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第一章

殿下の言うことには

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「陛下、私からも宜しいでしょうか?」

  殿下は輝くブロンドのさらさらとした髪に、ロイヤルブラウンの瞳で陛下に許可を得る。
  その綺麗なお顔立ちは、国王陛下と王妃陛下に良く似ている。誰もが憧れるクライツ家とは、本当にその通りだと思う。

  陛下が許可の言葉を伝えれば、何故か私に目をやる殿下とばちりと視線が重なる。

「リディア嬢、私はこの婚約を嬉しく思っているのだけど、私たちはまだお互いを良く知らない。何せリディア嬢は、幻の令嬢だからね」

  ニコッと微笑みながらこちらを見る殿下は、何故かその後ろに真っ黒なモヤモヤが見えてます。微笑まれているのに、少し後ずさってしまうほど。

  そして殿下の言う、幻の令嬢とはどういうことなのでしょう。

「お姉様は社交界で見ることができない、幻の令嬢と噂されてるんですよ」

  美しさを隠すなんて幻の令嬢だ、とも言われていますとサーシャは付け加えた。
  社交界に顔を出していたなら、美しいなんて言われなかったでしょうから、なんだか得をした気分になります。

「殿下のお話を頂く前にたくさん申しましたこと、申し訳ございません。ですが、私の気持ちは先程伝えた通りです」
「うん、でも私たちはお互いを良く知らないのに、今答えを出すのは性急ではないだろうか」

  殿下は何故、婚約を破棄することを嫌がられるのでしょうか。
  ひと目見て惹かれるほどのサーシャを前にして、焦っておられるのでしょうか。
  それとも陛下のお話を断る私に、余程腹を立てたのでしょうか。

  リーナが隣にいないので、意見をもらうことさへ出来ません。

「殿下はリディアとの婚約を望まれていると、そう捉えても宜しいのでしょうか?」

  先程まで、青い顔に目を白黒させていたお父様が殿下に訊ねる。
  まるで、婚約はこのままで良いんですよね?と言う声が、今にも聞こえてきそうです。

「もちろんです」

  また微笑みを貼り付けた殿下が、チラリと私を見てお父様に言いました。
  殿下のお気持ちが分からず、リーナに聞きたいのに聞けないもどかしさでどうにかなりそうです。

「リディア嬢が不安に思っているのは、アルディオールを思ってなのだから仕方がないけれど、私はそれを覆せないと思われているみたいだ。だからこれからはリディア嬢との時間を増やして、その不安を拭い婚約を結びたいと思います。陛下、ハウス公爵、どうかお赦し頂けますか?」

  殿下は何を仰っているのか、ひと目で気に入ったはずのサーシャを前にして、何故私との婚約を進めようとしているのか。
  陛下とお父様の赦しの言葉など、この時の私に届くはずもありません。

「ではリディア嬢、これから少しずつお互いを知っていき、私との婚約に前向きな返答を頂けること、期待しております」

  まるでこの瞬間を待っていたかのように、和やかな雰囲気が戻ってくる。

  サーシャは横で感動しましたと言わんばかりに、ロイヤルブラウンの瞳を輝かせている。
  陛下とお父様も、この時を待っていたと言わんばかりである。

  リーナ、作戦は失敗です。
  殿下の言うことには、この婚約は延期になったみたいです。
  破棄しなくてはならないのに、出来ませんでした。

  私はどのように悪役の道を辿るのでしょうか、サーシャを虐めてしまうのでしょうか。
  
  ルーベルト伯爵だったなら、自分がやると決めた事は曲げませんでした。
  つまり破棄を決めたのならば、必ず破棄した事でしょう。

  それなのに私ときたら、殿下から見える真っ黒なモヤモヤに怯んでしまいました。
  リーナが知ったなら、真っ青な顔をするのでしょうか。

「リディア嬢、宜しいですか?」

  殿下の真っ黒なモヤモヤが、増幅した気がするのは気のせいでしょうか。
  誰にも殿下の真っ黒なモヤモヤが見えていないのか、殿下と私を温かく見守っている空気にも耐えられません。

「私は殿下と過ごさせて頂くには至らない点が多すぎますので、まずはそちらを学んで参ります」

  なんとかこの場を切り抜けて、リーナと作戦を立てなくてはなりません。
  そんな気持ちで、やんわりとお断りさせて頂きました。

「リディア嬢に至らぬ点があるというのなら、それも私は知っていきたいと思います」

  どうしたらいいのでしょうか。
  殿下は、どうにかなってしまったのかしら。

「殿下に知られては尚更顔向けが出来ませんので、どうかお待ち頂けたらと思います」
「リディア嬢は、私に会うことさへも拒絶するのだね」
「と、とんでもございません!」

  何を言い出すのでしょう。淑女にあるまじき事だと言うのに、焦ってしまいました。
  殿下を拒絶するだなんて、そんなことがあってはならないのに。

「じゃあこれからたくさん会う中で、お互いを知っていこう」

  真っ黒なモヤモヤを携えながら微笑む殿下は、さながら悪魔のようだなんて、言えるはずもありません。
  それに話がまとまったと言わんばかりに、穏やかな空気を作る陛下とお父様とサーシャが、悪魔を祝福する子悪魔のようです。

「さっそく明日、ハウス公爵夫人にも挨拶に伺います」
「妻も喜びます」

  誰かにこの状況を説明頂かなくては、私にはどうすることも出来ません。

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