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1章
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「蓮様は……奥様や婚約されていらっしゃる方はいらっしゃるのですか?」
わずかな沈黙を打ち消すように聞いてしまってから、紅凛は聞かなければ良かったと後悔した。
もしこれで決まった相手がいると言われてしまったら、きっと自分は立ち直れない。
しかしもう、口から出てしまった後で、彼は物憂げに伏せていた視線をこちらに向けて、そして眉を下げた。
「妻がいたんだ」
その言葉に、あぁやはり……と落胆する。
こんな素敵な人がこの歳までお相手がいないなどとあり得ないのに、何を期待していたのだろうか。
もし、紅凛が彼の元に嫁ぎたいと駄々をこねたところで、夏家の娘が妾となる事を兄は良しとしないだろう。
彼は酒を一口舐めるように口にして、「どこから話そうか?」と少し困ったように笑った。
奥様との馴れ初めなら聞きたくない。そう思ったものの、喉の奥が乾いて言葉は出なかった。
「16の時に親の決めた結婚で結婚した。息子 が2人いるが、2人目を産んですぐに妻は亡くなってしまったよ」
だから彼の言葉は意外で、その言葉を飲み込むのに時間がかかった。
「亡くなった?」
呆然としながら首を傾けると、彼はゆっくり頷いて。
「まだ若いのに可愛そうな事をしたよ。
あの頃は戦ばかりで、大して夫婦としての時間も過ごせなかったし、死に目を看取ることも病床に伏した時もそばにいる事もしてやれなかった。」
どこか遠い目で自嘲した彼の顔は少し寂しげだった。
「ようやく戦が終わったら今度は宮廷での役目が多くて妻を娶る余裕もなくてな、そなたの兄も同じだろう?」
そう問われ、ゆっくりと頷いた。
たしかに兄が結婚したのも、一般的には随分遅い27の時で、忙しくてなかなか結婚まで手が回らないとぼやいてはいたのだ。
「あえて妻にしたいと思える者もいなかったから、放っておいたらここまできてしまったんだよ」
そうして肩をすくめた彼の顔には先ほどの悲しげな笑顔はなくて、もうすでに奥方が亡くなっている事は過去のことで昇華できているのだと理解する。
「だが最近、ようやくまた妻を娶ってもいいかなと思える人に巡り逢ったんだよ」
そう言って彼が、杯を差し出してきたので、紅凛は慌ててお酒を注ぐ。
それは、どなたなのですか?そう聞きたくて、でも怖くて言葉が出なかった。
そんな頃合いで……
「お待たせしてすみませんね」
何も知らない兄が、上機嫌に戻ってきた。
「今朝のあの件が何とか片付いたと言う報告でした。明日でもいいのに、真面目な事で」
呆れたように、来客の用向きを蓮に兄が説明をする。
「まぁ、何とかなったなら良かった。彼らも早く自分達の手からこの件を離したかったのだろう」
「この時間なら陛下に連絡がつかないから側近に伝えて終わらせようって事なんでしょうね。」
やれやれと、肩をすくめた兄が杯を傾けて、酒を飲み干した。
それを皮切りにまた、その場は男同士の話になってしまい、紅凛は一歩下がって、2人を眺める事になる。
彼が、もう一度妻を娶ってもいいと思える人……どんな人なのだろうか?
頭の中をずっとその考えがぐるぐると回っていて、その後の事はあまり記憶が無かった。
お見送りの時に、彼がまた前回のように笑って「またよろしく頼むよ」と言ってくれたのは記憶にある。しかしどんなふうに、笑い返したのか、紅凛には分からなかった。
その晩は、一晩中布団の中で泣きはらした。
どう転んでも、自分が彼に嫁げる条件はない。
もしかしたら、紅凛の恋心を知った彼は、先に下手な期待をしないように釘を刺したのかもしれない。
彼は紅凛よりも10も上の大人の男性だ。あれほどわかりやすく、緊張して頬を赤らめていたら、すぐに気づかれてしまうに決まっている。
自分が子供すぎたのだ。
相手にされないのは当然だ。
わずかな沈黙を打ち消すように聞いてしまってから、紅凛は聞かなければ良かったと後悔した。
もしこれで決まった相手がいると言われてしまったら、きっと自分は立ち直れない。
しかしもう、口から出てしまった後で、彼は物憂げに伏せていた視線をこちらに向けて、そして眉を下げた。
「妻がいたんだ」
その言葉に、あぁやはり……と落胆する。
こんな素敵な人がこの歳までお相手がいないなどとあり得ないのに、何を期待していたのだろうか。
もし、紅凛が彼の元に嫁ぎたいと駄々をこねたところで、夏家の娘が妾となる事を兄は良しとしないだろう。
彼は酒を一口舐めるように口にして、「どこから話そうか?」と少し困ったように笑った。
奥様との馴れ初めなら聞きたくない。そう思ったものの、喉の奥が乾いて言葉は出なかった。
「16の時に親の決めた結婚で結婚した。息子 が2人いるが、2人目を産んですぐに妻は亡くなってしまったよ」
だから彼の言葉は意外で、その言葉を飲み込むのに時間がかかった。
「亡くなった?」
呆然としながら首を傾けると、彼はゆっくり頷いて。
「まだ若いのに可愛そうな事をしたよ。
あの頃は戦ばかりで、大して夫婦としての時間も過ごせなかったし、死に目を看取ることも病床に伏した時もそばにいる事もしてやれなかった。」
どこか遠い目で自嘲した彼の顔は少し寂しげだった。
「ようやく戦が終わったら今度は宮廷での役目が多くて妻を娶る余裕もなくてな、そなたの兄も同じだろう?」
そう問われ、ゆっくりと頷いた。
たしかに兄が結婚したのも、一般的には随分遅い27の時で、忙しくてなかなか結婚まで手が回らないとぼやいてはいたのだ。
「あえて妻にしたいと思える者もいなかったから、放っておいたらここまできてしまったんだよ」
そうして肩をすくめた彼の顔には先ほどの悲しげな笑顔はなくて、もうすでに奥方が亡くなっている事は過去のことで昇華できているのだと理解する。
「だが最近、ようやくまた妻を娶ってもいいかなと思える人に巡り逢ったんだよ」
そう言って彼が、杯を差し出してきたので、紅凛は慌ててお酒を注ぐ。
それは、どなたなのですか?そう聞きたくて、でも怖くて言葉が出なかった。
そんな頃合いで……
「お待たせしてすみませんね」
何も知らない兄が、上機嫌に戻ってきた。
「今朝のあの件が何とか片付いたと言う報告でした。明日でもいいのに、真面目な事で」
呆れたように、来客の用向きを蓮に兄が説明をする。
「まぁ、何とかなったなら良かった。彼らも早く自分達の手からこの件を離したかったのだろう」
「この時間なら陛下に連絡がつかないから側近に伝えて終わらせようって事なんでしょうね。」
やれやれと、肩をすくめた兄が杯を傾けて、酒を飲み干した。
それを皮切りにまた、その場は男同士の話になってしまい、紅凛は一歩下がって、2人を眺める事になる。
彼が、もう一度妻を娶ってもいいと思える人……どんな人なのだろうか?
頭の中をずっとその考えがぐるぐると回っていて、その後の事はあまり記憶が無かった。
お見送りの時に、彼がまた前回のように笑って「またよろしく頼むよ」と言ってくれたのは記憶にある。しかしどんなふうに、笑い返したのか、紅凛には分からなかった。
その晩は、一晩中布団の中で泣きはらした。
どう転んでも、自分が彼に嫁げる条件はない。
もしかしたら、紅凛の恋心を知った彼は、先に下手な期待をしないように釘を刺したのかもしれない。
彼は紅凛よりも10も上の大人の男性だ。あれほどわかりやすく、緊張して頬を赤らめていたら、すぐに気づかれてしまうに決まっている。
自分が子供すぎたのだ。
相手にされないのは当然だ。
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