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第1章
71.カヴァレット
しおりを挟む夜が明け、カルネリスの宿屋に静寂が訪れていた。
部屋の窓辺に座るリアは、紅茶を口に運びながら、眉間にしわを寄せていた。
――黒蛇。
昨日、ケネスから聞き出したその名が、頭から離れなかった。
(黒蛇……銀翼の幹部か? いや、それ以上の……)
考えが巡る。
カルネリスの混乱、奴隷市場の存在、そして倉庫街で見つけた書類に記されていた広大な奴隷ネットワーク――。
その背後に、この黒蛇がいるのだろうか。
そんな時――。
コン、コン。扉を叩く音がした。
「リア様、カヴァレット様がお見えです」ヒナが声をかける。その声に、リアは椅子を引いて立ち上がる。
「通してくれ」
やがて、数日前に会った老紳士がゆっくりと入ってきた。
「リア殿……」
カヴァレットは深く頭を下げた。
「申し訳ない。こんな大事になってしまった……私が依頼したばかりに……」
その顔はしわを深め、心底からの悔恨を滲ませていた。
リアは手を上げ、静かに首を振った。
「謝る必要はありません。あなたの依頼がなければ、この町の闇は明るみに出なかった。――むしろ、礼を言うべきです」
「だが……」
「大丈夫だ、カヴァレットさん」
リアはまっすぐな眼差しで言った。
「俺は最後までやります。だから、あなたも、知っていることがあれば話してください」
老紳士は短くうなずく。リアはこれまでのことを話した。しばらく経って、カヴァレットはぽつりとつぶやいた。
「――黒い蛇、か」
リアの瞳が動く。
「ご存じなんですか?」
「……いや、確かではない。しかし、昔……私がまだ議員だった頃の話だ」
カヴァレットは目を閉じ、遠い記憶を探るように語り始めた。
「ある晩餐会で、一度だけ会った人物がいた。顔は覚えていない……いや、思い出せないと言った方がいいかもしれん。だが――」
そこで、老紳士の指がかすかに震えた。
「手の甲に、黒い蛇の紋章を刻んでいた」
ヒナとアレスが、息を呑んだ。
「黒い蛇の……紋章?」
「ほんの一瞬、袖口から見えただけだった。すぐに隠された。あの時は、ただの刺青かと思ったが……今思えば、あれが何かの“証”だったのかもしれん」
リアは、慎重に問う。
「その人物は……名前は?」
カヴァレットは首を横に振った。
「覚えておらん。だが……議員だった私なら、名簿を見れば思い出せるかもしれん」
彼は杖を握り直し、力強く言った。
「私の屋敷に、古い記録がある。必ず調べよう」
リアは頷き、静かに感謝を告げた。
「お願いします、カヴァレットさん」
老紳士は一礼し、足早に去っていった。
部屋に静けさが戻ると、リアは机に座り直し、ヒナとアレスに視線を向けた。
「……どうするかだな」
アレスが腕を組む。
「カヴァレットさんの調査を待つってのはどうだ? 下手に動いても、尻尾をつかめねえし」
ヒナが少し考え込んだあと、顔を上げる。
「でも、それまでに私たちができることもあるはずです。――“黒蛇”がカルネリスの支部長に命令していたなら、どこかに痕跡があるはず」
リアは静かに頷く。
「……銀翼の拠点を探す。倉庫街以外にも、まだ“何か”が隠されているかもしれない」
そうして、机の上に地図が広げられた。
リアは指でカルネリスの地形をなぞり、赤い印をいくつかの場所に打った。
「――ここからだ。俺たちは黒蛇を追う」
その声は静かで――しかし、揺るぎなく響いた。
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