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こんなにも嫌いな女を好きな理由(ワケ)。

26歳 喧嘩

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 あの事故からナナは順調に回復して療養場所を病院から私の家に移した。
 家に来てからナナは少しずつ自分でできることを増やしている。仕事復帰するための準備もはじめていた。
「なあ、セイラ、できるだけ早く仕事に戻りたいと思ってさ……」
 ナナの言葉はこの家を出て行くことの宣告のように聞こえて胸が締め付けられた。だが体が回復することも、仕事に復帰することもナナにとってはいいことなのだ。私は自分にそう言い聞かせて笑顔を作る。
「そう思って会社の方でも準備は進めてるよ。けど、現場に戻れるようになるには、まだ時間がかかるでしょう? だから事務職に異動させてもらえるように話を進めてるんだけど……」
 私がナナの状況の説明や異動の相談をするために本社を訪れたとき、管理の三浦課長に呼び止められた。
「事故に遭った塩原さんって、あの企画をした子よね?」
「はい」
「事務職として復帰させるの?」
「ひどい骨折だったので、現場に戻るには時間がかかってしまいますから。体がちゃんと回復するまでは事務方でがんばってもらおうと思っています」
「そう、それならしっかり鍛えてあげて」
「え? それはどういう意味ですか?」
「森内さんと塩原さんがウチに来てくれたら、面白い仕事ができると思わない?」
 三浦課長はそう言ってニッコリと笑った。もちろん、三浦課長に人事権があるわけではない。だが本当にそれが実現したならどんなにうれしいだろう。
 しかしナナはそれを望まないのではないかと思う。それでも少しでもその可能性があるのならばナナに教えておきたいことがある。
 そのため、ナナを私の補佐のような形で復帰させてもらうように交渉を進めていた。
 少し公私混同しているような気もするが、最終的な判断は会社側にゆだねている。私は希望を伝えているだけだからそれくらいのことは許されるだろう。
 だが事務職としてナナの仕事復帰を進めていることを、まだナナに伝えていなかった。もしも嫌がられた場合は別の方法を考えるか、どうにかして説き伏せるかをしなくてはいけない。
「えっと、事務職は嫌だった?」
「いや、ありがたいよ。さすがにこの体で荷物運びはできないからな。アタシもそう思ってたから、ちょっとはパソコンでも勉強しておこうと思ってさ……」
 そうしてナナが視線を向けた先には、初心者向けのワードやエクセルの本があった。
「へえ、ナナもちゃんと考えてたんだ」
「まあな。でも、本を読むだけじゃピンと来なくてさ、セイラのパソコンをちょっと借りたんだけど」
「ああ、別にいいよ……」
 と言いかけて血の気が引く。
「パ、パスワードは?」
「最初の画面でパスワードを聞かれて、どうしようかと思って……」
 私は密やかに胸をなでおろした。
「適当に色々入れてたら当たった。パスワードをアタシの誕生日にするのは止めろよ」
「ぐ、偶然、偶然に決まってるでしょう、ナナの誕生日なんて知らないもん!」
 私は苦しい言い訳を叫んだが、ナナはニヤニヤ笑ってまったく信じていない様子だ。まさかナナがパソコンを使うなんて思っていなかったから、そこまで気がまわらなかった。失敗だ。
「そ、そもそも使う前に、使っていいか確認する方が先でしょう!」
「だから、それは謝ったろ」
「謝ってないでしょう、事後報告してるだけじゃない」
「あー、分かったよ、悪かったな、確認する前に使って」
 ナナは唇を歪めて不機嫌そうに言う。だがすぐに笑みを取り戻した。
「だけどそれなら、断りもなく人の写真撮りまくってるのはどうなんだよ」
「!」
「マル秘フォルダの中に、入院中のアタシの写真とか、ここに来てからの写真とかがいっぱいあったんだけど、アタシ、写真を撮っていいか、なんて確認されてないぞ」
「な、なんで勝手に見てるのよ! 信じられない」
「勝手に見たのは悪かった。だけど、勝手に撮るのはいいのかよ」
「け、怪我の経過観察だもん」
「なんだそれ!」
 なんだかんだで、こんな風にすぐに口喧嘩になってしまう。だけど、それは事故前に会社でしていた口論とはまったく違って心地いいものだった。
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