花の記憶

Yonekoto8484

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哲雄と幸子は、若い頃から、お正月になると、親戚を全員呼び、自宅でもてなして過ごして来た。ところが、幸子が病気になってから、大勢の人を自宅に呼び接待するのが難しくなったため、恵美が代わりに、親戚集まりの会場として自分の家を提供することになって行った。

親戚で集まる時は、幸子がびっくりしないように、哲雄と幸子が、親戚方の集合時間より早く恵美の家に着くことを心掛けていた。

哲雄と幸子がお昼過ぎぐらいから行っておいて、全員が集まれば、開始という決まりになっていたが、どうしても、時間が守れない人が一人いた。幸太は、性格上、約束時間より数分遅れるが、数分程度の遅刻は、許される。問題は、いつも娘の蘭だった。

蘭は、数分程度どころか、数時間遅れてくるのが普通であった。数分は待てても、数時間待たされると、流石に迷惑であるため、一度親戚で話し合い、蘭が間に合うように、蘭だけに違う集合時間を伝えたことがある。

ところが、みんなより1時間早い集合時間を伝えても、蘭は、いつも通り、遅刻して来たのである。実験の結果、仕方がないと判断し、蘭の了解を得て、蘭が来るのを待たずに、先に始めることになった。

その年も、同じだった。1時となっていた集合時間から2時間も経ち、ようやく姿を出した蘭は、なんと、焼きたてのパイだけを妹の恵美に渡し、
「まだ身支度ができていないから、一旦帰る。パイだけ先に届けたかった。」
と告げてからまた姿を消した。

蘭は、恵美の家から車で40分も離れたところに住んでいたので、先にパイを届けてから、身支度しに一旦帰ってからまた戻って来るとなると、必然的に、1時間以上の貴重な時間を損することになる。しかし、こういう論理的ではないところこそが蘭の持ち味である。

蘭は、ガラクタだらけの古ぼけた家に住んでいて、その家でどうやって娘二人を無事に育てられたのか不思議なくらい、老朽化が進み、隅々まで散らかっている。

原因は、蘭は、物を捨てるのが苦手であるのと、夫が車両運搬車の運転手をしていて、滅多に家に帰って来ないため、蘭は、生活の全ての面を一人でやりこなす必要があり、家の修理や掃除まで手が回らないからであると考えられる。

蘭は、数十年前から新聞配達の仕事をしているが、働き始めた当初の数十年前の新聞でも、そのまま捨てられずに、整理整頓されていない資料館のように保管している。これは、何か意思や目的を持って、意識的にやっている訳でもなく、ただ整理整頓が苦手な結果、そうなってしまっているだけである。

蘭の家には、家具は一応あるが、ほとんどが壊れていて、上に段ボールや整理されていない書類、ガラクタが山積みしてあるので、使い物にならない。家の2階には、トイレはあるが、トイレのタンクは壊れていて、水が出ないので、用を足してからわざわざ1階まで降りないと手が洗えない状態である。天井の一部も、ひどく傷んでいて、ある日突然ソファの上の部分が落ちて来たらしい。他の部分も、見るからに、いつ落ちて来てもおかしくないほど酷く傷んでいて、ヒビが入っている。要するに、家自体は、修理より、取り壊してしまった方がいいぐらいの酷い有様である。他人が見たら、「こんなところで生活できているな!」と度肝を抜かれるに違いない。

そういう環境で日々を送っているせいか、蘭は、「蘭」という名前の通り、花や風などみたいに飄々としていて、捉え所のない性格である。時間などの約束を守るのが苦手で、あてにならない。こまめに連絡が取れていると思いきや、ある日突然電話が繋がらなくなり、音信不通になる。ある日は、ピンピンしていて、積極的に、人に話しかけたりしては、次の日は、家に篭り、電話に出ることすら拒む。先のことについて、見通しが全く持てない人である。

しかし、蘭は、幸太と同じく、取り柄がある。気さくで、おおらかで、色んな人を受け入れて、近い距離で付き合い、色々と時間を費やすのにやぶさかでない。人とは、すぐに何か共通点を見つけ出しては、親しくなり、やがて数日前まで赤の他人だった人を身内のように心配したり世話を焼いたりするようになる。そして、人に喜んでもらうためなら、努力を惜しまない。人のために、寝食を忘れて取り組むことさえある。

蘭が特に頑張るのは、お菓子やパン作りである。お菓子やパン作りは、一言で言えば、単なる趣味の範疇になるだろうけれど、蘭の場合は、趣味の域を超えている。これは、腕によりをかけているという意味でも、発揮するほどの腕があるという意味でもなく、自分のことを疎かにしてまでやるところが、もはや趣味を超えて、仕事などに伴うような義務感に似ているという意味である。しかし、蘭は、お菓子作りを義務だとは、微塵も思っていない。ただ、喜んでもらえると思うと、真剣になり、余念がなくなるだけである。蘭は、よく半日をかけて友人のためにパンやクッキーを作っておきながら、自分の食事を抜きにしたり、スナック菓子で済ませたりする。そういう人である。

蘭の面白いところは、誰より遅れて来るくせに、少しも悪びれないし、反省する様子を少しも見せずに、みんなが帰っても、夜中まで帰らずに喋り続けるところである。

その年も、そうだった。幸太と慶太がスポーツについて、熱く語り合っているところへ、蘭がようやく身支度を済ませて、登場した。

「せっかく決勝戦まで進んだのに、そう簡単に負けたのは情けないな。」
慶太が言った。

「あの人のせいだよ…!」
幸太が野球選手のこき下ろし独演会を始めた。
一旦愚痴を言い出すと、永遠に管を巻く癖のある幸太の話はいつまで経っても終わらず、話題を振った張本人の慶太をはじめ、聞こえるぐらいの距離に座っている人は、みんなしらけてしまっていた。

とうとう、いつも物静かで、角が立つようなことを絶対に言わない主義の慶太が口を開けた。
「撤回する。決勝戦まで進まなければよかった…。」

「え⁉︎なんで⁉︎」
慶太の息子が父親の発言にドギマギして、尋ねた。

「だって、進んだから、この独演会を聞く羽目になるだろう?」
慶太がぽつりと言った。

慶太がそこまで言うと、それまでの流れを知っているものは、みんな一斉に爆笑したが、幸太は笑わずに気分を害しているので、やがてしーんと静まり返った。

そこへ、蘭が、自分の出番だと思ったのか、みんなに自分の作ったデザートを勧め始めた。みんなは、蘭が到着する前に食事もデザートも済ませ、本当は満腹だが、蘭の勧め方のあまりのしつこさに負け、みんながまたデザートを食べる始末になる。

幸太は、スポーツの話をすっかり忘れて、蘭に感化されて、持って来た鹿肉を調理してからみんなに勧め始めた。ほとんどの人は断る。すると、わんぱくな笑みを浮かべ、幸太が幸子に接近した。
「お母さん、この牛肉は凄く美味しいよ!少し食べてみない?」

幸子は、最初怪しんで、断った。すると、幸太が姪っ子に呼びかけた。
「亜美、この肉美味しかったよね?」

「うん、美味しかったよ。」
亜美は、叔父の下心に気づかずに、素直に答えた。

「ほら、亜美も美味しいって言っているよ。」
幸太がまた幸子に鹿肉を勧めた。

幸子は、ようやく鹿肉に手を出し、一切れ口に運んだ。

「ん、美味しいね!」
幸子は、自分が食べた肉が鹿肉だとは知らずに、感想を言った。

「だよね!」
幸太が嬉しそうに笑った。
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