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第1章 複合社会マレーシア(1)

1-(4) 複合社会マレーシアの形成

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 図4のマレーシアと日本における民族ごとの人口比率の比較を再度見ていただく。
マレー人が4割、華人は3割、タミル人が1割弱を占めており、日本における極端な人口比率のモデルとは異なり、バランスがとれている。そのため民族の数だけ言語や宗教が存在する複合社会が形成されている。それでは、なぜ複数の民族が「共存」することになったのだろうか。
 
 マレーシアの主要民族のうち、華人とタミル人が移民集団である。華人とタミル人が移民として流入したため複合社会が形成されたのである。華人とタミル人の流入が活発になったのは、マレーシアがイギリスに植民地として支配されていた頃で、19世紀後半から20世紀初頭のことである。当時のマレーシアではイギリスによって大規模な鉱山開発や、プランテーションによる農園経営が行われていた。移民の時期は華人のほうがタミル人よりも少し早い。華人は中国南部から契約労働者としてイギリス領だったマレーシアへ流入し、鉄鋼や錫などを採掘する鉱山労働者となった。

 タミル人移民の流入は華人より少し遅れて20世紀に入ってからのことである。タミル人の移民が活発になったのは、1907年にマレーシア国内でタミル人移民基金条例が制定されてからのことである。タミル人はマレーシアに来てプランテーション農場の契約労働者として働いた。その後1938年にインド側で移民とその補助が禁止され、また1949年にはマレーシア側でも新規の移民が禁止されたため、毎年8~10万人(注4)もの規模だったタミル人の移民の歴史は終わりを告げる。

  ここで注目すべき点は、華人移民は男性と女性がともに移住したこと、そして短期間のうちに急速に、かつ大量にやって来たことである。もし男性だけがマレーシアへやって来たのであれば、マレー人の女性と結婚しマレーシアの文化や社会に同化していたかも知れない。しかし、華人は男女ともに移住した。短期間のうちに大量にやって来たために中国社会がマレーシア国内に移植される形となった。そのため現地マレーシアの社会とは同化しない、全く異質の華人社会が出現したのである。
  タミル人の場合は男性が単身で流入してきたが、2~3年間働いた後インドへ戻り、結婚相手を見つけて再びマレーシアへ帰って来る者が多かった。従ってマレーシア国内にタミル人社会も形成される結果になったのである。



注4 当時のタミル人のマレーシアへの移住者の数は、刻々と変化する国家の移民方針や、プランテーションや鉱山の経営状況によって大きく変化していた。
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