最良の日々

鯛田オロロ

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彼は、我が家のタウンハウスに本当にお詫びと見舞いにやってきた。

母と父が彼に昨夜の礼を言っている。

メイドがお茶とお菓子を運んでくる。

彼が私に聞いてきた。

「お加減はいかがですか?」

「もうすっかり良くなりました。昨日いただいたお薬が効いたようです。ドクターにもよろしくお伝えください」

改めて見る彼は、大変な美男子だった。

彼は、リッチフォード侯爵家の長男の、エルドレッド・ブラッドリー。

オメガであるために寄宿学校にも通えなかったし、この年まで社交界に出ることもなかったから、私は彼のことを知らなかった。

単純にも、昨日助けられた私は、彼のことを好きになってしまったようで、鼓動が速くなる。

弟は彼のことを知っていて、悪い噂は聞いたことがないという。女遊びも賭博もしないのだと。



エルドレッドは、私を王都の見物に誘ってくれた。

話してみれば、彼は私に近寄ってきた金目当ての男たちとはまるで違った。彼らは頭がからっぽで、ファッションやゴシップなどにしか興味がなく、話していてうんざりさせられた。

彼とは、領地経営の話も、投資の話も、政治の話も、文学の話も、驚くほど楽しく話せた。

彼も私も、福祉の問題への関心が共通していた。王都のスラム街の改良に彼は仲間とともに取り組んでいた。港のそばにできた港には貧者が集まり、犯罪の温床になっていた。

私のほうは、オメガの状況を改善できないものかと漠然と考えていた。

貧しい家に生まれたオメガは今世紀になっても、オメガを受け入れてくれる修道院に行くか、娼館に行くか、有力家系のアルファに雇われ性玩具とされるか、そのような道が主だった。

娼館に行ったものも、性玩具とされたものも、果ては王都の貧民窟で悲惨な最期を迎える。

たまたま恵まれた環境に生まれた私が、彼らのために何かをするのは当然だと思った。

「あなたもご覧になったでしょう? オメガなど手籠めにしてしまえばどうにでもなると思われているのです。同じ人間とは思われていないのです。まずは、オメガのための保護施設と、仕事場を作りたいのです」

私がそういうと、彼は賛同してくれた。

「僕達は、なにか協力してうまくやれるかもしれないね」

二人で様々なことを話しながら、王都の公園を二周も三周もした。

同年代の男性とここまでいろいろと話したのは初めてだった。

約束して芝居も見に行ったし、乗馬も楽しんだ。

彼は、彼は侯爵の嫡男で、我が家よりももっと格式高く古い家柄だ。それでいて、経済状況も良い。

加えて、見目麗しい男だった。趣味は乗馬とボクシングで、ゆったりした長衣で体格はわからないが長身で引き締まった体をしているのは見て取れた。

彼とは、結婚はできないだろう。彼が結婚相手に私を選ぶはずがない。それなら、彼の友人になりたいと思った。

彼は我が家のタウンハウスにも何度となく顔を出し、父にも母にも弟にも気に入られた。

私のほうも、侯爵家のタウンハウスに行って、彼の両親にも挨拶したし、彼の友人にも紹介された。

オメガだから寄宿学校にも入学できず、領地からほとんど出ることもなかった私には、同年代の男性との交流は貴重な体験だった。

王都のクラブの一室が彼らの活動の集会場所になっていて、私も招かれ、紹介された。

「みなに紹介したい。私の友人のエメリー卿だ。彼も福祉に関心がある」

彼の仲間たちは、私を歓迎してくれた。

ある日、彼の友人の一人で、妹がオメガだというギデオン卿と、私は熱心に話をしていた。

「妹が是非君と話をしてみたいと言っているんだよ」

「それは是非お話しさせていただきたいです。女性のオメガの方からの意見を是非参考にさせていただきたいので」

「それじゃあ……」

ギデオン卿と予定を詰めようというときに、エルドレッドが間に入った。

「それは、僕もご一緒していいんだよな、ギデオン」

ギデオン卿は少し面食らった顔をして、もちろん、とうなずいた。

「よし、予定は追って決めよう。エメリー、帰る時間だろう。送っていくよ」

「そうですね。ギデオン卿、今日はありがとうございます」

エルドレッドの馬車で送ってもらった。彼は何か考えこんでている様子だったので、私も話しかけるようなことはなかった。



後日、彼に競馬の観戦に誘われた。

全速力でコースを走る馬たちの蹄の音、人々の歓声。私もその熱狂に飲まれた。

競馬からの帰り、彼は、ひざまずいて私に交際を申し込んでくれた。

「君が好きだ。僕と結婚して欲しい」

決して叶うことはないと思っていた。私は、まるで夢のようだと思った。

どんな望む相手とでも結婚できる彼が、どうして私と?

その考えは浮かんだが、彼も私といる時間を楽しんでくれているのかもしれない。

彼の好きだという言葉をその時は素直に受け取ろうと思った。



婚約後、侯爵家の領地に連れて行ってもらった。

彼は、領地を案内してくれた。

魚釣りを楽しんだ川。子供のころ登って落ちて骨を折った木。父と喧嘩して家を飛び出し、泊めてもらった羊番の小屋。

「僕は、こう見えても羊の毛を刈るのがうまいんだ」

彼の子供時代が目に浮かぶようだった。

そして、夕陽があたりをオレンジ色に染めるころ、丘の上で私にキスをしてくれた。

まるで、恋に堕ちた男のように。角度を変えて、何度も唇をあわせた。

私は体が熱くなって、彼もそうだと思った。



それが、スポイト法?

全部、演技だったというのか?

冷水を浴びせられたようだった。幸せの絶頂から、突如奈落に落とされた。

彼は、私を抱く気がない。彼にとって、私など、抱くに値しないのだ。



翌日、王都に出立する彼は、出かけに私にキスしようとした。

私は、やんわりと彼を突き放して、彼のキスを拒絶した。

性行為もしたくない相手とキスもしたくないだろうと。私の唇は、彼のキスを欲して疼いていたのに意地を張った。

彼はわずかに眉を顰めただけだった。

「行ってくるよ」

「ご無事をお祈りしています」

それ以来、彼からキスをしようとすることもなかった。
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