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第3章
162.古き遺跡
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最初の罠は、分かりやすかった。
窪地の手前、草の濃いところに、色の違う小枝が一本。新しい色だ。ヒナは走りをそのままに、指先だけでそれを摘み上げ、草の下に隠された薄布を露わにする。布の端には黒い粉。ヒナは嗅がず、布を二重に畳み、素早く水筒の水で濡らして包んだ。
「睡香。兵舎に残っていたのと同じ系統ですが、濃度が高い。直接吸えば意識が曇ります」
「俺の鼻は平気だ」アレスが笑う。
「鈍いからな」
「鈍い鼻ほど騙されますよ、アレスさん」ヒナが目だけで笑い返す。
道具を置くなら、拾い方も置いていく。それは罠の癖であり、術者の癖でもある。リアは拾われた跡のないものを探し、風の縁でそれを一つ見つけた。小石が三つ、尖りを同じ向きにして重ねられている。目印だ。ここで右へ折れろ、と誰かが誰かに示した印。足跡も角度を変えていた。
(やはり、単独で走っているが、独りで動いているわけじゃない。誰かに示す合図。だが、合図を読むのは俺たちだ)
草が浅くなり、石が増え、やがて石が草を押しのけた。丘の肩に古い基壇が見え、そこから崩れ落ちた石段が南へ斜めに降りている。苔は薄く、乾いた蔦が石の目地に絡みつく。夜気が変わった。石の匂い、乾いた冷たさ。草原のざわめきは遠のき、代わりに、どこかで滴が落ちる音が、広い空気の中で遅れて戻ってくる。
「……祈祷所の形式に似ています」シャリスが低く言う。
「円柱が八、中央に献台。柱頭に月輪の彫り。エレニアじゃない、もっと古い。月の民の……」
「月輪の彫りは、南の谷の方が深いな」
アレスが柱頭を見上げる。
「風を背にする向きに彫りが深い。風化に逆らって残ってる」
リアは石段の一段目に靴を置いた。砂が靴底の下で鳴る。踏みしめるたび、音が生まれては石に吸われ、また吐き返される。広間は近い。石の壁が空を切り取って、そこに半分欠けた月が嵌め込まれていた。
ティグノーが不意に首を上げた。喉の奥の唸りが高くなる。
「来るか?」
リアが視線だけで問うと、ティグノーは小さく頷くように頭を振った。彼の鼻先が、石段の上、空気の渦の中心を指し示す。
広間は、思ったよりも広かった。柱が崩れ落ちた跡がいくつも輪を描き、その間の石床には、月光が水のように溜まっている。溜まりは浅く、踏めば波紋のように光が揺れるのだろうと想像できた。中央には台座。角が欠け、角度の合わない石が継ぎ足されている。継ぎ方が雑だ。古代の礼装ではない、誰かが後から使った。
使った誰かが、今もいる。
最初の姿は、影だった。
柱の陰から、月光の縁を踏まずに、影だけが先に伸び出した。影の先端がリアの靴先に触れ、そこで止まる。靴の縫い目の一本まで数えられるほどの、静かな距離。
「――ようやく、来たか」
窪地の手前、草の濃いところに、色の違う小枝が一本。新しい色だ。ヒナは走りをそのままに、指先だけでそれを摘み上げ、草の下に隠された薄布を露わにする。布の端には黒い粉。ヒナは嗅がず、布を二重に畳み、素早く水筒の水で濡らして包んだ。
「睡香。兵舎に残っていたのと同じ系統ですが、濃度が高い。直接吸えば意識が曇ります」
「俺の鼻は平気だ」アレスが笑う。
「鈍いからな」
「鈍い鼻ほど騙されますよ、アレスさん」ヒナが目だけで笑い返す。
道具を置くなら、拾い方も置いていく。それは罠の癖であり、術者の癖でもある。リアは拾われた跡のないものを探し、風の縁でそれを一つ見つけた。小石が三つ、尖りを同じ向きにして重ねられている。目印だ。ここで右へ折れろ、と誰かが誰かに示した印。足跡も角度を変えていた。
(やはり、単独で走っているが、独りで動いているわけじゃない。誰かに示す合図。だが、合図を読むのは俺たちだ)
草が浅くなり、石が増え、やがて石が草を押しのけた。丘の肩に古い基壇が見え、そこから崩れ落ちた石段が南へ斜めに降りている。苔は薄く、乾いた蔦が石の目地に絡みつく。夜気が変わった。石の匂い、乾いた冷たさ。草原のざわめきは遠のき、代わりに、どこかで滴が落ちる音が、広い空気の中で遅れて戻ってくる。
「……祈祷所の形式に似ています」シャリスが低く言う。
「円柱が八、中央に献台。柱頭に月輪の彫り。エレニアじゃない、もっと古い。月の民の……」
「月輪の彫りは、南の谷の方が深いな」
アレスが柱頭を見上げる。
「風を背にする向きに彫りが深い。風化に逆らって残ってる」
リアは石段の一段目に靴を置いた。砂が靴底の下で鳴る。踏みしめるたび、音が生まれては石に吸われ、また吐き返される。広間は近い。石の壁が空を切り取って、そこに半分欠けた月が嵌め込まれていた。
ティグノーが不意に首を上げた。喉の奥の唸りが高くなる。
「来るか?」
リアが視線だけで問うと、ティグノーは小さく頷くように頭を振った。彼の鼻先が、石段の上、空気の渦の中心を指し示す。
広間は、思ったよりも広かった。柱が崩れ落ちた跡がいくつも輪を描き、その間の石床には、月光が水のように溜まっている。溜まりは浅く、踏めば波紋のように光が揺れるのだろうと想像できた。中央には台座。角が欠け、角度の合わない石が継ぎ足されている。継ぎ方が雑だ。古代の礼装ではない、誰かが後から使った。
使った誰かが、今もいる。
最初の姿は、影だった。
柱の陰から、月光の縁を踏まずに、影だけが先に伸び出した。影の先端がリアの靴先に触れ、そこで止まる。靴の縫い目の一本まで数えられるほどの、静かな距離。
「――ようやく、来たか」
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