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第4話

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 私が案内した店は少し裏通りにある。
 比較的静かで雰囲気のいいお店だ。個室になっているため、落ち着いて話もできる。
 夕食時には少しだけ早い時間だったため、待たずに席に案内してもらうことができた。
「高そうなお店ですね」
 久我さんは店内を見回して少しビクビクしている。
「食べ放題よりは……でも、それほどでもないんですよ」
 メニューを見せると久我さんは表情を明るくした。
 中学生の流里さんや体育教師の志藤先生のような、質より量を重んじる人と来るには向かない。だが量が必要ないのなら、質のいいお肉をリーズナブルに食べることができる。
 私たちは肉やサラダを注文し、まずは生ビールで乾杯した。
 久我さんは喉が渇いていたのか、一気にジョッキを半分ほど減らしてしまったので、注文した肉が届いたときに追加のビールも注文する。
 どうやらかなりお酒が好きなようだ。
 少しアルコールが入ったからか、久我さんの表情は喫茶店のときよりも随分リラックスしているように見える。
「鍋島さんは、よく映画を見に行くんですか?」
「いいえ、今日は本当に久々だったんですよ。単館映画館なんて、大学生以来です」
「そうなんですか? それじゃあ今日お会いできて、私はラッキーですね」
 久我さんは随分饒舌になっていた。元々はこちらなのか、アルコールのせいなのかは分からない。
「じゃあ、大学の頃にはたくさん映画を見ていたんですか?」
「それなりに見ていましたけど、実はあまり興味はなくて。好きだった人が映画を見る人だったんです。その人と話がしたくて分からない映画を見ていたんです。馬鹿でしょう?」
「いえ、かわいくていいじゃないですか」
 久我さんは肉を次々と焼いていく。意外と質より量の人なのかもしれない。
 二杯目のビールも空になりかけていたので、追加のビールをオーダーした。ちなみに私はまだ一杯目を飲んでいる。
「久我さんはいつ頃から役者を目指しているんですか?」
「うーん、多分、小学生の頃からかな。劇で端役をやったんですけど、それが楽しくて。自分じゃない人になれるのが、すごく魅力的だったんですよね。それからずっと演劇部に所属して、大学では劇団にも入りました」
「そんなに長い間、続けられるなんてステキですね」
「まあ、好きなだけで才能はなかったみたいです」
 久我さんは少し寂しそうに笑う。
「劇団に入っているって言われてましたけど、お仕事との両立は大変じゃないですか?」
「そんなに厳しいところじゃないので。仕事の方もお給料は高くないですけど、残業もなくて比較的自由なので。鍋島さんはどんなお仕事をしているんですか?」
「養護教諭です。いわゆる保健室の先生ですね」
 すると久我さんがやけにうれしそうに笑う。
「わー、すごい似合いますね。やさしそうなところが、まさに保健室の先生って感じです」
「実はそんなにやさしくないし、性格も悪いんですよ」
「そんなことないです。やさしいですよ。私の無理なお願いも聞いてくれたじゃないですか」
 久我さんはすっかり上機嫌になって、見た目の気品あふれる美女という印象をことごとくぶち壊していく。
 私は第一印象でやさしそうと言われることが多い。けれど自分ではそんな風に思ったことはない。それに、そう言って近づいてくる人とはそれほど仲良くならない。「ホント、性格悪いよね」と面と向かって言ってくれる人の方が仲良くなれるような気がする。
「保健室の先生ってモテそうですね」
「まあ、モテるといえばモテますね。相手は小学生ですけど」
 私の言葉を聞くと、久我さんはケラケラと笑いだした。笑い上戸なのだろうか。
「私より久我さんの方がモテるんじゃないですか? 美人ですし」
「全然モテませんよ。黙ってればいいのにとはよく言われますけどね」
 それはなんだか分かるような気がする。
「それに、仕事と芝居の稽古とオーディションで忙しくて、恋人を作る暇なんてありませんでした。鍋島さんは恋人いるんですか?」
 久我さんは焼いた肉をサンチュで包んで口の中に放り込む。
 少し量が多すぎたのか口の端からタレが零れ落ちた。私はナプキンをとり、手を伸ばして久我さんの口もとを拭く。
 こういうことをしてしまうから、やさしいなんて誤解をされるのかもしれない。これは単に職業病のようなものだ。
 久我さんは私の手からナプキンを受け取り、顔を赤くしながら自分の口もとをぬぐった。
「恋人はいませんよ。もう……二年かな? 今日落ち込んでたのも、別れた恋人から子どもの写真が送られてきたからなんです。別に未練があるわけじゃないですけど、そういうのを見せられると、さすがにちょっと……」
 そう言ってから、久我さんにここまで話す必要はなかったと後悔した。
 だけどもうもう遅い。
 もしかしたら私は、誰かにこのことを愚痴りたかっただけなのかもしれない。
「元カノにそんな写真送るなんて無神経な男、別れて正解ですよ。さっさと忘れちゃいましょう」
 久我さんは私を元気づけるように、ガッツポーズを作りながら言った。「恋人」と言っただけで「男」とは言っていないのだが、そう捉えるのが普通なのか。
 私の中では「恋人」といえば「同性」なのが普通だったから、ちょっと忘れかけていた。
 ある意味新鮮だ。
 そして少し意地悪をしてみたくなる。
「多分……彼女は、報告するのが私のためだと思ってるんですよ。彼女と私ではできなかった未来を見せてくれているんでしょう」
「……え? 彼女?」
「はい。彼女です。そう言いませんでした?」
「聞いてないと思います……鍋島さんは……意外と意地悪ですね」
 眉根を寄せる久我さんに、私は満面の笑みを返す。
 久我さんは益々渋い顔をした。
「もしかして同性って抵抗ありましたか? だったらごめんなさい」
「あ、いえ、そうじゃないんです。劇団の仲間にもいるので。なのに、そのことに思い至れなかった自分こそ無神経だと思って。情けないというか……すみません」
 先程までの上機嫌が一変して暗い顔になる。ちょっと意地悪過ぎただろうか。
「冗談ですよ」
 私は明るく言う。
「冗談って何が?」
 久我さんは戸惑いの顔で私を見た。
「全部」
 笑顔で言うと久我さんはますます困ったように眉尻を下げた。
「あ、ところで、あの映画、一体何から逃げてたんですか? 五回くらい見たらわかるかな?とも思ったんですけど」
 久我さんは釈然としない顔のまま、それでも私の質問に答えてくれた。
「監督が言うには、日常のしがらみとか、世界の常識とか、時間とか、私たちを取り巻く全てだそうです」
「なるほど! それは五回見ても分からないですね」
「撮影してた私も分かりませんでしたから」
 そこでようやく久我さんに笑顔が戻った。
「映画の久我さんはスッピンに近いんですよね?」
「はい」
「その方が若く見えるのに、どうしてわざわざ年上に見えるメイクをするんです? みんな若返りメイクをしたがるのに」
 すると久我さんはビールジョッキを持ち上げて「これです」といった。
「お酒好きなんですけど、呑みに行くと必ず年齢確認されちゃうんです」
 私は思わず吹き出した。
 そんな理由で美女メイクをしていたとはさすがに想像がつかない。
「きれいな久我さんもいいですけど、スッピンのかわいい久我さんも見てみたいな」
 なんとなく私が言うと、久我さんは予想以上に驚いて見せた。
 そしてみるみる顔を赤くしていく。それはお酒のせいではないだろう。
「スッピンが見たいって、もしかして、そういうことを……あ、いや、なんでもないです」
 そうして久我さんは赤くなった顔を伏せた。
 数秒考えて、久我さんが赤くなった理由に思い至った。
 スッピンが見たいということは、メイクを落とすような場面に立ち会うということだ。
 そしてメイクを落とすことに至る二人の行為を連想したのだろう。
 久我さんはなかなか想像力豊かなようだ。
「久我さん? どうかしましたか?」
 私は何も気付かないフリをして声を掛ける。
「い、いえ、なんでもないです」
 自身の思考を気付かれていないと安心したのか、久我さんが小さく息をつきながら顔を上げた。
 そのタイミングで、私はすかさず言葉を放つ。
「それで、そういうことって、どういう意味です?」
 再び久我さんの顔が赤くなる。
 私は笑みを浮かべて続けた。
「私と、そういうこと、してみます?」
 久我さんは頭を抱えて絞り出すように「鍋島さん、性格悪いですよ」と言った。
 見た目の印象と違う久我さんはとても魅力的だ。
 久我さんとこれからどんな関係を築けるかはまだわからない。
 だけど、人の恋に口出ししているだけじゃなく、私も一歩踏み出してみようか、そんな気持ちになった。
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