にこくりと頷く。
「ええ。改めて、シャトール=リシェットよ。ふふ、名前は変えてないのに。誰も気づかないんですもの。まあ、リシェットなんてちっぽけな国のお姫様の名前なんて、この国の人が覚えてるわけないものね」
「シャトール、嫌味ばっか言ってると報酬減らすぞ?」
「なんでよ! わたしはバッチリお兄様をアシストしたでしょ?! 途中からのタゲチェンにも対応したわけだし!」
「なるほど、シャトールはスパイだったというわけね……?」
「あは、え~っと。ルミール様、なんていうか、ほら。その。お兄様はドクズですから! 諦められてラッキーまであるというか! むしろ感謝してほしいというかですね! なんなら、わたしが狙ってる王子様候補情報を共有してもいいですから……、わたしを罰するのは待ってほしいというか!」
「ふっ。別に、今更クーロンからリシェロアを取ろうなんて思ってないわ」
 てっきりお嬢様のことだから、慌てて弁解するシャトールにキレ散らかすと思っていた。が、意外にも落ち着いた表情でそう告げたお嬢様は、私に向かって微笑みを寄越す。
「お嬢様……?」
「ワタシだって、振り向かない男を一生追いかけるほど暇じゃないわ。だからね、リシェロアのことは、クーロンに免じて諦めてあげる」
「そんな……」
「ワタシがいいって言ってるの。賠償金も踏んだくったし。妥当な判断だと思うけど?」
「ですが……。私は男ですし、お嬢様の執事ですから……、その……」
 タダでは転んでないようだけど、妥当というには私の身分は不相応すぎる。処罰を受けて然るべきだ。
「そうね。ワタシの執事でありながら、ワタシからリシェロアを奪ったアナタは罰されて当然。解雇されて当たり前だわ」
「う……」
「だからね。どこへでもいきなさい。アナタたちのことなんて、もう知ったことじゃないわ」
「お嬢様……」
 それが、お嬢様なりの優しさだということはすぐにわかった。彼女は、まるで憑きものが落ちたみたいにすっきりとした顔をしていた。
「ルミール様、ドンマイドンマイ! こうなったら新しい恋、探しましょ! 軍資金ならありますから!」
「ふふ、それならワタシにもたんまりとあるわ」
「じゃあ、今日からわたしら友達ってことで! ルミールちゃんって呼んでいーい?」
「なっ……」
 あまりにも無礼なシャトールに言葉を失い、お嬢様の様子を伺う。
「ふふ。いいわよ。シャトール」
 一瞬の間が開いてから、お嬢様は微笑み、彼女の手を取る。……どうやら、お嬢様はこの娘を気に入ったらしい。
「いや~。めでたしめでたし。じゃ、クーロン。早速、僕の城に来る準備よろしく」
「は? いや、私は、だからそんな身分じゃ……」
「わたしたちの国、身分とか気にしない人ばっかだから。フツーに庶民と貴族が結婚したりするよ~。現にママもただの花売りだったらしいし!」
「それは、興味深い話ですね……」
 シャトールの言葉に、お嬢様が目を丸くして呟く。確かに、この国では考えられないことだ。
「ま、そういう訳だから。クーロンさんも諦めな~」
「いやいや、身分とかいう前に、私は男だし……!」
「それも別に、気にすることないよ~。ウチではそれもフツーに認められてるし~」
「それは、興味深い話ですね……」
「いやいやいや、でも、リシェロア様は第一王子ですよね……? 世継ぎが……」
「それも別に。わたし、元からお兄様に王の座を譲る気ないし。お兄様も王様なんてまっぴらごめんだって言ってるし」
「それは、興味深い話ですね……」
「ルミールちゃんも、この国で王女やろーよ。男になんか負けてられないしさ! イケメンとっ捕まえて婿養子にしちゃえ!」
「あの、シャトール……様、お嬢様にあまり変なことを教えないでいただけますか……?」
「え~? どうしよっかな~」
「あ~、ウチの妹、頭おかしいから。気にしないでほしいというか……、シャトール!」
 リシェロアがシャトールを咎める視線を送るが、彼女は全く気にする様子もなく楽しそうに続きを話す。
「まあまずは、クーロンさんとお兄様の結婚式の手配からかな~。ご利益浴びてからの婚活。うん、成功しそう!」
「け、結婚……、ですか……?」
 突拍子のない言葉に眩暈がする。夢にも見てないその景色はどうしたって想像がつかない。
「おいおい、いくらなんでもぶっ飛び過ぎだって」
「ルミールちゃんも、手伝ってくれるよね?!」
「ええと、まあ」
「よし! 最高の結婚式にしよ~ね!」
「なんか、流れで結婚することになってるけど……。断るなら今の内だよ?」
 呆れ顔のリシェロアに耳打ちされて考える。そんなもしもが叶うのならば。この恋が実るというのならば。リシェロアと永遠の愛を誓えるというのならば。
「……その、断らない方向で検討してもらっても、よろしいでしょうか」
「ふは。顔真っ赤。可愛い。はぁ~、ヤバイ。今すぐ連れ帰りたい」
 抱きしめられてから、その温もりに顔を埋める。すっかり人肌が恋しくなってしまった。
「引っ越すのは結構ですが、反省文はきちんと仕上げて行ってくださいね」
「うっ」
「あっは! ルミールちゃん、意外と厳し~!」
 惚れていた頃から百八十度態度の代わってしまったお嬢様に、どうやらリシェロアも逆らえないらしい。
「私も手伝いますから、早く終わらせてしまいましょう」
「えっ。それって早く結婚したいってこと?」
「……揶揄わないでください。それに、手紙にはちゃんと心からお詫びの気持ちを記してくださいよ?」
「うんうん。クーロンさんもばっちりお兄様の手綱を取ってるね!」
「……そんなことはないと思いますが。随分と酷いこともされましたし」
「そうね。リシェロアにはたっぷり反省してもらわないとね」
「ええ」
「全くもってそうだね~!」
「あの、何か欲しいものがあれば言ってクダサイ。僕、お詫びに奢りますので、ええ……」
 お嬢様の言葉に私とシャトールが同意すると、リシェロアは殊勝な態度で申し出る。
「お兄様ってば、お金で解決できると思ってんの~? でもまあ~。そこまで言うんであれば~? わたし、ブティック一軒丸ごと買取で手を打つわ!」
「ワタシは、世界の甘味と紅茶一年分で」
「さ、クーロンさんも言わなきゃ損ですよ!」
「遠慮することはないわクーロン。正直に言ったらいいわ」
 早口で自分の願望を告げた二人が私を見る。
「えっと、それじゃあ――」
 永遠の愛、なんて言葉が頭を過り、馬鹿々々しくなって首を振る。
「どうしたの? クーロン、顔が真っ赤だけど?」
「い、いえ……。何でも……」
 ないです、と言い終わらない内に、リシェロアが私を更に抱きしめる。
「可愛い! 何想像したのかわかんないけど、可愛い!」
「あれじゃない? お兄様とずっと一緒に居たい的な!」
「そうなの?」
 お嬢様に問われて、仕方なく頷く。
 その後はやんやかんやの大騒ぎで……。気づけば左の薬指に指輪が嵌まっていたという訳だ。
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