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鳳雛の巣立ち
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「思慮深く、前途有望な若者」
謁見後、南蛮人ルイス・フロイスがそう語っていたと、聞いた。
織田三七郎信孝――。
英雄であり、父である織田信長。
その才能を最も受け継いでいると、周りからも評されてきた。
才気煥発。
頭脳明晰。
容姿端麗。
これまで多くの人から口々に称賛されてきたが、極力意識しないようにしていた。
自分のことを称賛する人は、常に背後の信長を意識して発言している。
だからその評価は常に割り増しの評価となるからだ。
それでも客観的に見れば、数多くいる信長の子息の中で、三男である自分の評判が最も良いのは事実ではあった。
父信長は、数多い子息のうち、嫡男信忠、次男信雄、三男信孝までを一門として特別扱いし、残りは家臣として扱った。
嫡男信忠は、六年前に織田家の家督と岐阜城及び美濃、尾張二か国を譲渡されていた。昨月に終了した武田征伐にあたっても、わずか一月で武田家を滅亡させるという、武勲をあげており、信長の後継者であることを内外に認めさせた。
信孝は三男である立場をわきまえ、特に織田家を継ぎたい、という野心はなかったが、若者らしく自分の力を存分に発揮したい、という願望は持っている。
他人の評価は気にしなかったが、
(私には英雄の才知がある)
という自信は持っていた。
だから、自分の才能を発揮して実績をあげ、本当の意味で「英雄信長の才を最も引き継いだ男」として人々から称賛されたかった。
これまで幾度となく出陣はしてきたが、いつも父や、兄の本陣近くで警護の任につく程度で、密かに自負する才能を発揮する機会はなかった。
いまは鳳凰の雛に過ぎない自分だが、機会さえがあれば鳳凰となって天下に飛翔する。
信孝は自分の才が発揮できる機会を待っていた。
今年で二十四歳になる。
父が自分の年齢の頃には、権謀術数を駆使して尾張を統一し、その二年後には桶狭間の戦いで今川義元を討って天下に名を轟かせている。
桶狭間――。甘美な響きだった。
幼い頃からこの合戦に憧れてきた。
迫る大軍。少ない味方。絶望的な状況。
それを物ともせず、雷雨の中、手勢を率いて乾坤一擲の突撃を行い、奇跡の勝利を掴む。
信孝の想像の中では、桶狭間に向かって先頭を駆けるのは父ではなく、自分の雄姿だった。
(もし私が父と同じ境遇に置かれたなら――)
当然の如く、自分も父と同じように行動しただろう。
そして天下に名を轟かせていたのは、
(自分だった)
そう思っていた。
近年の合戦は、桶狭間のような合戦は少なくなっており、大軍を背景に物量によって押していく合戦が主になっている。
だから、信孝自身が先頭切って敵の大軍に向かっていくような合戦は起こりえないだろうが、常に父や兄のそばで合戦を見てきたが故に、どのような合戦であっても、十分にやり遂げる自信をもっていた。
だから自分の才能が発揮できる機会を信孝は切望していた。
そして、天正十年五月――。
遂にその機会が訪れた。
信長から四国征伐軍の総大将に任じられたのである。
(四国征伐軍の総大将)
それを聞いた時、飛び上がらんばかりに喜んだ。
相手は土佐の土豪から始まり、今では四国の大半を席捲しつつある長曾我部元親。
強敵である。
しかし、
(だから良いのだ)
この強敵を鮮やかに倒してこそ、自分が評価される。
いよいよ鳳雛が鳳凰へと飛翔する時がきた。
さらに信孝が喜んだのが、四国討伐軍の人選である。
数か月前の武田征伐では、誰もが想像していた以上の成功を兄信忠は収めた。
信忠は信孝から見れば全体的に小さくまとまった武将だ。
武将としては、可もなく不可もなく、といったところで、織田家の政権が安定すれば、上手く領土を治めていくだろう。
篤実な性格で家臣からも慕われている。
ただ、大軍を率いて合戦を指揮する、というのなら、自分の方がはるかに適している。
そんな信忠が大成功を治めたのは、補佐を務めた副将が良かったのだろう。
これは信孝だけがそう見ていたのではなく、織田家中の大半もそう見ていた。
織田家の中でも知略武勇に富んだ滝川一益、武功派の森長可や河尻秀隆が副将に付けられており、これらの者は武田征伐後、多くの恩賞を信長から授けられている。
その点、四国征伐軍として、信孝に付けられた副将三人はいい人選だった。
一人目の副将は丹羽長秀。
織田家では、明智光秀、羽柴秀吉、柴田勝家、滝川一益が第一流の武将とみなされており、丹羽長秀は、二流の中での大物、といった印象である。
信長の尾張統一戦から仕える重鎮で、若狭一国の国持大名だったが、武功は少ない。
最近では、安土城建築の総奉行を務め、常識を覆す巨城を見事築城したが、合戦で目立つことは無くなっていた。
二人目の副将、蜂屋頼隆は若い頃は個人的な武勇に秀でていたらしい。兵を率いるようになってからは、手堅い用兵を行うことや戦後処理の手腕で信長の信頼を得てはいるが、武功については特に聞いたことはない。
三人目の副将、津田信澄は信孝と同年代で、かつて謀反を起こして成敗された信長の弟の子だったが、特に咎められることなく、一門としての待遇を受けている。
治政に富む、との評判は聞いていたが、実父が謀反人だけあって、極力目立たないように努めている印象があった。
このように四国征伐軍の副将としてつけられた三人は、前面に押し出ることが少なく、忠実に命令をこなしていく型の武将たちであった。だから四国征伐軍が成功しても、兄のように「副将が良かった」見られることはないだろう。
信孝が指示を出し、この三人がそれを実行していく。
おそらく四国征伐軍はそうやって事が進んでいく。
(悪くない、人選だ――)
思う存分自分の才能を発揮して、天下に信孝の真価を認めさせることができる。
信孝の行動は早い。
領内に兵の動員をかけつつ、自身は単身で安土城に赴き、信長に拝謁した。
子であっても、単身で信長と面会することはほとんどない。
信孝は緊張しつつも、臆することなく総大将任命のお礼を言上した。
「驚いたか?」
信長は上機嫌で信孝に聞いた。
「はい」
信孝だけではない。織田家中誰もが驚いただろう。
常識で考えるなら、これまで四国方面の外交窓口となっていた明智光秀が征伐軍の総大将になるのが妥当なところだろう。
「わかるか?」
信長の言葉は極端に短いのが特徴である。
しかし信孝は、信長の質問の意図を察した。父は明智でなく、敢えて自分を任命した理由を聞いている。
「今後の織田家のため」
「聡いな」
答えを聞いて信長は、満足そうに笑顔を浮かべた。
安土に来る途中、自分が四国征伐の総大将に任命された理由を考えてきた。
そして導き出した答えが、
(次代の地固めが始まっている)
ということだった。
足利政権は直轄領がほとんどなく、有力大名の均衡を保ちながらその上に乗って政権を維持してきた。
しかし均衡が崩れれば、直轄軍をほとんど持たない足利将軍が打てる手がほとんどない。
それを踏まえ、おそらく信長は一族の直轄領を増やし、家臣の力が織田家の驚異とならないように調整を始めたのだろう。
天下統一を目前に、家臣団と織田家一族の勢力争いが水面下で始まっているのだ。
「わが家臣は優秀だ。それだけに働きは大きく、それに報いねばならん。されど――。わかるな」
「御意」
明智、羽柴、柴田、滝川など、第一級の家臣たちは、かつて信長を苦しめた戦国大名に匹敵しうる領土を保有している。
織田家が安定した勢力を保つためには、これらの家臣団以上に織田家の勢力を巨大なものとする必要があった。
長兄信忠は家督相続と同時に、尾張美濃の旗頭となり、その大部分を所領とし、次兄信雄は南伊勢五郡と伊賀一国を得ていたが、信孝は北伊勢のうち河曲・鈴鹿の二郡のおよそ八万石のみだった。
だから織田家第三の男として、活躍の機会が与えられたのだろう。
「見事四国征伐を成功させれば、四国探題に任じよう」
「し、四国探題」
「いま天下の潮流は織田家が作り出しているが、余が居なくなれば、その流れを家臣団に奪われ兼ねん。それだけ我が家臣は優秀で巨大だ」
確かにそういう恐れはあった。
家臣達は信長を神の如く恐れ敬っているが、次代の信忠に対しては、信長と同様に仕えてくれるかわからない。
特に織田家中で大勢力を築いている明智、羽柴、滝川などは、譜代からの家臣ではなく、その氏素性もはっきりしない。
柴田に至っては、信長が若かりし頃、謀反を起こしたこともあるのだ。
「三七よ。余は時の巨大な流れに逆らって、自ら流れを作り出す側となった。そなたもわが子なら、機会だけは与えてやるゆえ、自身の才を証明してみよ」
そう言い残し、信長は去った。
その後安土城で、三人の副将と四国征伐についての打ち合わせを行った。
「上様より四国征伐の総大将を命じられた。よろしく頼む」
まずは気負わず、謙虚に接した。
下手に自分を大きく見せようとすれば、逆に侮りを受けることになるだろう。
同年代の信澄はともかく、丹羽長秀や蜂屋頼隆の戦歴は信孝のそれとはまったく比較にならない。
丹羽も蜂屋も織田家の苛烈な出世競争の第一線にはいないとはいえ、歴戦の強者であることは間違いないのだ。
この両者を使いこなすことが、四国征伐の成功の鍵となるだろう。
おそらく、両者は信孝のことを、
(親の七光りを受けた小僧)
くらいにしか思っていないだろう。
同年代の信澄にあっては、秘かに対抗心を燃やしているかもしれない。
(これから認めさせてやる)
自信はあった。
「我ら粉骨砕身、信孝様の下で四国征伐に全力を尽くします」
三者を代表して、丹羽が差しさわりのない挨拶で応えた。
三人とも初対面ではないが、親しく接してきてもいない。
互いがそれぞれよく知らない者同士だった。
信長の指示で、住吉に軍勢を終結後、六月三日に淡路島を経由して渡海することは決していた。あと一月も時間がない。
問題となったのは、兵が足りない事だった。
長兄信忠、次兄信雄なれば、自前の領国だけで一万は動員できただろうが、如何せん、信孝の領国は北伊勢のうち河曲、鈴鹿の二郡だけである。
せいぜい千五百程度しか動員できない。
丹羽や蜂屋も所領は多くない。動員できる兵は信孝より少し多いくらいだ。津田にあっては千程度。
これに先遣隊として四国に上陸している三好康長が二千。
全員合わせても八千を超えるくらいだ。
相手は四国を席捲しつつある長曾我部元親。
軽く一万五千は動員できるだろう。
「いかがする」と、問いたいところだが今後のこともある。主導権を握るため信孝自身が案を出した。
「今回はそれぞれ領内に最大の動員をかけよう。十六歳から六十歳までを動員の対象とするのだ」
副将の三人は意見を求められると思っていたようで、信孝が自分の意見を先に述べた事に一瞬虚を突かれた表情はしたが、すぐに「御意」と支持にしたがった。
続けて、
「それでも兵は足りぬゆえ、畿内各国の浪人を徴集する。特に伊賀や雑賀、丹波など、近年大規模な戦闘があった国は主家が滅亡し、浪人も多いはずだ。これは丹羽殿に任せる」
「ははっ」
「津田殿には、軍勢の武器弾薬、兵糧物資の調達をお願いしたい」
「御意」
「蜂屋殿は渡海のための兵船の準備をお願いする。今回志摩の九鬼嘉隆が上様の指示により協力することとなっておる故、そちらとも連絡を密にするように」
「承知いたしました」
副将たちは次々と出される信孝の指示に文句なく従った。
「以上である」
ここで信長ならそう告げて退席するところだった。
しかし自分は彼らの総大将であっても主君ではない。そんなことをすれば反感を買う。
「何かご意見やご助言はあろうか」
とあくまで謙虚に振舞った。
「一つお訪ねしたい」
と最も年長の蜂屋が発言した。
「何か?」と聞くと、
「我らが総大将は、何をなされるのか?」
蜂屋の問いに一瞬苛ついた。
総大将に対して聞く質問ではなかった。
もし信長であれば、無礼討ちにしていたかもしれない。
丹羽か津田が蜂屋を嗜めるかと思いきや、二人とも黙っている。
たとえ総大将であり主君の子であったとしても、なんの実績もない信孝の言いなりにはならない、そういう雰囲気を信孝は敏感に感じた。
「私は堺で三好と連絡を取りつつ、四国の情報収集を行う」
「なるほど」
信孝の答えに三人は納得したようだった。
(今後もこういうやり取りが続くだろう)
三人の副将の顔を見ながら密かにため息をついた。
どれほど周りから評価が高くとも、所詮は「信長の三男」という血統で総大将になったことは自覚していた。そして副将という形で付けられた三人は、目付という役目もかねている。
ただ、父信長の若い頃を思えば、自分もやるしかない、という思いは強い。
こういうやり取りを繰り返しながら、副将たちの信頼を勝ち取っていくのだ。
この日はこれで解散したが、とりあえず、初めての打ち合わせは上手くいった、と思う。
下がっていった三人の表情からもそれが読み取れた。
その後信孝と三人の副将はせわしなく動いた。
信長の人使いは荒く、一つの大役を命じていたとしても、別の役目を次々と命じてくる。
丹羽にあっては、東海の徳川家康が上洛してくることから、安土城でこれの接待役を命じられた。
さらにその後、徳川一行が堺見物をすることとなったため、丹羽に加えて、大坂で兵糧物資を調達中だった津田にまで、対応を命じてきていた。
このため、信孝と三人の副将が集まったのは、安土における初回の打ち合わせのみとなり、あとはそれぞれ書簡や使者を通じての連絡が続いた。
そして、六月二日――。
四国出陣を翌日に控え、堺の宿所に使用していた納屋の今井宗久が、信孝と副将の三人を招待して茶会を開いてくれた。
ただ、津田は大坂陣屋で兵糧物資の積み込みを行っていたため、茶会は欠席した。
軍勢は住吉港に集結しており、明日、九鬼水軍を中心とする軍船に乗り込み出陣する予定である。準備は万端だった。
最終的には畿内を中心に兵を集い、なんとか一万三千の軍勢を集めることができた。
「信孝様の前途洋々にございますな」
今井は今回の四国征伐にあたり、陰に日向に協力を惜しまなかった。
特に長曾我部氏と三好氏を中心とする詳細な四国情勢の提供は、信孝ほか副将の三人もこの方面に詳しく無かったのでありがたいものだった。
ただ、その惜しみない協力は、好意のみから出たもので無い事はわかっている。
今井は征伐後の四国の商圏を狙っているのだろう。
確かに今井の言う通り、四国征伐の成功は間違いない。
余程の失敗がないかぎり、信孝の前途は洋々だ。
「そなたの協力には感謝しておる」
「協力など、とんでもございません」
今井は商人らしく、自分の目の前で大袈裟に手を振った。
「心配せずともよい。四国が片付けば、必ずや今井には報いる。その後もな」
その後、というところを少し強調していうと、
「さすが、聡明な信孝様にございます。何卒、良しなに」
今井は馬鹿丁寧に頭をさげる。
「四国征伐はこれから始まる。その間の支援も頼む」
信孝の念押しに「勿論にございます」と言いながら、今井は満面の笑みを浮かべた。
おそらく、これを確認するためにわざわざ茶会を開催したのに違いない。
それならば、信孝だけに確認すれば良いことだ。
副将の丹羽と蜂屋まで呼んで伝えることが気に食わなかったが、表情にださない。
まだ、自分にそれだけの信頼がないのだ。
仕方がない。
しかし四国征伐が終われば全てが変わる。
四国探題として、織田家の重鎮となるのだ。
信孝は茶を喫し終えると碗を置き、今井に礼を告げようとした。
その時、屋敷の玄関で怒鳴りあうような声が聞こえた。
続いて激しい足音が廊下に響く。
「何事でしょうか?」
今井が首をかしげると同時に、若党が走りこんできた。
「織田三七様の御前であるぞ。控えぬか」
今井が嗜めると、若党は慌てて膝まずいて一礼し、そのまま膝行して何やら今井に耳打ちした。
「馬鹿な!」
今井にしては珍しく、叫ぶような声が上げた。
若党は何か小声で言い返している。
今井と目が合う。
何か逡巡しているような表情である。
「少しお待ちくださいませ」
そう言うと、信孝に一礼して若党を連れて今井は別室に去った。
「いかがいたしたのでしょうか?」
蜂屋が疑問を口にしたが、答えを知る者があるはずがなく、座は沈黙していた。
信孝を待たせたまま、別室に去ったところを見ると、四国征伐軍にかかわる事なのかもしれない。
すぐに今井は戻って来た。
その表情は深刻で、顔色が青ざめている。
(出陣の門出に、何か落ち度でもあったのだろうか?)
一瞬そういう考えがよぎった。
しかし――。
今井が深く一礼し、そのあと口に出した言葉は、想像を超える大変事だった。
「ただ今、都から戻ったわが手の者の報告によれば、本日未明、明智日向守様が上様に対し謀反を起こされました」
一瞬、聞き違えたかに思えた。
「明智殿が謀反だと?何を馬鹿な」
蜂屋が一笑に付した。
「いえ、確かなようです。都は明智軍一万数千に抑えられ、わが手の者がそれを搔い潜って知らせて参りました」
今井によれば、本日未明に一万数千の明智の軍勢が信長の宿所である本能寺を襲撃。
数刻後、本能寺は灰燼に帰し、明智軍は勝鬨を上げると同時に、今度は二条城に籠る信忠を攻撃し、これもまた焼け落ちたという。
「上様は?」
蜂屋の問いに、
「上様、信忠様の首は上がっておりませぬが、明智はご両人を討ち取ったことを喧伝しているとの事」
「そんな馬鹿な――」
蜂屋は納得しなかったが、
「明智の所業なれば、希望は持てぬでしょう」
丹羽が即座に否定した。
「しかし、いかに明智といえども」
蜂屋はまだ、希望を持ちたいようだったが、
「いや、明智ほど用意周到な者が謀反を起こしたなら、上様を逃すような失策はしないでしょう。それに上様ご健在なら、都の最も近くに大軍を集結させている我らへ、何等かの指示があるはずです。それがない、ということが全てを物語っています」
座が重苦しい沈黙を覆った。
(父は死んだ、のか――)
父とて人間である。
いつかそういう日が来ることはわかっていたが、こういう状況でやってくるとは想像しなかった。
さらに衝撃だったのは、兄信忠も二条城で討ち死にしたという事だ。
それが意味するのは、織田家の指示系統が完全に消滅したという事だった。
(そんな――)
父から飛翔の機会を与えられた、はずだった。
その機会を明日に控え、突如織田家が崩壊したのだ。
(どうすればいい)
誰も答えを与えてくれない。
広大な織田家にあって、その頂点がいなくなったのだ。
むしろ広大であるだけ、収拾が付かない。
顔を上げれば蜂屋が顔面蒼白となり、口を開いたり閉じた入りしていた。
何か言いたのだろうが、何も言えないのだろう。
ふと、視線に気付き、横を見ると丹羽と目が合った。
一大事の発生にもかかわらす無表情でじっとこちらを見ていた。
「いかがなさいますか?」
その表情よりもさらに落ち着いた声で問うてきた。
(いかがなさいますかだと?)
それはこっちが聞きたかった。
「本当に父上は死んだのか?」
何の考えもなく口走った言葉に、信孝は己を取り戻した。
「宿所が灰燼になったとはいえ、父上の事だ、無事脱出したかも知れない」
「先ほども申したとおり、その可能性はおそらくありますまい」
「しかし、都の何処かに潜んでいるやもしれぬ」
「左様。都は明智が抑えた故、動きがとれぬのかもしれませぬ」
蜂屋が信孝に同意した。
「いずれにせよ、我らはこれからどうするか、決める必要があります」
「ふむ」
確かに丹羽の言うとおりだった。
父が生きていようが死んでいようが、明智が謀反を起こしたのなら、行動を起こさなくてはならない。
都に最も近い位置に存在する軍勢は、信孝率いる四国征伐軍なのだ。
明智もこのままにしておくまい。
(父ならどうするだろう?)
さすがの父でも、これほどの事態に直面したことはなかったのではないか?
そう思ったが、よく考えれば、父の人生は苦難の連続だった。
跡目争い、桶狭間、金ケ崎――。
数え上げたらきりがない。
そう考えたとき、
(これは!)
稲妻が脳裏を走った。
これこそ、天がもたらした好機かもしれない。
父が与えてくれた機会が無くなったなら、自分で機会を掴めばいい。
四国征伐軍を率いて明智を討てばどうなるか?
明智の味方がどれだけいるのかは知らないが、畿内にあって明智と対等に渡り合える軍勢を率いているのは、自分であることは間違いない。
(桶狭間だ!)
一瞬叫びそうになった。
義元を討ち取られ、今川軍が大敗したように、光秀を討てば謀反勢力が瓦解する。
そしてもし、父と兄が死んでいれば、織田家の総領になることもできるのではないか。
天下最大の勢力である織田家を継ぐ。
興奮で身が震えた。
(鳳雛から鳳凰へ)
仮に、父か兄のどちらか生きていたとしても、明智を討てば織田家の窮地を救った救世主であることは間違いない。
「四国征伐軍を率いて明智を討つ!」
信孝が告げると、蜂屋と今井が驚愕の表情を浮かべた。
一方、丹羽の方は「なるほど――」と、落ち着いて考え込んでいる。
「異論でもあるのか?」
と、問うと、
「できましょうか?」
と逆に聞いてきた。「お前にできるのか?」と言われたようで信孝の癇に障った。
「できる、できないではない。やるのだ!」
信孝は声を荒らげた。
しかし丹羽は落ち着いている。
「わが軍は一万三千。明智もおそらく同数ですが、その質に大きな隔たりがあります。正直申して、向こうは精鋭ですが、こちらは寄せ集め。それに――」
丹羽が口をつぐんだ。言いたいことはわかっている。
「明智と私。つまり互いの総大将の器が違いすぎる、と言いたのだろう」
「器ではございませぬ。経験と実績でございます。たとえ、信孝様が明智以上の器をお持ちであったとしても、兵は信孝様の経験と実績を明智と比較して判断します」
「兵から信頼されておらぬ。ということか」
さすがに丹羽は肯定しないが、黙っているのは肯定しているのと同じだった。
「それを補うのが副将であるそなた達ではないのか」
「御意。されど――」
再び丹羽が口を濁らす。
「歯がゆいな。はっきり申せ」
丹羽の態度に信孝は苛ついた。
「正直に申しますが、我ら副将の名声では明智にとても太刀打ちできませぬ」
開き直ったように丹羽が断言した。
蜂屋を見ると、慌てて目線を伏せた。
しかし、状況を客観視すれば、丹羽の言は正しいかもしれない。
信孝自身、丹羽のことを二流とみていたのだ。世間も同じだろう。
それでも信孝は自らを奮い起こした。
「よく聞け。いま我らが置かれた状況は、二十数年前に織田家が迎えた危機に酷似している」
丹羽と蜂屋は顔を上げた。
「桶狭間ですか?」
「左様。ただし、あの時と比較すれば、今の方が格段に状況は良い」
「と申しますと?」
「あの時、織田家に味方は皆無だった。しかし、我らには、北陸に柴田、中国に羽柴、関東に滝川、東海に徳川、さらに伊勢には信雄兄者もいる。それに我らにも質は違えど敵と同数の軍勢がある」
「しかし明智は直属の軍勢以外にも数多くの与力大名があります」
「確かに明智には与力大名が多い。大和の筒井、丹後の細川、摂津の中川や高山」
「御意。それらの与力大名が合流すれば、倍以上に膨れ上がります」
「だからこそ、今すぐ上洛して明智を討つのだ」
二人とも黙っている。
「あの桶狭間のように、敵が分散しているうちに大将を討つのだ」
「上手くいくでしょうか?」
蜂屋は自信なさげだった。
「そなた達も桶狭間で戦ったであろう。あの時の事を思い出せ」
織田家では伝説になっている桶狭間の戦い。
奮い立つかと思ったが、二人の反応は鈍い。
「桶狭間の勇士達も年を取ったか」
あえて挑発してみたが、二人は動こうとしない。
「もう良い。好きにせよ。私は一人でも行く」
そう言って信孝は立ち上がった。
丹羽と蜂屋も続くかと思ったが、そういう雰囲気はない。
言いたくなかったが、信孝は切り札を使った。
「万が一父上が生きていたら、今日の二人の態度は報告する」
父の力を借りたくなかったが、思わず言ってしまった。
「首が上がっていないということは、どこぞに父上はお隠れなさっているかもしれぬのだ。事態は一刻を争う」
効果は抜群だった。父の名を出した途端に二人は慌てて立ち上がり、
「我らも参ります」
と続いた。
(気に入らぬが仕方あるまい)
明智を倒すには二人の軍勢が必要だった。
生死不明の父の威光を借りた自分に不甲斐なさを感じつつも、
(利用できるものは利用する。それでよいのだ)
そう思う事にした。
信孝は今井の屋敷を出るとすぐに馬にまたがり、住吉に布陣させてある軍勢に向かって駆けた。
すぐ後ろを丹羽と蜂屋、そしてそれぞれの護衛の衆達が後を追ってくる。
駆けながら、
(桶狭間のようだ)
何度もそう思った。
父は、桶狭間の折、単身で清洲城から馬を駆けさせて出陣した。その時父に従ったのはわずか六騎という。
いま信孝の後ろを駆けてくる者は十数騎だったが、少人数であることに間違いない。
風が心地良かった。
(俺は天下に向かって駆けている)
そういう高揚感に包まれて馬を駆らせた。
信長の才を最も引き継いだ者。
そう称賛されることもあった。
そう評価した者も半分は世辞が入っていたかもしれないが、間もなくその評価が現実のものなる。
(鳳凰になるのだ)
馬を叩く鞭に自然に力が入った。
やがて住吉が近づいた。
(?)
配下の軍勢が望見できたが、何かがおかしい。
一昨日に見た自軍とは明らかに雰囲気が異なっている。
(異変でも起きたか?)
思わず手綱を引いて馬を止めた。
先ほどまでの高揚感が委縮した。
「妙ですな」
追いついた丹羽も自軍を望見して違和感を覚えたようだ。
「明らかに混乱している様子です」
丹羽の言葉に不安が増した。
(まさか既に明智の襲撃を受けたか?)
一瞬そういう考えがよぎったが、陣に旗印は林立していることから、そういう訳でもなさそうだった。
「急ごう」
信孝は愛馬に鞭を入れ、再び駆けた。
(少ない)
軍勢に合流してすぐにそう感じた。
そのまま本陣に入ると、留守居の家臣が血相を変えて走り寄ってきた。
「何があった?」
本陣の床几に座し、留守居に聞く。
「も、申し訳ありませぬ。一刻ほど前、都にて明智が謀反を起こし、上様、信忠様が討ち死になされたとの噂が軍勢内に広がりました。真相は不明なれど、今朝がた都の方角で黒煙が上がるのを見た者も多く、そのうちに誰ぞが、明智が攻めてくると言い出し、軍勢が恐慌をきたしました」
「なんと!はや広まっておったか」
「そして陣中の金目になるものを強奪して逃亡する者が続出する始末。我ら必死に抑えようと手を尽くしましたが収拾がつかず、御覧の有様。まことに面目ありませぬ」
そういうと、留守居の家臣は必死で詫びた。
迂闊だった。
よもやこれ程早く、都の凶事が広がっているとは。
今井から明智の謀反を聞いた時、すぐに情報を封鎖するべきだった。
「如何ほどの人数が逃亡した?」聞くと、
「既に全軍の半分以上が逃亡しております」
「は、半分だと!」
留守居の言葉に、信孝は眩暈がした。
一万三千余の軍勢が半数に減少。
しかも物資の多くも強奪されている。
これではもはや軍勢として機能できない。
既に日が西に傾きつつあった。やむを得ず、その日は残った兵と物資を集積し、軍勢として再編成を行うことにした。
しかし翌日になると、軍勢はさらに目減りしていた。
昨日は、およそ五千ほどいた軍勢が、今朝確認してみると、三千まで減っていた。
中でも、信孝の手勢が五百と圧倒的に少ない。
丹羽は千五百、蜂屋は千。
「九鬼水軍を使って伊勢に退却したほうが良いのでは」
蜂屋が消極策を唱えた。
「何を言うか!父が桶狭間で今川に殴り込みをかけたときは、二千だったというではないか。それに比べれば我が方は三千。津田と合流すれば四千にはなるだろう」
「その津田ですが、既に明智と通じておる可能性もあります」
「なんだと」
「お忘れか。津田の正室は明智の娘」
「!」
蜂屋の言葉に、衝撃をうけた。
数年前、津田は明智の娘を正室に迎えていたのを失念していた。
「今回の謀反に、最初から津田も加担していたのかもしれませぬ」
「津田が加担だと?」
信孝が見た限り、津田はそういう策謀を講じるような性格ではなさそうだったが、それも演技かもしれない。
付き合いが短いだけになんとも判断はつかない。
「いいだろう、津田が敵ならそれでもかまわん。我らには手勢三千があるのだ。それだけあれば明智本陣に殴り込みをかけるのに十分」
信孝が言い放つと、
「もう少し、御身を大事にされてはいかがか?」
これまで黙っていた丹羽が口を開いた。
「上様、信忠様亡きあと、明智から見れば、次の標的は信孝様と南伊勢の信雄様。その両者のうち、最も狙い易い位置にいるのは、自領から離れ少数で孤立している信孝様なのです。明智だけでなく、明智に組みするもの、これから組みしようとしている者にとって最も価値の高い恩賞首がご自身なのです」
「わ、私が恩賞首だと!」
「畿内は明智の勢力が最も強い地域です。それをやすやすと突っ込んでいけば、飛んで火にいる夏の虫」
「しかし、桶狭間で父はわずか二千で――」
「昨日から口を開けば桶狭間、桶狭間と申されますが、あんなもの、千にひとつ、いや万に一つも起こることの無い、ただのまぐれ戦にございます」
「まぐれ戦だと?」
「左様。あの時たまたま暴風雨が発生しなければ、間違いなく首になっていたのは上様のほうです」
「馬鹿な!」
「それが年月を経るに従い話が誇張され、いまや桶狭間の合戦は現実とかけ離れた物語が一人歩きをしておる始末。実際の桶狭間はただのまぐれ戦。それを良く理解しているからこそ、上様は二度とあのような戦はしておられぬ」
反論したかったが、何も言い返すことができなかった。
丹羽は合戦の参加者であり、信孝はそうではない。
信孝は物語の桶狭間しか知らないのである。
「見込みのない突撃の無謀さを良く知るが故、金ケ崎の時に上様は即断で逃げております。これが真の英雄の判断です。今信孝様がとるべき行動はただ一つ。織田家の血を引くものとして、自分の命をいかに守るべきかを算段することにございます」
「なれば、俺はどうすれば良いというのだ?」
言ってから、
(しまった!)
と、後悔した。
四国征伐軍の総大将として、全て自分で判断するようにしていたが、この窮地にあって遂に丹羽に意見を求めてしまった。
「まずは大坂陣屋の津田殿を討ち、兵の動揺を鎮めましょう」
「津田は敵と決まった訳では――」
「敵か味方かなど、どうでもよい事です。まずは津田を明智方として討ち、その首を晒すことで、我らの姿勢を示すのです。それで兵を落ち着かせるのです」
「そんなことで兵が落ち着くのか?」
「見せしめを行えば、一旦動揺は収まります」
「見せしめ――」
「その上で、上様が脱出されたという噂を流すのです」
「待て、父は脱出されたのか?」
「ただの流言です」
「流言だと」
「御意。上様が生きているとなれば、明智に味方しようとするものが間違いなく二の足を踏みます。上手くいけば明智もその流言に振り回され、こちらに攻めてくるのが遅れるかもしれませぬ」
「な、なるほど」
「そうして時間を稼げば、北陸から柴田、関東から滝川などが、駆けつけてまいるなど、状況が変化してくるやもしれませぬ」
「う、うむ」
気が付けば、完全に主導権は丹羽に握られている。
しかし、それを挽回する策が信孝には思い浮かばず、非情ではあるが虚実を織り交ぜた老巧な丹羽の策を採用するしか選択はなかった。
その後、事態は丹羽の予測通り進んだ。
大坂陣屋にある津田を呼び寄せてこれを討ち、首を晒すと、不思議と兵が落ち着きを見せ逃亡兵は無くなった。
そして信長生存の噂を流すと、効果は想像以上で、明智に合流しようとした大和の筒井がそれを止めて居城に引き返したらしかった。
さらに摂津の中川清秀や高山右近など、明智の与力大名も居城から動いていない。
多くの者が織田家への忠誠などではなく、誰につくのが良いか判断できるまで、日和見の態度を取り始めていた。
悔しいが、丹羽の策が悉くはまっている。
織田家中にあっては二流の家臣と思っていた丹羽だったが、これ程の策士であることに、内心信孝は驚いた。
(丹羽はわが軍師として使える)
そう評価を改めた。
「さて、と」
明智の謀反から五日目の六月七日、信孝は改めて丹羽と蜂屋の三人で、津田から奪った大坂陣屋で今後を相談した。
「まずは明智を始めとする畿内の動静であるが――」
「明智軍は安土城を占領し、あわせて長浜、佐和山城を抑え、近江をほぼ手中に収めておる由。昨日再度、上洛して盛んに調停工作を行っております」
丹羽が手の者に調べさせた畿内の情勢を報告した。
「明智は再び都に入ったか。この大坂は都に近い。いずれかに移動した方が良いかもしれぬ」
「その必要はございませぬ」
丹羽の言葉に信孝は小さくため息をつく。
(またか――)
ここ数日、丹羽が口を開けば、信孝の案を否定していた。
なんとか、丹羽を納得させる案を考えようとしたが、自分でも不思議な程、良い案が浮かんでこない。
「実は、つい先ほど、羽柴殿から驚くべき情報が入りましてございます」
「羽柴とは、羽柴筑前か?」
「御意。羽柴殿は明智の謀反を知ると、ただちに毛利と和睦し、既に姫路城に帰城しているとの事。軍勢を休息の後、姫路を出陣して明智を討つ、とのことでございます」
「なんと!」
驚愕すべき情報だった。
「してその軍勢は?」
「約三万。とのことです」
「さ、三万!」
それだけあれば、明智を圧倒できる。
「羽柴殿は、我らに合力を呼び掛けてまいりました。そして信孝様を是非、総大将として迎えたい、との事でございます」
「私を総大将!」
「御意」
羽柴秀吉――。
父の小者から大出世した知恵者、ということは知っているが、これまでほとんど交流はなかった。
その羽柴が「総大将に迎えたい」と要望してくるほど、信孝のことを評価していたのだ。
(やはり見ている奴は見ているのだな)
羽柴陣営には才豊かな者が多い、と言われてきたが、それは羽柴が人を見る目に長けているからに違いない。
そしてその羽柴が、信孝を総大将の器と認めたのだ。
(やってやろうではないか)
四国征伐軍一万三千の総大将という夢は儚く消え去ったが、今度は羽柴軍三万の総大将という、より大軍の総大将という役が回ってきた。
人生、諦めなければ機会はあるものだ。
「いいだろう。羽柴筑前には承知の旨を伝えよ。我らは羽柴軍到着までこの大坂に留まる」
信孝の言葉に、丹羽と蜂屋は黙って頭を下げた。
流れが、再び戻って来た。
(今度こそ、飛翔する)
四国征伐は明智の謀反で頓挫した。
その後独力で明智の討伐を図ろうとしたが、兵が逃亡したためにできなかった。
しかし、今度はそうはいかない。
信孝の下に、歴戦の羽柴軍三万が結集するのだ。
(総大将として私が存分に采配を振るうのだ)
再び心が高揚した。
四日後、摂津高槻で信孝は羽柴軍と合流した。
羽柴軍は中国から遠路舞い戻って来たとは思えないような活気を呈していた。
「おぉ!総大将が参られたぞ!」
信孝が姿を現すなり、羽柴が走り寄ってきた。
「さ、さ、こちらへ」
信孝は本陣の陣幕内に入り、羽柴に案内され総大将の位置に用意された床几に座る。
同時に丹羽と蜂屋も用意された床几に座った。
既に戸板が横に置かれ、その上に絵地図が敷かれている。
(ほぅ。やはり山崎か)
絵地図は摂津と山城の国境、山崎付近が中心に描かれているものだった。
(明智との決戦は山崎付近)
信孝もそう予測していた。
そのための策についても考えてある。
ただ、その策については、丹羽にも蜂屋にも話していない。
先に話して、丹羽や蜂屋に口出しされたくなかった。
「まずは、三七様、ご無事で何よりでございます」
羽柴は目に涙を浮かべながら、挨拶と、総大将を引き受けてくれた礼を信孝に述べた。
その後、自分が中国戦線にあって毛利と和睦して、明智を討つために撤退してきた経緯を説明し、そして、信孝の四国征伐軍の状況についても詳しく聞いてきた。
四国征伐軍のこれまでの経緯については、主に丹羽が詳細を説明した。
「皆さま方にあっても、筆舌し難いご苦労があったことと存じます。上様の消息は不明なれど、まずは憎き明智を一刻も早く討伐することが肝要。その明智でございますが、いまは鳥羽付近に対陣しておるとの事。これを討伐するとなれば――」
「待たれよ」
止めなければ、饒舌な羽柴はどこまでもしゃべり続ける。
信孝は慌てて羽柴を遮ると、自分の策を述べた。
「まずは――」
ここで、羽柴の心を掴めば、総大将として今後やり易くなる。
信孝は理路整然と自分の策を述べた。
丹羽や蜂屋は黙っていたが、羽柴は「ほう」とか「なるほど、なるほど」と盛んに合いの手を入れてくるので、話がしやすい。
「――以上だ」
策を述べ終えると、
「これはこれは、見事な策でござる。それがし、感服いたしました。まるで、上様が策を述べられているかのような錯覚に陥りましたぞ」
そういって盛んに感心しながら膝を叩いた。
「一つよろしいか?」
丹羽が横から口をはさんだ。
「何か異論があるのか?」
羽柴に称賛され、いい気になっていたところ、丹羽が口をはさんできたことに(またか)と信孝は苛ついた。
「策は見事にございます。異論はございません。ただ、大和の筒井が近辺に出没しておるとの事。この動向にはご注意あれ」
一瞬「あっ」と声を上げそうになった。
信孝の視点は決戦場のみに注がれ、完全にその周辺が抜け落ちていた。
摂津の高山右近と中川清秀は既に羽柴軍に合流していたが、すぐ近くで五千の軍勢を動かす筒井順慶は、まだ態度を曖昧にしている。
信孝はそれを見落としていた。
やはり丹羽は知恵者だった。
「いやいや、さすが、四国征伐軍の総大将と副将でござる。まさにお二方は阿吽の呼吸」
派手に感心しつつ、
「それだけに、三七様や、丹羽殿が、四国で長曾我部を相手に暴れまわるのを見たかったものよ」
そう言って羽柴は口惜しそうな表情をした。
確かに四国征伐軍が消滅したのは無念極まりない。
しかし、今はもっと大きな目標があった。
(天下だ――)
そう、明智を倒せば四国どころではなく、天下が信孝の前に広がってくるのた。
「それにしても」蜂屋が本陣を見渡し「遅いな」と、呟いた。
「何がでござろう」
羽柴が首を傾げる。
「誰も本陣に来ない。これでは軍議が始められぬ」
早く着きすぎたのだろうか。本陣に床几は十以上置かれてあったが、信孝と共に来た、丹羽、蜂屋以外はまだ誰もいない。
「さに非ず、さに非ず」
羽柴は大げさに手を振って、
「既に軍議は終了しております」
驚くべきことを告げた。
「なんだと!」
思わず信孝は叫んだ。
「総大将不在で軍議を終えたのか!」
「時は一刻を争います。寸暇を惜しんでは、織田家中随一の切れ者であった明智に先手を取られます。僭越ながら、この筑前めが軍議を執り行いました」
一瞬怒りで目の前が真っ暗になった。
悪びれることなく羽柴は、目の前の絵地図を示しながら、軍議で決定した策を説明した。
大筋は信孝が述べた策と同じだったが、より緻密で工夫が凝らされていた。
目の前に広げられていた絵地図は、これから軍議を始めるためではなく、軍議で決した策を信孝たちに説明するために残されていたものだった。
信孝は屈辱と怒りに顔面を引きつらせた。
「筒井への対応は?」
先ほどと同じく、丹羽が羽柴に質問すると、
「ご懸念無用。既に筒井に手をまわし、こちらに加勢することを約させております」
「そ、それは重畳」
羽柴の答えに丹羽も黙った。
役者が違うとでもいうべきか、丹羽ですら、羽柴の前では子供扱いだった。
「既に明智は都を出陣し、山崎目指して移動中。わが軍の先陣もこれに対応すべく、既に出陣しております」
「既に出陣だと?なぜ、それを先に言わぬ!」
「言おうとしましたが、三七様が説明を遮られ、ご自分の策を滔々と述べ始められたのです」
「しかし――」
「お咎めあらば、明智との決戦後にお受けいたします。されど時間がありませぬ。今は総大将として後陣で控えられ、この筑前の必勝の策をとくと御覧あれ!」
そう言うと羽柴は「御免!」と一礼して立ち上がった。
「待て!」
信孝は引き止めようとしたが、その声が聞こえなかったのか、或いは聞こえても無視したのか、羽柴は慌ただしく本陣を出ていった。
陣幕の外から、
「さあ、我らが総大将も着陣された。これより先陣を追って我らも上様の仇討ちに参るぞ!」
という羽柴の大音声が聞こえ、兵からこれに応じた鯨波が起こった。
しばらく呆然としていた。
気が付けば、閑散とした本陣にとり残されている自分に気づいた。
「してやられましたな」
自嘲するように丹羽が呟く。
何かこれまで持っていたもの全てを、羽柴に持っていかれてしまった気がした。
そして悟った。
(羽柴は最初から自分など頼りにしていなかったのだ)
欲しかったのは、総大将として織田家の血を引く信孝の「名」だったのだろう。
見事に利用された。
去就を迷っていた大名たちを味方に引き込むと同時に、織田家の軍勢として明智を討伐するという大義名分を得るため、形式上信孝を総大将としたのだ。
さらに付け加えるなら、織田家の重鎮として、信長の尾張時代から仕えていた、丹羽と蜂屋も同様だった。
後でわかったことだが、信孝参戦の同意を羽柴は得た後、
「羽柴軍は織田信孝を総大将とした。織田家重臣の丹羽長秀と蜂屋頼隆も合流した。総勢は六万以上に膨れ上がっている」
と、大々的に宣伝したらしい。
その結果、中川清秀と高山右近など、明智の与力大名だった摂津衆が羽柴軍と合流し、軍の総数は四万以上に膨れ上がったという。
流れを掴んだのは自分ではなかった。
自分は、羽柴秀吉という大河の流れに引き込まれた支流に過ぎなかったのだ。
(それなのに――)
天下が自分の前に広がっていると錯覚し、既に軍議は終了しているのも知らず、羽柴に対して得意げに自分の戦略を語るなど、愚劣の極みである。
そんな自分を羽柴は、さも感心しながら策を聞き、そして手放しで称賛した。完全に子供扱いである。
最初から信孝のことなど、歯牙にもかけていなかったのに違いない。
屈辱にまみれながら、信孝たちは自軍に帰った。
その日の戦闘は、わずか数刻で終了した。
総大将である信孝の下には、羽柴から戦闘の経過が逐一報告されてきた。
しかし、本当の総大将であれば、前線から直に報告が上がってくるべきである。
それに、全て報告ばかりで、判断を求める使者は一人もやってこなかった。
合戦は大勝利に終わったが、世間の誰もがこの合戦は「羽柴秀吉が明智光秀を討った」合戦として記憶した。
信孝が総大将であったことなど誰の記憶にも残らなかった。
「一年か――」
「何か言われましたか?」
背後に立つ武者に問われ、知らずのうちに言葉を呟いていたことに苦笑する。
「なんでもない」
信孝は白刃に映る自分の端正な顔を見つめた。
(受け継いだのは、この顔だけだったのだろうか――)
父、信長の才を最も受け継いだ男。
そう評され、自分でもそう思ってきた。
しかし、父が謀反で倒れてからわずか一年足らずで、
(自害することになろうとは――)
明智との合戦後、織田の後継者を決める清須会議があった。
信孝も有力後継者として名が挙がったが、会議において主導権を握った羽柴に牛耳られ、その地位を継承することはできなかった。
さらに数か月後の賤ケ岳の合戦では、柴田勝家や滝川一益と協力して、織田家の主導権を握ろうとしたが、あえなく羽柴秀吉に敗北した。
そして――、いま切腹の場に臨んでいる。
(こんなはずでは)
自分の才を信じ、桶狭間を意識しながら馬を駆ったあの時がひどく昔の事のようだった。
「早や召されよ」
検視の武者が急かしてきた。
どうやら、切腹を躊躇っていると思われたらしい。
(ならば見よ!)
もう、どうでもよくなった。
腹立ちまぎれに十文字に刃を自分に突き立てる。
(どうだ!)
せめて目の前の検視の武者だけには、自分の死に様を認めさせる。
これが、この織田信孝が、鳳凰であることを人に認めさせる最後の機会なのだ。
苦痛と薄れゆく意識の中で、検視の武者が「見事なご最後」と言うのが聞こえたような気がした。
(ようやく飛べたか――)
その言葉に満足しながら、信孝は短い生涯を終えていった。
謁見後、南蛮人ルイス・フロイスがそう語っていたと、聞いた。
織田三七郎信孝――。
英雄であり、父である織田信長。
その才能を最も受け継いでいると、周りからも評されてきた。
才気煥発。
頭脳明晰。
容姿端麗。
これまで多くの人から口々に称賛されてきたが、極力意識しないようにしていた。
自分のことを称賛する人は、常に背後の信長を意識して発言している。
だからその評価は常に割り増しの評価となるからだ。
それでも客観的に見れば、数多くいる信長の子息の中で、三男である自分の評判が最も良いのは事実ではあった。
父信長は、数多い子息のうち、嫡男信忠、次男信雄、三男信孝までを一門として特別扱いし、残りは家臣として扱った。
嫡男信忠は、六年前に織田家の家督と岐阜城及び美濃、尾張二か国を譲渡されていた。昨月に終了した武田征伐にあたっても、わずか一月で武田家を滅亡させるという、武勲をあげており、信長の後継者であることを内外に認めさせた。
信孝は三男である立場をわきまえ、特に織田家を継ぎたい、という野心はなかったが、若者らしく自分の力を存分に発揮したい、という願望は持っている。
他人の評価は気にしなかったが、
(私には英雄の才知がある)
という自信は持っていた。
だから、自分の才能を発揮して実績をあげ、本当の意味で「英雄信長の才を最も引き継いだ男」として人々から称賛されたかった。
これまで幾度となく出陣はしてきたが、いつも父や、兄の本陣近くで警護の任につく程度で、密かに自負する才能を発揮する機会はなかった。
いまは鳳凰の雛に過ぎない自分だが、機会さえがあれば鳳凰となって天下に飛翔する。
信孝は自分の才が発揮できる機会を待っていた。
今年で二十四歳になる。
父が自分の年齢の頃には、権謀術数を駆使して尾張を統一し、その二年後には桶狭間の戦いで今川義元を討って天下に名を轟かせている。
桶狭間――。甘美な響きだった。
幼い頃からこの合戦に憧れてきた。
迫る大軍。少ない味方。絶望的な状況。
それを物ともせず、雷雨の中、手勢を率いて乾坤一擲の突撃を行い、奇跡の勝利を掴む。
信孝の想像の中では、桶狭間に向かって先頭を駆けるのは父ではなく、自分の雄姿だった。
(もし私が父と同じ境遇に置かれたなら――)
当然の如く、自分も父と同じように行動しただろう。
そして天下に名を轟かせていたのは、
(自分だった)
そう思っていた。
近年の合戦は、桶狭間のような合戦は少なくなっており、大軍を背景に物量によって押していく合戦が主になっている。
だから、信孝自身が先頭切って敵の大軍に向かっていくような合戦は起こりえないだろうが、常に父や兄のそばで合戦を見てきたが故に、どのような合戦であっても、十分にやり遂げる自信をもっていた。
だから自分の才能が発揮できる機会を信孝は切望していた。
そして、天正十年五月――。
遂にその機会が訪れた。
信長から四国征伐軍の総大将に任じられたのである。
(四国征伐軍の総大将)
それを聞いた時、飛び上がらんばかりに喜んだ。
相手は土佐の土豪から始まり、今では四国の大半を席捲しつつある長曾我部元親。
強敵である。
しかし、
(だから良いのだ)
この強敵を鮮やかに倒してこそ、自分が評価される。
いよいよ鳳雛が鳳凰へと飛翔する時がきた。
さらに信孝が喜んだのが、四国討伐軍の人選である。
数か月前の武田征伐では、誰もが想像していた以上の成功を兄信忠は収めた。
信忠は信孝から見れば全体的に小さくまとまった武将だ。
武将としては、可もなく不可もなく、といったところで、織田家の政権が安定すれば、上手く領土を治めていくだろう。
篤実な性格で家臣からも慕われている。
ただ、大軍を率いて合戦を指揮する、というのなら、自分の方がはるかに適している。
そんな信忠が大成功を治めたのは、補佐を務めた副将が良かったのだろう。
これは信孝だけがそう見ていたのではなく、織田家中の大半もそう見ていた。
織田家の中でも知略武勇に富んだ滝川一益、武功派の森長可や河尻秀隆が副将に付けられており、これらの者は武田征伐後、多くの恩賞を信長から授けられている。
その点、四国征伐軍として、信孝に付けられた副将三人はいい人選だった。
一人目の副将は丹羽長秀。
織田家では、明智光秀、羽柴秀吉、柴田勝家、滝川一益が第一流の武将とみなされており、丹羽長秀は、二流の中での大物、といった印象である。
信長の尾張統一戦から仕える重鎮で、若狭一国の国持大名だったが、武功は少ない。
最近では、安土城建築の総奉行を務め、常識を覆す巨城を見事築城したが、合戦で目立つことは無くなっていた。
二人目の副将、蜂屋頼隆は若い頃は個人的な武勇に秀でていたらしい。兵を率いるようになってからは、手堅い用兵を行うことや戦後処理の手腕で信長の信頼を得てはいるが、武功については特に聞いたことはない。
三人目の副将、津田信澄は信孝と同年代で、かつて謀反を起こして成敗された信長の弟の子だったが、特に咎められることなく、一門としての待遇を受けている。
治政に富む、との評判は聞いていたが、実父が謀反人だけあって、極力目立たないように努めている印象があった。
このように四国征伐軍の副将としてつけられた三人は、前面に押し出ることが少なく、忠実に命令をこなしていく型の武将たちであった。だから四国征伐軍が成功しても、兄のように「副将が良かった」見られることはないだろう。
信孝が指示を出し、この三人がそれを実行していく。
おそらく四国征伐軍はそうやって事が進んでいく。
(悪くない、人選だ――)
思う存分自分の才能を発揮して、天下に信孝の真価を認めさせることができる。
信孝の行動は早い。
領内に兵の動員をかけつつ、自身は単身で安土城に赴き、信長に拝謁した。
子であっても、単身で信長と面会することはほとんどない。
信孝は緊張しつつも、臆することなく総大将任命のお礼を言上した。
「驚いたか?」
信長は上機嫌で信孝に聞いた。
「はい」
信孝だけではない。織田家中誰もが驚いただろう。
常識で考えるなら、これまで四国方面の外交窓口となっていた明智光秀が征伐軍の総大将になるのが妥当なところだろう。
「わかるか?」
信長の言葉は極端に短いのが特徴である。
しかし信孝は、信長の質問の意図を察した。父は明智でなく、敢えて自分を任命した理由を聞いている。
「今後の織田家のため」
「聡いな」
答えを聞いて信長は、満足そうに笑顔を浮かべた。
安土に来る途中、自分が四国征伐の総大将に任命された理由を考えてきた。
そして導き出した答えが、
(次代の地固めが始まっている)
ということだった。
足利政権は直轄領がほとんどなく、有力大名の均衡を保ちながらその上に乗って政権を維持してきた。
しかし均衡が崩れれば、直轄軍をほとんど持たない足利将軍が打てる手がほとんどない。
それを踏まえ、おそらく信長は一族の直轄領を増やし、家臣の力が織田家の驚異とならないように調整を始めたのだろう。
天下統一を目前に、家臣団と織田家一族の勢力争いが水面下で始まっているのだ。
「わが家臣は優秀だ。それだけに働きは大きく、それに報いねばならん。されど――。わかるな」
「御意」
明智、羽柴、柴田、滝川など、第一級の家臣たちは、かつて信長を苦しめた戦国大名に匹敵しうる領土を保有している。
織田家が安定した勢力を保つためには、これらの家臣団以上に織田家の勢力を巨大なものとする必要があった。
長兄信忠は家督相続と同時に、尾張美濃の旗頭となり、その大部分を所領とし、次兄信雄は南伊勢五郡と伊賀一国を得ていたが、信孝は北伊勢のうち河曲・鈴鹿の二郡のおよそ八万石のみだった。
だから織田家第三の男として、活躍の機会が与えられたのだろう。
「見事四国征伐を成功させれば、四国探題に任じよう」
「し、四国探題」
「いま天下の潮流は織田家が作り出しているが、余が居なくなれば、その流れを家臣団に奪われ兼ねん。それだけ我が家臣は優秀で巨大だ」
確かにそういう恐れはあった。
家臣達は信長を神の如く恐れ敬っているが、次代の信忠に対しては、信長と同様に仕えてくれるかわからない。
特に織田家中で大勢力を築いている明智、羽柴、滝川などは、譜代からの家臣ではなく、その氏素性もはっきりしない。
柴田に至っては、信長が若かりし頃、謀反を起こしたこともあるのだ。
「三七よ。余は時の巨大な流れに逆らって、自ら流れを作り出す側となった。そなたもわが子なら、機会だけは与えてやるゆえ、自身の才を証明してみよ」
そう言い残し、信長は去った。
その後安土城で、三人の副将と四国征伐についての打ち合わせを行った。
「上様より四国征伐の総大将を命じられた。よろしく頼む」
まずは気負わず、謙虚に接した。
下手に自分を大きく見せようとすれば、逆に侮りを受けることになるだろう。
同年代の信澄はともかく、丹羽長秀や蜂屋頼隆の戦歴は信孝のそれとはまったく比較にならない。
丹羽も蜂屋も織田家の苛烈な出世競争の第一線にはいないとはいえ、歴戦の強者であることは間違いないのだ。
この両者を使いこなすことが、四国征伐の成功の鍵となるだろう。
おそらく、両者は信孝のことを、
(親の七光りを受けた小僧)
くらいにしか思っていないだろう。
同年代の信澄にあっては、秘かに対抗心を燃やしているかもしれない。
(これから認めさせてやる)
自信はあった。
「我ら粉骨砕身、信孝様の下で四国征伐に全力を尽くします」
三者を代表して、丹羽が差しさわりのない挨拶で応えた。
三人とも初対面ではないが、親しく接してきてもいない。
互いがそれぞれよく知らない者同士だった。
信長の指示で、住吉に軍勢を終結後、六月三日に淡路島を経由して渡海することは決していた。あと一月も時間がない。
問題となったのは、兵が足りない事だった。
長兄信忠、次兄信雄なれば、自前の領国だけで一万は動員できただろうが、如何せん、信孝の領国は北伊勢のうち河曲、鈴鹿の二郡だけである。
せいぜい千五百程度しか動員できない。
丹羽や蜂屋も所領は多くない。動員できる兵は信孝より少し多いくらいだ。津田にあっては千程度。
これに先遣隊として四国に上陸している三好康長が二千。
全員合わせても八千を超えるくらいだ。
相手は四国を席捲しつつある長曾我部元親。
軽く一万五千は動員できるだろう。
「いかがする」と、問いたいところだが今後のこともある。主導権を握るため信孝自身が案を出した。
「今回はそれぞれ領内に最大の動員をかけよう。十六歳から六十歳までを動員の対象とするのだ」
副将の三人は意見を求められると思っていたようで、信孝が自分の意見を先に述べた事に一瞬虚を突かれた表情はしたが、すぐに「御意」と支持にしたがった。
続けて、
「それでも兵は足りぬゆえ、畿内各国の浪人を徴集する。特に伊賀や雑賀、丹波など、近年大規模な戦闘があった国は主家が滅亡し、浪人も多いはずだ。これは丹羽殿に任せる」
「ははっ」
「津田殿には、軍勢の武器弾薬、兵糧物資の調達をお願いしたい」
「御意」
「蜂屋殿は渡海のための兵船の準備をお願いする。今回志摩の九鬼嘉隆が上様の指示により協力することとなっておる故、そちらとも連絡を密にするように」
「承知いたしました」
副将たちは次々と出される信孝の指示に文句なく従った。
「以上である」
ここで信長ならそう告げて退席するところだった。
しかし自分は彼らの総大将であっても主君ではない。そんなことをすれば反感を買う。
「何かご意見やご助言はあろうか」
とあくまで謙虚に振舞った。
「一つお訪ねしたい」
と最も年長の蜂屋が発言した。
「何か?」と聞くと、
「我らが総大将は、何をなされるのか?」
蜂屋の問いに一瞬苛ついた。
総大将に対して聞く質問ではなかった。
もし信長であれば、無礼討ちにしていたかもしれない。
丹羽か津田が蜂屋を嗜めるかと思いきや、二人とも黙っている。
たとえ総大将であり主君の子であったとしても、なんの実績もない信孝の言いなりにはならない、そういう雰囲気を信孝は敏感に感じた。
「私は堺で三好と連絡を取りつつ、四国の情報収集を行う」
「なるほど」
信孝の答えに三人は納得したようだった。
(今後もこういうやり取りが続くだろう)
三人の副将の顔を見ながら密かにため息をついた。
どれほど周りから評価が高くとも、所詮は「信長の三男」という血統で総大将になったことは自覚していた。そして副将という形で付けられた三人は、目付という役目もかねている。
ただ、父信長の若い頃を思えば、自分もやるしかない、という思いは強い。
こういうやり取りを繰り返しながら、副将たちの信頼を勝ち取っていくのだ。
この日はこれで解散したが、とりあえず、初めての打ち合わせは上手くいった、と思う。
下がっていった三人の表情からもそれが読み取れた。
その後信孝と三人の副将はせわしなく動いた。
信長の人使いは荒く、一つの大役を命じていたとしても、別の役目を次々と命じてくる。
丹羽にあっては、東海の徳川家康が上洛してくることから、安土城でこれの接待役を命じられた。
さらにその後、徳川一行が堺見物をすることとなったため、丹羽に加えて、大坂で兵糧物資を調達中だった津田にまで、対応を命じてきていた。
このため、信孝と三人の副将が集まったのは、安土における初回の打ち合わせのみとなり、あとはそれぞれ書簡や使者を通じての連絡が続いた。
そして、六月二日――。
四国出陣を翌日に控え、堺の宿所に使用していた納屋の今井宗久が、信孝と副将の三人を招待して茶会を開いてくれた。
ただ、津田は大坂陣屋で兵糧物資の積み込みを行っていたため、茶会は欠席した。
軍勢は住吉港に集結しており、明日、九鬼水軍を中心とする軍船に乗り込み出陣する予定である。準備は万端だった。
最終的には畿内を中心に兵を集い、なんとか一万三千の軍勢を集めることができた。
「信孝様の前途洋々にございますな」
今井は今回の四国征伐にあたり、陰に日向に協力を惜しまなかった。
特に長曾我部氏と三好氏を中心とする詳細な四国情勢の提供は、信孝ほか副将の三人もこの方面に詳しく無かったのでありがたいものだった。
ただ、その惜しみない協力は、好意のみから出たもので無い事はわかっている。
今井は征伐後の四国の商圏を狙っているのだろう。
確かに今井の言う通り、四国征伐の成功は間違いない。
余程の失敗がないかぎり、信孝の前途は洋々だ。
「そなたの協力には感謝しておる」
「協力など、とんでもございません」
今井は商人らしく、自分の目の前で大袈裟に手を振った。
「心配せずともよい。四国が片付けば、必ずや今井には報いる。その後もな」
その後、というところを少し強調していうと、
「さすが、聡明な信孝様にございます。何卒、良しなに」
今井は馬鹿丁寧に頭をさげる。
「四国征伐はこれから始まる。その間の支援も頼む」
信孝の念押しに「勿論にございます」と言いながら、今井は満面の笑みを浮かべた。
おそらく、これを確認するためにわざわざ茶会を開催したのに違いない。
それならば、信孝だけに確認すれば良いことだ。
副将の丹羽と蜂屋まで呼んで伝えることが気に食わなかったが、表情にださない。
まだ、自分にそれだけの信頼がないのだ。
仕方がない。
しかし四国征伐が終われば全てが変わる。
四国探題として、織田家の重鎮となるのだ。
信孝は茶を喫し終えると碗を置き、今井に礼を告げようとした。
その時、屋敷の玄関で怒鳴りあうような声が聞こえた。
続いて激しい足音が廊下に響く。
「何事でしょうか?」
今井が首をかしげると同時に、若党が走りこんできた。
「織田三七様の御前であるぞ。控えぬか」
今井が嗜めると、若党は慌てて膝まずいて一礼し、そのまま膝行して何やら今井に耳打ちした。
「馬鹿な!」
今井にしては珍しく、叫ぶような声が上げた。
若党は何か小声で言い返している。
今井と目が合う。
何か逡巡しているような表情である。
「少しお待ちくださいませ」
そう言うと、信孝に一礼して若党を連れて今井は別室に去った。
「いかがいたしたのでしょうか?」
蜂屋が疑問を口にしたが、答えを知る者があるはずがなく、座は沈黙していた。
信孝を待たせたまま、別室に去ったところを見ると、四国征伐軍にかかわる事なのかもしれない。
すぐに今井は戻って来た。
その表情は深刻で、顔色が青ざめている。
(出陣の門出に、何か落ち度でもあったのだろうか?)
一瞬そういう考えがよぎった。
しかし――。
今井が深く一礼し、そのあと口に出した言葉は、想像を超える大変事だった。
「ただ今、都から戻ったわが手の者の報告によれば、本日未明、明智日向守様が上様に対し謀反を起こされました」
一瞬、聞き違えたかに思えた。
「明智殿が謀反だと?何を馬鹿な」
蜂屋が一笑に付した。
「いえ、確かなようです。都は明智軍一万数千に抑えられ、わが手の者がそれを搔い潜って知らせて参りました」
今井によれば、本日未明に一万数千の明智の軍勢が信長の宿所である本能寺を襲撃。
数刻後、本能寺は灰燼に帰し、明智軍は勝鬨を上げると同時に、今度は二条城に籠る信忠を攻撃し、これもまた焼け落ちたという。
「上様は?」
蜂屋の問いに、
「上様、信忠様の首は上がっておりませぬが、明智はご両人を討ち取ったことを喧伝しているとの事」
「そんな馬鹿な――」
蜂屋は納得しなかったが、
「明智の所業なれば、希望は持てぬでしょう」
丹羽が即座に否定した。
「しかし、いかに明智といえども」
蜂屋はまだ、希望を持ちたいようだったが、
「いや、明智ほど用意周到な者が謀反を起こしたなら、上様を逃すような失策はしないでしょう。それに上様ご健在なら、都の最も近くに大軍を集結させている我らへ、何等かの指示があるはずです。それがない、ということが全てを物語っています」
座が重苦しい沈黙を覆った。
(父は死んだ、のか――)
父とて人間である。
いつかそういう日が来ることはわかっていたが、こういう状況でやってくるとは想像しなかった。
さらに衝撃だったのは、兄信忠も二条城で討ち死にしたという事だ。
それが意味するのは、織田家の指示系統が完全に消滅したという事だった。
(そんな――)
父から飛翔の機会を与えられた、はずだった。
その機会を明日に控え、突如織田家が崩壊したのだ。
(どうすればいい)
誰も答えを与えてくれない。
広大な織田家にあって、その頂点がいなくなったのだ。
むしろ広大であるだけ、収拾が付かない。
顔を上げれば蜂屋が顔面蒼白となり、口を開いたり閉じた入りしていた。
何か言いたのだろうが、何も言えないのだろう。
ふと、視線に気付き、横を見ると丹羽と目が合った。
一大事の発生にもかかわらす無表情でじっとこちらを見ていた。
「いかがなさいますか?」
その表情よりもさらに落ち着いた声で問うてきた。
(いかがなさいますかだと?)
それはこっちが聞きたかった。
「本当に父上は死んだのか?」
何の考えもなく口走った言葉に、信孝は己を取り戻した。
「宿所が灰燼になったとはいえ、父上の事だ、無事脱出したかも知れない」
「先ほども申したとおり、その可能性はおそらくありますまい」
「しかし、都の何処かに潜んでいるやもしれぬ」
「左様。都は明智が抑えた故、動きがとれぬのかもしれませぬ」
蜂屋が信孝に同意した。
「いずれにせよ、我らはこれからどうするか、決める必要があります」
「ふむ」
確かに丹羽の言うとおりだった。
父が生きていようが死んでいようが、明智が謀反を起こしたのなら、行動を起こさなくてはならない。
都に最も近い位置に存在する軍勢は、信孝率いる四国征伐軍なのだ。
明智もこのままにしておくまい。
(父ならどうするだろう?)
さすがの父でも、これほどの事態に直面したことはなかったのではないか?
そう思ったが、よく考えれば、父の人生は苦難の連続だった。
跡目争い、桶狭間、金ケ崎――。
数え上げたらきりがない。
そう考えたとき、
(これは!)
稲妻が脳裏を走った。
これこそ、天がもたらした好機かもしれない。
父が与えてくれた機会が無くなったなら、自分で機会を掴めばいい。
四国征伐軍を率いて明智を討てばどうなるか?
明智の味方がどれだけいるのかは知らないが、畿内にあって明智と対等に渡り合える軍勢を率いているのは、自分であることは間違いない。
(桶狭間だ!)
一瞬叫びそうになった。
義元を討ち取られ、今川軍が大敗したように、光秀を討てば謀反勢力が瓦解する。
そしてもし、父と兄が死んでいれば、織田家の総領になることもできるのではないか。
天下最大の勢力である織田家を継ぐ。
興奮で身が震えた。
(鳳雛から鳳凰へ)
仮に、父か兄のどちらか生きていたとしても、明智を討てば織田家の窮地を救った救世主であることは間違いない。
「四国征伐軍を率いて明智を討つ!」
信孝が告げると、蜂屋と今井が驚愕の表情を浮かべた。
一方、丹羽の方は「なるほど――」と、落ち着いて考え込んでいる。
「異論でもあるのか?」
と、問うと、
「できましょうか?」
と逆に聞いてきた。「お前にできるのか?」と言われたようで信孝の癇に障った。
「できる、できないではない。やるのだ!」
信孝は声を荒らげた。
しかし丹羽は落ち着いている。
「わが軍は一万三千。明智もおそらく同数ですが、その質に大きな隔たりがあります。正直申して、向こうは精鋭ですが、こちらは寄せ集め。それに――」
丹羽が口をつぐんだ。言いたいことはわかっている。
「明智と私。つまり互いの総大将の器が違いすぎる、と言いたのだろう」
「器ではございませぬ。経験と実績でございます。たとえ、信孝様が明智以上の器をお持ちであったとしても、兵は信孝様の経験と実績を明智と比較して判断します」
「兵から信頼されておらぬ。ということか」
さすがに丹羽は肯定しないが、黙っているのは肯定しているのと同じだった。
「それを補うのが副将であるそなた達ではないのか」
「御意。されど――」
再び丹羽が口を濁らす。
「歯がゆいな。はっきり申せ」
丹羽の態度に信孝は苛ついた。
「正直に申しますが、我ら副将の名声では明智にとても太刀打ちできませぬ」
開き直ったように丹羽が断言した。
蜂屋を見ると、慌てて目線を伏せた。
しかし、状況を客観視すれば、丹羽の言は正しいかもしれない。
信孝自身、丹羽のことを二流とみていたのだ。世間も同じだろう。
それでも信孝は自らを奮い起こした。
「よく聞け。いま我らが置かれた状況は、二十数年前に織田家が迎えた危機に酷似している」
丹羽と蜂屋は顔を上げた。
「桶狭間ですか?」
「左様。ただし、あの時と比較すれば、今の方が格段に状況は良い」
「と申しますと?」
「あの時、織田家に味方は皆無だった。しかし、我らには、北陸に柴田、中国に羽柴、関東に滝川、東海に徳川、さらに伊勢には信雄兄者もいる。それに我らにも質は違えど敵と同数の軍勢がある」
「しかし明智は直属の軍勢以外にも数多くの与力大名があります」
「確かに明智には与力大名が多い。大和の筒井、丹後の細川、摂津の中川や高山」
「御意。それらの与力大名が合流すれば、倍以上に膨れ上がります」
「だからこそ、今すぐ上洛して明智を討つのだ」
二人とも黙っている。
「あの桶狭間のように、敵が分散しているうちに大将を討つのだ」
「上手くいくでしょうか?」
蜂屋は自信なさげだった。
「そなた達も桶狭間で戦ったであろう。あの時の事を思い出せ」
織田家では伝説になっている桶狭間の戦い。
奮い立つかと思ったが、二人の反応は鈍い。
「桶狭間の勇士達も年を取ったか」
あえて挑発してみたが、二人は動こうとしない。
「もう良い。好きにせよ。私は一人でも行く」
そう言って信孝は立ち上がった。
丹羽と蜂屋も続くかと思ったが、そういう雰囲気はない。
言いたくなかったが、信孝は切り札を使った。
「万が一父上が生きていたら、今日の二人の態度は報告する」
父の力を借りたくなかったが、思わず言ってしまった。
「首が上がっていないということは、どこぞに父上はお隠れなさっているかもしれぬのだ。事態は一刻を争う」
効果は抜群だった。父の名を出した途端に二人は慌てて立ち上がり、
「我らも参ります」
と続いた。
(気に入らぬが仕方あるまい)
明智を倒すには二人の軍勢が必要だった。
生死不明の父の威光を借りた自分に不甲斐なさを感じつつも、
(利用できるものは利用する。それでよいのだ)
そう思う事にした。
信孝は今井の屋敷を出るとすぐに馬にまたがり、住吉に布陣させてある軍勢に向かって駆けた。
すぐ後ろを丹羽と蜂屋、そしてそれぞれの護衛の衆達が後を追ってくる。
駆けながら、
(桶狭間のようだ)
何度もそう思った。
父は、桶狭間の折、単身で清洲城から馬を駆けさせて出陣した。その時父に従ったのはわずか六騎という。
いま信孝の後ろを駆けてくる者は十数騎だったが、少人数であることに間違いない。
風が心地良かった。
(俺は天下に向かって駆けている)
そういう高揚感に包まれて馬を駆らせた。
信長の才を最も引き継いだ者。
そう称賛されることもあった。
そう評価した者も半分は世辞が入っていたかもしれないが、間もなくその評価が現実のものなる。
(鳳凰になるのだ)
馬を叩く鞭に自然に力が入った。
やがて住吉が近づいた。
(?)
配下の軍勢が望見できたが、何かがおかしい。
一昨日に見た自軍とは明らかに雰囲気が異なっている。
(異変でも起きたか?)
思わず手綱を引いて馬を止めた。
先ほどまでの高揚感が委縮した。
「妙ですな」
追いついた丹羽も自軍を望見して違和感を覚えたようだ。
「明らかに混乱している様子です」
丹羽の言葉に不安が増した。
(まさか既に明智の襲撃を受けたか?)
一瞬そういう考えがよぎったが、陣に旗印は林立していることから、そういう訳でもなさそうだった。
「急ごう」
信孝は愛馬に鞭を入れ、再び駆けた。
(少ない)
軍勢に合流してすぐにそう感じた。
そのまま本陣に入ると、留守居の家臣が血相を変えて走り寄ってきた。
「何があった?」
本陣の床几に座し、留守居に聞く。
「も、申し訳ありませぬ。一刻ほど前、都にて明智が謀反を起こし、上様、信忠様が討ち死になされたとの噂が軍勢内に広がりました。真相は不明なれど、今朝がた都の方角で黒煙が上がるのを見た者も多く、そのうちに誰ぞが、明智が攻めてくると言い出し、軍勢が恐慌をきたしました」
「なんと!はや広まっておったか」
「そして陣中の金目になるものを強奪して逃亡する者が続出する始末。我ら必死に抑えようと手を尽くしましたが収拾がつかず、御覧の有様。まことに面目ありませぬ」
そういうと、留守居の家臣は必死で詫びた。
迂闊だった。
よもやこれ程早く、都の凶事が広がっているとは。
今井から明智の謀反を聞いた時、すぐに情報を封鎖するべきだった。
「如何ほどの人数が逃亡した?」聞くと、
「既に全軍の半分以上が逃亡しております」
「は、半分だと!」
留守居の言葉に、信孝は眩暈がした。
一万三千余の軍勢が半数に減少。
しかも物資の多くも強奪されている。
これではもはや軍勢として機能できない。
既に日が西に傾きつつあった。やむを得ず、その日は残った兵と物資を集積し、軍勢として再編成を行うことにした。
しかし翌日になると、軍勢はさらに目減りしていた。
昨日は、およそ五千ほどいた軍勢が、今朝確認してみると、三千まで減っていた。
中でも、信孝の手勢が五百と圧倒的に少ない。
丹羽は千五百、蜂屋は千。
「九鬼水軍を使って伊勢に退却したほうが良いのでは」
蜂屋が消極策を唱えた。
「何を言うか!父が桶狭間で今川に殴り込みをかけたときは、二千だったというではないか。それに比べれば我が方は三千。津田と合流すれば四千にはなるだろう」
「その津田ですが、既に明智と通じておる可能性もあります」
「なんだと」
「お忘れか。津田の正室は明智の娘」
「!」
蜂屋の言葉に、衝撃をうけた。
数年前、津田は明智の娘を正室に迎えていたのを失念していた。
「今回の謀反に、最初から津田も加担していたのかもしれませぬ」
「津田が加担だと?」
信孝が見た限り、津田はそういう策謀を講じるような性格ではなさそうだったが、それも演技かもしれない。
付き合いが短いだけになんとも判断はつかない。
「いいだろう、津田が敵ならそれでもかまわん。我らには手勢三千があるのだ。それだけあれば明智本陣に殴り込みをかけるのに十分」
信孝が言い放つと、
「もう少し、御身を大事にされてはいかがか?」
これまで黙っていた丹羽が口を開いた。
「上様、信忠様亡きあと、明智から見れば、次の標的は信孝様と南伊勢の信雄様。その両者のうち、最も狙い易い位置にいるのは、自領から離れ少数で孤立している信孝様なのです。明智だけでなく、明智に組みするもの、これから組みしようとしている者にとって最も価値の高い恩賞首がご自身なのです」
「わ、私が恩賞首だと!」
「畿内は明智の勢力が最も強い地域です。それをやすやすと突っ込んでいけば、飛んで火にいる夏の虫」
「しかし、桶狭間で父はわずか二千で――」
「昨日から口を開けば桶狭間、桶狭間と申されますが、あんなもの、千にひとつ、いや万に一つも起こることの無い、ただのまぐれ戦にございます」
「まぐれ戦だと?」
「左様。あの時たまたま暴風雨が発生しなければ、間違いなく首になっていたのは上様のほうです」
「馬鹿な!」
「それが年月を経るに従い話が誇張され、いまや桶狭間の合戦は現実とかけ離れた物語が一人歩きをしておる始末。実際の桶狭間はただのまぐれ戦。それを良く理解しているからこそ、上様は二度とあのような戦はしておられぬ」
反論したかったが、何も言い返すことができなかった。
丹羽は合戦の参加者であり、信孝はそうではない。
信孝は物語の桶狭間しか知らないのである。
「見込みのない突撃の無謀さを良く知るが故、金ケ崎の時に上様は即断で逃げております。これが真の英雄の判断です。今信孝様がとるべき行動はただ一つ。織田家の血を引くものとして、自分の命をいかに守るべきかを算段することにございます」
「なれば、俺はどうすれば良いというのだ?」
言ってから、
(しまった!)
と、後悔した。
四国征伐軍の総大将として、全て自分で判断するようにしていたが、この窮地にあって遂に丹羽に意見を求めてしまった。
「まずは大坂陣屋の津田殿を討ち、兵の動揺を鎮めましょう」
「津田は敵と決まった訳では――」
「敵か味方かなど、どうでもよい事です。まずは津田を明智方として討ち、その首を晒すことで、我らの姿勢を示すのです。それで兵を落ち着かせるのです」
「そんなことで兵が落ち着くのか?」
「見せしめを行えば、一旦動揺は収まります」
「見せしめ――」
「その上で、上様が脱出されたという噂を流すのです」
「待て、父は脱出されたのか?」
「ただの流言です」
「流言だと」
「御意。上様が生きているとなれば、明智に味方しようとするものが間違いなく二の足を踏みます。上手くいけば明智もその流言に振り回され、こちらに攻めてくるのが遅れるかもしれませぬ」
「な、なるほど」
「そうして時間を稼げば、北陸から柴田、関東から滝川などが、駆けつけてまいるなど、状況が変化してくるやもしれませぬ」
「う、うむ」
気が付けば、完全に主導権は丹羽に握られている。
しかし、それを挽回する策が信孝には思い浮かばず、非情ではあるが虚実を織り交ぜた老巧な丹羽の策を採用するしか選択はなかった。
その後、事態は丹羽の予測通り進んだ。
大坂陣屋にある津田を呼び寄せてこれを討ち、首を晒すと、不思議と兵が落ち着きを見せ逃亡兵は無くなった。
そして信長生存の噂を流すと、効果は想像以上で、明智に合流しようとした大和の筒井がそれを止めて居城に引き返したらしかった。
さらに摂津の中川清秀や高山右近など、明智の与力大名も居城から動いていない。
多くの者が織田家への忠誠などではなく、誰につくのが良いか判断できるまで、日和見の態度を取り始めていた。
悔しいが、丹羽の策が悉くはまっている。
織田家中にあっては二流の家臣と思っていた丹羽だったが、これ程の策士であることに、内心信孝は驚いた。
(丹羽はわが軍師として使える)
そう評価を改めた。
「さて、と」
明智の謀反から五日目の六月七日、信孝は改めて丹羽と蜂屋の三人で、津田から奪った大坂陣屋で今後を相談した。
「まずは明智を始めとする畿内の動静であるが――」
「明智軍は安土城を占領し、あわせて長浜、佐和山城を抑え、近江をほぼ手中に収めておる由。昨日再度、上洛して盛んに調停工作を行っております」
丹羽が手の者に調べさせた畿内の情勢を報告した。
「明智は再び都に入ったか。この大坂は都に近い。いずれかに移動した方が良いかもしれぬ」
「その必要はございませぬ」
丹羽の言葉に信孝は小さくため息をつく。
(またか――)
ここ数日、丹羽が口を開けば、信孝の案を否定していた。
なんとか、丹羽を納得させる案を考えようとしたが、自分でも不思議な程、良い案が浮かんでこない。
「実は、つい先ほど、羽柴殿から驚くべき情報が入りましてございます」
「羽柴とは、羽柴筑前か?」
「御意。羽柴殿は明智の謀反を知ると、ただちに毛利と和睦し、既に姫路城に帰城しているとの事。軍勢を休息の後、姫路を出陣して明智を討つ、とのことでございます」
「なんと!」
驚愕すべき情報だった。
「してその軍勢は?」
「約三万。とのことです」
「さ、三万!」
それだけあれば、明智を圧倒できる。
「羽柴殿は、我らに合力を呼び掛けてまいりました。そして信孝様を是非、総大将として迎えたい、との事でございます」
「私を総大将!」
「御意」
羽柴秀吉――。
父の小者から大出世した知恵者、ということは知っているが、これまでほとんど交流はなかった。
その羽柴が「総大将に迎えたい」と要望してくるほど、信孝のことを評価していたのだ。
(やはり見ている奴は見ているのだな)
羽柴陣営には才豊かな者が多い、と言われてきたが、それは羽柴が人を見る目に長けているからに違いない。
そしてその羽柴が、信孝を総大将の器と認めたのだ。
(やってやろうではないか)
四国征伐軍一万三千の総大将という夢は儚く消え去ったが、今度は羽柴軍三万の総大将という、より大軍の総大将という役が回ってきた。
人生、諦めなければ機会はあるものだ。
「いいだろう。羽柴筑前には承知の旨を伝えよ。我らは羽柴軍到着までこの大坂に留まる」
信孝の言葉に、丹羽と蜂屋は黙って頭を下げた。
流れが、再び戻って来た。
(今度こそ、飛翔する)
四国征伐は明智の謀反で頓挫した。
その後独力で明智の討伐を図ろうとしたが、兵が逃亡したためにできなかった。
しかし、今度はそうはいかない。
信孝の下に、歴戦の羽柴軍三万が結集するのだ。
(総大将として私が存分に采配を振るうのだ)
再び心が高揚した。
四日後、摂津高槻で信孝は羽柴軍と合流した。
羽柴軍は中国から遠路舞い戻って来たとは思えないような活気を呈していた。
「おぉ!総大将が参られたぞ!」
信孝が姿を現すなり、羽柴が走り寄ってきた。
「さ、さ、こちらへ」
信孝は本陣の陣幕内に入り、羽柴に案内され総大将の位置に用意された床几に座る。
同時に丹羽と蜂屋も用意された床几に座った。
既に戸板が横に置かれ、その上に絵地図が敷かれている。
(ほぅ。やはり山崎か)
絵地図は摂津と山城の国境、山崎付近が中心に描かれているものだった。
(明智との決戦は山崎付近)
信孝もそう予測していた。
そのための策についても考えてある。
ただ、その策については、丹羽にも蜂屋にも話していない。
先に話して、丹羽や蜂屋に口出しされたくなかった。
「まずは、三七様、ご無事で何よりでございます」
羽柴は目に涙を浮かべながら、挨拶と、総大将を引き受けてくれた礼を信孝に述べた。
その後、自分が中国戦線にあって毛利と和睦して、明智を討つために撤退してきた経緯を説明し、そして、信孝の四国征伐軍の状況についても詳しく聞いてきた。
四国征伐軍のこれまでの経緯については、主に丹羽が詳細を説明した。
「皆さま方にあっても、筆舌し難いご苦労があったことと存じます。上様の消息は不明なれど、まずは憎き明智を一刻も早く討伐することが肝要。その明智でございますが、いまは鳥羽付近に対陣しておるとの事。これを討伐するとなれば――」
「待たれよ」
止めなければ、饒舌な羽柴はどこまでもしゃべり続ける。
信孝は慌てて羽柴を遮ると、自分の策を述べた。
「まずは――」
ここで、羽柴の心を掴めば、総大将として今後やり易くなる。
信孝は理路整然と自分の策を述べた。
丹羽や蜂屋は黙っていたが、羽柴は「ほう」とか「なるほど、なるほど」と盛んに合いの手を入れてくるので、話がしやすい。
「――以上だ」
策を述べ終えると、
「これはこれは、見事な策でござる。それがし、感服いたしました。まるで、上様が策を述べられているかのような錯覚に陥りましたぞ」
そういって盛んに感心しながら膝を叩いた。
「一つよろしいか?」
丹羽が横から口をはさんだ。
「何か異論があるのか?」
羽柴に称賛され、いい気になっていたところ、丹羽が口をはさんできたことに(またか)と信孝は苛ついた。
「策は見事にございます。異論はございません。ただ、大和の筒井が近辺に出没しておるとの事。この動向にはご注意あれ」
一瞬「あっ」と声を上げそうになった。
信孝の視点は決戦場のみに注がれ、完全にその周辺が抜け落ちていた。
摂津の高山右近と中川清秀は既に羽柴軍に合流していたが、すぐ近くで五千の軍勢を動かす筒井順慶は、まだ態度を曖昧にしている。
信孝はそれを見落としていた。
やはり丹羽は知恵者だった。
「いやいや、さすが、四国征伐軍の総大将と副将でござる。まさにお二方は阿吽の呼吸」
派手に感心しつつ、
「それだけに、三七様や、丹羽殿が、四国で長曾我部を相手に暴れまわるのを見たかったものよ」
そう言って羽柴は口惜しそうな表情をした。
確かに四国征伐軍が消滅したのは無念極まりない。
しかし、今はもっと大きな目標があった。
(天下だ――)
そう、明智を倒せば四国どころではなく、天下が信孝の前に広がってくるのた。
「それにしても」蜂屋が本陣を見渡し「遅いな」と、呟いた。
「何がでござろう」
羽柴が首を傾げる。
「誰も本陣に来ない。これでは軍議が始められぬ」
早く着きすぎたのだろうか。本陣に床几は十以上置かれてあったが、信孝と共に来た、丹羽、蜂屋以外はまだ誰もいない。
「さに非ず、さに非ず」
羽柴は大げさに手を振って、
「既に軍議は終了しております」
驚くべきことを告げた。
「なんだと!」
思わず信孝は叫んだ。
「総大将不在で軍議を終えたのか!」
「時は一刻を争います。寸暇を惜しんでは、織田家中随一の切れ者であった明智に先手を取られます。僭越ながら、この筑前めが軍議を執り行いました」
一瞬怒りで目の前が真っ暗になった。
悪びれることなく羽柴は、目の前の絵地図を示しながら、軍議で決定した策を説明した。
大筋は信孝が述べた策と同じだったが、より緻密で工夫が凝らされていた。
目の前に広げられていた絵地図は、これから軍議を始めるためではなく、軍議で決した策を信孝たちに説明するために残されていたものだった。
信孝は屈辱と怒りに顔面を引きつらせた。
「筒井への対応は?」
先ほどと同じく、丹羽が羽柴に質問すると、
「ご懸念無用。既に筒井に手をまわし、こちらに加勢することを約させております」
「そ、それは重畳」
羽柴の答えに丹羽も黙った。
役者が違うとでもいうべきか、丹羽ですら、羽柴の前では子供扱いだった。
「既に明智は都を出陣し、山崎目指して移動中。わが軍の先陣もこれに対応すべく、既に出陣しております」
「既に出陣だと?なぜ、それを先に言わぬ!」
「言おうとしましたが、三七様が説明を遮られ、ご自分の策を滔々と述べ始められたのです」
「しかし――」
「お咎めあらば、明智との決戦後にお受けいたします。されど時間がありませぬ。今は総大将として後陣で控えられ、この筑前の必勝の策をとくと御覧あれ!」
そう言うと羽柴は「御免!」と一礼して立ち上がった。
「待て!」
信孝は引き止めようとしたが、その声が聞こえなかったのか、或いは聞こえても無視したのか、羽柴は慌ただしく本陣を出ていった。
陣幕の外から、
「さあ、我らが総大将も着陣された。これより先陣を追って我らも上様の仇討ちに参るぞ!」
という羽柴の大音声が聞こえ、兵からこれに応じた鯨波が起こった。
しばらく呆然としていた。
気が付けば、閑散とした本陣にとり残されている自分に気づいた。
「してやられましたな」
自嘲するように丹羽が呟く。
何かこれまで持っていたもの全てを、羽柴に持っていかれてしまった気がした。
そして悟った。
(羽柴は最初から自分など頼りにしていなかったのだ)
欲しかったのは、総大将として織田家の血を引く信孝の「名」だったのだろう。
見事に利用された。
去就を迷っていた大名たちを味方に引き込むと同時に、織田家の軍勢として明智を討伐するという大義名分を得るため、形式上信孝を総大将としたのだ。
さらに付け加えるなら、織田家の重鎮として、信長の尾張時代から仕えていた、丹羽と蜂屋も同様だった。
後でわかったことだが、信孝参戦の同意を羽柴は得た後、
「羽柴軍は織田信孝を総大将とした。織田家重臣の丹羽長秀と蜂屋頼隆も合流した。総勢は六万以上に膨れ上がっている」
と、大々的に宣伝したらしい。
その結果、中川清秀と高山右近など、明智の与力大名だった摂津衆が羽柴軍と合流し、軍の総数は四万以上に膨れ上がったという。
流れを掴んだのは自分ではなかった。
自分は、羽柴秀吉という大河の流れに引き込まれた支流に過ぎなかったのだ。
(それなのに――)
天下が自分の前に広がっていると錯覚し、既に軍議は終了しているのも知らず、羽柴に対して得意げに自分の戦略を語るなど、愚劣の極みである。
そんな自分を羽柴は、さも感心しながら策を聞き、そして手放しで称賛した。完全に子供扱いである。
最初から信孝のことなど、歯牙にもかけていなかったのに違いない。
屈辱にまみれながら、信孝たちは自軍に帰った。
その日の戦闘は、わずか数刻で終了した。
総大将である信孝の下には、羽柴から戦闘の経過が逐一報告されてきた。
しかし、本当の総大将であれば、前線から直に報告が上がってくるべきである。
それに、全て報告ばかりで、判断を求める使者は一人もやってこなかった。
合戦は大勝利に終わったが、世間の誰もがこの合戦は「羽柴秀吉が明智光秀を討った」合戦として記憶した。
信孝が総大将であったことなど誰の記憶にも残らなかった。
「一年か――」
「何か言われましたか?」
背後に立つ武者に問われ、知らずのうちに言葉を呟いていたことに苦笑する。
「なんでもない」
信孝は白刃に映る自分の端正な顔を見つめた。
(受け継いだのは、この顔だけだったのだろうか――)
父、信長の才を最も受け継いだ男。
そう評され、自分でもそう思ってきた。
しかし、父が謀反で倒れてからわずか一年足らずで、
(自害することになろうとは――)
明智との合戦後、織田の後継者を決める清須会議があった。
信孝も有力後継者として名が挙がったが、会議において主導権を握った羽柴に牛耳られ、その地位を継承することはできなかった。
さらに数か月後の賤ケ岳の合戦では、柴田勝家や滝川一益と協力して、織田家の主導権を握ろうとしたが、あえなく羽柴秀吉に敗北した。
そして――、いま切腹の場に臨んでいる。
(こんなはずでは)
自分の才を信じ、桶狭間を意識しながら馬を駆ったあの時がひどく昔の事のようだった。
「早や召されよ」
検視の武者が急かしてきた。
どうやら、切腹を躊躇っていると思われたらしい。
(ならば見よ!)
もう、どうでもよくなった。
腹立ちまぎれに十文字に刃を自分に突き立てる。
(どうだ!)
せめて目の前の検視の武者だけには、自分の死に様を認めさせる。
これが、この織田信孝が、鳳凰であることを人に認めさせる最後の機会なのだ。
苦痛と薄れゆく意識の中で、検視の武者が「見事なご最後」と言うのが聞こえたような気がした。
(ようやく飛べたか――)
その言葉に満足しながら、信孝は短い生涯を終えていった。
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自分の才を誇っていた若者が、実はまだまだで、長秀には子供扱い、そして秀吉に至ってはその長秀すら手玉に取られるなど、上には上がいる描き方がとても面白かったです。
感想ありがとうございます。
信孝は結局期待されつつも、未知数で終わった感じがする武将です。
これから羽ばたきそうなところを、秀吉という大器にあしらわれて終わってしまった信孝を自分なりに小説にしました。
あまり知られていない信孝ですが、本能寺の変では、こんな感じだったんだなぁと納得する話でした。
出来れば、四国征伐軍の大将として、長宗我部元親と対戦して欲しかったです。
感想ありがとうございます。
確かに、織田信孝軍団VS長曾我部元親 史実ではなかったですが、見てみたかったですね。