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間章 雨の降る前
第35話 不穏な雲
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「――ただいま」
仕事が終わった夕暮れ。大量の疲れとストレスを抱えながら自宅の扉を開ける。
「おかえりパパー!」
――するとリビングから少女が走ってきた。喜久は『疲れ』と『ストレス』を放り投げ、代わりに少女を抱っこする。
「おーしおし村雨ちゃーん!いい子にしてたかー?」
「うん!今日幼稚園でね――」
愛する娘の村雨だ。ちょうどわんぱくで元気な5歳。話す度に母親に結んでもらったであろう髪がぴょこぴょこと揺れた。
天使。我が家に舞い降りた天使の他に例えようがない。そんな天使を抱えながらリビングへと向かう。
「――おかえりなさい」
「おう、ただいま」
キッチンでは愛する妻の海琴がエプロン姿で料理をしていた。匂いから察するに――今日はきんぴらごぼうのようだ。
「んー腹減った」
「腹減ったー」
「はいはい。早く作ってあげるから先にお風呂行ってきなさい」
「じゃあパパと入るか?」
「入るー!」
お風呂場では村雨の愉快な歌声が響き渡っていた。曲の題名は幼稚園で歌った『さんぽ』だ。
「上手いねー。将来は歌手かな?」
「えへへー」
顔は喜久に似ているが、髪の質感は海琴とほとんど同じだ。シャンプーをしてあげる度にそんなことを思う。
「ねぇパパ。今日もね、まさ君と遊んだんだー。まさ君私の事好きなんだってー」
「へ、へぇ……そうなんだ」
「『将来は結婚しよう』だってさ」
「パパはそういうの早いと思うよ!」
どこに住んでいても。いつの時代でも。こういう娘の発言に対するパパの言葉は変わらないものである。
そんな楽しい話の中――あまり良いとは言えない話題が村雨の口から語られた。
「あのね。今日もカラスが死んじゃってたんだ」
「……また?」
「うん。鉄棒のとこだったよ」
「そう……か」
どうやらここのところ毎日のように動物の死骸が幼稚園の敷地内に落ちているらしい。
最初はたまたまだと思っていたが、防犯カメラの映像から何者かが置いているということが判明した。犯人は未だ分からず、とのことだ。
「可哀想だよねー。誰がやってるんだろー」
「さぁな……怖くないか?」
「怖くないよー!まさ君が『守ってあげる』って言ってくれたからねー!」
「よし。今度まさ君を家に呼ぼうか。ちょっとお話がしたい」
夜の10時。良い子は寝る時間だ。良い子である村雨は寝静まり――大人の時間である。
リビングで喜久と海琴はテレビを見ていた。一日の疲れを完全に癒すための燃料油。つまり酒を飲んでいる。もちろん妊婦の海琴は飲んでなどいない。
「この人老けたね」
「まぁ48だからな。老けるもんよ」
なんてことのない会話。別に話も続かない。それでいい。この時間こそが幸せだった。
「……村雨から聞いた。また幼稚園で死骸が見つかったって?」
「らしいね」
だが村雨が話した幼稚園の話題も気になる。
「誰がそんなことしてるんだろうな」
「そうだよねぇ……相当な暇人かな」
「暇なだけでそんなことしないだろ」
「分かんないよ?世の中変な人がいっぱいだから」
「否定できないこの日本が怖いよ……」
村雨も。これから産まれてくる子のためにも。一刻も早く犯人が捕まって欲しいものだ。
「――あ」
なんて考えていると海琴が声を出した。
「どうした?」
「……蹴った」
「おお、本当か?」
近寄ってお腹に耳を当てる。――暖かい。生命というのはこんなにも温かいのかと喜久は感じた。
「元気に出てくるんだぞ」
この中に子供が――。一度は体験したことだというのに、まだ興奮が抑えられない。
「名前どうする?」
「どうしよっか……上が村雨だし……どうせなら『雨』を付けたいよね」
村雨の名前の理由はごく単純。産んだその日のその時間に『村雨』が降っていたからだ。
ひとしきり降っては止む雨。……少々縁起が悪い気もするが、とりあえずは考えないようにしておく。
「名前。なるべく早く考えとくからな。お前も早く出てこいよ――」
お腹に手を当てる。――喜久の言葉に答えるかのように赤ん坊はお腹を蹴っていた。
仕事が終わった夕暮れ。大量の疲れとストレスを抱えながら自宅の扉を開ける。
「おかえりパパー!」
――するとリビングから少女が走ってきた。喜久は『疲れ』と『ストレス』を放り投げ、代わりに少女を抱っこする。
「おーしおし村雨ちゃーん!いい子にしてたかー?」
「うん!今日幼稚園でね――」
愛する娘の村雨だ。ちょうどわんぱくで元気な5歳。話す度に母親に結んでもらったであろう髪がぴょこぴょこと揺れた。
天使。我が家に舞い降りた天使の他に例えようがない。そんな天使を抱えながらリビングへと向かう。
「――おかえりなさい」
「おう、ただいま」
キッチンでは愛する妻の海琴がエプロン姿で料理をしていた。匂いから察するに――今日はきんぴらごぼうのようだ。
「んー腹減った」
「腹減ったー」
「はいはい。早く作ってあげるから先にお風呂行ってきなさい」
「じゃあパパと入るか?」
「入るー!」
お風呂場では村雨の愉快な歌声が響き渡っていた。曲の題名は幼稚園で歌った『さんぽ』だ。
「上手いねー。将来は歌手かな?」
「えへへー」
顔は喜久に似ているが、髪の質感は海琴とほとんど同じだ。シャンプーをしてあげる度にそんなことを思う。
「ねぇパパ。今日もね、まさ君と遊んだんだー。まさ君私の事好きなんだってー」
「へ、へぇ……そうなんだ」
「『将来は結婚しよう』だってさ」
「パパはそういうの早いと思うよ!」
どこに住んでいても。いつの時代でも。こういう娘の発言に対するパパの言葉は変わらないものである。
そんな楽しい話の中――あまり良いとは言えない話題が村雨の口から語られた。
「あのね。今日もカラスが死んじゃってたんだ」
「……また?」
「うん。鉄棒のとこだったよ」
「そう……か」
どうやらここのところ毎日のように動物の死骸が幼稚園の敷地内に落ちているらしい。
最初はたまたまだと思っていたが、防犯カメラの映像から何者かが置いているということが判明した。犯人は未だ分からず、とのことだ。
「可哀想だよねー。誰がやってるんだろー」
「さぁな……怖くないか?」
「怖くないよー!まさ君が『守ってあげる』って言ってくれたからねー!」
「よし。今度まさ君を家に呼ぼうか。ちょっとお話がしたい」
夜の10時。良い子は寝る時間だ。良い子である村雨は寝静まり――大人の時間である。
リビングで喜久と海琴はテレビを見ていた。一日の疲れを完全に癒すための燃料油。つまり酒を飲んでいる。もちろん妊婦の海琴は飲んでなどいない。
「この人老けたね」
「まぁ48だからな。老けるもんよ」
なんてことのない会話。別に話も続かない。それでいい。この時間こそが幸せだった。
「……村雨から聞いた。また幼稚園で死骸が見つかったって?」
「らしいね」
だが村雨が話した幼稚園の話題も気になる。
「誰がそんなことしてるんだろうな」
「そうだよねぇ……相当な暇人かな」
「暇なだけでそんなことしないだろ」
「分かんないよ?世の中変な人がいっぱいだから」
「否定できないこの日本が怖いよ……」
村雨も。これから産まれてくる子のためにも。一刻も早く犯人が捕まって欲しいものだ。
「――あ」
なんて考えていると海琴が声を出した。
「どうした?」
「……蹴った」
「おお、本当か?」
近寄ってお腹に耳を当てる。――暖かい。生命というのはこんなにも温かいのかと喜久は感じた。
「元気に出てくるんだぞ」
この中に子供が――。一度は体験したことだというのに、まだ興奮が抑えられない。
「名前どうする?」
「どうしよっか……上が村雨だし……どうせなら『雨』を付けたいよね」
村雨の名前の理由はごく単純。産んだその日のその時間に『村雨』が降っていたからだ。
ひとしきり降っては止む雨。……少々縁起が悪い気もするが、とりあえずは考えないようにしておく。
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