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兵馬俑

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崖っぷち

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 同窓会は避けている。地に足がついた生き方をしている友人を見るのが辛いからだ。二十八歳にもなれば昇進や結婚をしている者も少なくない。「これ、うちの女房」と言って写真を見せられた時、井岡夏生いおかなつおは漠然と、羨ましいと思った。そこに写る可愛らしい女にではなく、「女房」と口にできる甲斐性や、貫禄といったものに。

「それでは、新郎新婦の初めての共同作業です」

 司会者が言う。新郎新婦が大型ケーキのそばへと歩んだ。司会者からナイフを受け取った新郎に、新婦が寄り添う。二人でケーキにナイフを入れると、あちこちから歓声とシャッター音が上がった。

 この日は学生時代の友人の結婚式だった。テーブルには見知った顔が並んでいる。新婦側の女性ゲストも一緒なのは、自分のような独身への気遣いだろうか。

「井岡さんって、ボートレーサーなんですか?」

 隣の女が聞いてきた。

「はい」

 引退秒読みですけどね、という卑屈な返しは飲み込んだ。

 夏生は高校在学中にボートレーサー試験に合格し、高校を中退して公営ギャンブルの世界に飛び込んだ。平均年収は1600万円。中には一億円以上稼ぐ強者もいるが、夏生の最高年収は800万円で、この三年は600万円で停滞している。クラスは一番下のB2だ。

 ボートレーサーには引退勧告となる条件があり、夏生はその瀬戸際にいる。

「すごーい!」

 女が目を輝かせた。どうかこの場で自分の名前を検索するのはやめてくれと夏生は思った。「井岡夏生」と検索して真っ先に出るのは「クビ対象の選手一覧」という個人サイトだ。

「年末にテレビでやってますよねっ!」

 あれに出られるのはごく一部の上澄みだ。自分は予選にすら出られない。

「かっこいいですよね。俺には手の届かない世界です」

「そんなあ、頑張ってくださいよお。賞金一億円とか、すごい夢があるじゃないですかあ」

「何の話?」

 正面の女が言った。

「井岡さん、ボートレーサーなんだって!」

「え、すごいっ! 今度応援しに行きます!」

 社交辞令だとしても不愉快だった。それでも「ありがとうございます」と絞り出す。相手に悪気がないことはわかっている。悪いのは結果を出せないくせに、ボートレーサーを続けている自分だ。

 夏生はチラと元同級生に目をやった。ボートレーサーの話題なのに、早川譲は意に介すことなく新郎新婦を眺めている。

 いい歳の取り方をしているな、と早川の横顔を見て思った。学生時代は目立たなかったが、今は他のテーブルの女からも熱い視線を浴びている。でもなぜだろう。顔立ちが変わったわけではない。表情だろうか。姿勢の良さと、テーブルマナーの美しさも関係しているような気がする。

「ボートレーサーってモテそうですよね」

 隣の女が言い、早川の瞳が揺れた、気がした。おや? と思う。あいつは、まだ俺のことが好きなんだろうか。

 そんなわけないよな、と即座に否定する。あれから十年以上も経っているし、だいいち自分は残酷にフった。あの時の彼の表情は、ちょっと目も当てられない程だった。

「まあ、モテますね」

 いつもなら絶対に言わない返しをしてみたのは、早川の反応が気になったからだ。

「だからしがみ付いてるのかも。ボートレーサーって言うと女の子の食いつき良いから」

「うわ~、遊んでそう~」

 隣の女がはしゃいだ声を出す。

「俺なんて可愛いもんですよ」

「私、東京に住んでるんですけど、東京に来ることはありますか?」

「リナ、遊ぶ気満々じゃん」

 正面の女がからかう。

「だって井岡さん、普通にタイプなんだもん」

「はは、すげー嬉しい」

 あえて軽薄な感じで答えた。

「ライン教えてもらっても良いですか? あ、インスタでも良いですけど」

 スマホを取り出すと、早川の視線が動いた。見ている、と思いながら女とインスタを教え合う。ラインではなく選手アカウントのインスタにしたのは、引退した後、縁を切りやすいからだ。

 引退を意識した自分の行動に夏生はハッとした。……いや、どちらにせよ、よく知りもしない女とラインで繋がるのは得策ではない。ないのだが、夏生はしばらく動揺していた。

 俺は、選手生命を諦めている……?

 九月現在、夏生の通算勝率は3・6だ。この勝率は、一着から六着までの「着順点」を、出走回数で割った数値で、3・8が引退勧告のボーダーラインと言われている。

 前期の締めは十月末。夏生はそれまでに、この勝率を3・8まで引き上げなければならない。けして無謀な数字ではない。そもそも5着、6着を何度も取らなければ、3・6というこの数値にはならないのだ。逆を言えば、1着から3着を取りさえすれば、容易に超えられる。

 それを自分は、無理だと諦めている……?

 サッと背筋が冷えた。考えたくない。引退後のプランなんて何もない。元ボートレーサーという肩書きは話のネタになりはしても就職に有利に働くとは思えない。だいいち最終学歴は中学だ。一体どこの会社が雇ってくれると言うのか。

「早川さんは、お仕事は何をされているんですか?」

 早川の隣に座る女が聞いた。女たちの視線が一斉に早川へと向かう。 

「アパレル関係です」

 早川が答える。

「あ、ぽーいっ! オシャレなセレクトショップとかで働いてそうっ!」

 アパレル販売員か、と夏生は密かに安堵した。これで公務員とか一流企業の名が出たら普通に落ち込む。

「どこで働いているんですか?」

「主に東京ですが、こっちにもよく来ますよ」

「へえー、なんてブランドですか?」

「尾州織ってわかりますか?」

「わかりますっ! うち、おじいちゃんが機屋なんですっ!」

 夏生の隣の女が食いついた。早川が大袈裟に目を丸くする。

「そうなんですか? では、後で名刺をお渡ししてもよろしいでしょうか」

「相変わらずかったいな」

 同じテーブルの加藤が笑った。元同級生の彼は芸人を目指して上京したが、今は自動車関係の職に就いている。

「今渡しちまえよ」

 加藤に促され、早川が「じゃあ」と名刺入れから名刺を一枚、引き抜いた。その動作も実にスマートだった。

 二十代後半にもなると、男の魅力は顔立ちの良し悪しよりも振る舞いや内面から発散される気概のようなものが重要となってくるのかもしれない。

「テーブル越しで申し訳ありません」

 早川が軽く腰を上げて名刺を差し出した。受け取った女の目が大きく見開く。

「わあ、すごーい! CEOって、社長ってことですよねっ!?」

「会社に作らせてもらった子会社ですけどね。俺は一応会社員なんです」

 早川は一流企業の名を出した。その会社は投資育成事業を行なっており、早川は会社から与えられた資本金でアパレル会社を設立したのだという。

「尾州織は世界に誇れる技術です。俺はその知見を後世に伝承していくためのプラットホームとして会社を設立しました。後継者不足や不当な報酬など、困ったことがあればいつでもご連絡ください」

「すっげ……お前、本当に実行したんだな……」

 加藤が惚けたように言う。

「まだ道なかばだよ」

 早川はにっこり微笑んで言った。眩しすぎて、夏生は直視することができなかった。隣の女はすっかり早川に心を奪われている。きっと自分のインスタに連絡が来ることはないだろう。

 披露宴が終わり、ゲストは披露宴会場の入り口へと向かう。新郎新婦の見送りに、二次会に参加する者は「また後で」と簡単な挨拶で会場を後にしていく。

「今日は来てくれてありがとうな」

 夏生は二次会には参加しない。新郎に言われ、「楽しかったよ」と笑顔で返す。

「二次会、本当に参加しないのか? お前が来てくれたら女の子たちきっと喜ぶのに」

「そんなことないって」

「ほら、ボートレーサーの」

 新郎が隣の新婦にコソっと言う。新婦が「ああ」と微笑む。この流れを苦痛に感じるようになったのはいつからだろう。ボートレーサーと己の職を明かす時、抗うように喉が詰まる。

「頑張ってな。これからも応援してるから」

「ああ……ありがとう」

 土産をもらい、行きかけた時、「おお、早川」と声がした。

「なあ、二次会参加してくれよ。お前と話したいって女の子、たくさんいるみたいなんだよ」

 猫撫で声で新郎が言う。夏生の時よりも必死な懇願だ。

「じゃあ行こうかな」

 思わず振り返った。

「本当かっ!? ……あ、ちなみに、今彼女は?」

「いないよ」

「おおーっ! 俺たちの結婚式でカップルが誕生するかもな」

 新郎新婦が笑い合う。仲睦まじい姿に胸が軋んだ。

「じゃあ二次会の場所ラインで教えて」

「おう、わかった」

 早川が歩き出す。立ち尽くしている夏生には目もくれず、平然と通り過ぎていく。

 少しして、夏生は我に返った。猛然と焦燥感が込み上げ、気づけば駐車場まで早川を追いかけていた。抽選販売のトヨタの人気車。それも品川ナンバーだ。

「待てよっ」

 車に乗り込もうとしていた早川の腕を勢いよく掴んだ。何を期待しての行動なのか、自分でもわからない。ただ、この男を二次会に行かせたらダメだと思った。

「冷やかし、すんなよ……」

 早川が驚いたような目でこちらを見る。

「女なんか興味ないくせに……出会い目的の女が集まる場所なんか行くんじゃねえよ……っ」

 早川は何も言わない。返しようのない言葉をぶつけているのは自分なのに、夏生は「なんとか言えよっ」と凄んだ。

「いい結婚式だったな」

 早川は会場を振り返ると、静かに言った。

「俺も結婚したいな」

「はっ?」

「井岡は? 結婚したくならなかった?」

 問われ、夏生は言葉に詰まった。自分は職を失うかの瀬戸際だ。頭は前期の成績でいっぱいで、結婚したいとかしたくないとか、そういう思考の余地すらない。

 またも惨めな気分になった。そして気づく。早川を引き留めたのは、成功しているように見えるこの男に、これ以上差をつけられたくないからだ。せめて恋愛は諦めて欲しい。結婚なんてもってのほかだ。

「……俺、男が好きなのかも」

 気づけば、早川の気を引こうと口が動いていた。強く握れば、早川の脈が速いことがわかる。

「お前……まだ俺のこと、そういう感じで見れる?」

 早川の目が狼狽える。まだ自分への気持ちが残っていると見て、夏生はさらに言った。

「なあ、俺と付き合えよ」

 男なんか好きでもないのに、するりとそんな言葉が出た。職を失うかの瀬戸際で、こいつに好意を向けられたら、気分が晴れるかもしれないという歪んだ期待からだった。

「……いいのか?」

 控えめな問いに、胸が弾んだ。学生時代に感じた嫌悪感は皆無。この男の優位に立てることがとにかく嬉しい。

「ああ、いいよ」

 夏生は微笑んだ。地元に帰ってきて、はじめてうまく笑えた気がした。
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