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番外編ー清劉戦ー
3日目夜 対峙⑦
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深紅の飛沫は、冬隼の眼前で勢いよく吹き出した。
呆然とする冬隼の視線の先の人物が、ぐらりと揺れて膝をつくと、崩れ落ちるように倒れ込んだ。
倒れたその身体の周囲がみるみる内に血だまりと化す。
傍らで流れ出た血で足元を汚しながらも、その倒れ込んだ身体をしっかりと見降ろしている翠玉の瞳は、何を想っているのか、とても静かな色をしているように冬隼は感じた。
血だまりで、まだわずかにピクリピクリと動いている彩京の身体は、数秒も待たずに動かなくなった。
あの瞬間…少しばかり気を抜いていたように冬隼にさえ見えた翠玉は、目を見張るような速さで、彩京の手を払うと、逆側の手に忍ばせていた暗器で、迷うことなく彩京の首元を払った。
数か月前より、隆蒼と共に開発していたそれは、この時を予測していたからなのだろうか。
間違いなく彩京の急所を一閃で切り裂いた。
隠し刀を忍ばせて不意打ちを狙った彩京に対して、それを誘い出した上で同じく忍ばせた暗器で決定打を打つ。
まるで翠玉が最初からこの展開を予期したかのように……。
ぞくりと冬隼の皮膚が泡立つ。
全てを知り、誰よりも翠玉の事を理解していると今日まで自負していたが……もしかするとそれは驕りであったのかもしれない。
冬隼が思うよりずっと、翠玉には戦うことに対する本能が備わっているのではないだろうか。
そんな事を感じていると、ようやく彩京から視線を外した翠玉は、皇太后へと視線を移す。
「さて、あとは貴方だけになりましたが、覚悟はできておられますね?」
分かりやすく殺意を含んだ冷たい声音だ。
翠玉がひらりと手のひらを肩のあたりで天に向ける。
弾かれたように、冬隼と共に固唾を飲んで見守っていた華南が前に出て、長剣を翠玉に手渡す。
「悪魔のような娘よ!正義だ大義だと結局のところは殺戮を好んでいるだけではないか!」
こちら側の兵に身柄を確保されても尚、皇太后は翠玉を睨め付け、侮蔑を含んだ言葉を叫ぶことを控えるつもりはないらしい。
そんな彼女を翠玉は静かに見つめて、やがて小さく息を吐く。
「もう、貴方とどうこう言い合うつもりはないとお伝えしたつもりです。ただひとつ勘違いしておられるようなので、これだけはお伝えさせていただきます」
そう言って翠玉は、皇太后の前に書状を広げて見せる。
冬隼の側からはそれが何であるかは伺う事ができない。しかしおそらくそうであると……冬隼には検討がついていた。
「これは、異母姉様が惺眞に自分が死んだら私に渡すよう言いつけて、持たせたものです」
そう告げて皇太后の眼前に近づけると「ご自身の娘の筆跡くらいお分かりでしょう?」と念を押す。
拘束されている皇太后は、それを払い退ける事もできない。
キッと翠玉をひと睨みし、しかしその書状に渋々という様子で目を向けた。
それは劉妃が罪を認め、彼女がどう追い詰められたかを告白したものだ。
読み進める内に、文字を追う皇太后の顔が険しさを増していく。
「貴方や彩京は、私が計って追い詰めたとお思いでしょうが、私から言わせれば、彼女にこんな最期を迎えさせた責任は貴方にあると思います」
「っ!」
意味を測り兼ねているのか、はたまた少しばかりは心当たりがあるのか……皇太后が再び翠玉を厳しく睨みつける。しかし翠玉は眉一つ動かす事なく感情を消しているようにすら見える。
「産まれた時から、母親が自身と我が子のために、邪魔な妃や子供達を貶めて、命を奪っていく様子を見せられてきたのです。彼女にとっては後宮妃はそうである事が当たり前だったのでしょう。やらなければ殺られる。そんな思い込みから自身を追い詰めて、浅はかにも不用意な行動をして、それを利用された。貴方のように上手くやれると思っていたのでしょうが……残念ながら相手はもっと思慮深く頭の切れる人間だった」
そう言うと翠玉はその書状を再び折りたたみ、自身の胸元に丁寧に戻した。
「別に、異母姉様の死に自分の関与を否定したくてこれをお見せしたわけではありません。ただ……そんな祖母や母の業に巻き込まれ、小さな身体で必死に孤独に耐えている者がいる事をよく胸に刻んでください。惺は、あの子は聡くて優しい子です。いずれは全てを知って、更に胸を痛めるでしょう。貴方達が死んでも尚、その罪を背負う者がいるのです。それだけは知った上で、お逝き下さい」
冷たい声音の中に怒りと、翠玉の胸の内のもどかしさを感じる。
翠玉の言うこと……それは日常から惺眞に関わる冬隼も感じている事で、小さな身体で様々な事を飲み込み、時に俯いて唇を噛んでいるあのいじらしい姿を思うと、黙ってはいられなかったのだろう。
その気持ちはよく理解できた。
しかし、そんな翠玉の想いが、果たしてこの女に響くのだろうか。
沈黙したまま皇太后の出方を見つめる事しか冬隼はしなかった。
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お読みいただきありがとうございます。
本日より電子書籍も配信スタートしております。
お手持ちの端末に翠玉と冬隼をお迎えいただけたら嬉しいです^ ^
呆然とする冬隼の視線の先の人物が、ぐらりと揺れて膝をつくと、崩れ落ちるように倒れ込んだ。
倒れたその身体の周囲がみるみる内に血だまりと化す。
傍らで流れ出た血で足元を汚しながらも、その倒れ込んだ身体をしっかりと見降ろしている翠玉の瞳は、何を想っているのか、とても静かな色をしているように冬隼は感じた。
血だまりで、まだわずかにピクリピクリと動いている彩京の身体は、数秒も待たずに動かなくなった。
あの瞬間…少しばかり気を抜いていたように冬隼にさえ見えた翠玉は、目を見張るような速さで、彩京の手を払うと、逆側の手に忍ばせていた暗器で、迷うことなく彩京の首元を払った。
数か月前より、隆蒼と共に開発していたそれは、この時を予測していたからなのだろうか。
間違いなく彩京の急所を一閃で切り裂いた。
隠し刀を忍ばせて不意打ちを狙った彩京に対して、それを誘い出した上で同じく忍ばせた暗器で決定打を打つ。
まるで翠玉が最初からこの展開を予期したかのように……。
ぞくりと冬隼の皮膚が泡立つ。
全てを知り、誰よりも翠玉の事を理解していると今日まで自負していたが……もしかするとそれは驕りであったのかもしれない。
冬隼が思うよりずっと、翠玉には戦うことに対する本能が備わっているのではないだろうか。
そんな事を感じていると、ようやく彩京から視線を外した翠玉は、皇太后へと視線を移す。
「さて、あとは貴方だけになりましたが、覚悟はできておられますね?」
分かりやすく殺意を含んだ冷たい声音だ。
翠玉がひらりと手のひらを肩のあたりで天に向ける。
弾かれたように、冬隼と共に固唾を飲んで見守っていた華南が前に出て、長剣を翠玉に手渡す。
「悪魔のような娘よ!正義だ大義だと結局のところは殺戮を好んでいるだけではないか!」
こちら側の兵に身柄を確保されても尚、皇太后は翠玉を睨め付け、侮蔑を含んだ言葉を叫ぶことを控えるつもりはないらしい。
そんな彼女を翠玉は静かに見つめて、やがて小さく息を吐く。
「もう、貴方とどうこう言い合うつもりはないとお伝えしたつもりです。ただひとつ勘違いしておられるようなので、これだけはお伝えさせていただきます」
そう言って翠玉は、皇太后の前に書状を広げて見せる。
冬隼の側からはそれが何であるかは伺う事ができない。しかしおそらくそうであると……冬隼には検討がついていた。
「これは、異母姉様が惺眞に自分が死んだら私に渡すよう言いつけて、持たせたものです」
そう告げて皇太后の眼前に近づけると「ご自身の娘の筆跡くらいお分かりでしょう?」と念を押す。
拘束されている皇太后は、それを払い退ける事もできない。
キッと翠玉をひと睨みし、しかしその書状に渋々という様子で目を向けた。
それは劉妃が罪を認め、彼女がどう追い詰められたかを告白したものだ。
読み進める内に、文字を追う皇太后の顔が険しさを増していく。
「貴方や彩京は、私が計って追い詰めたとお思いでしょうが、私から言わせれば、彼女にこんな最期を迎えさせた責任は貴方にあると思います」
「っ!」
意味を測り兼ねているのか、はたまた少しばかりは心当たりがあるのか……皇太后が再び翠玉を厳しく睨みつける。しかし翠玉は眉一つ動かす事なく感情を消しているようにすら見える。
「産まれた時から、母親が自身と我が子のために、邪魔な妃や子供達を貶めて、命を奪っていく様子を見せられてきたのです。彼女にとっては後宮妃はそうである事が当たり前だったのでしょう。やらなければ殺られる。そんな思い込みから自身を追い詰めて、浅はかにも不用意な行動をして、それを利用された。貴方のように上手くやれると思っていたのでしょうが……残念ながら相手はもっと思慮深く頭の切れる人間だった」
そう言うと翠玉はその書状を再び折りたたみ、自身の胸元に丁寧に戻した。
「別に、異母姉様の死に自分の関与を否定したくてこれをお見せしたわけではありません。ただ……そんな祖母や母の業に巻き込まれ、小さな身体で必死に孤独に耐えている者がいる事をよく胸に刻んでください。惺は、あの子は聡くて優しい子です。いずれは全てを知って、更に胸を痛めるでしょう。貴方達が死んでも尚、その罪を背負う者がいるのです。それだけは知った上で、お逝き下さい」
冷たい声音の中に怒りと、翠玉の胸の内のもどかしさを感じる。
翠玉の言うこと……それは日常から惺眞に関わる冬隼も感じている事で、小さな身体で様々な事を飲み込み、時に俯いて唇を噛んでいるあのいじらしい姿を思うと、黙ってはいられなかったのだろう。
その気持ちはよく理解できた。
しかし、そんな翠玉の想いが、果たしてこの女に響くのだろうか。
沈黙したまま皇太后の出方を見つめる事しか冬隼はしなかった。
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