スワッピングに来た先輩

兵馬俑

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喪服の後輩

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 参列者がギョッと目を見開く。そこまでおかしいことだろうか、と秋本蒼太は思う。確かに棺桶に電マを入れるのは非常識な行為に思えるが、姉が生前AV女優をしていたことは、親族の誰もが知っている。

「おい……蒼太っ……ふざけるなっ」

 同い年の従兄弟が、憤りを露わに言う。蒼太にしてみれば、少女漫画とか、テーマパークのチケットの方が、よっぽどふざけているように見えるのだが。

「だってこれがないと沙織さん、向こうで退屈だろうから……」

 蒼太は悲痛な顔を繕う。それがあまりにも自然だから、従兄弟の顔が戸惑いに変わる。しかしすぐに(そんなわけない)と思い直したのだろう。「いい加減にしろよ」と小声で言い、電マを取り出した。

「そんなもん出してどうする! さっさと戻せ!」

 蒼太の父の怒号が響く。従兄弟は顔を紅潮させ、電マを棺桶に戻した。憎々しげに睨まれたが、蒼太は素知らぬ顔だ。

 棺桶の蓋が閉められる。泣いている人間はいない。両親ですら、険しい顔をしているものの、涙を流す様子はない。もっとも姉は母の連れ子なので、父とも、蒼太とも、血の繋がりはない。

 両親が再婚したのは、蒼太が中学2年の時だった。突然できた17歳の姉は性に奔放で、頻繁に男を家に連れ込んだ。その中には父ほど歳の離れた男もいた。

 それまで曖昧で、違和感でしかなかったものが、クリアになっていくのを感じた。蒼太は、自分はゲイなのだと自覚した。

 気持ち悪い、としか思えなかったのだ。ノックもなしに蒼太の部屋に入ってくる姉が、下着姿でリビングをうろつく姉が、スキンシップの過剰な姉が、心底気持ちが悪かった。

 だから、寮のある高校に進学した。本格的に野球をするつもりはなかったけれど、隙あらば下ネタトークで焚き付けようとする姉から逃れるには、それしかなかった。

 こいつの姉ちゃん、すっげぇ美人なんだぜ。

 食時中、同じ中学だった部員が言った。

 姉の話はしたくなかった。けれど蒼太には、高校でこの話題になったら、言おうと決めていたことがあった。

 でもアイツ、ヤリマンだよ。たぶん精神疾患。毎晩男連れ込んでうるせーの。ほんと勘弁してほしい。それで俺……

 この学校に来たんだ、と続けようとしたのを、

 まじっ!? サイコーじゃん!

 え、姉ちゃんがヤッてるの見た?

 てか、お前もヤれるんじゃね?

 お前のこと、誘ってるんじゃね?

 蒼太は胸の中に、鈍色の失望が広がっていくのを感じた。手が震え、気付かれないよう箸を置く。コップを手に取り、水を一気に飲み干した。
 
 引くわ。

 決して大きな声ではないのに、渋谷先輩の声はよく通る。食堂がシンと静まり、それが自分の発言によるものだと気づいた彼は、端正な顔に戸惑いを浮かべた。次に苦笑のような、呆れたような笑みを浮かべ、

 食事中にヤるとかヤリマンとか、お前ら少しはわきまえろよ。つか秋本はさ……

 なんだ、と身構えたのに、渋谷先輩は「まあいいや」と面倒くさそうに言って、席を立った。渋谷先輩が食堂を出ていくと、ひそひそと会話が始まる。

 こっわ。わきまえろってなに? 今は一年の時間だろ? なんで渋谷先輩だけのためにわきまえなきゃなんねーの?

 スタメンがそんなに偉いのかよ。

 そりゃ偉いだろ。灰原に勝ったのだって、渋谷先輩がスクイズ決めたからだし。

 柏木先輩とバッテリーだし。

 でもなんでこんな時間に飯くってんの? あの人。

 蒼太はあの言葉の続きが気になって仕方がなかった。でも相手は上級生でスタメン。話しかけるのは勇気がいった。タイミングを掴めずに時間ばかりが過ぎていき、諦めかけた頃に、

 さっきは悪かった。

 渋谷先輩の方から話しかけてきた。え、あ……とまともに返事ができなかったのは、思わぬ至近距離で見た彼の顔が、ゾクっとするほど綺麗だったからだ。

 別に気い使うことないから。

 言うなりさっさと踵を返した彼の手を、反射的に掴んだ。信じられないほどサラサラとした皮膚に驚いて、慌てて離す。

 あっ、すみません。

 ……あの、さっき、なんて続けようとしたんですか? つか秋本はさ……って。

 渋谷先輩の目が気まずげに泳ぐ。「大したことじゃない」と誤魔化そうとした彼の声が、弱々しかった。

 もしかして……ですけど、姉が嫌で、この学校に来たんじゃないかって……そう続けようとしました?

 渋谷先輩のまつ毛が震えた。図星なのだ。けれど彼は認めない。自分の発想は一般的ではないのだと、彼は思ったのだ。

 蒼太も同じだった。普通の男は、エロい義姉に興奮するのだ。気持ち悪いとは思わないのだ。あの会話があのまま続いていたら、「お前ってゲイ?」と暴かれていたかもしれない。

 俺っ……そう、です。ほんと……姉のことが、嫌で嫌で……アイツから逃げたくて……それで、この学校に入ったんです。

 言い過ぎたと思った。渋谷先輩が自分と同じとは限らない。怪しまれるかもしれない。でもきっとこの人なら言いふらしたり、軽蔑したりしない。

 お前、野球推薦みたいな顔してるのにな。

 おずおずと顔を上げると、渋谷先輩は笑っていた。

 せっかく姉から離れられたんだ。野球、本気でやれよ。お前ならレギュラーなれるから。

 ……それと、今の話はあんま他の奴にはしない方が良いかもな。うちで野球したいって、憧れて来た奴もいるから。

 カッと肩が熱くなった。それは、全く頭になかった。

 そう……ですね。すみません。

 いや、俺に謝ることじゃないけどさ。

 渋谷先輩の足が動きかけ、引き留めたくて、聞いた。

 渋谷先輩っ……あの……昼、どうして、遅くなったんですか?

 渋谷先輩の目尻が吊り上がり、まずいことを聞いたかなと、蒼太は焦った。

 トンボが一本、なかったんだよ。

 グラウンドを整備する道具だ。使うのは一年生。一年生部員が元の場所に戻し忘れたのだろうか。

 え……見つかったんですか?

 倉庫の裏に立て掛けてあった。教師に知られたら面倒だから、どっかで時間見つけて注意しようと思ってる。

 犯人、わかってるんですか?

 自分は関係ないなんて思うなよ。これはお前ら一年の問題なんだから。

 渋谷先輩はそう言って去って行った。キツイことを言われたのに、蒼太の胸は恋に落ちたように弾んでいた。

 あの人、俺と一緒かな。

 気づけば渋谷先輩ばかりを目で追うようになっていた。人懐っこい部員が渋谷先輩に抱きついているのを見ると、めちゃくちゃ嫉妬した。

 渋谷先輩とバッテリーを組んでいた3年生が引退し、渋谷先輩は戸次景義とバッテリーを組むようになった。

 実力的に当然の組み合わせだった。けれど(よりにもよって)という不満は拭えなかった。

 戸次はまっすぐに男だった。誠実とか、真面目とか、そういうまっすぐではなく、女の好きなところを聞いたら「おっぱい」と答えるような。

 だから渋谷先輩の顔をじっと見て、「渋谷先輩って、女みたいな顔してるっすね」とか、「俺、渋谷先輩ならイケる」とか、恥じらいもなく言う。言われた渋谷先輩は、「からかうな」と唇を尖らせつつも、見ているこっちが恥ずかしくなるほど頬を赤らめる。

 あいつ、絶対首を横に振らねえの。無理なら横に振れよって言うんだけど、「無理かは投げてみなきゃわかんねえ」って。よくそれで今までやってきたよな。

 渋谷先輩は戸次の話ばかりするようになった。

 しんどい、と思った。戸次は何も考えず、思ったことをただ口にしているだけなのに、渋谷先輩の感情を揺さぶる。

 俺だって渋谷先輩に意識されたい。

 でも戸次の真似はできそうになかった。自分はまっすぐとは正反対の、屈折しまくった人間だ。

 それでも告白は……初めて好きになった人に告白くらいは、できるんじゃないか。

 俺……渋谷先輩のことが……好きです。

「火葬は1時間ほどで終わります。収骨のお時間になりましたらお呼びいたしますので、二階のお部屋でお待ちくださいませ」

 鉄扉が閉まり、参列者はゾロゾロと階段を上がって行く。

 ゴオッと音を立て始めた火葬炉に背を向け、蒼太も歩き出した。




 姉の葬儀は、姉が暮らしていた東京で執り行われた。日帰りでも良かったが、蒼太はホテルを取っていた。東京のゲイ風俗を利用するためだ。

 高校から家を出て9年になる。家族との縁は極めて薄く、葬儀が終わるなり家族と別れた。父は電マの件でお怒りで、母は血の繋がりのない人だ。引き留められることはなかった。

 せっかく良いホテルを取ったのだから、早くチェックインしてゆっくりしたい。チェーン店で早めの夕食を済ませた蒼太は、一瞬新宿2丁目に心が傾きかけたが、これまでの失敗を思い返してホテルへ向かった。

 蒼太はさ、野球部の先輩のことが忘れられないんだよね。自分と同じゲイで、でも最後まで手が届かなかった人。野球が上手くて顔も良い。美化された過去の人にいつまでも執着してバッカみたい。結局なにもなかった人でしょ?

 セフレのはずだったのに、いつのまにか恋人を気取っていた男にそう言われた。鬱陶しくて別れようとしたけれど、自殺を仄めかされたり警察沙汰になったりと色々あって、結局彼に新しい男ができるまでずるずると関係は続いた。

 過去が、また美化される。

 お前が、そんなに嫌だったなんて、知らなかった。気づいてやれなくて、ごめんな。

 辛かったはずなのに、渋谷先輩は大人だった。あの頃、一学年違うだけで随分大人に見えたけれど、振り返ってみれば渋谷先輩は誕生日も迎えていない17歳だった。

 付き合ってくれて、ありがとうな。俺はすごく楽しかった。

 自分は言えない、あんなこと。これまで蒼太が関係を持った人間の誰も、言えないだろう。戸次よりも丁寧に、傷つけないように誠意を尽くしても、毎回別れ話は拗れてきた。その度に渋谷先輩のことを思った。あの人はなんてできた人だろう。思いやりのある人だろう。それに付随して思い出される戸次が、憎くて仕方がなかった。

 本当は付き合いたくなかった。でも渋谷先輩が俺を好きだって知ったから、そうするしかないって思った。だってそうでしょう? 俺と渋谷先輩はバッテリーで、ギクシャクするわけにはいかないんすから。俺は……ずっと嫌だった。この一年間すごく……苦痛だった。

 あのセリフを聞いた瞬間、めまいがするほどの憤りに駆られた。

 単純な男の思考は手に取るようにわかる。あいつは男に夢中な自分に怖くなって、ただ別れを告げるだけでは心許ないから、「バッテリーだから」「好きだって知ったから」という言葉で自分の告白を正当化した。

 ふざけんなよっ! ふざけんなっ! お前から付き合おうって言ったんだろうが! 渋谷先輩は、なんもお前に頼んでねえだろっ! 

 なにキレてんだよ。お前、俺にキレる資格あんのかよ。元はと言えばお前のせいだろ。

 そう……元はと言えば自分のせい。勇気を持って告白したくせに、渋谷先輩の返事を待つ時間に耐えられなかった。だから……

 すみません……渋谷先輩は、戸次のことが好きなんですよね……

 戸次が聞いているとも知らず、言ってしまったのだ。

「秋本蒼太様、本日からご一泊ですね。宿泊税として200円頂戴いたします」

 フロントスタッフからルームキーを貰い、エレベーターへ向かおうと足を進めた時だ。

 ドクンと胸が弾んだ。

 ソファ席に渋谷先輩に似た男がいる。スーツだし、髪型も違うし、後ろ姿だ。けれど雰囲気がそっくりだった。歩が速まる。

「渋谷先輩……?」

 正面に回り込む前に、声を掛けた。振り返った彼が切れ長の目を見開く。あ、と開いた唇が震えた。

「秋本……」

「俺のこと、覚えててくれたんですねっ」

「あ、当たり前だろ……」

 どうしたのだろう。声が小さく、目が泳いでいる。蒼太との再会を喜んでいるようには見えなかった。

 タイミングが悪かったのかもしれない。いや、ただの後輩の分際で、馴れ馴れしく話しかけるべきではなかったのだ。

「ヒロくん」

 男の声に弾かれるように、渋谷先輩が首を向ける。
 
 メガネを掛けた清潔感のある男……同族だろうと一目で分かった。この男は誠実だろうか。渋谷先輩を傷つけてはいないだろうか。薄茶の瞳を見つめてもわからない。

「シンジさん……あの……こいつ、高校の時の後輩で……だからその……」

 らしくない、と蒼太は思った。いくら彼氏の前とは言え、ここまで動揺するだろうか。だいいち自分はゲイで、偏見はない。スルッと紹介してくれたら良いじゃないか。

 それとも、彼氏に自分との関係を疑われたらと慌てて、口ごもったのか。どちらにせよ、自分だけが喜んで、バカみたいだ。

「秋本です。渋谷先輩とは高校の時にすごく世話になりました。渋谷先輩、突然お声掛けしてすみません。会えて良かった。ではまた」

 踵を返し、さっさとエレベーターへ向かう。1秒でも早く、二人の視界から消えたかった。

 エレベーターに乗り込む。

「秋本っ」

 閉まりかけたドアに、渋谷先輩が飛び込んできた。

「え……」

 ドアが閉まる。二人を乗せたエレベーターは、ゆっくりと上昇を始めた。

「俺、勘違いしてた……変な空気にして、悪かった」

「勘違いって……」

 でも彼はちゃんと「秋本」と言った。何を勘違いしたと言うのだろう。渋谷先輩は耳まで真っ赤だ。

「久しぶり……声、掛けてくれてありがとうな。俺も会えて嬉しいよ」

「……勘違いって、何を勘違いしたんですか?」

 渋谷先輩は和やかな空気にしようとしているのに、蒼太は聞かずにはいられなかった。

 渋谷先輩の顔が強張る。ますます気になった。自分を見た時の、あの驚いた顔……

「……他の人と、勘違いしたんだよ」

「でも渋谷先輩、俺の名前覚えてましたよね。俺だって分かった上で、何かを勘違いしたんですよね」

「お前って……こんなにしつこい奴だっけ……」

「っ……」

 確かに、らしくないかもしれない。自分はいつも身を引いてきた。そうして欲しいものを逃し続けてきた。でも渋谷先輩にそう思われているのだと思ったら、無性に情けなくなった。

「いえ、高校時代の俺は、こんなにしつこくなかった。聞きたいことがあっても、聞く勇気がなかった。渋谷先輩が『大丈夫』って言ったら、それ以上踏み込めなかった」

 狭い箱の中で足を踏み出し、渋谷先輩を壁際に追いやる。

「後悔しかありません。無理矢理にでもあなたを俺のものにすれば良かった」

 渋谷先輩の瞳が揺れる。困らせていることに、歪んだ優越感を覚えた。

「さっきの人は、彼氏?」

 渋谷先輩が目を逸らす。堂々と「彼氏」と言える相手ではないのだ。

「セフレ?」

「そんなの……お前に関係ない」

「セフレなんですね」

「セフレがいようがっ、俺の勝手だろっ! お前になんの関係があるんだよっ!」

「セフレなら気を遣わずに済む。渋谷先輩、彼氏はいますか?」

「なに……ほんと……」

「彼氏、いるんですか」

 渋谷先輩はふいっと顔を背ける。

「いたら……セフレなんて作らない」

「そっか」

 安堵で、声がワントーン上がった。

「じゃあ俺と付き合ってください」

「はっ……?」

「俺、渋谷先輩のこと幸せにします。渋谷先輩が望むこと、全部叶えます」

「お前……さ、俺のこと美化してる。思い出補正が掛かった状態で俺と関わっても」

「スマホ、持ってます?」

 言いながらポケットからスマホを取り出し、ラインのQRコード画面を開いた。渋谷先輩もポケットからスマホを取り出す。

「どうすれば良いんだっけ……」

 渋谷先輩はホーム画面でつまずいている。

「このプラスってところ。はい、それです。ありがとうございます。来ました」

 ちひろ、というアカウントが友達追加された。ホーム画面とアイコンは初期設定だ。なんとなく遊んでそうだなと思った。

 エレベーターが開く。自分の指示に従ってスマホを操作した渋谷先輩が可愛くて、手応えを感じて、蒼太は思い切って言ってみた。

「俺の部屋、来ます?」

 渋谷先輩が目を見開く。

「ああ、そっか。セフレさん、待たせてますもんね」

「お前……なんなんだよ……付き合ってとか言って……セフレがいるのは、平気なのか?」

「平気じゃない」

 ドアが閉まりかけ、手で止めた。

「でも、近くにいながら見ていることしかできなかった高校時代に比べたら、全然マシです」

 蒼太はふわりと微笑んだ。渋谷先輩とこんな話ができるなんて夢みたいだ。それだけで幸せだ、と思う。

「それに、平気じゃないのは渋谷先輩も同じだと思うから」

 セフレとの関係は清算してくれると思うから。

 苦しそうに眉根を寄せる渋谷先輩に「じゃあまた」と手を振って、蒼太はエレベーターを出た。歩きながらネクタイを緩め、そういえば姉の葬儀があったことを思い出した。

 
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