後宮の棘

香月みまり

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3巻 行き遅れ姫の出立

3-2

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 皆の解散を確認し、雪稜と連れ立って彼の執務室に戻ると、頃合いよく翠玉が到着したところだった。
 各国の大まかな見解を話して聞かせると、彼女は安心したように大きくため息を溢す。

「やはり、どこも見解は同じね。良かったわ」

 ここ数日の彼女は、自分の読みが他国の見解と乖離かいりしていないかどうかを気にしていた。
 政治の表舞台に立っていた経験も実績もない。そんな彼女が董伯央を見かけた事により考え出した筋道が本当に正しいものなのか、こうして各国が動き出した途端に不安になったらしい。
 冬隼も雪稜も、おおよそその読みが正しいだろうと言ってはいたのだが、やはりその時になってみないと完全な不安は拭い去れなかったようだ。

「ほかに大きな情報もないし、我が国の今後の動きについては特に変更しなくて良さそうだ。お前の立てたあの策で進めるがいいか?」

 冬隼の問いに、翠玉は大きく頷く。

「私はそれを推すわ、でも他の国の意見もできるだけ沢山聞いてきて! 特に、紫瑞国に対する懸念事項けねんじこうは多めに」
懸念事項けねんじこうを、か?」

 怪訝に思い、聞き返す。それは、場合によっては策の変更もあるという事なのだろうか。冬隼の言葉に翠玉は笑う。

「多くの目で抜けがないか確認しないと。紫瑞国について知っている事は少ないし、私一人だと見えていない事もあるかもしれない。完璧じゃないから」

 完璧じゃない、か……。その言葉が、なぜか冬隼の頭の中で引っかかった。

「ではそのように、こちらで進めましょう」

 雪稜が大きく頷き、側の者に記録を取らせる。
 明日、各国に自国の見解を提示する前に、本日中に議会の方にも話を通す必要があるのだ。

「よろしくお願いします。私はそろそろ燗皇子の指導にいかないといけないので、失礼させて頂きます」

 記録を確認すると、彼女はすぐに立ち上がる。

「もうそんな時間か、忙しいですね」

 先程までは禁軍で兵の鍛錬を行っていたのに、次は後宮で皇子の指導である。
 国で一番忙しいと言われても過言でない宰相さいしょうの雪稜からも驚かれるほど、このところの彼女は忙しい。

「くれぐれも身辺に気を付けてくれ、特に他国の客人達には」

 退室しようとする翠玉を慌てて呼び止める。

「何かあったの?」

 不思議そうに見上げてきた瞳は、冬隼の意図を理解し何かあったと察しているようだった。

「碧相の将、李周英という男が先の戦の策の出所を探っている。その上、お前の事を聞いてきた。何か気づいているやもしれん。同盟国とはいえ、まだ手の内は見せない方がいい」

 李周英の真意が読めない以上、あまり翠玉と接触させるのは得策ではない。

「へぇ~鼻が利くのね。どんな人?」

 当の本人は、さほど危機感を感じてはいない様子で、むしろ李周英という男に興味が出たらしい。
 どうせそうなるだろうと、なんとなしに予想ができていた。

「よく分からん男だな。なんでも最近虎と戦ったらしく、顔を怪我したと言って顔の半分は布に覆われている。人当たりは良さそうな印象だが、顔が隠れているせいか、得体が知れない」

 あの、男のもつ雰囲気をどう説明するべきなのかしっくりくる言葉が見つからず、結局ありきたりな説明になる。
 それでも、翠玉にはなんらかが伝わったのか、う~ん、と顎に指を当てて、考え出す。

「虎と戦ったっていうのは、なかなか面白そうな人だとは思うけど。敵国ならまだしも、同盟国のそんな事情を知ろうとするなんて、目的は何かしら? まぁ、とりあえずは気をつけておくわ」

 ぶつぶつ言いながら、退室する。
 それに合わせて、雪稜も側に控える者たちを退室させた。

「そんな男、議場にいたか?」

 翠玉と部下達の退室を見届けると、一連のやり取りを見ていた雪稜が口を開く。
 彼は議事を取り仕切っていた関係で、全ての者の顔が見える場所にいたのだ。そんな目立つ者がいれば、すぐに目に入っていただろう。

「いや、外に待機していた。立場的には参加していてもおかしくないのだが、目立つ風貌ふうぼうだから、下手に悪目立ちする事を避けたのかもしれない」
「悪目立ちしたくないのに、こうもあからさまに何かを探ろうとしている事をこちらに悟らせる狙いはなんだろうな」
「たしかに、これから密になるだろう相手だけに、下手な事をするはずはないのだが……」

 二人で、顔を見合わせる。

れつに調べさせるか」
「それがいい」


 ◇


 三国での会談は、つつがなくその日程を終了した。
 心配された李周英の動向は特に動きもなく、なんなら身構えていた冬隼が拍子抜けするくらい、接触する機会も少なかった。
 なんだったのだろうかと、首を捻っている内に、彼等は自国へ戻って行った。
 そうして戻った日常だったが、息をつく暇もなく戦の準備が始まっていた。
 三国の会談でまとまった事は主に三つだった。
 まずは紫瑞国が、大陸の統一……もしくは長年の宿敵である碧相国を倒すために、緋尭国、湖紅国を傘下さんかに入れようと画策かくさくしている可能性が高いという事を、三国が共通認識している事を確認した。
 次に、紫瑞国がいつ緋尭国に襲い掛かり、主権を手にしてもおかしくない状況である事。
 そのため、湖紅国はいつ緋尭側から攻め込まれても即時に対応できるだけの兵力を国境線に待機させ、万一紫瑞国・緋尭国の連合軍が侵攻してきた際には、西の響透軍、南の碧相軍、東の湖紅軍、それぞれが国境線に配備した兵力をもって応戦・圧力をかける事を取り決めた。
 これにより、湖紅軍は先の戦で戦った国境の地、廿州じゅうしゅうに詰める事となった。
 最後に、戦となった場合、どこまで戦いを続けるか認識を統一した。
 最善は董伯央が侵攻を諦め、緋尭国から手を引く事だ。今回、董伯央がこんな行動に出たのも、長年海洋での碧相国との戦いに進展がない事に痺れを切らせたのが原因なのではないかというのが、各国の見解だ。
 ゆえに、陸戦でも、思い通りになどいかない事を見せつけ、しっかりと歴史に刻みつける事が何よりも重要である。
 もう二度と侵攻しようとなど思わせない。可能であれば、緋尭国からも追い出せたら尚良いのだが……それはなかなか難しいかもしれないという事で、会談は終わった。
 各国の要人ようじんを送り出すと、湖紅国の面々も皆、多忙となり、昼夜を問わず、慌ただしくしている事が非常に多くなった。


 ◆


 この日も翠玉は午前を皇子の指導に使い、午後の訓練に間に合うように禁軍に戻るところであった。

「もし、人違いでしたら申し訳ありません。もしやあなた様は翠玉様ではありませぬか?」

 後宮を出て、無月に騎乗きじょうしようとしているところに背後から唐突に声をかけられ、翠玉は驚いて振り返る。
 場所は宮廷の内部、丁寧な言葉遣いには似つかわしくない、幼さを残した子供の声であったのだ。こんな宮廷の真ん中で聞く性質の声ではないのだが……
 今翠玉が降りてきた階段の上に、ひょろりと細長い少年の姿があった。年かさは十代前半であるが、先程まで一緒にいた燗皇子よりは少し上に見えた。
 着ている服の生地は上質でいて、装飾は少ない。一見質素しっそだが、皇族か良家の子息であることはすぐに分かる。
 少年は軽やかに段を降りると、一瞬後ろを振り返り、急いだ様子でこちらに走ってくる。
 茶のふわふわとした髪が柔らかく揺れている。なぜか翠玉にとって馴染みのあるような気がした。
 少年は翠玉の元まで走ってくると、大きな瞳で見上げてきた。

「いかにも、私は翠玉でございますが」

 掛けていたよろいから足を下すと、丁寧に少年に向き直る。なんとなしにその顔にも、見覚えがある気がした。
 背丈は小柄な翠玉より拳ひとつ分ほど低いくらいだろうか。
 翠玉が向き直ると、少年の大きな瞳が、一層大きく開かれ、そして緊張したように険しくなる。

「お忙しいところお引き留めしてしまい申し訳ありません。わたくしは紅雪稜が長子ちょうし稜寧りょうねいと申します」

 まだ声変わり前の声で辿々しく名乗られて、合点がいった。

「あぁ、雪義兄上様の!」

 驚きと共に、少年の顔を見返す。
 ふわふわの茶の髪に、どこか見覚えのある顔は雪稜の面影を色濃く継いでいる。
 彼に子供がいるというのは、なんとなく聞いていたが、ここまで大きな子だったのかと驚いた。

「お初にお目にかかります。叔母上様」

 ペコリと丁寧にお辞儀をされる。父に似て、いかにも利発そうな少年である。

「こちらこそ、お初にお目にかかります。稜寧殿」

 翠玉も同様に言葉をかけると、先程より少し緊張が解けたらしかったが、今度は不安そうに瞳が揺れていた。

「いきなりお声がけして申し訳ありません。あの、お急ぎでいらっしゃいますか?」

 上目遣いで言われる。子供らしくないその心配に、翠玉はつい吹き出してしまいそうになる。
 あの食えない男の雪稜に似た顔で、こんな可愛らしい仕草と言動をされたらそれは力がぬける。

「少しであれば大丈夫ですよ。私に何かご用でしょうか?」

 幸い少し時間にも余裕はある。この可愛らしいおいっ子に付き合ってみたい気もした。
 翠玉の言葉に、稜寧は少しホッとして、そしてまた表情を引き締めた。

「お願いがございます。私を次の戦にお連れいただけないでしょうか! 叔母上のそばで学ぶ機会をいただけないでしょうか?」

 可愛らしいと思った少年の口から出た言葉は予想だにしなかったお願いであった。

「戦にですか?」

 思いがけず間抜けにも聞き返す。

「はい! 危険な事は重々理解の上です!」

 ずいっと一歩近づいてきた稜寧の瞳は真剣そのものである。
 対する翠玉は困惑した。まだ年端もいかぬ少年である、しかも皇族で宰相さいしょうの子息だ。
 同じ年端の子供と比べて背は高めであるが、身体はひょろりと細く、武術などの心得もないように思われる。なかなか無理な話である。
 しかしここだけの話で、簡単にはっきりと断るのも、この必死な少年に失礼な気もした。

「お父上はなんとおっしゃっていますか?」
「父にはまだ言っておりません。言ったら即反対でそこで話が終わってしまいますから。冬叔父上にご相談しようかとも思いましたが、私は叔母上のもとで学びたいので!」

 がくりと、項垂うなだれたい気分になる。可愛らしくても、やはり雪稜の子だ。
 どうやら確信犯で、翠玉に突撃してきたらしい。この場で翠玉の一存で断れない事も分かっているのだ。
 どうやら、翠玉がそれに気が付いた事も、このさとい少年は分かったらしい。

「お父上と、叔父上と相談した上でご検討させていただきますね」

 翠玉には、そう言う他なかった。

「はい! よろしくお願いします!」

 稜寧の大きな瞳が、初めて子供らしい輝きを見せた。


「あいつはさとい、まんまと巻き込まれたな」

 この日も冬隼とゆっくり顔を合わせる事ができたのは、就寝前だった。
 戦の準備でそれぞれが奔走しており、顔を合わせても軍議ぐんぎや訓練など、公の場でしかなかった。
 ここ数日、寝屋に入る時間もバラバラでどちらかが先に就寝している事も多い。今日こうして起きたまま二人が顔を合わせられたのも、翠玉が相談したい事がある旨を事前に伝えていたからだ。
 昼間に稜寧と会った事を簡単に話すと、呆れたように冬隼はため息を吐く。

「明日、雪兄上に話してみる」

 やれやれ、といった様子だ。
 どうやら、冬隼にしてみれば、稜寧がこのような手段をとる事は、さほど意外でもないらしい。

「お願いね。でも私の側で何を学べるのかしら」

 色白で華奢きゃしゃな身体をしていた。どう見ても、武術ができるとは思えない。
 ゆえに武術ではないはずなのだが。

「それは、俺にもよく分からん。稜寧がそんな事を言い出した事自体、信じられん」

 冬隼もピンときていないようだった。

「ねぇ、稜寧殿のお母上って?」

 そういえば雪稜に子がある事はぼんやり聞いていたが、妻がいるとは耳にした事がなかった。
 これほど兄弟仲が良いのであれば、妻同士交流があっても良いものなのだが。
 翠玉の問いに、冬隼は首を横に振る。それだけで、だいたいどういう事なのか理解した。

「稜寧の母は、元々後宮の下働きだった人でな。稜寧が二歳の時に病で亡くなった」

 淡々とそう言うと、冬隼は寝台にあがる。どうやら今日はこのまま就寝するらしい。

「そんな幼い時に……」 

 痛々しく呟くと、冬隼が頷く。

「雪兄上自身も母の侍従じじゅうの子で、五つの時に母を亡くしている。その痛みは雪兄上が一番よく分かっているだろうな」
「五歳……それで陛下と雪義兄上様と冬隼、三人が一緒に育ったのね?」

 たしかに、以前にチラリと聞いた事があった。なぜ生母せいぼは違うのにここまで絆が深いのかと思ったが、同じ母に育てられているからなのだろう。

「それでも色々と勘ぐる者は多いからな。兄が即位する時に合わせて、雪兄上は皇位継承権を放棄した。賛否あったが、母の出自や、雪兄上の才覚を活かすため認められた。そのすぐあとに産まれたのが稜寧だ。まぁ見ての通り、雪兄上に似てさとい。俺だけでない、多くの者が稜寧が先の未来この国を支える一人であろうと思っている」

 たしかに……と、翠玉も思う。
 雪稜の息子で利発、周りの大人が将来を期待する要素は十分にあるだろう。

「おそらく、本人もその意思があるだろうな。まぁそれを考えたら、戦というものを知る事も大事なのかもしれんがな。とにかく明日にでも兄上に聞いてみよう」

 そう言った冬隼が「寝るぞ」と寝台に横になるのにならい、翠玉ものろのろと寝台に上がる。
 一緒に育った仲の良い兄弟、彼等と同様に、その子ども達が手を取り合って国を治められたのならば、国にとってどれだけ良い事だろうか。


 ◆


「まさかお前のところに行くとはな」

 冬隼から一通り話を聞くと、次兄は大きなため息と共に天を仰ぎ、次いで頭を抱えた。

「正確には翠玉に突撃して来たのですが……」

 冬隼の言葉に、雪稜が唸る。顔を手で覆っているため、その声はくぐもっている。

「あいつ、なかなか賢い手を使うなぁ」

 感心したように呟く。

「間違いなく、あなたのお子です」

 外見も父に似ているが、計略的で計算高く、自分の扱い方をよく知っているところなんぞ、本当に生き写しではないかと、冬隼も内心感心している。
 しかしこんなに困っている兄の姿は普段なかなか見る事はできない。
 無理もないだろう。

「あの子の未来を考えると、行かせてみるべきと思うが、父の心が邪魔をするよ」

 顔を上げた雪稜は、自嘲じちょうする。心なしかその横顔は寂しそうな色を浮かべているように見えた。

「アレに何かあったら私は生きていけないからなぁ」

 ポツリと呟いて卓上に頬杖ほおづえをつくと、兄にしては珍しく弱気な言葉を吐きだす。

「しかし、この国の未来には必要な事。他国との連合軍なんぞ、この先見られないかもしれないし。でもあの子はまだ十二歳だ」

 そう言うと、冬隼を見る。

「お前達に責任を負わせられないしな」

 それは……と言いかけて冬隼はやめた。確かに何か有事があれば、稜寧に構ってはいられない。
 いくら戦場には出さないとはいえ、確実に守り通せるという保証はない。稜寧にも、雪稜にも相当に覚悟をしてきてもらわねばならない。

「稜寧と話してみるしかありませんね?」

 連れて行くならば、それ相応の護衛や環境を整えなければならない。準備にはそれなりに時間がかかる。今から取りかかればなんとか間に合うだろう。
 おそらく稜寧はそれも分かった上で、この時期に声をかけてきたのだ。
 心底参った様子で雪稜は大きく息を吐く。

「あぁ、そうだな。すまない」


 ◆


 自邸へ戻ると、雪稜はすぐに稜寧の室の扉を叩いた。
 扉を開けると、息子の姿は山積みにされた書物の間に埋まるようにしてあった。分厚い書から顔を上げた息子を見て、過去の自分と重なり、やれやれとため息が溢れる。

「話があるから、一段落ついたら私の部屋においで」

 それだけ言って、扉を閉めると、二つ隣の自室に入る。
 着替えを済ませて、用意されている軽食を手に取りながら、持ち帰った仕事を片づけていると、扉が叩かれて稜寧が顔を覗かせた。

「またそんな簡単な物で夕食を済ませて」

 父の状況を見るや否や眉を寄せ、叱言こごとを言いながら近づいてきた。

「片手間で食べられるから楽なんだよ」

 苦笑する。息子は歳を重ねるごとに父に対して叱言こごとが多くなっているように思う。
 自分の言にその息子は更に眉をよせる。

「仕事熱心なのは良いのですが。そんな生活をしていたら身体を壊しますよ」

 この後、いつものように、食事と睡眠だけはきちんと取るよう念を押されるのだ。
 近頃親子の会話はこうして始まる事が多い。息子に世話を焼かれる日がこうも早いとは思わなかった。そして、その息子は親の手を離れていこうとしている。 
 寂しく感じている自分がいて、ふと口元が緩む。

「今日、冬隼に会ったよ」

 本題を投げかける。それだけで要件は伝わっただろう。

「僕は本気です」

 キッパリとした言葉と共に強い視線が返ってきた。予想通りの反応に、苦笑する。片親で育てたせいか、どこまでもこの子は自分に似てしまった。

「そうだろうな。ここまでお前がするからには、余程の事だ。でもなぜ先に私に言わなかったんだい?」
「言ったら、父上だけで話が終わってしまうかもしれなかったので。父親としての気持ちだけで決めていただきたくないのです」

 やはり見透かされていたらしい。さとい子だとは分かっていた。いずれはこのような時が来るだろうと思ってはいたが。まさかここまで早いとは……
 そんな父を見て、稜寧は子供らしい悪戯な笑みを見せる。

「叔父上達を巻き込めば、政治家のあなたとしても考えていただけるかと思ったのです。あと、実のところ噂の奥方……叔母上にも興味ありました」

 その言葉に、なるほどと思う。
 直談判するのであれば、叔父である冬隼でも良かったのだ。その方が話も早かったであろう。

「どうだった?」

 それほどまでに興味のあった叔母に当たる女性は、彼の目にどう映ったのだろうか。

「驚きました。あのような華奢きゃしゃな方が策を練り、刺客しかくを倒し、敵軍に潜入していたなど、信じられません」

 返ってきた我が子の感想に苦笑する。
 自分をはじめ、事情を知っている誰もが初めに彼女に持つ感想であろう。

「不思議な人だよね」

 稜寧が頷く。

「あの冬叔父上が重用ちょうようするのですから間違いないでしょうね。だからこそ策についても側で学びたいのです」

 予想外の言葉に、息子を見返す。彼の目的は戦を知る事だけではなかったらしい。

「お前は軍略家になりたいのか? てっきり、政治家になりたいとばかり思っていたが」

 そんな自分の顔を見て満足げに稜寧は笑う。

「政治に役立つかもしれないでしょう? 政治にも様々な策が渦巻いているのは、父上が一番分かっているはずです」
「たしかに、そうだな……」

 頷くしかなかった。政治的手腕だけでは生き残れないのが正直なところ。ある程度策略を持っている事は必要だ。

「お前は本当に勉強熱心だな」

 我が子ながらできた息子だと感心する。しかし、当の本人はどこ吹く風だ。

「当然です。この国の先を支えなければなりませんからね。皇帝が誰になるか分からないからこそ、父上や叔父上達が積み重ねてきたものを引き継いで、更に発展していくのが僕の役目です。民にお世継ぎ争いは関係ないのですから」
「そう、だなぁ。本当にその通りだ」

 そこまで考えている息子に内心驚いた。
 随分一人前になってきたとは思っていたが。どうやら親の予想を遥かに超える成長を遂げていたらしい。
 ただの好奇心であったなら、適当な理由をつけていくらでも却下できたのだが……

「戦さ場は命のやり取りの場、最悪命を落とす覚悟はあるのか?」

 真剣な表情で息子に向き合う。

「こんなところで死ねません。何がなんでも生きて戻りますよ」

 戻ってきた視線には強い決意が込められていた。
 ため息を漏らす。

「冬と調整してみよう。ただし、邪魔になると言われたらだめだからな」

 やれやれ、ここまで考えて覚悟されていたのでは、親心だけで止める事こそ、彼に失礼というものだ。

「はい」

 歯切れのよい、心底ほっとした返事が返ってきた。ここまでが稜寧の策であるような気もするが、仕方がない。
 いくらか言葉を交わし、そしてやはりきちんと食事を取るよう念を押して稜寧は退室した。その背中を見送って、しばらくぼんやりと扉を見つめた。
 大きなため息と共に椅子の背もたれから身体を持ち上げると、机上の中で唯一書類に埋もれていない一角に手を伸ばす。手にしたのは頑丈な作りの枠にはめられた、一枚の肖像しょうぞう。若い自分と、幼い子を抱いた若い女性が微笑んでこちらを見ている。

朱杏しゅあん、君がいたらどうしただろうなぁ」


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